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2011/01/09

いぬかわでは帰れない

 今年最初に手にした本は、「戦後10年東京の下町」(京須偕充、文春新書、2007年10月)。

10 本屋でパラパラと斜め読みし、舞台となる地が神田松住町であることを知り購入。神田川にかかる昌平橋付近は、湯島聖堂につづく文京区の土地が千代田区側へクサビのように打ち込まれている。そのクサビと神田川に挟まれた地が、いまは外神田の一部になっている旧神田松住町である。

 作者の京須偕充(きょうす ともみつ)は、1942年生まれ、ソニーミュージックのディレクターで落語名人会などのアルバムを制作されている。この本は、京須さんが生まれ育った神田松住町での少年時代を描いている。下町といっても神田松住町は、蝶やトンボの舞う自然があふれていた地であり、材木屋という経済的にも恵まれた環境もあってその生活はなかなか魅力的。

 親に連れられて映画や寄席そして歌舞伎見物に出かけ。神田シネパレス、東洋キネマ、南明座、銀映座、角座、神田日活館などの神田近辺の映画館へ出かけ、さらに神田にあった寄席立花の思い出もありと、神田子のうらやましいほど恵まれた娯楽を楽しむ姿が記録されている。洗濯機がやってきた日、電蓄のきた日、テレビがきた日などの、家電製品が家庭にはいってきた話も語っており、まさしく高度成長の先がけがそこにあった。

 じつは京須さんが少年時代を過ごした頃より十数年後だが、中学の同級生が神田明神近くに住んでいたので、この付近を何度か訪れたことがあった。その頃でも、この本に書かれていることは、まだかすかに残っていた。たとえばこの本で紹介されている明治生まれの東京下町の人が使ったという”いぬかわ”という言葉は、私も聞いたことがある。”いぬかわは、犬の川端歩きの略だそうだが、むなしくほっつき歩くこと、飲まず食わずでただ歩くこと”とある。友人のお母さんが、”せっかく神田にきたのに、いぬかわで帰るなんて、店屋ものだけど食べてって”言われた記憶がよみがえった。

 それにしても神田松住町が、神田明神の氏子でなく湯島天神に属し、軒先の提灯も”付き合い提灯”だったとはこの本で初めて知った。かつて神田祭りのとき、この付近がみょうに静かで落ち着いた雰囲気だったのは、こういうことだったのかと。

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