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2006/11/30

路面電車が走る町

 私が子供の頃は、都内あらゆるところに都電が走っていた。学校の行事で上野にある動物園や博物館にいくときは都電に乗っていった。貸切の場合もあったし、行事のあと各自バラバラに普通の都電に乗って学校へ帰ることもあり、なにか行事があると都電が利用されていた。その都電が、わずか荒川線をのみを残して消え去ってから長い年月がすぎた。

Tdsc01261 今日は(すでにもう昨日になっているが)広島出張、早起きをして駅前を歩いてみた。まだ早朝のため店は閉まっているところが多いが、市電が頻繁に行き来している。モダンデザインの連結車両もあれば、昔の都電に似たクラシックな車両もある。路面電車が加速するときのちょっと苦しそうなモーターの音、ブレーキをかけたときの金属が擦れるような音、ポイントを通過するときの車体がきしむような音、それらの音に都電に乗った頃の思い出が一気によみがえる。

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2006/11/27

雨上がりのオープンカフェ

 雨上がりの昼、食事のために仕事場近くのカフェに向かった。空気はまだ水蒸気をたくさん含み、南風が温かい空気を持ってきたためか風がやわらかい。
Tdsc01230 朝の雨をさけたのか、いつも庭に置かれているテーブルは全て片付けられ、テラスにテーブルが二つだけ置かれている。店内に空きテーブルがあったが、テラスのテーブルが一つ空いていたので、そこでランチを取ることにする。席に着くとテーブル横に置かれたストーブを点けてくれたが、すこし熱いので自分でスイッチを回し消す。しかし、しばらくするとやはりストーブが欲しくなる、結局、テーブルから少し離して点けたままにする。やはり冬は確実にきているようだ・・・。

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2006/11/26

アースダイビング(片側町を行く)

 休日の11月23日、前日の天気予報では雨だったが、雲はそれほど厚くなく、気温も外出にダウンジャケットをもちだすほどでもない、まずまずの曇り空。この日は、masaさんから誘いをうけたアースダイビング、早稲田・王子・三ノ輪橋・向島を歩く日だ。アースダイビングについては、Kai-wai散策とそこからのリンク先に詳しく述べられているので、それを参照していただくとして、後半の三ノ輪橋から向かった山谷堀・向島の話しをしよう。

 都電三ノ輪橋駅から浄閑寺前をとおり、大門前の見返り柳をながめ、今は公園になっている山谷堀跡についた頃は、あたりは闇に包まれていた。地方橋、山谷堀橋、吉野橋などの地を通りすぎるが、水を失った橋は道路わきに柱が残っているのみだ。下流に向かって右側は、堀ぎりぎりに家が立ち並び、左側は道路となり、それに面して工場や飲食店がとこどころにある。夕闇に浮かぶ橋、この風景どこか引っかかるものがあったが、先を急ぐ。

 隅田川を桜橋でわたれば、川面に屋形船がゆっくりすすみ、浅草雷門あたりから観光客を乗せて来たのだろうか、人力車が橋の上を進んでいく。交差点角にある喫茶店「カド」の横を通り過ぎ、今夜の最終目的地である向島「とも」に到着する。「とも」は、お好み焼き・もんじゃ焼きの店と聞いていたが、元は料亭の別邸として作られたそうで、料理も海鮮鉄板焼き、もんじゃ、焼きソバ、寿司という豪華なものだった。

 さて家に帰ってみると、歩いている途中に感じた「この風景どこか引っかかる・・・」が気になってきた。実際に歩いたのは初めてなはずなのに、どこか懐かしい気がした、たぶん何かの本で読んだのかもしれない。日本堤、山谷堀、向島となれば、これは永井荷風だろうと墨東奇談(新潮文庫)を開けば、7ページ冒頭に「古本屋の店は、山谷掘の流れが地下の暗渠に接続されるあたりから、大門前日本堤橋のたもとへ出ようとする薄暗い裏通りに在る。・・・正法寺橋、山谷橋、地方橋、髪洗橋などいう橋の灯がわずかに道を照らすばかり・・・」の文章がみつかる。

 まさしく我々が歩いた山谷掘りのコースは、永井荷風の墨東奇談にでてくる”山谷掘の水に沿うた片側町の裏通りにあった古本屋”があった地だ。そして向島で食事をした後、小雨のなか我々を駅まで送ってくれたのは「yukiりん」と名乗る美しい女性だったが、「雪」とは、これも墨東奇談に登場する名前だ。これは偶然だったのか、はたまた周到に企画されたものだったのか、いずれにしろ素晴らしい一日に感謝である。

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2006/11/24

エルメスデビュー!

 いつものMさんのブログで、銀座エルメスで「木村伊兵衛のパリ」写真展が行われていることを知り、金曜日の夜でかけた。もちろん、日頃ブランドとはまったく縁がない生活をしているので、銀座エルメスに入るのは初めて。

Tdsc01214 入り口のドア近くにいる店員に”写真展へ行きたいのですが”と伝えると、”奥のエレベータで8階です”と丁寧に答える。しかし、そのエレベータが店の入り口からは全く見えない。”そのエレベータはどこですか”と再び聞けば、”突き当たりの壁の裏側にあります”と丁重におしえてくれた。店員達の「いらっしゃいませ」のコーラスに恐縮しながら店奥まですすみ、壁の裏側に回るとエレベータが2基隠れていた。こうなっていたんだと、はやくも感動!

 めざす8階で降りると会場、ワンフロアー全部を使っており想像していたものより、はるかに広いスペースが拡がっている。壁際に数枚の大きな写真がかけられているが、残りは全てガラステーブルの上に写真立てに入れら置かれている。作品については、それぞれの人の感想にまかせるが、いまさらながら、写真を言葉で伝えるのは難しいと思う。一枚の写真に凝縮された時間と感動を、どのような言葉で表せばよいのか、言葉で言い表せないから写真での表現が成り立つのかもしれないなどなど・・・。

 帰り道は友人を呼び出し、クリスマスツリーが並んだ中央通を歩き、ライオンで一杯やりながら共通の友人(ギブソンのビンテージを買ったらしい)やオジサンバンドの話しを楽しむ。こうして私のエルメスデビューの夜は過ぎていった・・・。

 この写真展の開催期間は2006/10/28-2007/1/21まで、入場無料です。

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2006/11/21

動くオブジェ!

 今日は久しぶりの晴天だったので、お昼はコンビニでなく、ちょっと離れたところにあるお洒落なパン屋さんへ出かけた。簡単な料理もあり店内のテーブルで食事もできるが、天気が良いのでテイクアウト。クリスマス飾りを売る店の前を通り過ぎ、交差点をわたり公園をめざして歩けば、私と同じ袋を持った人が歩いている。考えることは皆おなじだ。

Tdsc01133 公園の入り口に着いたとき、思わず足がとまった。大きな動物のオブジェを囲んで人が集まっている。いつからこんなオブジェを置いたんだろうと思った瞬間、それが動き出した。逆光だったのでてっきりオブジェだと思っていたものは、なんとほんものの動物だ!周りの人のウエストの位置と比べてみればわかるが、立てば人間より大きい巨大犬!友人の家に黒のラブラドールがいて大きいと思っていたが、この犬に比べればまだまだ子供のよう。しかし、こんな大きな犬に出会うなんて東京はほんとうに面白い、やはり町にでよう!

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2006/11/18

東京物語の謎(1)

 映画の楽しみ方はさまざまだが、自分自身の記憶とどこか重なる場所が写ると、思わずそのシーンに惹きつけられることがある。たとえば銀座4丁目の時計台下にある交差点などは、数多くの東京を舞台にした映画に登場するが、そこを行き交う車や人は時代とともに異なり、都電などが写るとその懐かしさに見入ってしまう。

 尾道からはじまる「東京物語」が東京に舞台をうつし最初に登場するのが、煙突、駅、そしてその駅付近にある長男の医院の看板。この東京の下町の外れらしい風景の撮影場所は堀切駅とされており、川本三郎氏もそのように書いているし、このために堀切駅を訪れる人もいる。実際、わたしも堀切駅に行ったことをこのブログで以前紹介した。でもどうして堀切駅なんだろうか、どうやってそれが分かったのだろうか?長さにすれば30秒にも満たないこの駅のシーンを、文献とDVDを調べてみた。

 まず最初に調べたのは、「監督小津安二郎」(蓮實重彦、ちくま学芸文庫)。蓮實重彦は、東大のフランス文学教授でのちに東京大学の総長になったが、映画に関する著作も数多くある。「監督小津安二郎」にはカメラマンをつとめた厚田雄春氏とのインタビュー、小津監督お気に入りの女優であった井上雪子氏インタビューなども収められている。さらに厚田雄春氏の「東京物語、秋日和」の撮影記録を収録している。

Tdsc00800 厚田撮影記録は、昭和28年に行われた東京物語のロケハンと撮影について、場所、天気や日付、各シーンの出演者名とともに書かれており、いつどこでどのシーンが撮影されたかが分かる。

 東京物語の撮影記録は昭和28年6月11日からはじまり、6月16日は松坂屋、松屋、高島屋、三越屋上などのデパートのロケハン、20日は北千住、駅付近、牛田駅、アケボノ町、東武堀切駅、荒川放水路土手、墨田町、京成荒川駅四つ木橋(土手)、平井町、平井駅など。その後も尾道、大阪、ふたたび東京に戻り7月9日には東武線堀切駅、荒川区柳原町(注:これは足立区柳原の間違いと思うが)、千住大橋、浅草をロケハンで訪れている。撮影開始は7月23日予定だったが、雨天のため東京ロケが中止になり、25日のシーン96が最初の撮影となったようだ。

 シーン番号が分かれば、この厚田撮影記録をたどることでその撮影場所が特定できそうである。

 それでは煙突からはじまるシーンの番号はいくつだろうか?

 次回は、このシーン番号の話しをしよう。

東京物語の謎(1)
東京物語の謎(2)
東京物語の謎(3)

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2006/11/16

ボージョレヌーヴォー2006

 いつも通るデパート通路、今朝はボージョレヌーヴォー2006のイベント。お客さんはまだ少なかったが、TVカメラもきていて関係者はみなさん忙しそう。
 Tdsc01109 
 ボージョレ地方でつくられるワインの新酒解禁日は、11月の第三木曜日と決めれており、今年は11月16日、すなわち今日が解禁日。新酒と言われているが、ボージョレヌーヴォーは、通常のボージョレワインとは製造方法が異なりこの時季だけのお酒らしい。ところで、ここではボージョレと書いたがボジョレー書いてあるところもある。本当はどっちだ?

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2006/11/14

小雨に煙る街(広島)

 一泊二日で広島行き。広島の町の様子を報告できればよいのだが、前日深夜に到着し、当日は朝から仕事し夕方東京にもどるスケジュールでは、町を歩く時間もなかった。実際に歩いたのは広島駅と駅前のホテル間100メートルだけ。早朝、ホテルの窓から外をながめれば、小雨に煙る街が・・・たなびくは霞(かすみ)か靄(もや)か。

Tdsc01031

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2006/11/12

ぎんざ2006

 きょうは昨日の余韻にひたりながら過ごしていた。じつは土曜の夜、友人達と銀座1丁目から4丁目へ向かった。日比谷に勤務しているもう一人の友人と合流して食事をしようとういう話だ。待ち合わせ場所は4丁目にあるミュージックショップだが、その隣りにある宝石店前に人が集まっている。皆さん携帯電話を手に、通りから店の方を見つめている、誰か有名人でも来ているのだろうか?そのときあたりに音楽が流れクリスマスツリーのイルミネーションが輝きはじめた、みなこれを待っていたのだ。

Tdsc01006 ミュージックショップでギターをみる。ギブソンのギターがたくさん並んでいる、ギブソンのアコースティックがこんなにも並んでいるのを見るのは初めて、でもこの店で選ぶとなればやはりマーチンD28ビンテージだろう。問題はその値札、おじさんバンドが流行っていてボーナス全額をギターにつぎこむ人もいると聞いたが、あるところにはあるもんだ。目の保養だけにして売り場を後にする。

 再び降りだした雨の中通りを歩けば、ウエディングパーティだろうか、ビルの窓に白や銀色のロングドレスの女性姿がみえる。通りに面したカフェもお客さんは入っているがとても静かだ。やはり銀座は大人の街だ、こんどゆっくり歩いてみよう。

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2006/11/11

ずばり東京(開高健)

 「ずばり東京」の前白は、”・・・小説が書けなくなったらムリすることはないよ。ムリはいけないな。ルポを書きなさい。ノンフィクション。これだね。いろんな友人に会えるから小説の素材やヒントがつかめるし、文章の勉強になる”」ではじまる。既に芥川賞をもらっていたがスランプに陥り小説が進まなかった開高健に向かって、武田泰淳氏が贈った助言である。

 ウイスキーと釣竿をもって世界中駆け回っていた印象がいまも残る開高健は、それ以前、小説に加えて数多くのルポルタージュ作品を残している。「ずばり東京」は、開高健がルポルタージュの世界へ向かった初期の作品で、1963年から週刊朝日に連載された。このルポのあと開高健はベトナム、ナイジェリアやアラブの戦乱の地をめぐり、やがて釣りと自然の世界へ向かった。

 「空も水も詩もない日本橋」ではじまるずばり東京は、回がすすむにつれて「深夜の密室は流れる」「ぼくの”黄金”社会科」「総選挙は”銭の花道”」などその取材対象は深くなっていく。さらに開高自身も書いているが、独白体、会話体、子供の作文、擬古文、講談などさまざまな文体を試みている。

 古書好きな人におススメするのは「古書商・頑冥堂主人」の回だ。当時の「古書会館」(まだ木造バラック2階建て)で行われた古書市の話しだ。現在は、入札値のメモを封筒に入れると聞いているが、昔は市によってそれぞれ方法が違っていたようで、その方法が詳しく書かれている。

 ”板の間ザブトンを敷いて古本屋がすわっていて、口ぐちに値を叫ぶ。・・・ランニングにパンツ一枚という格好でひっきりなしに値を叫ぶのが振り手である。値のついた本をかったぱしからポーイ、ポーイとブン投げるから振りというのである・・・一般書会の市はこれだった”。

 ”洋書会は、さらに近代化されている。板の間へ連結式のレールを敷き、そこへ四角の盆をのせ、そこへ本をのせてゴロゴロころがしていくのである。値はいちいち叫ばないで、封筒へメモを入れる。それを集めて・・・最高値をつけた人に本をおとす”とある。

 さらに古典会の話しがつづくが、その内容は、この本を読んでの楽しみに残しておこう。これが実に優雅な方法なのだ。

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2006/11/10

渋谷でワープする

 道玄坂坂上から渋谷駅に出るのに、マークシティの中を通ることがある。坂上からそのまま入ると、広い通路に面して大小さまざまカフェがならび、ファッションン関係の店もならんでいる。外の景色がまったく見えない通路を歩いていると、どこまで続くのだろうかと不安になる。

Tdsc00968 その不安がピークに達するころ、突然目の前に吹き抜けが広がり、はるか下に地面があることに驚く。入ったときは地面と同じだったのが、いつのまにかクリスマスツリーより高いところにいるのだ。私は、いつワープしたのだろうか?

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2006/11/09

まぶしさの彼方に

 ここ数日、昼時に外にでると青空がまぶしい。それを見て、ぬけるような青空という月並みな言葉しか浮かばない自分がもどかしい。どこまでも続いているような青空、あのまぶしさの彼方に何があるのだろうか。

Tdsc00721

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2006/11/08

サービスプロバイダ?

 私が利用しているバスの車内で「・・・サービスプロバイダにお知らせ下さい」のようなアナウンスが時々流れる。

 ずーっと聞き流していたのだが、だんだん気になってきた。サービスプロバイダなる言葉は、インターネットサービスが登場したとき初めて聞いたが、じつは、ここでの「サービスプロバイダ」はバスの運転手さんのことらしい。しかし、スチュワーデスをキャビンアテンダントと言うのと同じように、どこかなじめない。

 まったく日本になかった新しい職業であれば、カタカナで呼ぶのは仕方ないかもしれないが、すでに十分に定着した日本語名があるものに新たなカタカナ語をつける必要があるのだろうか。

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2006/11/07

東京十二契(野坂昭如と小林信彦の関係)

 野坂昭如の本「東京十二契」を知ったのは、小林信彦の「私設東京繁昌記」の第三章六本木界隈の中にある、次の記述からだった。

 ”1955年ごろの六本木界隈の変遷は、野坂昭如氏の「東京十二契」のなかの一章「六本木、消えた坂道」が詳しく記している。記憶だけで書いたとおぼしいが、かなりのものだ・・・・”。さらに続けて、”「私をNET(現テレビ朝日)に案内してくれたのは、放送作家・阿木由起夫氏である。・・・本名を野坂という阿木氏は、なぜか夜でも黒眼鏡をかけており・・・”と野坂昭如との出会いとその後の交流をなんども書いている。

 これを読んでから、東京十二契(野坂昭如)がずーっと気になっていたが、なかなか出会うことがなかった。ところが、先日、ある古書市の入り口近くに置かれた本棚の一番隅に、この本がひっそりっと置かれていた。これがあの本かと、さっそく購入した次第だ。

 学生時代、野坂昭如の本は何冊か読んだことがあったが、その後は長い間はなれていた。久しぶりに読むと、懐かしさがこみあげてくると同時に、どこか古典を読んでいるような気持ちになっている自分に驚く。たぶん学生時代は、その一部しか分からなかっただろう。「六本木、消えた坂道」の章に進むと、”すぐそばに小林信彦が住んでいた。彼が編集長だったヒッチコックマガジンに、ぼくは三十四年12月号から翌年三月号まで、表紙のモデルをつとめたことがある。すでに小林は「虚栄の市」を発表し、「日々の漂白」が直木賞候補にあげられていたと思うが、・・・」”と、小林信彦との交流が描かれている。

 小林信彦と野坂昭如の二人の六本木の話しは、まるでお互いに対になるような内容なのだ。いま「東京十二契」は入手が難しいが、これは是非、文庫で再刊してほしい本だ。

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2006/11/06

もういくつ寝るとクリスマス

 デパートの地下鉄の駅へ向かう通路には、いつも臨時のお店が出ている。ときどき入れ替わっているが、今日からクリスマス用品のお店になった。もうクリスマス・・・まだ早いじゃないかと思ったら、これが賑わっている。

Tdsc00962 我が家の近くでも、毎年クリスマスシーズンになると玄関横にクリスマスツリーを飾り、イルミネーションをつける家がある。最初は小さなものだったが、年々大きくなっているようだ。そこまでやらなくても、玄関ドアに小さな花輪のようなリースを飾るところもある。クリスマス、もういくつ寝ると・・・。

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2006/11/05

古本背表紙オーラ

 友人達と昼食後、私鉄で二駅先にある古書店へ向かった。先日の明大アカデミーで一緒になった人から、あの店は主人が変わり、店内の様子もだいぶ変わったとの情報があったからだ。

 このお店は、表からみるとビルの横に張り付いた細い路地のようになっており、店先にコミック誌や古い雑誌などを置いた町の小さな古本屋さんだ。しかし店の奥まで入ると、古い文学や美術関係の本が置かれた静かな部屋があり、ここで本を見ていると時の経つのを忘れてしまいそうになる。

 それがどうも様子が違う!

 店のレイアウトは以前と同じだが、店全体がざわついている。店奥の部屋も、テレビの音声が流れていて、以前のような静かさがまるで無い。並ぶ本の背表紙が発する雰囲気というかオーラのようなものが全く違うのだ。同じ店でも店主が変わると、こうも雰囲気が違ってくるのかと驚く、店は人なりか!

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2006/11/04

駿河台を行く(喫茶店)

 ここ一月ほど続いた明大アカデミーの講座も終わり、昼食後、顔見知りとなった皆さんと古くからある喫茶店へ向かった。

Tdsc00655 いつのまにか仕事の打ち合わせなどは、どこにもあるチエーンのカフェばかりとなり、喫茶店という言葉は遠くなってしまった。前回、喫茶店に入ったのはいつだろうか、まったく思い出せない。学生時代は、ほぼ毎日喫茶店に通っていた、日によっては1日2回3回と通ったこともあったのに・・・。ひさしぶりの喫茶店に、すっかり和んでしまった。

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2006/11/03

東京人(中央線特集)

 昨日は夜遅くなったが仕事の帰り道、自宅近くの本屋に寄ってみた。雑誌コーナーで東京人(中央線特集)があったのでちょっと中身をチエックすると、「中央線からなくなったもの生まれたもの」の中に、さきごろ改築のため一時休業にはいった吉祥寺の「いせや」や、取り壊される「国立駅舎」「阿佐ヶ谷住宅」の話しが載っている。小特集は「山口瞳の東京地図」、さらに古本師匠の「沿線古書店の新勢力」の記事と、いずれも見逃せないものばかりだ。これは絶対買わねばとレジへむかった。

 「いせや」や「阿佐ヶ谷住宅」は、Mさんのブログで見ていたのでざっと読み。国立の住んでいた頃、ほぼ毎日利用していた国立駅の記事へ読み始めた。うーん、ちょっと物足りない!でもそれはかつて住人だったものの思いかも、1ページと限られたスペースにはよくまとめられている。でも、できればホーム横にあった桜について書いて欲しかった。あの桜はどうなったのだろうか。

Kunitachi_hitotsubashi_1 国立での日々でいまも強烈に憶えているのは、大雪で中央線が止まった日だ。その日は、なんとか会社に行こうと国立駅に向かったのだが、上下線とも運転中止で復旧のメドがまるで立たずアパートへ戻るしかなかった。その途中、ときどき夕食に利用していたイタリアレストランに立ち寄ったら、今日は臨時休業しようかと思ったが誰かお客が来るかと思い営業していると言われたので、そこで昼食をとった。しかし私以外のお客さんは来ず、結局、オーナーのSさんと二人で、暗くなるまで雪景色をみながらお店で過ごしたのだ。

 そのお店では、素晴らしい人たちに出会った。いつもダンディに帽子をかぶっていたKさんと粋な江戸っ子の奥さん、バイク乗りのSさん、芸術家のKさん、デザイン会社のNさん、花屋さんのTさん、そしてレストランオーナーのSさん。皆、どうしているだろうか。

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2006/11/02

渋谷駅を行く

 今朝、渋谷駅前広場を通ったら、古い電車がドーンと置かれていた。車両の角が全て丸い、緑色の東急電車の車両だ。いきなり電車が広場に現れれば、パニックにならなくても相当大きな騒ぎになりそうなものだが、ほとんどの人が立ち止まりもせず無視して通り過ぎていく。

Tdsc00926 タレントのゲリラライブやイベントの宣伝トラックが走り回る渋谷となると、ちょっとのことでは人々は立ち止まらない。以前も、屋根に大きなボトルをのせた飲料会社のオープンカーが道玄坂にあったが、これも立ち止まっている人は少なかった。イベントの企画者はなんとか人を集めようといろいろ予想外のことを考えているらしいが、渋谷はなかなか手ごわい町だ、とっくに見通しずみだ!

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2006/11/01

堀切駅へ行く

 少し前になるが堀切駅に行ってきた。京成線の堀切菖蒲園駅でなく、荒川の西側土手に寄りそうように建っている東武線の堀切駅だ。

 発端は、Mさんのブログで紹介された牛田Tシャツさんから拡がった足立区柳原の話だ。牛田駅の隣りにある堀切駅は、金八先生のロケ地として知られるとともに、古くは小津安二郎の東京物語の平山医院があった地とされている。荒川沿いの川べりの町は、いままであまり歩いたことがなく、堀切駅も話しには聞いていたが実際に訪れるのは今回が初めてだ。

Tdsc00767 京成関谷駅で下車して堀切駅へ向かえば、その途中は目新しいマンションが目立つ。首都高(向島線)を正面に見ながら広い道路を進み、途中から斜め左の通りへ入ると突き当たりに堤防の壁が見えてくる。荒川と隅田川を結ぶ川の堤防だ。大きな病院(柳原病院)がある。それにしても人がいない、ここに来るまでに出会ったのは犬一匹だけだ。それも放し飼いにされている番犬なのか、大きな家のガレージの扉のすきまから出たり入ったりし、いまにも吠えそうな様子だった。

 目指す堀切駅は、土手に沿った道が行き止まりの奥にある。そのため途中からは、この先に駅があるようには見えず、行き止まりにきて初めて駅があることが分かる。線路をまたぐ歩道橋に上がれば駅の全景が見えるが、ホームは長いがとても小さな駅舎だ。これが堀切駅なのか!

 目を川に向ければ、斜め前方に京成の鉄橋があり、土手では野球チームが試合をしている。都心からそれほど離れていないのに、随分遠くにきたように感じる。平山医院内の撮影はセットだったそうだが、小津安二郎が東京物語が伝えたっかたのは、この東京のハズレという感じなのだろう。そうであれば、それは今も十分感じることができる。

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