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2011/01/23

古本福袋

 先日、東京の国立市で開催された「くにたちコショコショ市」で、小田原町の師匠から袋を頂いた。

5dsc02034 しばらく前に銀座百点選集にあった「鬚を剃った魚の話」伊丹一三の話を「昔の名前で」としてブログに書いたら、”銀座百点の12月号(池部良の遺稿掲載号)を譲りましょうか”との話があり、それを持ってきてくれたのだ。

 袋を開けたら、銀座百点12月号に加えて昨年の半期分と2011年最新号、さらに中央区エリアガイドや銀座15番街などがつぎつぎと。まさに古本福袋、今年は春から良いことが起きそうな予感。

 くにたちコショコショ市では、しばらく前から気になっていた「いまむかし東京逍遥」(小沢信男、晶文社)をドンベーブックで購入。じつは、この本の第一章は「佐田稲子の東京地図」、先日、三省堂店頭オンデマンドで購入した「私の東京地図」(佐田稲子)をとりあげているのだ。小沢信男は、佐田稲子を取り囲む人間関係と戦前の社会状況を読み解いている。これは「私の東京地図」(佐田稲子)を読む人におススメというか必読かもしれない。

 くにたちコショコショ市のあと、本関係のイベントで知る某カフェの方と少し遅いランチをし国立を歩く。多摩蘭坂から一橋大学外周を回って大学通りへ、ちょうどセンター試験の日とあって大学関係者が皆構内にいるのか、いつもより人通りが少なく静か。大通りに面する大学の垣根にそって猫がのんびり歩いていたほど。冬空だが風もなく穏やかな国立のひとときは、二つ目のうれしい福袋となった。

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2011/01/16

図解いろは引標準紋帖

 玉井さんが今年の年賀状のデザインに選んだ家紋「抱き波とうさぎ」・「浪ニ月兎」から、家紋の図集「紋帖」が思わぬ広がりをみせている。

Photo 家紋を集めた紋帖はいくつかあるが、手軽にみるなら「図解いろは引標準紋帖」。新書より少し大きな横型の手軽なサイズ(B6版)でありながら、家紋・角字(法被などに使われている外形が四角の文字)から商標・都市マークなど合計約5000を網羅している。解説などはなく、ひたすら図を並べている本である。

 私の手元にあるのは金園社版昭和42年12月1日発行の紺色布張り和とじの古いものだが、いまも金園社オンラインショップは、新刊を「標準紋帖」の名で販売している。いわゆる息の長い本である。
 
 武家時代の家紋は、戦場で集団や個人を識別するための目印とされている。現代の言葉でいえばIDである。いまはICチップ内蔵のIDカードを首からさげるのが主流だが、しばらく前までは会社員は、社名や商標を模した社員バッジを襟につけていたし、イベントのときは背中に大きな商標を描かれたハッピを着たりしていた。それもこれも家紋の発想から来たものだろう。

 さすがに現代では家紋をどうこうすることはな少ないが、和風シンボルマークの図案集として紋帖を開いてみると、見ていて飽きない。たとえば今年の干支であるウサギでは、二羽のウサギが向い合う「向い兎」は一目でウサギとわかるが、三羽の後ろ向きのウサギを描いた「三尻合兎」などはクイズにでたらまず答えられそうもない。うしろ姿を描く発想がまず出てこないし、さらにそれを図案化してしまうとは、和風デザインもなかなかなものである。

関連エントリー

玉井さんの「図解いろは引 標準紋帖」
秋山さんの「図解いろは引 標準紋帖」

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2011/01/09

いぬかわでは帰れない

 今年最初に手にした本は、「戦後10年東京の下町」(京須偕充、文春新書、2007年10月)。

10 本屋でパラパラと斜め読みし、舞台となる地が神田松住町であることを知り購入。神田川にかかる昌平橋付近は、湯島聖堂につづく文京区の土地が千代田区側へクサビのように打ち込まれている。そのクサビと神田川に挟まれた地が、いまは外神田の一部になっている旧神田松住町である。

 作者の京須偕充(きょうす ともみつ)は、1942年生まれ、ソニーミュージックのディレクターで落語名人会などのアルバムを制作されている。この本は、京須さんが生まれ育った神田松住町での少年時代を描いている。下町といっても神田松住町は、蝶やトンボの舞う自然があふれていた地であり、材木屋という経済的にも恵まれた環境もあってその生活はなかなか魅力的。

 親に連れられて映画や寄席そして歌舞伎見物に出かけ。神田シネパレス、東洋キネマ、南明座、銀映座、角座、神田日活館などの神田近辺の映画館へ出かけ、さらに神田にあった寄席立花の思い出もありと、神田子のうらやましいほど恵まれた娯楽を楽しむ姿が記録されている。洗濯機がやってきた日、電蓄のきた日、テレビがきた日などの、家電製品が家庭にはいってきた話も語っており、まさしく高度成長の先がけがそこにあった。

 じつは京須さんが少年時代を過ごした頃より十数年後だが、中学の同級生が神田明神近くに住んでいたので、この付近を何度か訪れたことがあった。その頃でも、この本に書かれていることは、まだかすかに残っていた。たとえばこの本で紹介されている明治生まれの東京下町の人が使ったという”いぬかわ”という言葉は、私も聞いたことがある。”いぬかわは、犬の川端歩きの略だそうだが、むなしくほっつき歩くこと、飲まず食わずでただ歩くこと”とある。友人のお母さんが、”せっかく神田にきたのに、いぬかわで帰るなんて、店屋ものだけど食べてって”言われた記憶がよみがえった。

 それにしても神田松住町が、神田明神の氏子でなく湯島天神に属し、軒先の提灯も”付き合い提灯”だったとはこの本で初めて知った。かつて神田祭りのとき、この付近がみょうに静かで落ち着いた雰囲気だったのは、こういうことだったのかと。

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2011/01/01

謹賀新年2011

 明けましておめでとうございます。

5dsc01892 今年最初の写真は、ウメの花です。昨年の猛暑の影響でしょうか、なぜか今年はウメの花が咲くのが早いようです。湯島もウメの開花が早いそうですが、我が家近くのウメもご覧のように咲いています。皆様の地域では、いかがでしょうか?

 本年もよろしくお願いいたします。

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