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2011/08/17

扇橋閘門へ行こう(1)まずは小名木川の予習

 8月27日(土)の橋めぐりツアーで扇橋閘門へ出かける前に、まずは小名木川について予習しておこう。

 小名木川について調べると、「行徳の塩を江戸へ送るために徳川家康の命により造られた」と、まるで家康が命じた現場にいたような話がよく出てきます。いまのところ、これは違うとの説はないようなので、このまま話を進めて、小名木川から行徳へはどのような経路だったか確認してみましょう。

B 江戸時代の古地図で全て辿(たど)ることが出来れば良いのですが、江戸切絵図に深川はあってもその先の行徳方面の地図はありません。そこで時代はだいぶ後になりますが、大正12年東京東南部の地図で小名木川から行徳への水路をたどってみましょう。

 この地図は、工事中の荒川放水路が記載されていますが、まだ通水前でかつての古い流れが残っています。小名木川を隅田川に接する地点から東に進むと大島町の先で中川と交差します、その先は新川(船堀川)となり西船堀・東船堀を通り江戸川の中にある新河口へ、中州のような島(妙見島)にぶつかります。ここで江戸川を上流に向えば行徳へ、下流に向えば浦安となります。その水路を青で着色しますと、自然の川である中川や江戸川が激しく蛇行しているのに対して、開削された小名木川や新川は直線で、自然の川とは異なる姿だったことがよく分かります。

 この小名木川から江戸川上流への水運について、「史跡をたずねて」(江東区発行、平成3年)は、明治初期から昭和初期まであった高橋汽船原発場を紹介しています。”高橋汽船原発場は、高橋から行徳間の汽船の起点で、ここは各方面への旅客・貨物の乗降積載の重要な場所でした”、また”内国通運株式会社は、現在の日本通運の前身で、江戸定飛脚問屋に由来し、明治以降は運送業を営み、利根川を始め関東の水脈を利用して陸上輸送の発達しない時代から活躍し続けてきました。明治10年には、両輪船の通運丸が小名木川に就航しました”とあります。このように小名木川は、現代の高速道路のように利用されていた水路でした。

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