2009/07/29
2009/07/26
乗り物好き少年は・・・
今日もまぶしい晴天、
南風が吹く空には、かすかに雲があるようだが、その背後はこれでもかというぐらい真っ青。
その青い空のなか、白く輝くものが空高く飛んでいく。
もちろんUFOなどという怪しいものでなく、羽田から飛び立った旅客機!
ところで子供の頃は、我が家の上を小さな飛行機が飛んでいた。いまはららぽーととなっている地に船橋ヘルスセンターがあり、その海岸よりの土地に小さな飛行場、セスナという小型機で遊覧飛行を行っていた。
そのセスナは、宣伝ビラの空中散布も行っており、わが町の上空を何度も旋回しながら赤や黄色のビラを空中にまいていった。地上から見上げると、ビラは放出されてすぐは、大きな束のようになっているが、やがてばらけてひらひらと舞って地上におりてきた。子供達は、風にのって流れていくビラを追っかけ、めったにない束のまま落ちているものを見つけると、ちょっと得意気げであった。
あの頃の、乗り物好き少年達は、今はどうしているだろうか・・・。青空高く飛ぶジェット機に、セスナが飛んでいた頃を思い出す。
2009/07/22
僕の東京地図(安岡章太郎)
以前、「麻布霞町の田舟」で少しふれた「僕の東京地図」(安岡章太郎)を紹介しよう。
じつは最初は、「僕の東京地図」を、古書として紹介するつもりだったが、三省堂のオンライン検索で調べたら、まったく同じタイトル・著者名が二冊ヒット。しかも文化出版局版は絶版となっていたが、世界文化社版は、現在も入手可能となっている。そこで今回は、これら2冊の本の違いを含めて、「僕の東京地図」を、本のこぼれ話しとして取り上げてみたい。(写真は、左が文化出版局:1985年、右が世界文化社:2006年)
まずは、現在も新刊が入手可能な世界文化社版「僕の東京地図案内」(2006年6月発行)を中心にして、文化出版局版との違いをみてみよう。
トビラに”本書は「僕の東京地図」(文化出版局、1985年)のミセス連載分を軸に、配列を掲載順から年代順に変え、加筆し、大幅に写真を加えて構成したものです”とある。文章に大きな変更はないが、新たに追加された写真は、明治・大正・昭和の東京の各地のすがたを写したもの、すでに文化出版局版を持っている人も楽しめる興味深いものが多い。
それでは文化出版局版の「僕の東京地図」は、もういらないかとなると、そうはいかないようだ!
じつは、文化出版局版「僕の東京地図」(安岡章太郎)は、雑誌ミセスに昭和59年1月~12月まで連載された「僕の東京地図」と、婦人画報に昭和58年1月~12月までに連載された「曲がり角の散歩」を一冊にまとめたもの。たとえば、以前紹介した”志賀家の麻布霞町の田舟”などの話しは、「曲がり角の散歩」に含まれており、文化出版局版でのみ読むことができるのだ。
さて、この本は、東京のどこを語っているのだろうか?
取り上げている東京の町を、各章の表題からひろってみると以下のようになる。
小岩・市川・江戸川、青山、浅草・吉原、道玄坂から松見坂へ、下北沢、九段・靖国神社、赤羽・荒川、隅田川周辺、上野界隈、神田、大森、多摩川河畔。
面白かったのは、小岩・市川・江戸川と道玄坂から松見坂。軍人であった父親の転勤で小岩・市川に住むことになった安岡章太郎は、まだ幼稚園に入った年頃だが、その頃の思い出と共に語られる町の様子は、年代はまったく離れているが、どこか私の遠い記憶と重なり懐かしい気持ちにさせてくれる。
戦前にできた東京郊外の町を歩くと、こんな所に立派な料亭や屋敷があることに驚くことがある。地元の古い人に聞いてみると、じつは軍隊があったころの名残で、ここに将校や退役軍人が住んでいたとの話しがある。市川での安岡家は、まさしくそのような中にいたのだろう。
道玄坂・松見坂の名も、懐かしい。数年前までこの近くのオフィスに通うため、毎朝、渋谷駅から松見坂へ向かうバスに乗り、帰りは道玄坂を下り渋谷駅まで歩いていた。神泉から松見坂へいたるこの付近の様子は興味深く読めた。また現代(といっても1984年ごろ)の渋谷の様子は、私の学生時代の記憶とも重なるものがあり、思わずそうだったとうなずいてしまう。
この本を開き、記憶が重なる町の話しを見つけると、懐かしさをおぼえるとともに嬉しくなる。赤羽など、東京本にはめったに取り上げられない町の話もあり、東京本愛好者には要チエックの一冊。
2009/07/19
裏山砦@浅草清川
南千住から浅草方面へ歩きはじめると・・・
泪橋の交差点で外国人カップルに出会った。いかにも夏の旅行者らしく短パンにTシャツ、サンダルという軽装が、じつに決まっていた。その交差点を渡ると、前方に大きなキャリーバッグをひている外国人女性が二人。この二人は、プリントアウトした地図を持ってホテルを探していた、たぶんネットで予約でもしたのだろう。
いま南千住から浅草へ向かうバス通りには、たくさんの格安ホテルが並んでいる。新築らしい明るい外観のホテルは、個室にTV、インターネット接続が可能なところもあり、それらのいくつかは、ネット上の3000円前後の格安ホテル検索でヒットする。さらにホテルによっては2000円前後の宿泊料を、看板に提示しているところもあり、まるで格安ホテル街となっている。
この地域は、昭和40年代には簡易宿泊所が建ち並び、その様子は歌にまでなったが、表通りを歩いている限りでは旧町名とともに消えたようにみえる。しかし、一歩裏通りにはいると、再開発された風景のなかにところどころ昭和の面影。
そんな路地裏でみつけたのが、写真の光景。
一見、こんなところに山が!
と思ったが、よく見れば建物。
ツタと樹木におおわれて元の外観も分からない、ちょっと凄いことになっている。地図では、ここは宿泊所となっているが、いまや緑に覆われた「裏山」というか「砦」のようなありさまである。
2009/07/15
梅雨明けしたとみられる・・・
関東地方の梅雨明けが宣言された途端に猛暑。
今年の夏は、エルニーニョ現象のため、長期的には暑さはほどほどと聞いていたが、昨日、今日と猛暑。口には出すまいと思っても、どこに行っても、午後の会話は”今日は暑いですね!”から始まる。
それでも風があるので、なんとか屋外でもしのげたが、歩道は強い日差しに照らされ真っ白に輝き、体は自然に日陰を選んでしまう。休憩のため立ち寄った喫茶店でも、”今日は皆さんアイスコーヒーばかりです”との話しに、私も同じものをオーダー。コーヒーは一杯づつドリップ、氷も一杯分づつクラッシュするので、手間はホットコーヒーより多くかかるので大変だそうだ。
そういえばセットメニューにあるホットコーヒーをアイスコーヒーにすると、¥100アップというレストランがあったが、こういう理由だったのかもしれない。本当に¥100分の材料と手間が余分にかかっているかは別だが・・・。
2009/07/12
2009/07/09
入谷から根岸へ
昨日は、朝のテレビニュースにさそわれて入谷朝顔市へ向かった。
地下鉄日比谷線入谷駅で下車して地上に出れば、目の前の通りを渡ったところに朝顔を並べた店がずらっと。おおよそ50軒ぐらいだろうか、どの店も歩道に沿って朝顔鉢をひな壇のように高く積み上げている。
小雨にもかかわらず、すれ違うのも難しいほどの人出があるが、朝顔の鉢を提げた人が少ない・・・と思ったら、伝票を手にした宅配業者があちこちに待機して、朝顔鉢の発送処理を次々行っている。今は宅配サービスを使うのが多いようで、その昔のニュース画像の定番だった「浴衣姿で朝顔を持つ」光景は、すでに過去のものになったようだ。そのためか、大きな一眼レフをもったカメラおじさん達も、気に入った被写体がなかなか見つからないようで、ウロウロしていた。
朝顔市の端まで歩いたところで、入谷へ戻らず根岸へ向かう。
もう10年ぐらい前だろうか、根岸界隈を歩いたことがあり、そのときの道を再び歩いてみた。
うぐいす通り交差点の手児奈せんべいの左側の道を進むと、前方交差点の先に大きな和菓子屋のビルが見える。あらためて交差点に立てば、まるで戦前のままと思われる大きなガラス戸が美しい理髪店がある。この店、本藤理髪店については多くの人が紹介しているので、あらためて説明はしないが、いまも健在である。その角を右折してしばらく歩くと香味屋の看板がみえる、こちらは大正14年創業の洋食の名店、高級な店だが堅苦しさはなく家族連れの利用者も多い。
さらに進み交差点を再び右に曲がりしばらく歩くと、金杉通りに突き当たる。この通りに面して、「かなすぎ」という美容室がある。
古い和風建築もいいがテント看板に「美容室&かつら」と、あえて「かつら」と書き加えてあるのが興味深い。じつはこの美容室は、婚礼花嫁の日本髪鬘を結ってくれるお店なのだが、この建物のたたずまいがが好ましい。今回は、根岸でなく下谷になるが、このお店の姿を記録しておこう。
2009/07/05
泪橋のアパート@南千住
南千住の景色については、すでに師匠がここで取り上げられているが、週末、その南千住で用事があったので出かけた。
日比谷線も三ノ輪駅は、都電荒川線との連絡も近く、何度か利用したことがあるが、隣りの南千住駅で下車するのは初めて。南口に降りるが、ここはジョウロのようになった隅田川貨物駅構内の線路がギュッと一点に集まり、クルマは地下道、線路は地面、人は線路をまたいだ歩道橋を歩くという、クルマ・鉄道・人が三層に重なった複雑な地。
用事が予定より早くすんなり片付いてしまったので、帰り道はどうしようかと思いながら、付近を歩いてみた。
明治通りの交差点名は泪橋。
橋という名が付いているが、川らしきものはまったく見えない。
ここでいつもの「川の地図辞典」を取り出しP104台東区のページをみると、明治通り沿いに「思川」を見つける。三ノ輪で二つに分かれた音無川は、一つは山谷掘りを経て隅田川に流れ込み、もう一つは思川となって泪橋を通り白鬚橋付近で隅田川につながっていたのだ。
ここにも消えた川の名残。
近くの路地を歩いていたら、玄関のデザインが面白い古いアパートに出会う。
玄関屋根下の門燈は球形、その屋根を支える柱も円柱となっている。この屋根程度の幅と奥行きならば、柱など無くても十分だろうが、このデザインのこだわりは・・・である。
2009/07/01
プラッシー
日本橋を歩いていたら、ある建物のシャッターに「屋根つき駐車場あります」の張り紙。
駐車場といっても、それは古い商店らしき建物。ちょうど片側のシャッターが開けられ、その屋根付き駐車場の内部が、道路から見えるようになっていた。
奥の方はハッキリしないが、薄暗い建物の中は、家具もなくガランドウ、長い年月を経たらしく天井も梁も黒く煤けているようだ。暗い中そこだけぼーっと明るく、一枚の紙が奥の板壁に残されていた。
「とう精業者登録証」
さて「とう精」とは何だろうか?
広辞苑で調べたら、「とう精」は、漢字では搗精となり「玄米を白米にする」とある。これは「精米」と同じ意味だと思うが、米業界用語では「とう精」と「精米」は、微妙に異なるのかもしれない。とにかく、この建物は、かつて精米をしていたお店なのだろう。となれば、梁の割れ目に白いものが見えるが、これは精米中にでた粉が付着したものかも。
ところで、かつてお米屋さんが配達していた飲料プラッシーを、憶えている人はいるだろうか。プラッシーは、武田薬品の系列会社が販売していたビタミンC入りのビン詰め飲料で、オレンジジュースに似た色をしていた。このプラッシー、とっくに無くなったと思っていたら、じつは今もハウスウエルネスフーズから期間限定で売られているそうだ。興味のある人は、近所のスーパーなどをチエックすると見つかるかもしれない。




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