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2007/03/13

月島物語(四方田犬彦)

 もう10年前だが、門前仲町から豊海水産埠頭行きバスに乗り終点までいったことがある。周辺には、大きな倉庫と資材置き場になっている空き地が続き、月島方向へ戻る途中の勝鬨付近に長屋が残っていた。先日、その勝鬨付近の長屋が取り壊されはじめたことをmasaさんのブログで知ったので、月島物語を読み返してみた。

Photo_8 月島物語は、比較文化学者にして大学教授の四方田犬彦氏が、月島の長屋に住みながら書いた本である。月島に関する膨大な資料を参考に、月島の成り立ちとその過去と現在の姿を様々な角度から描いている。月島を主題にした都市論とも言える本だが、小津安二郎の映画「風の中の牝鶏」に登場する月島にあったロケ地や、もんじゃ焼きと肉フライなどの面白い話題も載っている。なんと言っても1990年の月島の姿を克明に記録しているのが貴重だ。この本は、ここしばらく絶版扱い(入荷未定品)が続いていたが、最近になって工作社より「月島物語ふたたび」の名で増補版が新たに発売された。月島という限られた地域はもちろん、東京に興味のある方におススメの一冊だろう。(写真は1992年発行の集英社版)

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コメント

私が月島三丁目に在った(今でもあるのかな?)ダイハツ東京配送センターでアルバイトをしていたのが1971年から1972年に一年間。当時は清澄通りにはまだ都電が健在、晴海通りは廃線になっていましたが清澄通りは月島二丁目から亀戸近くの福神橋まで運行していました。
勝鬨を築地側から渡ると晴海通りの両側は小さな飲み屋が軒を並べ築地で午前中まだ早い時間に仕事を終えた人たちが家に帰る前にチョットいっぱい!という雰囲気でした。
月島二丁目の交差点を過ぎると晴海方面には店はなにもなく清澄通りを森下に向かう両側も昔ながら店があるだけで今の”もんじゃの街”とはまったく違う雰囲気。確か(新)佃大橋が一部開通した頃で本来佃に多くあった商店街も橋の完成で分断とは言いませんが街の景色が変わり始めたことかな。
佃煮やは隅田川に近いところに点在指定ましね。
偶然ですが昨年中学の集まりがあって今でも佃で手作りの佃煮屋を営んでいる友人と40年ぶりに会いました。
その友人の店はいまだ昔ながら手作りで作っているとか。
我が家にホームステイする子供たちをたまにもんじゃを食べに連れて行きますが昭和40年代の月島と今の月島とでは大きな隔たりを感じてしまいます。
また、もんじゃといえば元来下町、台東、江東、墨田、荒川地区が本場?お好み焼きと違って大体駄菓子屋が冬になると店内に小さな鉄板を出して子供たちが自分で作るもの、今のように大人が食べるものではありませんでした。
当時のいろいろな子供向けの”味”が懐かしく思えるこのごろです。

投稿: 真理子 | 2007/03/14 07:11

訂正:
築地二丁目は勘違いでした。
正しくは月島です。

投稿: 真理子 | 2007/03/14 10:03

真理子さん、コメント訂正しておきました。

 ところで、70年代初めの月島は、現在とは大きく違っていたでしょうね。私が初めて月島のもんじゃ屋へ行ったのは80年代末で、月島観音横の薄暗がりにあった古い店でした。数年前に同じ場所に行ったら、月島観音はビルの中になり、周りのお店もキレイになり、もうどれが昔のお店だがまったく分かりませんでした。

 もんじゃは子供の食べ物にたいして、お好み焼きは大人の食べ物かなという経験があります。70年代の中頃に、本所吾妻橋に住んでいた同級生に案内されて向島に行ったのですが、いきなり二階の座敷に通されてお好み焼きでした。一通り自分達で焼きながら食べた最後に、お店の女の方がきて「あんこ巻き」をキレイ作ってくれたのが印象に残っています。

投稿: じんた堂 | 2007/03/14 12:27

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