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2008/02/19

三田用水と海軍火薬製造所:谷田川を行く

 「昭和8年の地図を読む:谷田川を行く」で、”日本海軍は、下瀬火薬製造所を明治33年に滝野川に開所”と書いたが、この下瀬火薬製造所の歴史を調べていたら、三田用水沿いにあった目黒火薬製造所が浮かびあがってきた。今回は、この目黒火薬製造所と三田用水の話をしてみよう。

Photo_2 なんと、この目黒火薬製造所は、以前紹介した三田用水沿いの中目黒付近に、明治12年に建設を始め、明治18年に火薬の製造を始めている。ところが明治26年に、ここは陸軍に移管され、海軍は、明治33年に新たに滝野川に下瀬火薬製造所を開所するのである。

 海軍火薬工場の目黒から滝野川への移転の理由を述べた記録は見つからないが、そこには、二つの要因「三田用水の水争い」と「新型火薬への移行」があるように思える。

1)三田用水の水争い

 目黒区のホームページで紹介されている内容だが、目黒火薬製造所は、その動力を、三田用水から引き込んだ水により回す水車にたよっていたが。その製造所が大量に水を使うため、明治24年頃、近隣住民との間で三田用水の水分配の争いが起きていた記録がある。

 以下に目黒区ホームページの一部を引用する。

 「火薬製造所と村民の間に、しきりに水争いがくり返されるようになる。三田用水組合文書には、明治24年、目黒村民がこぞって製造所の多量の用水使用を府知事に訴え出た記録が残っている。」

 
2)新型火薬への移行

 「日本海軍火薬工業史の研究:小池重喜、日本経済評論社」によれば、”明治26年度「海軍省年報」は、「海軍ニ於テハ爾来下瀬火薬ヲ除クノ外火薬ノ製造ヲ廃止シタリ」と記している”。さらに続けて、”下瀬火薬は下瀬雅允が明治21年に創製、26年1月に海軍正式に制定されたが、同年3・4月頃は海軍造兵廠内で若干の試験的製造がなされていたに止まり、本格的な爆薬製造所は存在していなかった。”と記している。

 すなわち、海軍は、明治26年に新型火薬として下瀬火薬を正式採用し、それ以外の火薬は製造しないことを決めたが、まだ下瀬火薬を量産できる製造所がなかったのだ。

 この場合、下瀬火薬を製造するためには、既にある目黒火薬工場に新たな製造ラインを増設するか、既存の製造ラインの改造が考えられる。しかし、前述したように、目黒火薬製造所は、建設時に三田用水に玉川上水をひき入れて水量を増やしている。それでも水争いがおきるとなると、これ以上の生産量の増加は無理で将来性に不安があっただろう。

 このような状況をふまえて、新火薬工場の場所として選ばれたのが、既に陸軍の火薬工場が進出していた石神井川に近い滝野川付近であったと考えられる。

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コメント

海軍の火薬製造所とは知りませんでした。ここは今でも防衛省と自衛隊の施設として残っていますね。海軍の名残なのか防衛省技術研究本部には三鷹の船舶技術研究所と同じような300mクラスの実験水槽があります。(都内には他にも学習院の下に200mクラスの実験水槽を持つ旧運輸省系の外郭団体の造船技術センターがありましたが、マンションに建て替えられ、現在はやんごとなき御方の第一皇女が嫁いだ都庁職員のお住いがあるとかですね。)
恐らくは「目黒のさんま」で有名な将軍様のお狩り場が維新後、明治政府によって接収され海軍の施設として使われるようになったのでしょうね。タモリの坂道本には将軍縁の茶屋があったとされる茶屋坂がこの火薬製造所(現・防衛省施設)の東に位置しているとあります。この周辺、坂も多くアースダイビング的にも興味深い地形ですね。

投稿: iGa | 2008/02/21 09:03

iGaさん、コメントありがとうございます、
海軍の施設なら、海岸に面したとこに造るのが合理的だと思うのですが、それがなぜか山の手の目黒なんですね。表向きは水力を確保するためとなっていますが、本当は「目黒のさんま」つながりで、ここで良しとしたのかも。
ところで目黒の防衛省実験水槽、しばらく前にテレビで紹介していましたが、模型の船体を水槽に浮かべて測定していました。滝野川の思い出話しのなかにも模型の船の話しがありますが。こちらは、下瀬火薬製造所跡地の大きな防火水槽で、周辺の子供達が模型の船で遊んでいたような内容だった思います。私の子供のころも、板で模型の船を造るのが流行ったことがありましたが、昔からあったんですねship

投稿: じんた堂 | 2008/02/21 21:32

目黒の海軍技術研究所ですよね。終戦後は、英連邦軍のキャンプでしたね。その後は、自衛隊の施設になり、戦後初めて輸入されたロケット”エリコン”が搬入された時は、大騒ぎでした。

投稿: wい | 2011/10/17 22:32

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