« 神保町花月 | トップページ | オルガンの消えた町 »

2007/01/14

村田キセル

 先週は出張つづきでブログを更新できず。出張カバンは仕事の資料で一杯、それでもコートのポケットに江戸の老舗に関する本を一冊放り込み、電車の待ち時間などに読んでいた。話しが江戸商人の服飾に進んだとき、「煙管屋の店員」という中で”煙管屋、上野池之端仲町にあった住吉屋は、浅草御蔵前黒船町の村田屋と一、二を競い。「住吉と村田張り合い磨き合い」と川柳にまで詠まれた”の記載をみつけた。

 そこで思い出したのが昨年みつけた羅宇屋「村田キセル」の写真だ。

 子供の頃、上野公園で何度か見かけた記憶があるが、羅宇屋(ラウ屋)というものがあった。キセルの販売修理をする自転車屋台だが真鍮製の小さな蒸気発生器を積んでいて、昔の蒸気機関車に似たピーという甲高い音を時々鳴らすのが子供にはとても面白かった。

 昨年、その羅宇屋の写真を古い本で見つけたとき、「村田きせる」という名が羅尾屋のガラスケースに書かれているのに気づいた。そのときは、「村田きせる」というのはこの屋台の屋号かと思っていたが、どうやらそう簡単なものでないらしい。私自身、タバコを吸わないのでタバコの名前はもちろんタバコ道具などは全く知らなかったのだが、村田キセルというのは江戸時代からある有名なお店だったのだ。

 さらに手元にあった東京本を調べたら、”キセルの村田文六は享保三年創業、村田の名前は余りに名高くキセルの代名詞となった”と記載されていた。村田のキセル製造は戦後まで続いていたが、”戦後あふれた「村田」のキセルは軍需工場が余材を利用して勝手に作ったもので、市販の村田の大半はニセ物”とも書いてある。「村田キセル」とはキセルの代表であり、ニセ物がでるほどのブランドだったのだ。

 さて今週も出張がつづく予定、こんどは何の本を持っていこうか?

|

« 神保町花月 | トップページ | オルガンの消えた町 »

コメント

おお、あの「江戸古地図散歩」収録の写真には、そういうドラマが隠れていたのですね。改めてじっくり見直しましたが、そう思うと、見え方が違います(^^; 江戸のダンヒル(^^;とでもいう存在だったわけですから…。こうなってきますと、真物の村田キセルを入手したくなってきました(^^; 

投稿: masa | 2007/01/15 02:05

masaさん、コメントとありがとうございます。
”江戸のダンヒル”とはいいたとえですね、これ使わせてください。じつは、その後も細々と村田キセルの話を拾い集めていますが、村田キセルを名乗る店は江戸・東京に複数あったようです。たとえば、すでにmasaさんのところ書きましたが、小林信彦の生家である日本橋区米沢町の立花屋の隣りにも村田キセルがありましたし、製造にいたっては食器で有名な燕市でも作っていたそうです。こうなると、何がホンモノか判断するのは相当大変でしょうね。いずれ、集めた話をまとめてみます。

投稿: じんた堂 | 2007/01/17 23:13

いや~この話題、掘り起こそうという人は、滅多なことでは居ないと思います。非常に楽しみです。しかし、真物の村田キセルを探すには、骨董屋をコツコツまわるしかないんでしょうね。

投稿: masa | 2007/01/19 14:06

小林信彦は、”黒澤明監督はホンモノのことを「村田の煙管だ」と表現するが、それほどの老舗であった”と書いています。村田キセルは、ある年代以上の人には、よく知られていたブランドだったのでしょうね。すごいコレクターや研究家がいるかもしれません。
ところで、探し物は一生懸命探しているときは、なかなか見つからず、忘れかけた頃、何気なくふと出会うことが多いようです。これもまた楽しみですね。

投稿: じんた堂 | 2007/01/19 21:28

村田・煙管で検索していたら東京クリップに出会いました。
小生は山形に住む村田というもので、「村田きせる」に辿り着くのではとルーツを追っていました。
若い頃から「うちの先祖は浅草で煙管屋をやっていた」とかなり確信的に聞かされていましたが、江戸と山形がつながっているわけがないとあまり興味を持ちませんでした。
一昨年亡くなった父の荷物から出てきた除籍簿からいきなり興味を持ち出した次第です。

投稿: ムラタ | 2010/06/11 15:50

村田さん、コメントありがとうございます。
煙管(キセル)本体は、いまも骨董店や博物館で現物を見ることができますが、それを扱っていたお店となると、どのような店構えで、いつ頃まであったかなど分からないことが多いようです。ご先祖の浅草にあった煙管屋、その様子が分かると良いですね。

投稿: じんた堂 | 2010/06/12 21:22

村田煙管屋は「黒舟町」にあったことがわかっています。高村光雲が大正11年に田村松魚に語った懐古談『高村光雲懐古談』昭和45年刊に駒形から諏訪町・黒舟町にかけて「黒舟町にくると、町が少し下がって二の町となる。村田の本家(煙管屋)がある。また、榧寺という寺がある。境内に茅が植わっていた。それから三好町。そこには戯作などをした玄魚という人のビラ屋があった」と書いてあります。先日、この本と古い地図を片手に蔵前付近を散策しました。
「黒舟町」は厩橋の通りを境に、新しく寿町と蔵前に別れたようです。その蔵前二丁目に父の従弟に当たる「村田政五郎」宅があり、御蔵前通りにある楫取稲荷神社には総代として名が刻まれていました。政五郎の父「金助」は文久3年(1864)生れで大正11年(1922)に浅草区東三筋町46番地で死亡。金助の父であり、小生の曽祖父にあたる「安五郎」が江戸時代に水野忠邦公と共に山形にきたらしいというのがわが家のルーツらしいということです。
「キセル」からかけ離れた他人にはつまらぬわが家の家系の話です。

投稿: ムラタ | 2010/06/13 15:27

ムラタさん、再度のコメントありがとうございます。
 地図とともに旧黒船町を歩かれ、ご先祖の地を探されたとは素晴らしい。
 すでにご存知と思いますが、戦前、村田煙管を名乗るお店は数軒あったようで、小林信彦は「和菓子屋の息子」の中で、日本橋米沢町にあった作者家の隣りにあった村田キセルについて”店の奥に、煙管を何十本も組み合わせて作った富士山の額がかかっていた”と書いています。もともと、この部分はサトウハチロー「僕の東京地図」を引用しながら近所の様子を語っていますが、この「僕の東京地図」は最近復刻されています(残念ながら村田の話は少ないですが)。
 それにしても村田本家として懐古談『高村光雲懐古談』の中にも登場しているとは、やはり黒船町の村田煙管は名の知られたお店だったのですね。しかもご先祖の山形への転居に、水野忠邦が関係しているとは、参考になる話をお教え頂きありがとうございます。

投稿: じんた堂 | 2010/06/14 21:03

いろいろ情報ありがとうございます。さっそく「和菓子屋の息子」取り寄せて読んでみました。面白かったですね。特に、村田キセルの裏を買って増築し、支払いが完済した翌日に関東大震災に襲われ壊滅してしまったという生々しい事実。高村光雲の懐古談に出てくる黒舟町のキセル屋とは50年以上の時間差がありますが、やはり複数あったと見るのが妥当だと思いました。
サイトで加波山たばこ神社に巨大キセルを奉納した「石福金属興業㈱」が神田駅前に「村田きせる」の看板を上げていた会社であることがわかりました。1964年にキセル屋の幕引き記念に作成奉納したそうです。
話は変りますが、東三筋町に斉藤茂吉の歌碑がありました。明治29年に15歳で斉藤紀一の養子となり寄寓した場所だそうです。住所が東三筋町54番地。小生の祖父の兄にあたる村田金助が大正11年に東三筋町46番地で亡くなっていますが、茂吉が来たとき32歳で、何軒か離れた同じ町内に住んでいたことになります。この度の散策のもうひとつの収穫でした。

投稿: ムラタ | 2010/06/26 06:12

ムラタさん、「和菓子屋の息子」をお読みになったとの連絡ありがとうございます。
 村田煙管に複数の店があったかはっきり分からないのですが、少なくとも黒船町のほかに米沢町と神田に村田キセルを名乗った店があったようです。ただし時代がそれぞれ違いますので、同じ店が引っ越したのかもしれませんので、まだ要確認かもしれません。
 ところで三筋町ですが、斉藤茂吉の歌碑があることは知りませんでした。そういえば茂吉の養父も山形出身で、同郷の若者を書生にしていたそうですから、三筋町は山形と縁のある地ですね。

投稿: じんた堂 | 2010/06/26 22:42

じんた堂様
またおじゃまします。河出書房夢文庫『江戸の時代』にキセルのことが出ておりました。「村田は両国米沢町の村田七右衛門と浅草蔵前通り黒船町の村田小兵衛の店があった」とあります。創業から明治まで150年もあるなかで年代が書いてありませんが、同じ店が引っ越したのでないことだけはわかりました。

投稿: ムラタ | 2010/07/08 11:44

ムラタさん、追加情報ありがとうございます。
黒船町と米沢町それぞれに村田煙管があったとなれば、確かに複数のお店があったことが裏づけられますね。黒船町の村田が、本家と名乗るのもこういう背景があったのでしょう。

投稿: じんた堂 | 2010/07/09 22:54

通りすがりで失礼します。
個人的に村田煙管について興味があって素人ではありますが色々調べてたことがある者です。

浅草村田は昭和中期頃まで営業してたとJTのHPに書いてましたよ。

京都にも村田煙管屋はありましたが江戸期で途絶えたそうです。
京都村田は雁首の裏に京四小の刻印があるものが多いので見分けやすいです。

浅草村田の刻印は肉眼で、かなり見えにくいくらいの小さな刻印です。
両国村田は浅草村田の刻印と比べると、かなり大きな刻印です。
中には雁首の裏に両国刻印、吸い口の裏に村田刻印があったりとして、両国刻印があると、両国村田が欲しい方は多少安心できるかもしれないですね。

昭和になると京都でも村田刻印の贋物が出回ってます。
それは村田張りということで村田刻印を入れてる紛らわしい理由なのかもしれませんね。

投稿: 通りすがりです | 2010/10/20 03:50

通りすがり様
東京クリップ様で村田キセルの情報を得ているムラタと申します。しばらくぶりでのぞいたら新しい情報を目にしました。浅草と両国の細かい違い、見分け方など関心させられました。

京都の村田は「江戸期に途絶えた」ということですが、他のブログでの書き込み情報によると、幕末の薩摩藩士中村半次郎の「在京日記」に恋人村田さとの実家村田煙管屋に頻繁に出入りしたことが記されているようです。この日記は1867年のもので、少なくとも明治初期まで営業していたと思われます。

ところで「黒船町の村田小兵衛」について、明治18年に出された「東京浅草黒舟町12番地村田小兵衛⇒麹池様」証文の存在を確認、明治中期までの営業を確認しました。

江戸末期に水野忠精(忠邦の子・山形藩二代藩主)と共に(?)山形に来たと伝えられているわが家の祖先村田安五郎と明治18年の小兵衛は、叔父・甥の関係にあたるのではと推察されます。

通りすがり様、何か情報をお持ちでしたらご教示下さい。

投稿: ムラタ | 2010/10/26 18:56

ムラタ様>京都村田の話はそうですね、私も書き方が悪かったかもしれません。
昔、京都の某煙管屋の先代様から京都村田は江戸期で途絶えたと聞いたので、村田さとさんの父の代で京都村田は終わったと言うことだったのかもしれません。

浅草村田に関する情報はJTの下記のURLの記載では1960年まで営業されてたと書かれてます。
http://www.jti.co.jp/sstyle/trivia/know/story/japan1/14.html

確かに私も浅草村田屋製の昭和初期の煙管を1本持っています。

浅草村田が住吉屋と競い合った、今風に言えば高級ブランドの村田ですね。

浅草村田については金工の吉田省吾さんが詳しいですね。
吉田さんの象嵌や色揚げをする煙管は浅草村田製煙管だったので。
吉田さんの話もネット上で少しだけ閲覧できます。

ムラタ様の安五郎様は山形で煙管屋を営業されてたのでしょうか?

投稿: 通りすがり | 2010/10/26 22:59

通りすがり様 早速の書き込みありがとうございます。

安五郎が山形に来て何をしていたのか不明ですが、軍人用サーベルの彫金などしていたと伝えられています。市内中心部で旧県庁、現山形市役所、裁判所がある旅篭町に居住していたことから、煙管の技術を生かした何らかの商売をしていたのではと推測されます。現在県立、市立図書館に通って山形での足跡を調べています。

安五郎から家督を受け継いだ金助は隠居後浅草区東三筋町に移り住み大正11年にこの地で亡くなっています。
金助から家督を受け継いだ政五郎も昭和11年に山形を離れ現在の蔵前二丁目に移り、そこで亡くなりました。自宅前の蔵前通りにある楫取稲荷神社の門柱に政五郎の名が刻まれています。

浅草村田煙管があった黒舟町は現在の蔵前三丁目になっているようですが「12番地」は、前にも書きましたが高村光雲の回顧録にある当時の榧寺付近ということです。

ところで吉田省吾さんはお会いできるのでしょうか。

手前のことばかり書いてしまいましたが、よろしくお願いします。

投稿: ムラタ | 2010/10/27 12:19

ムラタ様>吉田省吾さんは、明治31年生まれの金工で、すでに他界しております。

塩とたばこの博物館などに問い合わせてみて、館長などに浅草村田について話をしてみるのも、何かを得られるかもしれないですね。

私は過去に煙管職人さんに浅草村田について話を聞いたことがありますが、詳しくはわからないようです。

吉田さんは瑞宝章を授与されてるくらいの御方ですから、もしかしたら、浅草村田について語ってる書籍があるのかもしれませんが、確認は困難でしょうね。

投稿: 通りすがり | 2010/10/27 19:28

ムラタ様>追記ですが、ネット上で吉田さんが語った話の内容は、浅草村田を絶賛して素晴らしさを語ってる内容しか載ってません。

吉田さんと対談したことがある人が多数いても、浅草村田屋について、詳しくわかる方がいるかも、私の知識では、わかりません。

お力になれずにすみません。

投稿: 通りすがり | 2010/10/27 19:39

通りすがり様 ご教示ありがとうございます。
近く塩とたばこの博物館と江戸東京博物館の図書館に行ってみたいと思っています。
ところで、通りすがりさんは村田煙管について骨董的な興味で調べておられるのでしょうか。

投稿: ムラタ | 2010/10/29 11:35

ムラタ様>私は本物の浅草村田製が欲しくて、贋物を掴まないように、色々調べていました。

そして、吉田省吾さんの仕事した浅草村田煙管を入手するのが、無難に本物を手に入れられると知り、1本は入手できました。

しかし、江戸期の純銀か赤銅の浅草村田製煙管が欲しいのが本音なんです。
でも、桐箱、裏書、落款がないと安心できないので、浅草村田っぽい煙管がオークションで出ていても眺めています。

私は骨董的興味があって調べてはいますが、入手したら、それをメンテナンスして実用するタイプです。
骨董煙管は磨きなどをしたりすると骨董価値が下がると言われますが、手入れもしないで観賞用に置いておくと、雁首・吸い口内部の傷みが進行したりする場合がある煙管もあると思いますし、メンテナンスをしないと、もったいないと思います。
道具は使ってこそ価値があると思っています。


江戸期の自分の好みに合う仕上がりの浅草村田製煙管で一服するのが夢なんです。

なので、浅草村田製煙管が欲しいから調べていたわけです。

投稿: 通りすがり | 2010/10/30 12:22

通りすがり様 ありがとうございました。
村田の煙管をめぐり、いろいろな切り口があるんですね。
日曜日に県立図書館で半日山形新聞のマイクロフィルムをみてきました。明治9年創刊からの紙面の広告欄です。全4頁の紙面、最初は官報を見ているようですが、15年あたりから広告欄が増えてきてだんだん面白くなってきました。今回は明治21年まで。徒労に終るかもしれない探索です。

投稿: ムラタ | 2010/11/03 18:45

管理人様あけましておめでとうございます。

ムラタ様、私が所有してる村田煙管の画像を私のGREEの日記に載せていたのですが、それをたまたま、吉田省吾さんの息子さんが閲覧していてコメントを頂いたのがキッカケで知り合いになりました。

息子さんに色々質問して聞きましたが、残念ながら浅草村田煙管屋の方とは私は面識がありませんと言われました。
私は羅宇屋の中島さんしか面識がないとのことです。

ただ、吉田省吾さんは村田の番傘煙管を手がけてる途中で亡くなられたそうです・・

やはり吉田省吾さんが生きておられたら浅草村田煙管屋について色々、細かい話が聞けたと思います。
しかし息子さんも結構な歳なので、もし吉田省吾さんが生きておられたら凄い年齢になるところです。

息子さんは跡を継いでませんので父親の仕事の人間関係について全て把握していなかったのでしょう。

吉田省吾さんが語ってる話の一部がネット上で閲覧できる事を息子さんに言ったら、息子さんは知らなくて、またその話の内容もまったく知らなかったそうです。

私は浅草村田煙管屋について益々興味深くなりました。

どこかに浅草村田煙管屋について語らせたら右に出る者はいないって方が、現在いませんかね~(笑)


投稿: 通りすがり | 2011/01/10 05:55

ムラタ様、追記致します。

書いてよいか迷っていましたが、自己判断ではありますが、名を上げさせて頂きます。

プライバシーの侵害にはならない為に、謎めいた問題ない質問をさせて頂きます。

詳しくは書けないと判断しましたので御了承下さい。

ムラタ様は御先祖様について調べてる時に、加藤藤太郎さんという御方の名前は目にしたことはないでしょうか?

現段階では詳しく書けませんので申し訳ありません。

投稿: 通りすがり | 2011/01/10 06:36

管理人様、とおりすがり様あけましておめでとうございます。

これからJRの三日間乗り放題12000円を利用して江戸東京博物館の図書館に行くところでしたが、東北新幹線の架線事故で出鼻をくじかれてしまいました。図書館に「羅宇屋」の映像(33分)があるのでそれから手がかりをと思いました。いずれ羅宇屋の中島さんの話が聞けたらいいですね。

また、明治18年に村田小兵衛から菊池様に出された「御煙管2個也代金3円31銭受取」という文書に東京浅草黒舟町12番という住所があり、訪問を躊躇している現在の蔵前三丁目の親戚筋の番地とほぼ一致するので、古地図をあさってきたいと思っていました。

村田キセル関連で「加藤藤太郎」の名前ははじめてめにしました。

出掛けに「東京クリップ」をのぞいてよかったです。
運よく東京へ行けたらまたご報告いたします。

投稿: ムラタ | 2011/01/15 10:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74890/13448707

この記事へのトラックバック一覧です: 村田キセル:

« 神保町花月 | トップページ | オルガンの消えた町 »