« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006/06/28

旬の感覚

 野菜の宅配便が届いた。その時季の野菜が一箱というものだが、きゅうり、トマト、トウモロコシ、ズッキーニと大根が入っていた。すっかり忘れていたが、これが旬の野菜なのだろう。温室栽培や流通の発達で、旬の感覚はにぶってきたが、やはり旬のものを見るとなんとなくうれしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/27

南海.vs.VAN

 今日も、読みかけの山本容朗の「文人には食あり」を持って外出。「食の憂楽帖、北杜夫」の章で、マンボウシリーズの「マンボウ周遊券」のカレーライスの話を読む。マンボウシリーズは、学生時代にずいぶん読んだので懐かしい。

 山本さんは、”北さんは神田・神保町の田村書店の裏通りにあるカレー専門店をいいとほめる。・・・これを読んで”あっ”と、私は声をあげた。この店は「キッチン南海」ではないだろうか”と書いている。

 私の思い出の裏通りカレー専門店は、これも田村書店の裏通りだが、小宮山書店と文省堂の間の路地にあったVANカレーだ。VANカレーはいつのまにか消えてしまったが、私のなかではカレーといえばVANカレーで、カツカレーのときだけキッチン南海だった。

 こんなことを書いていたらカレーが食べたくなった。まずは表通りのカレー専門店の共栄堂かな、ここのサラッとしたカレー、学生時代はどこか物足りなく感じていたが、最近はこのスッキリした味が好きになってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/26

古書との出会い:石版東京図絵(永井龍男)

 「石版東京図絵」(永井龍男)は、坂崎さんの「東京本遊覧記」に取り上げられており、まえまえから読みたいと思っていた。先日、その本をぐうぜん入手した。永井龍男の本を読むのは、前回の「東京の横丁」につづいて二冊目で、時代背景や取り上げられた出来事はかさなる部分が多いが、「石版東京図絵」は、さまざまな職人の世界を描いた小説になっている。

Sekihantky_1 変わりゆく東京の町とともに、職人の世界がどのように変わってきたかを丁寧にえがいていく。このあたりの描写は、東京神田駿河台下の路地でうまれた永井龍男ならではだろう。明治、大正、昭和、震災、戦災や火事のたびに古い東京が消えていくとともに、職人の世界も変わっていく。おなじ職人から出発しながらも、震災や戦災の混乱を、金儲けの好機ととらえて他人を出しぬき商売をし大金持ちになるものがいれば、手間はかかってもしっかりしたモノ造りを目指す一職人に徹するものもいる。時代はちがうのだが、そこで描かれた世界は、現代に通じるものがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/24

洋食や

 土曜の午後、茂出木心護の「洋食や」を古書市でみつけた。箱つき著者サイン本だが、シミが少しあるためか、格安だったので購入。

Motegi2_1 装丁は鳥居敬一だが、フライパンとノートの絵と、それぞれに色を変えておどっているように配置された「洋食や」の文字が、なかなかお洒落な雰囲気だ。鳥居敬一とは、どのような人だろうか?

 その後ネットで検索したら、市ヶ谷にある、あられ・かきもちの「さかぐち」のデザインをしたとの記載がみつかった。さかぐちの商品紹介をみたら、たしかに「洋食や」の字体に似ている。そういえば、ここの紙袋をどこかで見たと思ったら、お店の場所は、以前通っていたオフィスから3分という所で、何度か表を歩いたことがある。なんという不思議だろう、やはり本が呼んだのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/23

鰹節カレーVS長ネギカレー

 先日買った山本容朗の「文人には食あり」をカバンに放り込んで、地下鉄にのった。まずはライスカレーと向田邦子を読んでみる。

 取り上げられているのは、向田邦子の「父の詫び状」にある「昔カレー」だ。”私は、あんな不思議なライスカレーをたべたことがない”、向田邦子が四国松山の下宿で食べた鰹節カレーの話を取り上げている。

 誰にもそれぞれの不思議カレーがあるだろうが、私の不思議カレーは、学生時代、長野の民宿で食べた長ネギカレーだ。

 たぶん、あれは豚肉カレーのつもりだったのだろう。大きく切ったジャガイモとニンジンが、小麦粉でとろみをつけたカレールーの中に埋まっているのだが、ネギが玉ネギでなく長ネギだった。すき焼き鍋によくある、斜めに切った長ネギ、しかもそれが半煮えだった。今思い返すと、ライスカレーでなく、「カレー野菜煮物ご飯」と言うべきものだ。

 さて向田邦子にもどると、”いままでに随分いろんなカレーを食べた・・・残業の時にお世話になった日本橋の「たいめい軒」と・・・”と、昨日の伊丹十三につづいて、また「たいめいけん」の名前がでてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/22

いまふたたび伊丹十三(5)

 伊丹十三の日本世間噺大系に「プレーン・オムレツ」という話がある。レストランを訪れそこのオヤジから、プレーンオムレツの作り方を聞き出すのである。

 オヤジがオムレツを作るのを見るのだが、あまりにあっけなく作ってしまう。原稿30枚程度にする予定だったが、これでは難しいだろうとオヤジが心配するなか、伊丹十三自らフライパンを握ると一回目は失敗するが、二回目にどうにか成功する。その間に、オムレツ作りのコツにくわえて、昔の料理人の待遇や、いかにプロがフライパンを使うかの話をオヤジから聞きだし見事な文章にまとめている。

 日本世間噺大系では、このオヤジが誰なのか書いてないが、オヤジとは日本橋にある有名な洋食屋たいめいけんの茂出木心護だ。昨日、「匁」の話で紹介した茂出木心護「たいめいけんよもやま噺」には、”伊丹十三さんがオムレツのことをききにこられ、原稿用紙四百字詰め三十枚にまとめるとおっしゃる”とある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/21

牛肉百匁ください

 昭和34年版家庭料理大全には、材料の値段表がついているが、その材料の単位が100匁(もんめ)・375グラムとなっている。たとえば牛ロース375グラム(100匁)300円、塩鮭375グラム(100匁)71円、などと記載されている。また料理例でも、すき焼きでは牛肉563グラムという中途半端の表示のあとに、(150匁)と括弧をつけて表示している。

 匁(もんめ)という単位は1匁=3.75グラムで、一部の商品をのぞいて現代では使われていないが、昭和30年代は、まだ普通に使われていたようだ。たとえば、肉屋の店先では、”牛肉百匁ください”などという会話が交わされていただろう。

 この匁について、茂出木心護は、「たいめいけんよもやま噺」に”今日は百匁あったから二万五千円売れたよ”という話を書いている。その日の売り上げを計算するとき、受け取った札の重さを計って、売上額を勘定した。昭和23年、飲食店の営業が規制されていたので、たいめいけんが惣菜屋をしていたときの話だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/20

ありふれた町を歩く

 川本三郎の東京残影に「ありふれた町」という話がある。山の手と言ってよい東京の西側杉並区で育った川本三郎は、下町と呼ばれる東京の東側を、「東京+散歩」の題材によくとりあげる。「ありふれた町」の舞台は、東京の東のはずれにちかい葛飾区立石・青戸である。

 その立石を歩いてみた。

Dsc05528 時間のつごうで駅周辺だけしか歩けなかったが、立石はじつに濃い町だ。なにしろ平日の午後3時なのに、立石仲見世にある居酒屋のイスはすでにお客でうまっている。惣菜屋の店先には夕飯のおかずを買うお婆さんがノンビリ歩いている。食堂、靴屋、洋品店、すべての時間がゆるーく流れる昭和の感じがする。踏み切りから続く通りは、コンビニやファーストフード店が立ち並んでいるが、わずか10メートル横へ移動するだけで、いきなり時間がゆっくりすすむ空間へワープしてしまう。

 「ありふれた町」は、じつは昭和の生活感が残る不思議な町なのだ。「東京+散歩」にたいする、川本三郎の探求力はスゴイものがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/19

行商列車が行く

 先日、友人の車で京成日暮里駅へ送ってもらったとき、話が行商専用列車になった。千葉の成田あたりから上野まで運行していた電車で、大きな野菜カゴを背負ったおばさんたち専用の列車である。

 子供の頃は、我が家にも、カゴを背負ったオバサンが来ていた。新鮮野菜の産地直送宅配という、じつに便利で贅沢なシステムだった。朝一番で収穫された旬の野菜を、カタログでなく現物を自宅で確かめたうえ買えるのである。最近の訪問販売はあやしいものもあるが、野菜のオバサンは、何年も通っているので買うほうも安心していたし、売るほうも、この家はこの時季にどんな野菜を買うか分かっていたので、じつに無駄がなかった。こんな素晴らしい流通システムが他にあっただろうか。

Dsc05520 今日、たまたま京成電車にのる機会があり駅の時刻表をみたら、行商専用列車の注意書きが貼ってあった。最後尾1両だけとなっているが、いまも行商列車が走っているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/18

いまふたたび伊丹十三(4)

 先週半ばから伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」(文春文庫)を読んでいる。たぶん1995年ごろのことだと思うが、伊丹十三の文庫本が長い間在庫なしの状態が続いていたが、再び店頭に並んだことがあった。手元にある本は、そのときに国立にある増田書店で新刊を購入したものだ。

Itami_4 「ヨーロッパ退屈日記」には、三つのあとがきがある。最初は1969年3月1日付けのポケット文春のための著者自身のあとがき。次は、山口瞳による「伊丹十三について」。3番目は、1974年7月1日付けの、再び著者自身によるあとがきである。

 この3番目のあとがきで、「ヨーロッパ退屈日記」誕生に加えて、伊丹さんと山口瞳さんの交流が詳しく述べられている。

 ”私が山口さんと最初に知り合った時、私は二十一歳、山口さんは二十九歳であった。当時、山口さんは河出書房から出ていた「知性」という雑誌の編集部に勤めるサラリーマンだった。そして私は駆け出しの商業デザイナーであった。”

 二人の関係はこのように始まり、一緒に食事や飲みに出かけるようになるのだが、やがて「知性」は廃刊となり、伊丹さんは俳優となり海外へ行くのである。

 その後、伊丹さんは帰国後に文芸春秋から依頼で原稿を書いたのだが、それがボツとなり、サントリーのPR雑誌「洋酒天国」に載ることになった。その洋酒天国に、山口瞳さんがおり、「ヨーロッパ退屈日記」の題名も山口さんがつけたのである。

 伊丹さんと山口さんは、このような関係があったのだ。そして国立の増田書店は、国立在住であった山口さんがよく訪れた店であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/17

エッグライスから「オムライスはお好き?田辺聖子」へ

 昨日につづいて「家庭料理全書」のご飯メニューから、今回はエッグライスを紹介しよう。

 エッグライスの材料は、卵3個、玉ねぎ1個、ハム2枚、青豆大さじ1杯、バター大さじ3杯、塩コショウ、トマトケチャップ大さじ2杯、小麦粉大さじ1杯、ご飯5人分、醤油となっている。

 作り方は、玉ねぎとハムを細かく切り、鍋にバターをいれ玉ねぎとハムを炒め、ご飯を加えて混ぜ合わせ、塩コショウで味付けをする。つぎに卵3個を割り、塩コショウで味付けし卵焼きを5枚つくり、炒めたご飯を包みお皿にもる。

 トマトケチャップはどうするかというと、これがソースになるんです。鍋にバター、小麦粉をいれ、水、トマトケチャップを加え、塩コショウ・醤油で味を調整し、先ほどの上にかけます。

 これって塩コショウ味ご飯のオムライスでは?

 それにしても昭和30年代と現代で、料理名がこれほど違うとは、いったいどういうことだろう!

 ところで田辺聖子の短編に「オムライスはお好き?」がある。定年が近づき、課長から平社員に降格されたお父さんの話だ。

 サラリーマン社会で降格というと、なにかとてもドロドロしたような、悲しいようなものを想像するが、これがまったく違う。部下の面倒もみなくてよいし、残業もしなくてよいので、じつに気楽なのだ。そんなお父さんは家に帰ると、のびのびとしてオムライスやあぶたま料理など、いままで出来なかったことを楽しむ。

 そんななか、お母さんだけが取り残された気分になるが、お母さんとお父さん二人の小さな冒険で、それも乗り越えそうなところで話が終わる。いま団塊世代の定年問題がにぎわっているが、田辺さんのユーモアを交えたこの小説が、今から25年前(昭和55年)に書かれているのに驚いてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/06/16

君はハムライスを知っているか?

 昭和34年版「家庭料理全書」をひきつづき読んでいる。チキンライス、ハムライスというものがあるのだが、それがどのようなものだか知っているだろうか?名前から料理を想像したら、これがことごとくハズレてしまった。

 例えばチキンライス、これは、オムライスの中身にあるようなケチャップ味の鶏肉の炒めご飯と思ったら、”お皿にご飯を盛り、そこへ煮込んだ鶏と野菜を盛り付け、ソースを注ぎ、パセリのきざんだものを上から散らす”と書いてある。

 これは鶏野菜煮込みご飯じゃないか!

 ハムライスの作り方は、”白米をよくといで水を切り1時間ほど乾かしてから、バターをとかして炒めるというより、まぶすくらいにする。これをご飯をたく鍋にいれてトマトソースを加えて、スープまたは水を加えて塩コショウで味をつけて炊くのです。炊けましたら、炒めたハム、青豆、葱を混ぜ合わせ・・・”とある。

 似たような話が、「銀座物語、福原義春と資生堂文化:島森路子」のなかに載っている。”昭和十年代の福原少年のお気に入りは、ケチャップライスがのったお子様ランチである・・・ところが、このケチャップライスの作り方がいまと昔では変わってしまったのだという。当時は一度バターで炒めたお米にケチャップを入れて炊き込んだ・・・いまは焼き飯のようにケチャップと混ぜる。これは似て非なるものだ”とある。

 ハムライスというと、いかにもお手軽な炒めご飯料理のように思うが、ケチャップ(トマトソース)の炊き込みご飯にハムを混ぜた、なかなか手間のかかるものなのだ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/15

昭和30年代の家庭料理全書:カスタードライスって何?

 昭和30年代の食卓の様子を調べるために、昭和34年発行の「家庭料理全書」を読んでいる。全書というだけあって、和洋中の家庭料理がたくさん紹介されているのだが、その中にカレーライスに続いてカスタードライスというものがあった。その材料と作り方は・・・、

 材料は、冷や飯、ハム75g、青豆おおさじ4杯、卵3個、小麦粉おおさじ2杯、牛乳0.18リットル。

 作り方は、卵2個を茹でて黄身は裏ごしにし、白身は小さくあられ切り。残りの卵1個をといて、さきほど切った白身をあわせ、塩コショウで味をつけ小麦粉を加えてまぜる。これに冷や飯を加え、脂を塗った型にいれ15分蒸す。型から取り出したら、さきほど裏ごしした卵の黄身を塩コショウで味付けして上にのせるとある。

 ハムと牛乳をどう使うのか説明にないが、たぶん小麦粉を混ぜるときに加えるのだろう。型にいれて蒸すとあるから、どうやらこの料理はライスプディングと呼ばれるものに近いようだ。ライスプディングはデザートだが、このカスタードライスは塩コショウ味のご飯ものだ。しかも、これにみりんと醤油で作った汁をかけると、いっそうおいしくなるとまで書いてある。

 ほんとうに、昭和30年代にこんなご飯を食べていた家庭があったのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/11

いまふたたび伊丹十三(3)

 前回、伊丹十三の「日本世間噺大系」を探し回ったことを書いたが、たまたま入ったブックオフで見つけた。それも欲しかった文春文庫版だ。あれほど探したときは見つからなかったのに、なんという巡り会わせだろう。

Itami_3 ところで、文春文庫版(左)と新潮文庫版(右)を並べてみたら、カバーデザインが微妙に違うのにきづいた。 両方ともタイトルの字体も色も同じで、イラストも同じ矢吹申彦が担当しているが、描かれた人物がちがう。 文春文庫版は、上役と頭を下げているサラリーマンのような人物を描いているが、新潮文庫版は、ちょっと不器用そうなオジサンが走っているような絵だ。それでも全体のイメージは、ほぼ同じである。

 和田誠は、装丁物語なかで「文庫のカバー」について、”ぼくはできるだけ読者に混乱を起こさないように・・・文庫化の場合、少なくとも自分が単行本もやった場合は、ほぼ同じデザインをすることが多い”と語っている。たぶん新潮社の担当者も、そのような考えで、会社が変わってもあえて同じようなイメージとすることを選んだのだろう。

 しかし、そうとも言えないものもある。たとえば、以前紹介した「女たちよ!」は、文春文庫版と新潮文庫版でまったく図柄が異なっている。これはどうしてだろう。和田誠は、その本のなかで”編集者の立場になれば、・・・単行本と文庫で出版社が違うということもあります。この場合、A社で出した雛形みたいな本はB社としては作りたくない”とも書いている。編集者も、いろいろ悩んでいるんだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/09

神保町で映画と演芸

 退屈男さんのブログで、神田・神保町再生プロジェクトの一環で、新たな映画館と演芸場が出来る話を知った。場所は文房堂と地図共販の裏側、神保町会館の前だ。古い人なら、キッチンヤマダがあった路地と言えば分かりやすいだろう。先月、たまたまこの付近を通りかかったとき写真を撮ったので、以下に載せておく。

Dsc05050 いま神保町で映画といえば岩波ホールのみだが、かつて神保町近辺には、東洋キネマ(さくら通り)、神田日活(現タキイ)、銀映座(専修大学近く)、シネパレス(淡路町)、南明座などの映画館があった。また須田町万惣の隣りに立花演芸場があった。現在の状況からみれば、ずいぶん映画館密度が高いように思うが、私が子供時代にはどの駅前にも2~3館の映画館あったので、神保町付近が特別ではない。

 ところで看板には、(仮称)神保町1-23計画、建築主:小学館、地上6階、地下2階となっているが、どのぐらいの規模(収容人員)の映画館・演芸場だろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/05

地下室の古書展

 日曜日の午後、わずか30分だったが、神田の古書会館で行われている「地下室の古書展Vol7」をのぞいてみた。ゆったりしたスペースで展示が行われ、新刊本や布で作られたきれいなブックカバーもある。いつもの古書展よりぐ~んとオシャレ度が高く、やはりアンダーグラウンド・ブックカフェとカタカナと呼びたくなる。来場者の中には、一箱古本市で見かけた方が何人かいたが、あいにく時間がなく挨拶もできず早々に会場をあとにした。夜7:00から岡崎武志さんと黒岩比佐子さんのトークショーがあったのだが、別の予定が入っていたので参加できず、とても残念!

 なお、このイベントは6月6日(火)まで行われ、5日(月)のトークショーは小沢信男・坂崎重盛・石田千、6日(火)は紀田順一郎・東雅夫・新保博久・本多正一が予定されている。詳しくは、地下室の古書展を参照。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/03

いまふたたび伊丹十三(2)

 伊丹十三の二冊目は、日本世間話大系にしよう。この本は、以前、単行本を読んだことがあったが、出先で読むために古本屋で文庫本を探してみた。

 しかし、これがなかなか見つからない。近くのブックオフの文庫本棚をみても、伊丹十三の名を書いた仕切り板が無い、「い」のコーナー、文春文庫のコーナー、新潮文庫のコナー、¥105のコーナーの全てを探したが、どこにも伊丹十三が無いのだ。

 こうなれば意地でも見つけてやると、都心のブックオフを目指した。先ずは目白のブックオフ、ここは時々近くに用事があるので立ち寄る店だ。しかし目指す本は無かった。そのまま一駅歩き高田馬場のブックオフ、ここは¥300の単行本コナーや専門書も置いてある中型店だが、ここにも無い。さらに山手線で原宿へ向かい原宿ブックオフへ、さすが大型店だけあって伊丹十三の新潮社版文庫が2冊あったが、探している日本世間話大系がない。

 いったい伊丹十三の本はどこへいったのだろうか。

 坪内祐三は、「シブい本」の”エッセイストになるための文庫本100冊”のなかで、昭和軽薄体として、伊丹十三「日本世間話大系」を、嵐山光三郎、椎名誠、村松友視などと一緒に上げている。椎名誠の本は、本屋にあふれるほど並んでいるのに、伊丹十三の本が無いのはどうしてだろうか。

 これは、最近、あまり新刊本を買っていないので、そろそろ買いなさいという本の神様の啓示かとかんがえ、結局、家の近くの本屋で新潮社版文庫を購入してきた。

Itami_2s

 やはり何度読んでも伊丹十三は面白い。いかにも肩の力を抜いて気楽に書いたように見せて、無駄な表現がまるでない。じつは相当練った文章ではと思っていたら、浅井新平さんが、新潮文庫版あとがきにそのあたりの話を書いている。「イタミさんは原稿用紙の裏に文字を書連ねていく。そして、それを原稿用紙のヒトマスに二文字入れて書き移し、最後にヒトマスに一字ずつ入れる」とある。これは、大変な労力だ!こんな細やかな作業をしながら、しかもそのことを読者に意識させない伊丹十三は、すごい!そして、このあとがきだけでも、新潮社版文庫を買った意味は十分ある。やはり、新刊本を買わねばならぬのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »