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2008/01/30

フィールドワーク:霜降銀座・谷田川を行く

 週末に駒込にある霜降銀座を歩くと共に、谷田川の変遷を調べてみた。

8dsc05535 霜降銀座は、本郷通りを駒込駅から王子方面にむかう途中の霜降橋交差点のてまえを左折し、西ヶ原方面へむかう商店街。八百屋・魚屋・肉屋からはじまり、昔懐かしい洋品屋の看板をかかげる店などがある。霜降銀座のホームページによれば、”霜降銀座商店街は昭和31年に発足”とあるが、いまも発足当時の昭和の雰囲気を感じる商店街だ。

 霜降商店街につながる一連の銀座商店街は、暗渠となった谷田川の流れに沿っている。どの商店街の路地も、ゆるやかに曲がりくねっており、その道幅も広くなったり狭くなったりして、いかにもかつての川筋らしい。谷田川は、谷中付近を流れていた藍染川の上流にあたるが、谷中から藍染川上流をめざした様子を、森まゆみさんは、「不思議の町 根津」の”藍染川をたずねる”のなかに書いている。

 よみせ通りから、田端銀座、駒込銀座、霜降銀座、染井銀座を自転車でさかのぼった時の印象として、”よくもこんなに銀座がつづくものだとあきれながら、そうか「藍染川沿いは昔から商業路であったのだ」と納得した”としたと記している。この体験行は谷根千3号に掲載されたとあるから、これは今から20年前ごろの話しと思われるが、いまもそのまま通用する。

 ところで、この谷田川は、暗渠になる前はどのような川だったのだろうか、またなぜ暗渠にしたのだろうか?

 手がかりを求めて滝野川図書館で資料を探していたら、「谷田川改修ニ関スル請願書」の写しをみつけた。この請願書から昭和初め谷田川の様子がうかがえるので、その冒頭の部分を引用してみよう。

 「源ヲ巣鴨町及西巣鴨町ニ発シ本町大字西ヶ原、中里及田端ヲ貫流スル谷田川ハ近来其ノ両岸商街住宅地ト化シ之ヨリ放流スル汚水ハ同川ニ集注シテ悪臭紛々病毒ノ淵叢タルノ感アリ、一朝降雨ニ際会センカ本郷区駒込一帯ノ雨水ヲ合シ一瞬タチマチ濁流奔溢シテ居宅ヲ襲ヒ毎年ノ浸水家屋千数百戸ヲ算シ其惨憺タル被害名状スヘカラザルモノ有之候・・・」 この請願書は、滝野川町長の名で昭和5年6月に作られている。

 請願書ということで、多少おおげさに書いたかもしれないが、昭和5年当時、”谷田川両岸に商店や住宅が増え、そこからの汚水が集まり悪臭プンプン、病毒の巣”だったと記述されている。このことから、昭和初め、谷田川沿いには既に住宅と商店が建ち並び、川は、悪臭がひどいドブ川状態であったことが分かる。これは現在の言葉でいえば、生活排水による汚染がひどかったとなる。また”ひとたび雨となると浸水家屋が千数百戸にもなった”と、水害も発生していたこともうかがえる。これも現代風にいえば、大雨のバッファとなる田畑や野原が少なくなったことにより、雨が一気に水害となってしまう都市型災害が発生していたことになる。すなわち昭和初めに、谷田川流域で都市化がおきていたことになる。

 谷田川は、このような状況を改善するために、川を暗渠にして、その上を通路とする改修がされたのである。その工事は昭和6年から始まり、予算は92万と記録されている。

 昭和初めに東京の郊外各地でおきた農村から宅地への急激な転換は、関東大震災をきっかけに、都心から比較的被害の少なかった郊外へ人が移動したためと言われている。谷田川流域でも同じことがおきたと思われるが、これに加えて、震災前から王子にあった兵器廠とそれを支えた周辺の軍需工場の影響が加わっているかもしれない。駒込や西ヶ原は、高級住宅地として知られるが、実際に谷田川流域の商店街を歩いてみると、左右の狭い路地には家が密集し、まるで町工場を背後にもつ下町の商店街にいるような気がするからだが。これについては、今後の追加情報を待ちたい。

追加情報:

1.昭和8年の地図を読む:谷田川を行く
2.三田用水と海軍火薬製造所:谷田川を行く

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2008/01/28

ウィスパー・ノット(Whisper Not)を聴く

 Whisper not を初めて知ったのは、小説の中に書かれていた、口笛でWhisper notを吹くという描写からだった。

3wynton_kelly 手元にあるWynton Kelly のWhisper notは、1958年モノラル録音をCD化したもの。ウイントンケリーは、マイルスデイビスのグループに参加したジャズピアニストだが、彼自身がリーダーで録音したアルバムもあり、ウイスパー・ノットもその中の一枚。

 そのピアノは、メロディーラインが非常に美しい。アルバム先頭に入っているWhisper notも良いが、このごろは6曲目に入っているピアノ:ウイントンケリー、ギター:ケニーバレル、ベース:ポールチェンバースのトリオによるDon't explainを聴くことが多い。

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2008/01/26

東京銀座物語

 少し古い資料だが、「銀座商店街の研究」(中村孝士、東洋経済新報社、昭和58年)に”全国に銀座の名を冠する商店街491、(うち東京都内109)が現存する”と記述されている。その後の増減があると思われるが、いまも100ぐらい銀座を名乗る商店街が東京都内にあると考えてよいだろう。

8dsc05474 ところで東京の商店街で、もっとも早く銀座を名乗ったのは品川区の戸越銀座という話はよく聞くが、都内で最も銀座商店街が多い区・市は、どの地域だろうか?ちなみに千代田区には50の商店街・商店会があるが、銀座を名乗るのはゼロ、港区には1つしかない。

 まだ調査中だが、どうも銀座を名乗る商店街は、本家である中央区銀座に近いところには少なく、都心を少し離れた地域に分布しているように思われる。

 たとえば、先日、kai-wai散策で紹介されていた西ヶ原銀座、染井銀座、霜降銀座、田端銀座は、北区と豊島区にまたがる駒込地域だが、この付近は全商店街に対する銀座の割合が高いようだ。

 具体例として北区商店街連合会のデータをみると、北区に72の加盟商店街があるが、銀座を名乗るのものが16ある。すなわち北区の商店街の20%は銀座を名乗っている。豊島区は合計80の商店街に対して、銀座を名乗るのは6で7.5%となる。ただし、このデータは商店連合会に未加入のものを除いているので、実態とは少し差があるようだが、おおよその傾向は合っているだろう。

 一方、前述の銀座商店街が1つしかない港区は、商店街合計数は55だから1.8%となる。

 さて、このような銀座商店街の数の地域差は、どこから生じているのだろうか?そもそも都内各地に点在する銀座を名乗る商店街は、なぜ銀座を名乗り、そこにはどのような銀座物語があったのだろうか・・・。

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2008/01/25

雪だるま(小川町)

 今日も天気は良かったが風が冷たく、体感的にはこの冬一番の寒さのなか地下鉄で神田神保町へ向かった。

8dsc05496 神保町駅から靖国通りに上がると、神保町交差点から小川町交差点に向かって、数十メートル間隔で巨大な雪の柱が出現していた。第7回神田雪だるまフェア(1月25-27日)のための雪だそうだ。

 午前中に見たときは、ほとんどのものが四角い雪の柱だったが、午後、再び通りかかったら数人で柱の上の部分を削っていた。各チームごとにテーマを決めて雪像を作るらしく、別の場所では、四角だった柱がすでに円柱になっていた。さて、どんな雪像が登場するのだろうか・・・。

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2008/01/24

ブルースカイ

 昨日の雪と雨でチリが洗われたのだろうか、午前中はキレイな青空が広がっていた。
 
8dsc04413  ところでスタンダードナンバーにブルースカイという歌がある。英語のタイトルはBlue Skiesと複数形になっているが、日本語にすれば青空。

 この空(Sky)を複数形で表すというのは、英語の疑問集でよく取り上げられるが、いまだに使い方が分からない。雲であれば、一つ二つと数えらる場合もあるだろうが、空は出来ない。あの日の青空、この日の青空とすれば、複数の青空もあるかなと思うが・・・どうもすんなり理解できない。

 そのブルースカイは、Blue skies smiling at me ではじまる。

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2008/01/23

銀座のランドマーク

 天気予報で言っていたので覚悟はしていたが、今日はさぶかった!いや寒かった!

8dsc05468 東京で雪となると、皇居前広場、渋谷駅、代々木公園、新宿駅辺りからのレポートがよく登場するが、なんといっても街頭レポートの聖地は銀座。天気だけでなく、社会、経済、ファッション、娯楽、食など、幅広い話題に応えられるのが銀座の良いところ。こんな場所は、他所にはない。

 先日、友人宅で見た雑誌で、その銀座のランドマークである和光本店建物を修復することを知った。和光のホームページで確認すると、1月13日から一時閉鎖して修復工事が行われる、工期10ヶ月との案内が掲載されていた。詳しい工事内容は不明だが、銀座のランドマークと言える銀座和光本店が、今後どのようになるか注目だ。(なお写真は、今月の12日(土)に撮影したもの)

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2008/01/22

風に吹かれて

 今朝も風が冷たかったが、陽ざしがあったので温かく気分も明るい。やはり太陽の力はスバラシイ!

8dsc01778b さて冬の冷たく乾いた風を利用した食べ物に風干しがある。旨みがギュッと凝縮されながらも、ソフトな口当たりが残っている風干しは、ご飯のお供に最適だが、これがなかなか見つからない。天日干しと書いてある干物は色々あるが、風干しとなると売っているところを見かけない。

 ところが、その風干しを作っているのを都内で見かけたことがある。

 狭い路地の入り口、そこに開いた穴子が洗濯物のように吊るされ風に吹かれていた。

 その路地も無くなり、いまは工事用のフェンスで囲われている。

 あの穴子の風干しとは、どのような味だろうか、いまだに分からない。

 ところで天気予報では、また明日の朝は雪と言っている。前回は空振りだったが、今度は雨か雪かは微妙だが降ることは確からしい。さて明日の朝、窓の外にどのうような景色が広がっているだろうか。

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2008/01/20

クリスコナー(バートランドの子守唄)を聴く

 先週引いたカゼがいまだに残っているようなので、今日は、外出をとりやめて部屋で古いジャズを聴くことに。

Chris_connor_2 選んだのはクリスコナー「Sings Lullabys of Birdland」(バートランドの子守唄)。いまさら説明する必要もないほどのジャズボーカルの名盤!1954年ベツレヘムレーベルでリリースされたものをCD化したもの。

 クリスコナーは1928年生まれと言われているので、今年は80歳になるはずだが、日本では根強い人気があり数年前まで新譜がリリースされていた。手元に1991年、日本のアルファレコードからリリースされた「As time goes by」がある、このときのクリスコナーは63歳のはずだがノドは衰えていないというか、まさしく円熟した上手さを感じる。

 「バートランドの子守唄」は、50年以上前のモノラル録音だが、そんなことは全く気にならず、クリスコナーのはつらつとした歌声がじつにステキだ!アルバムタイトルの「Lullabys of Birdland」はもちろん、「Try a little tenderness」「Spring is here」「Why shouldn't I」「Stella by starlight」「Gone with the wind」など美しいメロディラインの曲が並んでいる。それにしても、この時代の曲はなんて心地よいのだろうか。

 天気予報は今晩から雪と言っていたが、昼から曇り空は薄暗く風が冷たい、このままならば明日の朝は雪景色かもしれない。さて明日、もし雪だったら何を聴こう・・・。

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2008/01/19

テルミンと遊ぶ

 発売時には売り切れが続出するほどだった学研「大人の科学Vol.17」テルミンminiが再発売された。

8dsc05485 先日、買い物ついでに立ち寄った本屋で積まれていたのを見つけたので早速購入。今日、組み立ててみた。大人の科学シリーズは、Vol.04の鉱石ラジオキットを作ったことがあるが、あれはアンテナの組み立てが大変だったが、今回のテルミンは実に簡単。わずか10分で完成する。

 さて、それでは演奏といきたいところだが、やっと音が出る程度でまだ最初のチューニングでつまずいている。学研のページをみると皆さんいかにも簡単に演奏しているが、アンテナと手の位置関係がじつに微妙で、指を1本から2本にするだけでも音が変わる。一定の音を安定して出すことは相当難しい。

 テルミンは電子楽器のルーツだが、じつは学生時代に、日本では珍しかったムーグシンセサイザをある所で見たことがある。スイッチドオンバッハがリリースされていて随分話題になっていたが、まだ日本では本格的に使用されていなかった。富田勲のレコードより少し前だったと思うが、もしかしたら同じ頃かもしれない。レコードジャケットでは知っていても、多数のツマミがついたモジュールの大きさに圧倒される一方、小さなキーボードに驚いたのは今では懐かしい想い出だ。

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2008/01/17

初雪

 今朝、二階のカーテンを開けたら外が真っ白となっていた、東京の初雪だ!

8yuki_tokyo 先週末あたりから寒い日が続いていた。天気予報では晴天がつづくとなっていたので、まるで気にかけていなかったが、初雪が突然やってきた。朝食時には地面はぬれて黒くなっていたが、木々や屋根の上に薄く雪が。

 その雪も日が当たるとすぐにとけはじめ、わずかに水滴が残るだけ、あまりにあっけない初雪。

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2008/01/13

TATA(タタ)@ペナン

 数日前、TATA(タタ)という名前がニュースを賑わしていた。インドで10万ルピー(日本円で約30万弱)という低価格のクルマが発表されたが、そのクルマNano(ナノ)を開発したのがTATA自動車。

8dsc03851 ペナンの乗用車事情は、日本とあまり変わらないというか、似ているように思う。道路の幅は日本と大差なく、クルマも左側通行の右ハンドル、マレーシア国産車のプロトンのデザインは日本車に似ているし、それに加わって走るのはトヨタ・ホンダなどの日本車が多い。しかもどれも手入れが良くて、キレイなものが多い。

 しかしひとたび産業用クルマに目を向けると、その様相は乗用車とは異なり、日本では見かけなくなったボンネット型のトラックをよく見かける。写真のトラックは、市場近くで布袋を積む作業をしていたものだが、そのボンネットフロントグリルにTマークが付いているが、これはTATA自動車のトラックだそうだ。

 同じ形式のトラックは、ペナンの別の場所でも見かけたが、ドアも無い簡素な運転席は、鉄板むき出しで天井に小さな扇風機を付けられていた。その飾り気の無い実用一点張りのクルマは、モノを運ぶのに最低限の装備しか付いてないが、じつにたくましく見えた。

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2008/01/11

フィールドワーク:尾根を行く川

 masaさんのブログで紹介されていた「川の地図辞典」(菅原健二、之潮社)を岩波ブックセンターで購入してきたので、早速、目黒区のページを開いてみた。

8dsc04078_2 以前から目黒区青葉台にある、西郷山公園の滝が気になっていたのだ。夏になると公園の中ほどの水路から水を流し、公園下へ滝のように落ちている。大正・渋谷道玄坂(藤田佳世、青蛙房)によれば、この地は西郷従道の屋敷跡で、かつて滝があったことが書かれている。また目黒区のホームページによれば、西郷従道邸は三田用水の水を引き込んでいたとある。

 西郷山公園付近を歩いた人は分かると思うが、ここは富士山を見ることが出来るほどの高台にあり。その入り口は旧山手通りに面し、急斜面に沿って下ると目黒川に近い菅刈公園に至る広い地域だ。さて、三田用水はどこを流れていたのだろうか?

 「川の地図辞典」P182、183を開いたら、その答えがあった。

 三田用水は、国道246を大和田坂上付近で横切り、旧山手通りに並行して走り、西郷山公園の入り口付近で旧山手通りに合流している。ということは、以前、”Y字路の秘密”で紹介した左側の道そのものだ。三田用水は、こんな尾根のような場所を通っていたのだった。この事実は、山の手に住む人にとってはあたりまえの事かもしれないが、日頃下町の川や堀に親しんでいる者には目からウロコが落ちる思いだ。下町・低湿地では、水は、その地域で一番低いところを流れているイメージがあるので、川は谷間を行くものと思い込んでいたのだ。

 しかし、用水や上水となると川を取り囲む地形は全く違う。長距離かつ広範囲に水を分配するためには、尾根のようになるべく高い所に水路を作り、そこから低地向かって流すのが合理的だし自然だ。ヨーロッパにある谷間を横切る石で組まれた水道橋の景色も、同じ発想によるものだろう。川というのは、その成り立ちと用途に応じてそれを取り囲む地勢は大きく違うようだ、このあたりを調べはじめるとなかなか奥深いものがあるかもしれない。

8dsc04239 以上のことをふまえて、もう一度、「川の地図辞典」P182,183とこのページの写真を見直してみよう。カメラは西郷山公園の北側入り口付近、ちょうどY字路の交点に立ち北へ向いている。この場所は、”Y字路の秘密”で紹介したように二重Y字路で、画面左側の先に急な下り坂があり、カメラの立つ場所は坂の頂上となる。さらに画面に写る左右の道路を比べると、右側の道は先のほうまで平坦だが、左側の道は奥にいくほど高くなっている。すなわち左側の道は、この付近では坂の頂上付近を、画面の奥から手前に下る尾根のような地形であることが分かる。

 「川の地図辞典」で位置を確認すると、この左側の道こそ三田用水そのものだから、川は奥から手前に向かって尾根に沿って流れていたと考えて間違いないだろう。

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2008/01/07

鰻の寝床@ペナン

 ペナン旧市街で見かける古い家の形式を何と言うのかとずっと疑問に思っていたら、昨年、3度目のペナン訪問で、その答えを知ることができた。答えはショップハウス(Shophouse)である。ショッピングセンターにあったTYPOLOGY OF SHOPHOUSESというポスターに、その解説があった。

8dsc03984 ところで前回、ペナンの家を鰻の寝床と書いたが、取り越し工事中の家を撮影したものがあるので紹介しよう。いかに細長い家か、分かるだろう。

 正面部分をみると、2階は3連のブラインド窓、1階は左右につながる通路、少し奥まって正面真ん中にドアがある。隣りの家との仕切りはレンガ壁、その仕切りは2階前部のみ屋根より少し高く作られている(雨風があたるのでそこだけ少し黒くなっている)。正面は2階建てだが、奥に向かって低くなり後半部分は1階建てのように見える。

 この写真の家では、一番奥に2階建ての家がくっついているが、たぶん別に建築したもので、その間は坪庭のようになっているようだ。すなわち正面から奥に向かって順に2階建て、1階建て、庭、2階建てという構成になっている。別の場所の家では、一番奥が空き地なっていて、正面から2階、1階、庭となっていたので、これに2階建てを追加した構成と思われる。

 これは建築専門家に話しをうかがってみたいのだが、京都の町屋も、家の真ん中に坪庭をもうけたものがあるが、ペナンのショップハウスもどこか似たように思えないだろうか。ペナンの家の様式は、中国南部を起源とするものと言われているが、中国・ペナン・京都の町屋、それらに関連があるのだろうか。

 なお、ペナンの人に言わせると、最近の中国富裕層が好んで建てる家の様式は、ペナンやシンガポールで成功した人が地元に里帰りして建てた家が影響しているそうで。中国南部から来たものがペナンやシンガポールでヨーロッパ・インド・イスラムの影響を受けて、再び中国に戻っているという話しでした。

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2008/01/06

自由だ!

 東西の自由通行といえば、1989年のベルリンの壁崩壊、その後の東西ドイツ統一が記憶にある。そんな歴史を思い出させる通路がある。

8dsc05034 かつて秋葉原の東側(いまヨドバシアキバがある昭和通り側)から西側(石丸電気がある中央通側)へ向かうには、なかなか大変なことだった。

 そのルートは二つで、いったん神田川にそったワシントンホテルと万世橋警察のある通りへ向かうか、逆に御徒町方向へむかい、ヤマギワ本店があった横の道を通るしかなかった。いずれも、歩いた人ならば知っているだろうが、秋葉原の東西通行は、駅構内で移動するのは簡単だが、いったん外に出てしまうと近いようにみえて大回りしないとたどり着けなかった。

 その秋葉原の東側に「つくばエクスプレス」が開通しヨドバシカメラが完成し、西側にダイビルが完成すると共に中心の秋葉原駅は大改修されたことは既にご存知だろう。そしてあまり目立たないが、東西を結ぶ通路が出来たのだ。

 その名前は「東西自由通路」!

 それにしても、このネーミングはどうだろうか。カタカナばかりの秋葉原にあっては、じつに簡単明瞭なのは良いのだが・・・。

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2008/01/04

窓のある壁@ペナン

 ペナンの旧市街のはずれの路地で見つけた家、壁の表面はところどころ剥げ落ちて下地のレンガがあらわれ、さらにそのレンガも凸凹になりはじめている。

8dsc03848_2 建物の正面はお店のようになっているペナンの家は、いわゆる鰻の寝床と呼ばれる京都の家のように、間口は狭いがその奥行きは深く裏の路地まで続いている。そのような家が側壁を接して何軒も並んで長屋のようになっている。
 
 したがって家の側壁に窓があるのは、左右両端の家に限られ、日本ならば日当たり良好な角部屋として人気がありそうだが、この大きさの窓ではあまり役立ちそうもない。しかも長いあいだ閉めきられていたようで、観音開きの木製窓枠は、すっかりペンキが剥がれ落ち、内側は板で塞がれている。

 現代の家は大きなガラス窓がつきものだが、日本でも、昔の家は、窓も小さく部屋も暗かった。ペナンの古い家は18世紀に建てられたものもあるそうだが、この窓のある壁の家は、どのぐらいの年月を経ているのだろうか・・・。

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2008/01/03

初詣

 京成八幡駅を後ろにして小さな商店街を北に歩くと、右手に小学校がある。さらにしばらく進み左側に酒屋のある角を左へ曲がると、ほどなく小さな神社がある。

8dsc05337_2 ここまでの記述でこの神社が何か分かるのは、地元の人に限られそうだが、わざわざ遠方から、この神社を目指す人もいる。

 千葉県市川市菅野にある白幡神社(白幡天神社)は、永井荷風が散歩途中に立ち寄り、幸田露伴の住まいにも近かった神社である。そのため、今でもこの神社を詣でる人がいる。永井荷風が存命していた頃は、田舎の古びた小さな神社で、社殿の裏は小高くなっており石の祠が置かれていた。神社裏の小道を進めば、これまた小さな小川があり、農家と田圃が点在しシラサギなどが舞っていた。

 現在は、小川も田圃もなくなり、神社はキレイに整備され、回りをすっかり住宅に囲まれている。

 今年の初詣は、この白幡神社とした。

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2008/01/02

くちなしの実

 ブロックの塀際に小さな「くちなし」の木がある。今日見たら、赤い実が一つ枝に残っていた。

8dsc05309 子供の頃、大きな「くちなし」の木が家の近くにあり、夏になると白い花がたくさん咲き、秋に赤い実がなっていた。染料に使用するので実を分けて欲しいと頼まれるほど、たくさん実がなる木だったが、だいぶ前に枯れてしまった。

 さきほど「くちなしの実」を調べたら、染料として使用するのに加えて食品の着色にも使用でき、お正月の「栗きんとん」を黄色くするにも使用されるとあった。ということは、昨日食べたあの中にもとなり、いまも身近なところで、我々の口に入っているらしい。

 ところで植物図鑑に「くちなし」に芳香があると書いてあるが、私の記憶では、八重咲きの花は強い甘い匂いがしたが、一重のものはあまり匂わなかったが、どうだろうか。

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2008/01/01

謹賀新年

 いよいよ2007年も終わり、新しい年を迎えました。昨年は、いろいろな分野の方々のお会いできました、その皆様に感謝を申し上げます。

8dsc05292 建物、草花、風景などは、それが失われて初めて、そのものの存在していた意味というか、収まりの良さが分かるものがあります。今年は身近で見つけた、そのような風景やたたずまいを見直したいと考えています。

 まずは近所の塀で見かけた赤い実。冬の日差しの中、枯れ枝に残された赤く輝く実は、いずれ鳥に食べられるのかもしれません。誰かが植えたのではなく、たぶん自然に生えた雑草でしょうが、どこかけなげな感じがします。

今年もよろしくお願い致します。

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