« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020/03/29

寺田寅彦「俳句と地球物理」を読む

 我が家の読書週間三冊目は、寺田寅彦「俳句と地球物理」(ランティエ叢書)。

Dsdf0242-1b

 寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という警句の作者として知られるが、科学者であり随筆家でもあった。熊本の第五高等学校で夏目漱石の授業を受け、その後も漱石と長く交流した人物でもある。

 この本の中にある「二千年前に電波通信法があった話」は、じつに面白く読めた。それは”欧州大戦(第一次世界大戦)があった頃、アメリカの大学の先生たちが戦争遂行の参考にするため古代ギリシャの戦術を翻訳研究した成果をまとめた本にあった、二千数百年前のギリシャ人が電波による遠距離通信を実行していた”という話だ。

 電波と言っても光だが、それを同期信号としてとらえれば二地点間でデータ通信が出来る。さらにその原理は、電信電送・写真電送で使われている原理と同様だと語っているのだ。その連想力というか洞察力に圧倒される。たぶんどのような時代にあっても、科学者として活躍する人だろう。

| | コメント (0)

2020/03/22

串田孫一「山歩きの愉しみ」を読む

 我が家の読書週間二冊目は、串田孫一の「山歩きの楽しみ」(ランティエ叢書)を選んだ。

Dsdf0154-1b

 串田孫一の文章は雑誌で読んだことがあるが、一冊の本で読むのはこれが初めて。私が知るのは山に関するエッセイ作家としてだが、活動分野は、哲学、詩、随筆、翻訳、絵画、音楽、登山など多岐にわたり、いわゆる博学多才な人である。

 「山歩きの愉しみ」は、若いころから山や自然に親しんだ串田ならではの作品。たとえば山の博物手帖という話の中に”植物や昆虫を、それについて詳しく書いてある本や図鑑によって、つき合わせ、確かめることは簡単なことではない。世間のいろいろのものが便利になった時に、人間が横着になってきていることは事実で、調べる根気も薄れている。この便利さに反抗するような気持ちを抱いていないと、自然の勉強は進められない”とある。

 これはいつごろ書かれた話だろうと思いながら、巻末の初出一覧をみたら1966年とある。まだインターネットなど影も形もないころに書かれたものだが、この話は、すべてネット検索で済ましがちな現代にも通用するように思う。

| | コメント (0)

2020/03/20

風信子(ヒヤシンス)#2

 我が家に来てから二週間を経たヒヤシンス。

Dsdf0107-1b

 はじめは青二・赤二の四つの花をつけていたが、赤花の一本が風にあおられ折れてしまった。もともと赤花は背が高く不安定だったので支柱を立てたが、クリップで固定したその部分から折れた。しかしその後に青花が新たに一つ成長してきたので、いまは合計は四のまま青三・赤一となったのだ。

| | コメント (0)

2020/03/15

風信子(ヒヤシンス)

 水耕栽培用の容器と球根を探しにホームセンターへ向かう。しかしもう時季がすぎているので店頭になく、店員さんが倉庫まで探してくれたが在庫なし。そこでツボミがついた青赤の四球植えのヒヤシンスの鉢植えを購入。

Dsc05936-1b

 この成長がじつに速い。ツボミは、三日で二倍ぐらいの大きさにふくらみ、一週間たったら開花が始まった。じっくり成長を見るつもりだったのに一気に開花したのは予想外だが、開花期間が長いそうなのでしばらく見守るつもりだ。

 ところでヒヤシンスには風信子という漢字表記があるが、花の手帖(小学館)には風信子に加えて夜香蘭、錦百合が異名として記載され、日本には文久三年(1863年)に伝わったとある。文久三年は、新選組が正式に発足した年である。明治は1868年からだから、ヒヤシンスは幕末に日本にきた花となるのだ。

| | コメント (0)

2020/03/08

須賀敦子「ヴェネツィアの宿」を読み直す

 突然はじまった我が家の読書週間に須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」を読み直している。そうそうこういう話だったとか、えーこんな話あったのかあり、自分の記憶のあいまいさを思い知らされる。

Dscf0808-1b

 「寄宿学校」の章は、東京のカトリック系学校の寄宿舎で過ごした学生時代の想い出を綴ったものだが、その文章の終わりに近いところで時代と話題が一気に飛んで、東京で暮らすイタリア人の友人との話になる。それは”私たちはよく深川を歩いたり、小石川の坂をのぼったりして、ふたりの好きな「日和下駄」や「墨東奇譚」の話をした”からはじまり、”その日、私たちは、荷風のお墓をたずねることにした”とつづく。

 イタリア在住時代の須賀敦子は、谷崎潤一郎、川端康成の文学作品をイタリア語に翻訳しており、日本文学に広く深く親しんでいたことは想像できる。となれば永井荷風の名が出ても不思議ではないが、やはり深川や小石川を歩いたり墓に足を運んだことを自ら語る文章に出会うと、須賀敦子の意外な面を見たように思う。

 ところで読んでいて戸惑ったことがある。この本は再読のはずなのに、ところどころ初めて読んだような気がする部分があった。毎回新たな発見があると思えば気が楽だが、うーん、これはどうなんだろうか。

| | コメント (0)

2020/03/01

あの缶の名は「台形の枕缶」だった

 しばらく前に、長年親しまれたノザキのコンビーフ缶がリニューアルされるとのニュースがあった。そのとき、あの缶を「台形の枕缶」と呼ぶことを初めて知った。Dscf1247-2b

 さらにコンビーフ缶に付属しているT字型の開缶用部品を「巻き取り鍵」と呼ぶことも知った。かつてこの部品の端が缶に溶接されていて、ときどきうまく取り外せず曲げたりしたことがあったが、いまはテープで缶に貼り付けられている。

 ところで缶の一部分をグリグリ巻き取りながら開ける缶は、コンビーフ以外にもある。以前、平たい缶の側面全体をグリグリ巻き取るような缶をもらったことがあるが、なんと中身は和菓子の栗羊羹だった。たぶん探せば様々な食品の缶詰がありそうだ。

 それにしても台形は分かるが、枕缶とは不思議な名だ。もしかしてメーカーの社内用語かと思ったが、明治屋食品辞典のコンビーフの解説にも「コンビーフ缶(枕缶)」とあるから少なくとも食品業界では通用する名前なのだろう。

| | コメント (0)

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »