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2017/06/25

読み鉄・阿房列車を支えた人々

 内田百閒の従者のように旅を共にするヒマラヤ山系氏とは、どのような人だろうか。阿房列車では、どこか捉えどころのないぼーっとしたように描かれているが、百閒とはかみ合わないようでいていいコンビぶりを示している。また百閒の旅立ちをホームで毎回見送る見送亭夢袋氏、百閒が旅行鞄を借りる交趾君とは誰だろうか。

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 これらの疑問に答える本がある。「阿房列車物語」(平山三郎)は、内田百閒からヒマラヤ山系と呼ばれた人物の回想記、阿房列車の旅とそこに登場する人を紹介している。たとえば見送亭夢袋は、国鉄職員であり小説家でもあった中村武志(目白サンペイ)、彼は平山氏の上司でもある。すなわちヒマラヤ山系氏も国鉄職員だ。文中にたびたび登場する垂逸さん、何樫さんは、誰それ、何某をもじったもの。甘木君は、「某」の上下を切り離して甘木としたもので、やはり某氏という意味。さらに百閒が旅行のたびに借用する赤い鞄の持ち主である交趾君とは、法政大学の多田教授であると明らかにしている。
 
 それにしても百閒の阿房列車の旅は、いまで言えばJR全面バックアップのような印象を受けるが、当時の国鉄はどのように遇していたのだろうか。ヒマラヤ山系氏は休暇をとって随行しているので、阿房列車は私的な旅行のようだが、彼らは行く先々で鉄道関係者に温かく迎えられときには宴会をもったりする。良い時代だったこともあるかもしれないが、やはり内田百閒に不思議な魅力を感じていたのだろうか。

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2017/06/19

読み鉄・第三阿房列車

 内田百閒の文章を読んでいると、ときどき簡単なひらがな表記の中にもあれっと思う言葉がある。たとえばいま読んでいる第三阿房列車のなかに、「あれ程いやちこの通力だと思わなかった」とある。この「いやちこ」とは何だろうか。

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 広辞苑によれば「いやちこ」は、漢字では灼然となり”霊験のあらたかなこと、きわだっているさま”とある。出版社の若い社員が、新宿の飲み屋でたまたま山系氏に出会い、帰ろうとして外に出たら思いがけない雨が降った。雨男とだと聞いていたが、「あれ程いやちこの通力だと思わなかった」と感嘆したエピソードで使われている。

 また「早く早くとせき立てて、ちらくらしている内に」の「ちらくら」は、私が持っている広辞苑には載っていないが、なんとなくその状況をうまく表す音をもっている言葉だ。このように内田百閒の文章は、難しい漢字熟語だけでなく、ひらなが言葉にも一工夫あり、読めば読むほどその言葉選びの奥深さに感心してしまう。

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2017/06/10

読み鉄・第二阿房列車

 内田百閒「阿房列車」を読んでいると、ときどき見慣れない言葉が出てくる。以前は読み飛ばしていたが、今回は辞書で調べるようにしている。たとえば、いま読んでいる「第二阿房列車」の雷九州阿房列車のなかで、私が辞書を開いたのは、人物月旦(じんぶつげったん)、品隲(ひんしつ)、水珀(すいはく)、久闊(きゅうかつ)を叙する、などの言葉だ。

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 人物月旦は文章の前後関係から、人物評らしいと想像できる。調べてみると中国故事からきた言葉で、後漢のころ毎月一日に人物について批評したことによるそうだ。品隲、水珀、久闊は広辞苑に載っているが、品隲は品定めすること、水珀は水神、久闊を叙するは久しぶりに会って話をすることだ。いずれも難しい意味をもつものではないが、どこか品格を感じさせる言葉選びだ。

 内田百閒の文章は、言葉選びとともに言葉遊びも巧みだ。たとえば人名では、百閒に同行するヒマラヤ山系や旅立つ百閒を毎回駅で見送る夢袋さん、さらに旅先で出会った人を垂逸さん、何樫さんなどと記している。山系や夢袋が仮名であることはすぐに分かるが、垂逸、何樫とは珍しい名前だと思ってしまいそうだ。落ち着いて読めば、これは誰それ、何某という言葉を言い換えたものと分かるが、すんなり文章にはまっているのでこういう人名があるのかと百閒の言葉遊びについ乗せられそうになる。

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