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2006/05/27

あの日の江戸家猫八

 小川町から本八幡駅行きの都営新宿線電車に乗ったとき、斜め奥のシルバーシートに座る夫婦連れの姿に気づいた。二人とも小柄で、年齢は奥さんの方がだいぶ若く見えるが、不釣合いという雰囲気はまったくなく、下町の商店でよくみかける、ちょっと元気そうなお上さんと落ち着いた主人という感じであった。やがて電車が岩本町、馬喰横山を過ぎ、浜町に到着したとき、その二人は、私の横を通り抜けて降りていった。そのとき分かった、いますれ違ったのは江戸家猫八夫妻だ。

 江戸家猫八(三代目)は、本業は声帯模写であるが、テレビや映画に脇役として数多く出演していたので俳優のイメージが強く残っている。古くは、NHKで放映されていた「お笑い三人組」に、一龍斎貞法鳳、三遊亭金馬と一緒に出演していたそうだが、これはちょっと古すぎて知る人は少ないだろう。「釣りバカ日誌(第一話)」の釣り宿の主人、中村吉衛門主演の鬼平犯科帳に老密偵:彦十役として出演していた人物であると言えば、分かる人が多いかもしれない。

 その江戸家猫八の本「魚に釣られた猫」が手元にある。

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 この本は、猫八師匠の趣味であった釣り(特にへら鮒釣り)に関するエッセイ集で、釣りには全く縁がない私には、まさしく猫に小判という本である。それでは、なぜこの本を持っているかといえば、この本で描かれている釣り人の皆さんが実に個性的なのだ。

 たとえば”へら鮒大学”のなかで紹介されている金子さんなる人物は、私財を投じて”へら鮒のすべて”という映画を製作してしまうのだが、その製作日数三年十ヶ月、ナレーターは山村聡、しかも監督は岡村精なのだ。岡村精は、1970年に吉田喜重監督と共に煉獄エロイカをATGで製作し、のちにウルトラマンタロウの監督をした人と同姓同名だが、これは全て同一人物だろうか。”へら鮒のすべて”は水中撮影用の装置を作成して撮影したとあり、映画の完成が1967年とされているので、同一人物の可能性があるがどうだろうか。それにしても金子さんには、単なる釣り好きを超えた、熱意を感じてしまう。

 江戸家猫八は、2001年に亡くなった。今はモノマネ芸が、すっかりウタマネやビジュアルマネになってしまったが、猫八師匠の虫の声を、いま一度静かに聞きたいものだ。その鶯や鈴虫の鳴き真似は、目を閉じても楽しめる芸であった。

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2006/05/20

いまふたたび伊丹十三

 駅近くの本屋、文庫本の棚で伊丹十三「女たちよ!」をみつけた。今月の新潮文庫「おとなの時間」フェアで選ばれた本を展示しているコーナーだ。伊丹十三の本は、以前、文春文庫で出されていたが、それらがカバーも新たに新潮文庫から再登場している。(左:文春文庫、右:新潮文庫)

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 いまは映画監督として語れることが多い伊丹十三だが、私と同年代の人は、伊丹十三は、チャールトンヘストンやデビッドニーブンと共演した国際的俳優であり、「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」などのエッセイでヨーロッパのライフスタイルから料理、クルマ、ファッションなどの話題を、幅広くを語る人として記憶している。伊丹十三の才能は、これだけにとどまらず、デザインやイラストの世界でも一流であった。たとえば、山本嘉次郎は、”伊丹十三さんの題字を得て、私は狂喜した。伊丹十三さんの明朝体は、日本一である。いや世界一である”と、「たべあるき地図東京横浜鎌倉」の中で述べている。

 伊丹十三は、ちょっとしたことにもホンモノにこだわる姿勢を貫いていた。豪華でなくとも、手間を惜しまず良い材料を選び正しい手順でつくられたものを選ぶ、それがホンモノの生活だという姿勢だ。いまやあらゆるブランドショップが集まる日本では、ブランド品を見ることも買うことも簡単になった、でも、ほんとうにそれが似合う人は少ない。たとえば伊丹十三は、「女たちよ!」のなかで”毛皮のコートを着るとたいがいの女性は高級コールガールに見えてくる、毛皮を着るためには毛皮に圧倒されないだけの気品というものが必要である”と語っている。これなどは、いまも十分通用する話だろう。

 こうしてみると、5月の新潮文庫「おとなの時間」フェアで伊丹十三の「女たちよ!」が選ばれたのは、なかなか良い企画だ。これを機会に、いまふたたび伊丹十三を読み返してみよう。

 ところで「女たちよ!」の最初の話は「スパゲッティのおいしい召し上がり方」だが、私は、そのスパゲッティでずっと気になっていることがある。 スパゲッティを食べるときスプーンを使う人である。右手にフォーク、左手にスプーンを持ち、スプーンでフォークをささえながらスパゲッティをくるくる巻きつけているが、あれがどうも気になる。

 以前、このスプーンを使ってスパゲッティを食べる方法を、ドイツに住んでいたイタリア人へ質問したことがある、その答えは、”子供ならよいが大人はしない”であった。逆に質問されたのは、”日本人は、ご飯を食べるときハシを使うが、外人にわざわざスプーンを出してきた日本料理屋があったが、スプーンでご飯を食べるのはどうだろうか?” である。そのときの私の答えは、”それはスパゲッティと同じだよ!”。はたして、スパゲッティを食べるときスプーンを使うのはイタリアではどのように思われているのだろうか?

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2006/05/16

早稲田、青空古本掘り出し市

 月曜日の午後、予定が空いたので、早稲田、青空古本掘り出し市に行ってきました。早稲田大学へ向かうのは数十年ぶり、すっかり田舎から出てきたおのぼりさん気分で、地下鉄早稲田駅から歩いていきました。あの頃は、大きな看板が何枚も立ち並び、学生も緊張した面持ちで歩いていましたが、今は本当に静かなキャンパスです。

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 さて目指す青空古本掘り出し市をみれば、大学構内だからでしょうか、歴史に加えて経済や法律関係の本が目立ちます。訪れる人も学生がほとんどで、神保町の古本市で見かける、本をたくさん抱えているオジサンは、ほんの数人いる程度でした。

 ここで、「下町:朝日新聞」の文庫版を購入しました。この本は、すでにハードカバーを持っていますが、外出時は文庫版が便利なので追加購入です。線引きがたくさんあるので高い気もしましたが、表紙裏に「下町と山の手どこをさす」の新聞切り抜きがていねいに貼られ、さらに「深川祭り」の切り抜きが挟んであるなど、前の持ち主が愛用した様子があったので購入しました。

 ここは19日まで開催、しっかりしたテントがあるので雨天もOKです。

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2006/05/14

あの日の花森安治

 以前、短い期間でしたが、銀座松屋裏にあったオフィスに通っていました。新人だったので勤務時間中は、ずっと仕事に追われて休憩時間など、とてもとれませんでしたが、昼休みだけはきっちり1時間とれました。私の定番は、銀座1丁目にあった小料理屋おりんで昼定食を食べ、3丁目の十字屋でレコードを見て、4丁目の教文館で本を立ち読みするというコースでした。

 そんなある日の昼、銀座三越の前で、頭に西部劇に出てくるビーバーの毛皮で作ったような帽子をかぶり、厚手のシルクのような光沢のある茶色のスーツを着た人物を見かけました。帽子からはみ出た髪は銀色、早足で歩く調子に合わせて揺れていました。だいぶ歳をとっているように見えましたが、何歳ぐらいかと聞かれても答えが浮かばない年恰好。顔つきは男性のようですが、スラックスでなく上着と同じ生地のスカートを着ていました。それは数秒間の出会いでしたが、その不思議な人物は、私に強烈な印象を残しました。

 夕食時に、親に今日見かけた人について話したら、母親は即座に”それは花森安治にちがいない”と答えました。暮らしの手帖の読者であった母親は、花森安治の姿をよく知っていたのでしょう。

 あれから年月が過ぎ、今、私の手元に花森安治の本「一銭五厘の旗」があります。

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 この本を開き、「どぶねずみ色の若者たち」を読んだとき、私に、花森安治を見かけたあの日の光景がよみがえってきました。「たとえば、東京でいうなら、丸の内とか虎ノ門あたり、あのへんを、昼休みにぞろぞろ歩いている、若いサラリーマンたちを、ながめてみたまえ。・・・どぶねずみ色なのである。」とあります。

 その当時、私はスーツを一着しか持っていなくて、銀座松屋で買ったそのVANジャケットのビジネススーツはチャコールグレー、いわゆるドブネズミ色でした。花森安治に出会ったときの私は、まさしくどぶねずみ色の若者の一人だったのです。

 花森安治は、「このつぎ服を買うときは、ひとのことは気にしないで、じぶんで着たい服を買いたまえ。すると、たかがそれくらいのことをするにも、いささかの勇気がいることに気がつく筈だ」と語っています。さらにこれに続けて、「しかし、君がねがうところの、マイホーム的幸せを手に入れるためには、たぶんその何倍かの、<いささかの勇気>がなければ、だめなのだ。らくなことだけしたい、いやなことはしたくない、といった臆病者では、それは到底手に入れることはできない筈なのだ」と結んでいます。

 その後、大学卒業を前にして私が買った二着目のスーツは、グレーの濃淡に茶色が少し入ったチェックのものでした。それが花森安治の影響だったと言えば格好良いかもしれませんが、たぶん、当時の週刊誌かファッション誌に出ていた写真をそのまま真似たのでしょう。じっさいに私が花森安治の「どぶねずみ色の若者たち」を知ったのは、最近のことですから。

 この頃、電車の中で新入社員風の若者をよく見かけますが、そのほとんどが男も女も皆同じような黒っぽいスーツを着ています。彼らは、二着目にどのようなスーツを買うのだろうか。願わくば「いささかの勇気」を発揮してほしいものです。

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2006/05/11

清算か再燃か?

 バブルと呼ばれた時代があった、将来の値上がりを期待した投機熱が嵐のように吹きまわった時代である。年号でいえば1980年代の中ごろだから、もう20年も経っているのだが、あの時代を知るものにとっては、ついこのあいだという気がする。

 マンション、別荘、ゴルフ会員権、外車、骨董品など、あらゆる高額商品がバブルの対象となった。その中でも、もっとも目立ったのは都心の土地である。まとまった空き地があれば、それを転売するだけで相当な利益をうみだした。広い空き地がなければ、それを作ればよいと周辺の土地を次々買い上げてしまう。なかには売りたくない地主もいたが、あらゆる手段を尽くして立ち退きをせまったのである。バブル景気がしぼんだ後の町は、住民も少なくなり空き地が点在する歯抜けの町になってしまった。それは、町の景観を壊しただけでなく、住民のコミュニティも壊してしまった。このような空き地は、しばらく利用されることもなく放置されていたが、やがてその多くは駐車場となっていた。しかし、ここ1~2年、その様子が変わってきた。

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 神田神保町のさくら通りにあった東洋キネマは、無声映画時代から続いた映画館だが、バブル期に地上げされ1990年代始めに取り壊され駐車場になっていた。映画館としての命ははるか前に終えており、店や倉庫として長い間使われていたのだが、その左右非対称な建物は昭和初期のデザインとして建築歴史関係者によく知られており、東京の古い建物を紹介した本「建築探偵の冒険:藤森照信」に詳しく紹介されている。私も高校・大学時代から卒業後も、この前を通るたびにその姿を見ていた建物で、時々塗り替えれていたのを記憶している。

 先日、さくら通りを歩いたら、東洋キネマ跡地の駐車場に建築予定の看板をみつけた。地上12階建てビルの建築予告である。ここ数年、さくら通りを九段方向に向かったうなぎの今荘の先でも新しいビルが建ち今も別のビルが建築中だが、いよいよその建築の波がさくら通りの中ほどまで進んできたのである。さらに東に向かうと、すずらん通りの中ほどにあるパーキングタワーが取り壊され、こちらは10階建てビル建築予定の看板が出ている。いよいよバブルの名残の空き地が本格的に利用され始めたようである、バブルの清算である。

 ところが、神保町をさらに東に進み小川町から淡路町に向かったとき、古い建物がなくなり新たな空き地ができているのを見つけた。駿河台交差点近くにあった帽子屋がなくなり空き地が広がっているし、淡路町にあったの花屋もなくなり、その付近が歯抜け状態になっている。これは通常の開発なのか、それともバブル再燃なのか、その理由を聞こうにも既に住人は立ち退いたあとで、空き地には草が生え始めているだけである。

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2006/05/07

古書との出会い:懐かしの銀座・浅草(文:平野威馬雄、画:小松崎茂)

 懐かしの銀座・浅草は、文:平野威馬雄、画:小松崎茂、1997年、毎日新聞社による本です。

 平野威馬雄さんは、詩人で仏文学者ですが幅広い活動をしUFOや幽霊の研究に加えて、東京本、特に銀座に関する本を数多く残しており、料理愛好家の平野レミさんのお父さんです。小松崎茂さんは、かつて少年雑誌の挿絵を数多く描いた画家で、その精密ながら独特な力強さのある絵は今も人気が高く、最近も新たな本が出版されています。

 懐かしの銀座・浅草の文と画は、よくある文のところどころに挿絵が入る組み合わせでなく、前半は小松崎さんが20歳代に描いた戦前(大正4年生まれの年齢から計算すると昭和10年前後)の東京風景を集めた画集、後半は平野さんの銀座に関する文集となっており、それぞれ等しいページ数の二つの本を合体して一冊にまとめた本です。

 昭和初期の銀座には斬新なデザインと色調の建物が並び、裏通りには粋な日本家屋があり、水辺に小船があふれ、懐かしく美しい風景があふれています。この本にある小松崎さんの画を見ると、なぜ多くの作家が戦前の東京の姿を懐かしむ文章を書いたか分かるような気がします。

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2006/05/04

人形町交差点、不思議な飾りのある建物

 買い物帰りの途中、人形町へ寄ってみました。

 再開発が進む浜町・人形町地域は、古い建物が壊され高層ビルへの建て替えが行われています。とくに表通りは見上げるような高いビルが連なりつつありますが、なぜか人形町交差点の一角だけは、古い二階建ての建物が残っており、そこだけ空が広くなっています。
 
 よく見れば、屋根の淵にはラーメンの丼についている模様のような飾りがぐるりと施され、建物の正面壁の上部には、プロペラ機を正面から見たような飾りが付けられています。近づいてみると、飛行機の胴体のように見えたものは、丸い太陽か花のようですが、左右に広がるものは何でしょうか?ちょっと気になる飾りのある建物です。

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2006/05/02

深川船番所の猫

 このところ古書の話が続き、すっかり古書ブログのようになっていますが、もともとブログ:東京クリップは、深川散歩にある東京クリップのブログ版としてスタートしました。今回は、久しぶりに深川の話をしましょう。

 路地の主役といえば猫です。わがもの顔に通りに寝そべり、顔見知りに会えば軽くあいさつをし、見知らぬものに鋭い視線を投げかけ人物あらためをし、疑いなしとなれば通ってよし「ニャー」とは、さしずめ路地の木戸番でしょうか。

 多くの川に囲まれた深川には大小の橋がたくさんあり、小名木川が隅田川に接する万年橋のたもとには、かつて船番所が置かれ、出入りする船を調べていました。もうだいぶ前ですが、深川の小さな橋のたもとを通ったら、「見かけぬやつ、何処の誰だ」と人物あらためをする猫たちに出会いました。自転車カゴに乗り出してきたのが岡っ引きなら、後ろの植木鉢にひかえているのは同心でしょうか。

 見かけぬやつ、何処の誰だ?

Nittabashi_neko_1a

 どうした、騒がしいぞ!

Nittabashi_neko_2a

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