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2009/04/05

フィールドワーク:深川資料館通り謎の柱

 清澄白河にある深川資料館通りの中ほどに、歩行者専用「日曜・休日の10-18時」を示す道路標識が設置されている。これだけであれば、都内の商店街でよくみかける光景だが、その下の表示が興味を引く。

 そこには、毎月3・13・23日の16-22時とある。

7dsc04678 すなわち、この通りは、日曜・休日の昼間に加えて、毎月3のつく日は、夕方4時から夜10時まで歩行者専用となることができる。このレポートでは、この標識をきっかけにして、この通りで見つけた柱とその正体を報告する。

1.毎月3のつく日は縁日

 巣鴨のとげぬき地蔵は、いまも毎月4のつく日に縁日を行っているが、かつて都内には毎月1のつく日や5のつく日など、日をきめて縁日を行っていた場所が数多くあった。資料館通りに住む地元のお年寄りの話では、ここでは毎月3のつく日に地蔵さんの縁日が行われ、歩くのも大変なほどの人出で賑わったそうだ。いまは、縁日の賑わいは、お年寄りの思いでの中にしかないような落ち着いた通りだが、縁日が確かに行われていた証拠が残されているので紹介しよう。

2.縁日に必要な許可とは

 縁日の話しを進める前に、縁日に必要な許可について少し説明しよう。

 縁日のために道路を使用するには警察の許可が必要となるが、それはどのようなものだろうか。

 昭和35年に「道路使用許可取扱要綱の改正について」という文書が警視庁から出されており、その中で縁日露店について許可条件が述べられている。

 その文書の「縁日露店・出店地域の指定」に、道路の長さ・幅員などの条件に加えて、項目e)に以下の記述がある。

e)出店地域の両端には高さ1.5メートル、方径0.15メートルの角柱を歩車道境界石、又は道路に設置し、指定の区間及び期間、出店時間、管轄警察書名を表示すること。
 
 これによれば、縁日を行う道路には、縁日許可条件を示す柱が建てられることになるが、実際にはどのようだったのか、また今はどうなっているのだろうか。資料をいくつかあたったところ、以下二つの記録が見つかった。

2.1 縁日露店指定区域の柱の記録(品川)

 「東京の縁日風土記」(山本、講談社、昭和57年)は、“品川警察署の場合、管内四ヶ所の縁日がひらかれる道路上に、それぞれ許可範囲を書いた柱をたてている。他は、かつて同様の柱をたてたところもあるが、現在書類上で処理し、道路には何の公示もないところが多い。”と記している。

 このことを確認するために、昨年(平成20年)、北品川の虚空蔵尊(養願寺)付近を歩いてみた。養願寺には品川区の設置した記念碑などはあるのだが、残念ながら縁日露店指定区域の柱は見つからなかった。地元商店の人の話では、縁日はだいぶ前に無くなり、春秋のお祭りのときに露店が出るだけになったそうだ。

2.2 縁日露店指定区域の柱の記録(神田、洲崎)

 「わたくしの東京地図」(高橋義孝、文芸春秋、昭和39年)では、神田地区の写真の説明に“縁日は立たなくなった、縁日露店指定区域の標識だけが南明座の傍らに立っていた”とあり、洲崎を歩いた文章の中では“この電車道だったか、歩道の端に白ペンキ塗りの杭が立っていて、その杭に「縁日露店指定区域」と書いてあった”と記している。

 ここまで調べた限りでは、縁日露店指定区域の柱は、昭和30年代には都内の複数個所で見かけられたが、昭和50年代になると少なくなり。そして現代では、まったく消えてしまったか、あったとしてもそれは非常に少ないと思われる。

3.資料館通りの縁日露店指定区域の柱

 資料館通り商店街事務所前の交通標識の横を見ると、電信柱のかたわらに古い柱のようなものがある。その柱からは、ところどころ文字がかすれているが、“出店毎月・・・出店時間”、“出店地域指定期間・・・”などが、いまも読みとれる。

 この柱の形状・記述内容は、まさしく縁日露店指定区域を示すものである。昭和50年代には、都内から消えたと思われた柱が、まだ現存しているのだ。

 地元商店街の方の話しでは、これは昔からある縁日許可の柱で、現在、縁日は行っていないが、かつての賑わいの記憶を残すため、この柱を保存しているそうである。これは、間違いなく昭和の町の遺跡と言える。

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