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2008/02/23

春一番

 それにしても今日の天気は凄かった。

 雑誌のページをめくりながらラジオを聴きていたら、”都内の空が黄色く煙ったようになっている”とのアナウンス。窓の外をみたら、空はグレーというよりベージュに近い色合いに、しかも風がものすごく強く、近くに見える木々が大きく揺れている。そしてラジオからは春一番の風とのアナウンス。

 風といえば、先日のことだが北区西ヶ原を歩いていたとき、ちょっと不思議な風を感じた。

8dsc05584b_2 路地の入り口に建つこの家、屋根は純和風だが、壁の絵はヨーロッパの古城のような。しかも絵の背景は白雲たなびくブルーの空、窓枠もブルーに塗られ、それが年月を経たようで落ち着いてちょうど良い色になっている。
 
 西ヶ原を歩くのは初めてだが、普通の住宅地のようでありながら、どこかヨーロッパのようなたたずまいがある。そういえば、ここにくる前に洋館とバラ園で有名な古河庭園の前を通りすぎた。謎の洋館ではないが、やはりこのあたりはミステリアスな風が吹いているのかも・・・。

 ところで内田康夫の探偵小説:浅見光彦シーリーズの主人公が住んでいるのも、北区西ヶ原3丁目となっているそうだ、やはりここはミステリーに縁があるかも。

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2008/02/20

神田小川町富士

 久しぶりに神田小川町を歩いてみたら、その変わりようにビックリ!

8dsc05712 私が学生時代、この道に並んでいたお店は、すべて木造の2階屋だったような気がする。右からカワセ楽器、その隣りの今はムラサキスポーツになっている所に瀬戸物屋、そして富士山の看板をかかげる額縁屋、さらに左に進んで靴屋があった。この中で富士山の額縁屋だけは、昔と変わっていないような。

 ところで都内を歩いていると、富士見坂、富士見通りなど富士のついた名をよく見かける。富士見坂は、都内だけでも12ヶ所ぐらいあるそうで、この小川町近くの駿河台にもある。今は、すっかりビルに囲まれて、いくら背伸びしても富士山など見えそうもないが、かつては見えたのだろう。以前、あの坂道を通りかかったら、冬の夕日が坂の奥まで差しこんでいることがあった、もし付近のビルが低ければ、シルエットで浮かび上がる富士山の姿が見えたかもしれない。

 それにしても靖国通り沿いの小川町、建物はキレイになったが、どうも気分がのらない。小さな店がなくなり大きなスポーツ店ばかり目立つようになり、エスワイルも引っ越していた。

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2008/02/19

三田用水と海軍火薬製造所:谷田川を行く

 「昭和8年の地図を読む:谷田川を行く」で、”日本海軍は、下瀬火薬製造所を明治33年に滝野川に開所”と書いたが、この下瀬火薬製造所の歴史を調べていたら、三田用水沿いにあった目黒火薬製造所が浮かびあがってきた。今回は、この目黒火薬製造所と三田用水の話をしてみよう。

Photo_2 なんと、この目黒火薬製造所は、以前紹介した三田用水沿いの中目黒付近に、明治12年に建設を始め、明治18年に火薬の製造を始めている。ところが明治26年に、ここは陸軍に移管され、海軍は、明治33年に新たに滝野川に下瀬火薬製造所を開所するのである。

 海軍火薬工場の目黒から滝野川への移転の理由を述べた記録は見つからないが、そこには、二つの要因「三田用水の水争い」と「新型火薬への移行」があるように思える。

1)三田用水の水争い

 目黒区のホームページで紹介されている内容だが、目黒火薬製造所は、その動力を、三田用水から引き込んだ水により回す水車にたよっていたが。その製造所が大量に水を使うため、明治24年頃、近隣住民との間で三田用水の水分配の争いが起きていた記録がある。

 以下に目黒区ホームページの一部を引用する。

 「火薬製造所と村民の間に、しきりに水争いがくり返されるようになる。三田用水組合文書には、明治24年、目黒村民がこぞって製造所の多量の用水使用を府知事に訴え出た記録が残っている。」

 
2)新型火薬への移行

 「日本海軍火薬工業史の研究:小池重喜、日本経済評論社」によれば、”明治26年度「海軍省年報」は、「海軍ニ於テハ爾来下瀬火薬ヲ除クノ外火薬ノ製造ヲ廃止シタリ」と記している”。さらに続けて、”下瀬火薬は下瀬雅允が明治21年に創製、26年1月に海軍正式に制定されたが、同年3・4月頃は海軍造兵廠内で若干の試験的製造がなされていたに止まり、本格的な爆薬製造所は存在していなかった。”と記している。

 すなわち、海軍は、明治26年に新型火薬として下瀬火薬を正式採用し、それ以外の火薬は製造しないことを決めたが、まだ下瀬火薬を量産できる製造所がなかったのだ。

 この場合、下瀬火薬を製造するためには、既にある目黒火薬工場に新たな製造ラインを増設するか、既存の製造ラインの改造が考えられる。しかし、前述したように、目黒火薬製造所は、建設時に三田用水に玉川上水をひき入れて水量を増やしている。それでも水争いがおきるとなると、これ以上の生産量の増加は無理で将来性に不安があっただろう。

 このような状況をふまえて、新火薬工場の場所として選ばれたのが、既に陸軍の火薬工場が進出していた石神井川に近い滝野川付近であったと考えられる。

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2008/02/12

南千住:時代の最先端が埋もれる町

 神保町の帰り道、友人のS君宅へ、一緒に南千住にある荒川ふるさと館へ向かうことに。尾久に住むS君にとって、南千住は自分の裏庭のようなものらしく、クルマ一台がようやく通れるような狭い路地をスイスイ、都電の線路を越え、曲がりくねった大通りをズンズン進み、スポーツセンター近くのコインパーキングにクルマが停まった。

8dsc05722_2

 いきなり目に飛び込んできたのはY字路。船の舳先のようにとがった部分に窓をもうけた鋭角の家が、クサビのようにそびえている。その後ろには先頭の家より一段高い場所にベランダをもつ家が並び、あたかも船の艦橋のような風景を作り出している。

 しかし、これは単なる序章だった。

 Y字路左側の道を進むと、人の背丈をはるかに超えるレンガ塀がつづいている。レンガ塀も、少しカドが丸くなっていたり風化していたりすると親しみやすいが、目だったキズもなく、きっちりと積まれたレンガ塀は、どこか人を寄せつけない雰囲気がある。

 いったいここは何だろうか、先日入手した昭和8年の大東京全図をみると、ここは「千住製絨」となっている場所らしい。製絨とは見かけない文字だが、広辞苑によれば”せいじゅう”「毛織物を製造する」となっている。荒川ふるさと館にあった説明では、「千住製絨所」は、明治12年に設立された日本で最初の羊毛工場で、軍服用の羊毛生地を製造していたところ、かつてはラシャ場と呼ばれていた「日本の毛織物工業発祥地」だそうだ。

 それよりも、昭和30-40年代の記憶があるかたには、ここが、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)のホーム球場であった「東京スタジアム」あった場所と言ったほうがよいだろう。日本で初めて大リーグ球場に匹敵する最新の設備をもちながら、わずか10年で消えてしまった球場があった地だ。

 日光街道筋の古い宿場町と思っていた南千住だが、そこには明治・昭和、その時代の最先端を目指した歴史が埋もれていたのだ。

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2008/02/09

昭和8年の地図を読む:谷田川を行く

 前回の「フィールドワーク:霜降銀座・谷田川を行く」で、昭和の初め(昭和6年)ごろ、谷田川沿いに商店や住宅が増えて川の暗渠工事が始まった。また歩いてみると、町工場を背後にもつ下町の商店街にいるような気がすると書いたが、当時の谷田川上流周辺の様子を地図で見てみよう。

_3b_4 ここに載せたのは昭和8年の模範新大東京全図、昭和7年、滝野川町などが東京市35区に編入された直後に作られた地図だ。

 駒込付近(地図の右下部分)をみると、ミドリで囲んだ部分に霜降橋という地名が載っている。ここを起点に谷田川の上流方向をみると、青色で囲んだ部分に海軍火薬廠の文字がみえる。さらに地図の上をみれば、陸軍火薬廠、王子火薬製造所、十条兵器製造所、板橋火薬製造所など火薬・兵器関係の工場が並んでいる。このように、かつての滝野川・王子・板橋の地域は、軍関係の工場地域であったことがわかる。

 軍の工場があれば、それを支える民間の工場も当然あったろうし、工場で働く人々のための住宅や商店も周囲に必要になるはずである。もう一度地図をみれば、現在の霜降銀座とそれに続く染井銀座・西ヶ原銀座は、戦前は海軍火薬廠に隣接する地域と言えるだろう。昭和初期、火薬廠やその関連工場に勤務する人々は、この地域に住み商店を利用したように考えられる。

 さてこの海軍火薬廠とはどのようなものだろうか?

 時代は一気に明治30年代にさかのぼるが、日本海軍は、下瀬火薬製造所を明治33年に滝野川に開所し、のちにここを海軍火薬廠爆薬部とした。下瀬火薬は、海軍技師:下瀬雅允により開発された火薬で、その威力は日露戦争の海戦勝利に貢献したと言われている高性能火薬である。

 この海軍火薬廠は、昭和の初めに滝野川から移転し、昭和15年、その跡地に東京外語大学がおかれたが、その外語大学も2000年に移転した。跡地は、防災公園・福祉施設となることが予定されている。

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2008/02/05

すばらしき世界

 東京は、明日からまた寒くなるそうだが、地球の裏側にあるブラジルは真夏のカーニバル。

Beth_carvalho そこで選んだ今日のアルバムは、ベッチ・カルヴァーリョ(Beth Carvalho)の「すばらしき世界」。1976年録音されたブラジルサンバのアルバム。じつはベッチが、どのような歌手かは全く知らないのだが、ベッチの歌にコーラスの掛け声とリズム楽器が加わったサンバサウンドは、まるで自分がカーニバルの人々と一緒にいるような気分にさせてくれる。ボサノバのアストラット・ジルベルトとは、まったく違う、土の香りがするようなホットなサウンド。

 このアルバムには、速いテンポのサンバはもちろん、ゆったりしたテンポの曲が入っているが、これが実に心地よい。残念ながら、このCDはすでに廃盤になっているが、ベッチの最新アルバムは輸入版で入手可能。

 

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2008/02/04

春はまだ

 今日、2月4日は立春、といっても地面には昨日の雪が。

8dsc05676_4 その雪にめげずにツボミをつけているのは水仙。この水仙、八重の花びらが大きい黄色い種類だが、ツボミは固く春はまだ遠いようだ。

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2008/02/02

ミルクティー階段

 今日は銀座で用事があり神保町から都営三田線で日比谷へ、近道をしようと新しく出来た地下通路を進んでいったらカフェの前に。

8dsc05638_3 ちょっとお茶でもしようかと思いましたが、幸い満席でそのまま通りすぎることに。満席で幸い・・・なぜと思う方は、そのカフェのコーヒーの値段を知れば納得されるでしょう。

 カフェを通り過ぎて地上に出ようと階段へ向かい、思わず足が止まりました。見上げると微妙なカーブを描く天井と手すり、ミルクティーのような濃淡の配色、包み込むような柔らかな照明。まだ地下1階の様子しか知りませんが、この通路は広くないとういうより、むしろ狭いのですが、それを感じさせないように配色や照明を工夫しているのかも・・・。

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