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2006/01/28

古書との出会い:東京味覚地図(奥野信太郎)

 「東京味覚地図:河出書房、昭和33年」は、奥野信太郎が編集した本です。浅草、銀座、新宿など東京の各町のうまいもの屋に加えて東京の喫茶店、東京の菓子などの話題それぞれに執筆者を選び、一冊にまとめた本です。タイトルに地図という文字が入っていますが、地図本というよりグルメ紀行本です。

 この本の特長は、合計18人の多彩にして豪華な執筆陣につきます。浅草(壇一雄)、新橋(戸板康二)、築地(池田弥三郎)、銀座(田村泰次郎)、神田(高橋義孝)、新宿(田辺茂一)、、、東京の喫茶店(戸川エマ)、東京の菓子(三宅艶子)などと、いづれも美味しいものや町について一流の書き手として知られた人が名前を連ねています。主題は食べ物となっていますが、文章の随所に東京の町の様子が描かれていますので、戦前から昭和30年代の東京を記録する紀行文としても楽しめます。

 グルメ本として珍しいのは、東京の菓子を取り上げている点です。三宅艶子さんの東京の菓子に書かれている「泉屋のクッキー」と「ユーハイムのバームクーヘン」を懐かしく思い出す人は多いでしょう。子供の頃でしたが、我が家では、白と青に浮き輪のマークが描かれた泉屋クッキーの空き缶は、捨てずに小物入れにしていました。また父親が、バームクーヘンをお土産に持ち帰ったとき、年輪を一層づつはがしながら食べるのか、それともまとめて食べるのか悩みました。たぶん同じ経験をされた人は結構いたのではないでしょうか。

 すでに書かれてから約50年を経たこの本を、いまグルメガイドとして利用するのは無理があります。すでに無くなったお店もありますし、住居表示も交通網もすっかり変わりました。たびたび登場する省線という言葉はいまや死語ですし、都電の走る電車通りという言葉が分かる人は少ないでしょう。また紀行文としてみると、街の雰囲気の描き方が少なくもの足りない部分があります。しかし品川・五反田などめったに取り上げられない地域の話も載っています。たとえば、私は、シャコを材料にした品川めしというものがあったことを、この本で知りました。

 もし戦前から昭和30年代の東京の食べ物屋に興味がありましたら、「東京味覚地図」を一度ご覧になることをおすすめします。なお繰り返しになりますが、この本には巻末に各店の住所一覧がありますが地図は記載されていません。

Tokyo_Mikaku_Chizu

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2006/01/21

古書との出会い:たべあるき東京横浜鎌倉地図(山本嘉次郎)

 前回の東京新地図につづいて、もうひとつ地図本を紹介しましょう。

 「たべあるき東京横浜鎌倉地図(山本嘉次郎:発行昭文社、昭和47年)」は、昭文社最初のグルメマップにしてベストセラーとなりました。著者は、映画監督・脚本家にして美食家だった山本嘉次郎、イラストは永井保、題字レイアウトは伊丹十三。

 外観は、昭文社得意の折りたたみエリアマップの格好をしており、どうみても本というより地図ですし、著者も表紙では”この本、いやこの地図”と書いています。ところが、あとがきになると”しかし、この本(あえて地図とは言わない)”となっており、地図か本か悩むところですが、ここでは地図本として話をすすめましょう。

 著者が、この本にこめた思いを語る文章が、”安くて、うまいものを食う法”という囲み記事にありますので簡単に紹介しましょう。

 安くてうまいものを食うコツは、”1.なるべく古い店であること、2.古い建築の店である、3.建築は古くても掃除がゆきとどいている、4.女の客が多い、5.旺盛な食欲を持つ”とあります。江戸時代からの老舗でなくても古い店であれば、店の土地も建物も自前のことが多いので、新しいビルなどにできた店より経費が少なく、その分料理も安く提供できるだろう。著者のお店えらびは、このような考えをもとにしています。

 そして”1000軒ほどの食い物屋を紹介したこの地図には、安くて、うまい店が、何十軒、何百軒か含まれている筈である。私は、わざと、その店を指摘しなかった”とあります。

 たしかにこのグルメマップには、地図・店名・主なメニューの金額・営業時間・住所電話番号などは載っていますが、ミシュランにはじまり、多くのグルメガイドブックが掲載している星三つなどのお店の評価をまったく記載していません。

 そのことについて、著者は以下のように述べています。

 ”ウッカリそんなことを書こうものなら、たちまち餓狼の巷とかしてしまうからである。小さな店に、客が満ち溢れ、ふだんのお得意客の迷惑になるばかりでなく、、、つぶれてしまった店も何軒か知っている”。

 さすがに昭和を代表する美食家です、安易なグルメガイドの危うさを十分知り尽くした大人の言葉です。

 山本嘉次郎さんが昭和東京のグルメ界に与えた影響は大きかったようで、十数年前ですが、日本橋にあったレストランで”山本嘉次郎先生推薦の店”と書かれた看板を見たことがありました。

 グルメマップのベストセラーを誇った「たべあるき東京横浜鎌倉地図」も、このごろはあまり見かけません。もし古い本箱の隅などに忘れられているものに出会ったら、昭和東京本の一つとしてもう一度読むことをおすすめします。

Tabearuki_1

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2006/01/14

古書との出会い:東京新地図(読売新聞)

 インターネットで無料検索できる地図が登場してからは、地図帳を開く機会がめっきり少なくなりました。地名を入力してクリックすれば、おおよその地域が表示され、さらに番地を指定すればより細かい地図が表示されます。私にとって、地図と鉄道乗り換え検索は、もっとも頻繁に使うインターネットサービスです。

 しかし、このように便利なインターネット地図検索も役立たないことがあります。

 たとえば「黒門町の師匠」とよばれた桂文楽、また銭形平次に登場する「黒門町の親分」が住んでいた黒門町はどこでしょうか。ためしにインターネット地図に東京で黒門町を検索すると「見つかりませんでした。」と表示されます。

 東京の町名は、昭和37年からはじまった住居表示変更により変わりはじめ、数多くの古い町名が消えました。

 新住居表示がすっかり定着した現代では、日常生活で旧町名を使用することはありませんが、古い昭和東京本などに載っている場所を確かめようとすると、新旧両方の町名が書かれている対照地図が欲しくなります。このような要望を地図検索ソフトメーカに言っても、そのような人はよほどの物好きでしょうから、自分でなんとかしなさいと言われるのがオチですが。しかし住居変更当時は、新旧町名の対照地図を必要とする人が多くいたはずです。郵便配達、運送屋、営業関係者などの人は相当苦労したでしょう。

 実はそのような地図があったのです。「東京新地図:読売新聞社、昭和43年」は、住居表示変更にともなう新旧地図に歴史の話題を加えた500ページに及ぶ本です。

 まえがきにあるように、東京新地図は、住居表示変更がはじまり、新聞記者の方が記事を書くときに新旧町名の確認の問い合わせを何度もうけることをきっかけに、読売新聞の都民版に連載された記事を本にしたものです。各町は2ページで構成され、右側ページに町名と丁番に続いてその地域の歴史の話がはじまり、左ページ上側に新旧町名を書いた地図があります。上野1-7丁目のページをみると、上野1丁目は西黒門町と上野北大門町の一部からできたこと、上野2丁目は上野元黒門町、数寄屋町、上野北大門町、池之端仲町の一部から、そして上野3丁目は東黒門町や長者町、坂町、同朋町、上野広小路などからできたことが分かります。すなわち、上野黒門町は上野1,2,3丁目になりました。

 古い地図と現代の地図を組み合わせた地図帳は、最近の昭和ブームであらたに発売されています(たとえば昭和三十年代東京散歩:人文社など)。大まかに見るには新しい地図が便利ですが、町や丁単位で見たいときは東京新地図のほうが分かりやすいようです。とくに東京新地図の巻末にある新旧町名一覧は、旧町名と新町名の対照が一目でわかり便利です。

 東京新地図は実用書ですが、東京の住居表示変更を記録する本として、昭和東京本の仲間に加えたい本です。

TokyoShinChizu


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2006/01/08

古書との出会い:オリンピック(東龍太郎)

 東京へ二度目のオリンピックを誘致する話が上がっています。たんなる噂話でなく、東京都の公式ページにも掲載されいる話で、まだ基本構想懇談会のレベルですが2016年開催を目指しています。

 昭和東京本を読んでいると、東京の町並みがオリンピックをさかいに大きく変わったとの記述ををよく見かけます。私自身は、1964年(昭和39年)東京オリンピックの頃は、まだ子供だったので町がどのように変わったかあまり憶えていませんが、東京の空にジェット機で描かれた五輪マークを学校の校庭から見上げたことだけは、強烈な印象として残っています。

 「オリンピック:東龍太郎、発行わせだ書房、昭和37」は、著者と発行年から分かるように、東京オリンピックの2年前に、当時の東京都知事にしてIOC委員であった東龍太郎により書かれた本です。

 東京オリンピックの競技の様子は、映画(東京オリンピック:市川昆監督)にも記録されていますしグラフ雑誌も数多く出されましたので、御存知の方が多いとおもいます。それでは東京オリンピックは、いつ頃からどのように誘致されたのか、さらにオリンピックのために東京をどのように整備したのでしょうか。「オリンピック:東龍太郎」は、これらの経緯と東京の整備計画を述べています。

 戦争のため中止された第12回オリンピック東京大会、そして戦後、1952年(昭和27年)から誘致活動をはじめ1964年(昭和39年)に第18回オリンピック東京大会開催にこぎつけるために、誰がどのような交渉をしてきたかが明らかにされています。また当初の計画では、選手村を米軍が使用していた朝霞キャンプに作ることを前提に道路整備を計画し建設したこと。掲載されている道路計画図をみると、環七道路が朝霞キャンプや駒沢スポーツセンターへのアクセスのために作られたことが分かります。それがワシントンハイツ返還により、最終的には選手村が代々木になり、高速3号線を繰上げ工事することになったなどの話が、当事者の視点で述べられています。

 もちろん「オリンピック」にはオリンピックの話も数多く載っており、オリンピックの歴史からはじまり、IOC議事録、オリンピック憲章、競技記録、さらにオリンピック余話では、かつてのオリンピック選手の思い出話やちょっとしたウンチクを楽しむことができます。その中には、第一回ギリシャオリンピック総裁であったギリシャ皇帝、その子であるジョルジュ親王は、大津事件で襲われたロシア皇太子(ニコライ二世)を現場で救い、いまも保存されている血染めのハンカチの持ち主であるなどの話もあります。

 「オリンピック」は、昭和東京の一大転機である東京オリンピックの経緯を記録する本として、昭和東京本の仲間に加えたい本です。表紙の金色の五輪マークに赤い日の丸(ほんとうは太陽らしい)は、亀倉雄策がデザインした東京オリンピックの公式シンボルマークで、これを見るだけでも手元におきたい本です。

「オリンピック」の表紙
Tokyo_Olympic

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2006/01/07

古書との出会い:東京おもかげ草紙(佐野都梨子)

 ちょっと気になる本を古書店でみつけたとき、既に書評を読んだり、以前からよく読んでいた作家の一連のシリーズの本であれば、その本がどのような内容なのか読まずに購入することがありますが、いままで一度も見たことも聞いたことのない作家となると、やはり中味を少しは読まないと買うところまでいきません。しかし、ときどき表紙やタイトルを見ただけで買ってしまうことがあります。

 [東京おもかげ草紙、佐野都梨子、発行:東京新聞出版局、昭和50年」は、そのタイトル「東京おもかげ草紙」と著者略歴の「深川に生まれる」だけで買ってしまいました。

 著者の佐野さんは、万葉集関係の記事を雑誌・新聞に発表されていたそうで、東京おもかげ草紙は、家庭画報に連載していた「維新から東京へ母娘の見た東京」に書き下ろしの2編「明治の大川端風物詩」、「想い出の大川端東と西」を加えたものです。

 明治から昭和にかけて、著者が暮らした東京の様子が、きめこまやかに描かれています。とくに大川端東西では、新大橋付近にあった自宅およびその付近の、当時の人々の生活と町の様子がていねいに描かれています。ぶどう棚のあった自宅、お隣の消防署、お向かいの五軒長屋に住む先頭さん、コロップやさん、歌舞伎の殺陣師さん、通り奥に住んでいた踊りの師匠さん、一銭蒸気船に乗っていた絵本売りなど、古いの東京の想い出話がたくさんつまっています。

 本つくりも女性ならではの細やかさがあふれており、ところどころに古い絵草紙がカラーページで入っています。どこか懐かしい絵は、この本のもう一つの楽しみです。一粒で二度おいしい本です。

東京おもかげ草紙に入っている絵草紙

TokyoOmokage3


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