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2010/11/14

晩秋

 先月末だが、向島鳩の街で開催された「ふるほん日和」の打ち上げで、DさんとRさんと一緒のテーブルになった。

5dsc01638 古本仲間ということで、話題はそれぞれが若い頃に読んだ本のことになったのだが、私が高校生時代に読んだ北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズの名を上げても通じず。ならば柴田翔「されどわれが日々」はとなったら、”古本屋に立ち寄る話からはじまる、あれですね”と返された。

 柴田翔の「されどわれらが日々」を購入し読んだことは憶えているのだが、さてその作品の中身となると導入部をふくめてまるで記憶がない。映画化もされたそうだが、それを見たかも憶えていない。同じの頃のクレージーキャッツ映画は、なんとなくこんなシーンがあったかとなるのに、芥川賞純文学作品の記憶がないのは不思議だと思っていたら、すでに似たようなことを書いている人がいた。週刊ブックレビューの司会者である児玉清さんである。

 「負けるのは美しく」(児玉清、集英社文庫)に収録されている「無邪気だけが残った」の中で、クレージーキャッツ映画の監督であった吉沢憲吾の早撮りにふれるとともに”かつての大人向けの名画が著しく光彩を失う一方、子ども向けと侮られた怪獣物の映画やTV映画が光り輝いているのは何故なのか。芸術って何なのか”と書いているのだ。私もこの話に納得するところがある。

 ところで、先日検診を受けた医院にこんなポスターが貼ってあった。”昨日どのようなものを食べたか思い出せないのは、ただの物忘れです。昨日食べたか憶えていないのは記憶障害の疑いがありますので、医者に相談してください・・・”のような内容だった。この通りであれば、私が「されどわれらが日々」の内容を憶えていないのはたんなる物忘れなのだが、はたしてそうだろうか・・・。

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コメント

おはようございます!
されど…、たしかに何も記憶にないですね。
でも書名だけでも残っていることが名作なんでしょうか。
映画なんかもタイトルだけって感じで記憶されているのが多い。
これは何か記憶の法則に則っているような気もしますね。
なんだか面白い記事でした。

投稿: おじさんの独り言 | 2010/11/15 07:05

おじさんの独り言さん、おはようございます。
映画になると、タイトルは忘れていても、誰と誰が共演していてこんなストーリーという中身だけを憶えているものもありますが。
タイトルと中身は、記憶場所やメカニズムが違うのかもしれませんね。

投稿: じんた堂 | 2010/11/16 09:53

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