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2008/02/12

南千住:時代の最先端が埋もれる町

 神保町の帰り道、友人のS君宅へ、一緒に南千住にある荒川ふるさと館へ向かうことに。尾久に住むS君にとって、南千住は自分の裏庭のようなものらしく、クルマ一台がようやく通れるような狭い路地をスイスイ、都電の線路を越え、曲がりくねった大通りをズンズン進み、スポーツセンター近くのコインパーキングにクルマが停まった。

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 いきなり目に飛び込んできたのはY字路。船の舳先のようにとがった部分に窓をもうけた鋭角の家が、クサビのようにそびえている。その後ろには先頭の家より一段高い場所にベランダをもつ家が並び、あたかも船の艦橋のような風景を作り出している。

 しかし、これは単なる序章だった。

 Y字路左側の道を進むと、人の背丈をはるかに超えるレンガ塀がつづいている。レンガ塀も、少しカドが丸くなっていたり風化していたりすると親しみやすいが、目だったキズもなく、きっちりと積まれたレンガ塀は、どこか人を寄せつけない雰囲気がある。

 いったいここは何だろうか、先日入手した昭和8年の大東京全図をみると、ここは「千住製絨」となっている場所らしい。製絨とは見かけない文字だが、広辞苑によれば”せいじゅう”「毛織物を製造する」となっている。荒川ふるさと館にあった説明では、「千住製絨所」は、明治12年に設立された日本で最初の羊毛工場で、軍服用の羊毛生地を製造していたところ、かつてはラシャ場と呼ばれていた「日本の毛織物工業発祥地」だそうだ。

 それよりも、昭和30-40年代の記憶があるかたには、ここが、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)のホーム球場であった「東京スタジアム」あった場所と言ったほうがよいだろう。日本で初めて大リーグ球場に匹敵する最新の設備をもちながら、わずか10年で消えてしまった球場があった地だ。

 日光街道筋の古い宿場町と思っていた南千住だが、そこには明治・昭和、その時代の最先端を目指した歴史が埋もれていたのだ。

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コメント

はじめまして。
先日南千住の「大坪屋」に行き、ブログに書くべく
千住の歴史を調べててここにたどり着きました。

地図を見るのが結構好きで、図書館に籠ったりします(*^_^*)

教えていただきたいのですが、この球場と言うのは住居表示で
言うとどこに当たるのでしょう?
よろしくお願いします。

投稿: ころぽて | 2008/02/19 12:24

こんばんは、
かつての東京スタジアムは、現在は荒川総合スポーツセンターになっています。センターに隣接して野球場(軟式)もあり、住所は、東京都荒川区南千住6-45-5です。

投稿: じんた堂 | 2008/02/19 19:30

ご親切にありがとうございました。
南千住に泊まり、人形町でハンバーガー。
どちらも吉原(葭原)所縁で、街の歴史を探索するのは
面白いと思いました。

またよかったらうちのブログも覗いてみてください。
「ころぽての徘徊日記」
http://blog.livedoor.jp/popjazz/

投稿: ころぽて | 2008/02/27 10:34

ころぼてさん、コメントありがとうございました。
南千住はまだ一度しか歩いたことがありませんが、古くから開けた町だけあって、いろいろあるようですね。これからもよろしくお願いします。

投稿: じんた堂 | 2008/02/28 21:13

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