本のこぼれ話し

2020/03/29

寺田寅彦「俳句と地球物理」を読む

 我が家の読書週間三冊目は、寺田寅彦「俳句と地球物理」(ランティエ叢書)。

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 寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という警句の作者として知られるが、科学者であり随筆家でもあった。熊本の第五高等学校で夏目漱石の授業を受け、その後も漱石と長く交流した人物でもある。

 この本の中にある「二千年前に電波通信法があった話」は、じつに面白く読めた。それは”欧州大戦(第一次世界大戦)があった頃、アメリカの大学の先生たちが戦争遂行の参考にするため古代ギリシャの戦術を翻訳研究した成果をまとめた本にあった、二千数百年前のギリシャ人が電波による遠距離通信を実行していた”という話だ。

 電波と言っても光だが、それを同期信号としてとらえれば二地点間でデータ通信が出来る。さらにその原理は、電信電送・写真電送で使われている原理と同様だと語っているのだ。その連想力というか洞察力に圧倒される。たぶんどのような時代にあっても、科学者として活躍する人だろう。

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2020/03/22

串田孫一「山歩きの愉しみ」を読む

 我が家の読書週間二冊目は、串田孫一の「山歩きの楽しみ」(ランティエ叢書)を選んだ。

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 串田孫一の文章は雑誌で読んだことがあるが、一冊の本で読むのはこれが初めて。私が知るのは山に関するエッセイ作家としてだが、活動分野は、哲学、詩、随筆、翻訳、絵画、音楽、登山など多岐にわたり、いわゆる博学多才な人である。

 「山歩きの愉しみ」は、若いころから山や自然に親しんだ串田ならではの作品。たとえば山の博物手帖という話の中に”植物や昆虫を、それについて詳しく書いてある本や図鑑によって、つき合わせ、確かめることは簡単なことではない。世間のいろいろのものが便利になった時に、人間が横着になってきていることは事実で、調べる根気も薄れている。この便利さに反抗するような気持ちを抱いていないと、自然の勉強は進められない”とある。

 これはいつごろ書かれた話だろうと思いながら、巻末の初出一覧をみたら1966年とある。まだインターネットなど影も形もないころに書かれたものだが、この話は、すべてネット検索で済ましがちな現代にも通用するように思う。

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2020/03/08

須賀敦子「ヴェネツィアの宿」を読み直す

 突然はじまった我が家の読書週間に須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」を読み直している。そうそうこういう話だったとか、えーこんな話あったのかあり、自分の記憶のあいまいさを思い知らされる。

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 「寄宿学校」の章は、東京のカトリック系学校の寄宿舎で過ごした学生時代の想い出を綴ったものだが、その文章の終わりに近いところで時代と話題が一気に飛んで、東京で暮らすイタリア人の友人との話になる。それは”私たちはよく深川を歩いたり、小石川の坂をのぼったりして、ふたりの好きな「日和下駄」や「墨東奇譚」の話をした”からはじまり、”その日、私たちは、荷風のお墓をたずねることにした”とつづく。

 イタリア在住時代の須賀敦子は、谷崎潤一郎、川端康成の文学作品をイタリア語に翻訳しており、日本文学に広く深く親しんでいたことは想像できる。となれば永井荷風の名が出ても不思議ではないが、やはり深川や小石川を歩いたり墓に足を運んだことを自ら語る文章に出会うと、須賀敦子の意外な面を見たように思う。

 ところで読んでいて戸惑ったことがある。この本は再読のはずなのに、ところどころ初めて読んだような気がする部分があった。毎回新たな発見があると思えば気が楽だが、うーん、これはどうなんだろうか。

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2020/02/22

坪内祐三の「日記本」を読む

 坪内祐三の日記本を読む。そこには雑誌の連載には書けなかったことや文壇話など作家活動に関連する話に加え、日々の買い物や食事などの日常が記録されている。なかでも買い物記録がじつに面白い。

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 買い物の大きな割合を占めるのが本、新刊本に加えて古本も多い。作家活動のための資料と言っているが、その幅広い分野と量が桁違い。たとえば「本日記」2004年8月4日に”今日送られてきた「城北古書展」の目録を見る。石神井書林に「銀座百点」の創刊から平成14年までの大揃い577冊が載っている。たぶん国会図書館にも揃っていないだろうし、この雑誌の初出でしか読めない面白い座談会やエッセイがあるから”と買う気満々の様子を語っている。

 つづいて”今年は既に「週刊朝日」二千冊を買ってしまったわけだから、あと五百冊ぐらい増えても・・・ヤバイぞ感覚が麻痺してきたらしい”とある。週刊朝日の件は、”黄金時代の「週刊朝日」の二十五年分のバックナンバーを買ってしまった”で紹介されていたが、そのとき二千冊を購入しさらに五百冊を購入しようとしているのだ。その買い物パワーに驚くとともに羨ましさを感じる。

 ところで銀座百点については、その後の書中日記2006年3月に”「銀座百点」ってけっこう無礼な雑誌だね”という題で、原稿依頼をしてきた編集者へ苦言を呈している。その編集者は銀座百点500冊のことを知っていたのだろうか、いずれにしても不思議な巡り合わせだ。

 なお手元にある坪内祐三の日記本は、本の雑誌社から発行された「三茶日記」(2001年)、「本日記」(2006年)、「書中日記」(2011年)、三冊合わせて1997年10月から2010年12月の日記となる。

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2020/02/15

坪内祐三の「東京」を読む

 文芸評論家として多くの著作がある坪内祐三は、国内海外の文学だけでなく古書・音楽・歴史など多岐に及ぶ分野で活躍した。「東京」(坪内祐三、太田出版、2008年)は、坪内が暮らし歩き遊んだ東京の街を語る。

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 じつはこの本は、「クイック・ジャパン」2003年11月から2007年6月までの連載に新たに書下ろしを加えたもの、学生時代、雑誌編集者、作家になってから、坪内の1970年代から2000年代、いわゆるちょっと昔の東京の姿が収録されている。このちょっと昔は、歴史として研究するには新しすぎて対象にならず、まだ現役で知っている人がいるのに意外とあいまいなものが多い。特に街の小さな変化などは記録されることが少なく忘れ去れてしまう。

 例えば神保町の章で、坪内は”私が通いはじめた頃の「キッチン南海」は街の普通の洋食屋だった。行列なんて出来ていなかった。それはとんかつの「いもや」もそうだった。(今では「さぼうる」にまで行列が出来ているから驚きだ)”と語っている。まさしくこの通り、かつては空席がないときはすぐに別の店へ向かい、店前に並ぶことはしなかったのだ。もし待つとしたら、店内に空席待ち用のイスが用意されている場合だけだった。これは、興味のない人にはどうでもよいことだが、その時代を知る人なら共感する話だろう。

 それにしても、坪内祐三の新たな文章を読めなくなるのはじつに残念だ。

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2019/09/28

懐かしのアメリカTV映画史を読む

 タイトルに惹かれて購入した「懐かしのアメリカTV映画史」(瀬戸川宗太、集英社新書)を読む。

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 その帯に”昭和30年代の子供たちへ”とあるように、これは昭和30年代、日本でテレビ放映されたドラマを紹介している。筆者(昭和27年生まれ)が観てきたアメリカ制作のテレビドラマを中心にイギリスや日本のものを年代順に並べ、大きな事件や社会情勢にふれながらどのようなドラマが放映されたかを語る。

 この本を読んで思い出したドラマがいくつかある。たとえばタイムトンネルはNHKが放映したアメリカテレビドラマ(この本によれば1967年放映)、まだ実験中のタイムマシンに入ってしまった主人公が時間旅行というより時間漂流し過去の有名事件や事故の現場に遭遇する話だ。なぜかNHKはこのようなタイムトラベルものが好きらしく、筒井康隆の「時をかける少女」を原作にした「タイム・トラベラー」(1972年)、さらに新しいところでは「タイムスクープハンター」(2009年)を制作している。

 イギリス製テレビドラマなのでこの本ではタイトルしか紹介されていないが、サンダーバードはNHKが1966-67年に放映した人形による特撮映画。いま見直すと、爆発炎上シーンなどはいかにもミニチュアだが、放映時はその迫力に圧倒された。またサンダーバード1号から5号さらにペネロープ号などの登場する乗り物のデザインが斬新で作りが精巧だったことも印象に残っている。これはNHKと民放で何度も再放送されたのでストーリーの説明は不要だろう。

  これもNHKが放映したイギリス製ドラマのプリズナーNo.6は、じつに不思議な作品だった。元諜報員が何者かに誘拐されまったく知らない小さな村に連れてこられ、そこから脱出しようと様々な試みをするが妨害にあってなかなか果たせない。スパイものなのかミステリーなのか、ストーリーが難解で最後までモヤモヤ。しかしオープニングシーンだけは鮮明に覚えている。主人公がロンドンの街を小さなレーシングカーのようなクルマで走る、それがとても印象的だった。

 それにしても最近でも刑事フォイル、刑事モースなど、NHK-BSはイギリスドラマをよく放映する印象があるが、これは今にはじまったことではないようだ。

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2019/09/21

バナナ(獅子文六)を読む

 本の帯に、”レトロ&ポップなドタバタ青春物語、家族、恋愛、青春、美食、音楽 文六さんの要素が詰まりまくった隠れた名作”とある「バナナ」(獅子文六、ちくま文庫)を読む。これは「コヒーと恋愛」に続いて私にとって2冊目の獅子文六作品。

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 昭和34年(1959年)読売新聞に連載とあるから60年前の小説だが、話の展開がスピーディーで文章も分かりやすく読者を飽きさせない。

 そのストーリーは、大学生の息子がクルマが欲しくて父親から購入資金を援助してもらおうとしたが、その父親は食べることは大好きだがクルマ嫌い。そこで女友達の父親のもうけ話にのっかり、叔父の支援をうけてバナナの輸入で大金を得たことから、思わぬ事態に発展してしまう。そこに女友達のシャンソン歌手デビュー、さらに母親もシャンソンにのめり込んで小さな問題をかかえる。息子が母親の問題を解決し、最後に息子の窮地を救うべく父親が決断をするところで終わる。

 「コヒーと恋愛」でも感じたが、「バナナ」も舞台を外国に移しても十分成立しそうなストーリー展開だ。1960年に大学生役に津川雅彦、その女友達役に岡田茉莉子で映画化されている。なお獅子文六の人気再燃に応じて、ラピュタ阿佐ヶ谷ではは9月1日から獅子文六作品映画の上映を予定しており、その中にはバナナも含まれているそうだ。

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2019/05/11

やはり図鑑が好き

 分かってみれば”なんだあれか”となるが、花の名前が出てこない、困ったものだ。

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 今はスマホで撮影すると花の名前を教えてくれるアプリがあるが、やはり植物図鑑で調べたい。最近は「ハンディ図鑑散歩道の木と花」(講談社、2012年)と「学生版原色牧野日本植物図鑑」(北龍館、昭和60年初版)を利用している。「散歩道の木と花」は、開花した花を季節順に並べ、しかも写真が豊富なので街中で見かける花が何かを絞り込める。おおよそ分かったところで、「牧野日本植物図鑑」で再確認。こちらは古くからある昭和の図鑑だが、いまなお現役である。

 さて上の写真は、春の七草の一つであるハコベ、春から夏にかけて小さな(5ミリぐらい)花をつける。「牧野日本植物図鑑」では”各地の道端や畑、どこにでもはえる”と書かれているが、最近はどうだろうか。ここ10年以上見たことがないように思うが、それさえもハッキリしないのが本音だ。

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2019/04/14

ドナルド・キーンの音盤風刺花伝

 2月に96歳で亡くなられたドナルド・キーンは、日本文学および日本文化に関して多くの著作を生み出したが、彼はクラッシク音楽愛好家でもあり著作もある。「ドナルド・キーンの音盤風刺花伝」(1977年、音楽之友社)は、彼の最初の音楽エッセイ集、今も音楽之友社から発行されているレコード芸術の連載をまとめたもの。

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 16歳のとき叔父から贈られた蓄音機で家にあったレコードを聴き、カルーソー(イタリアのテノール歌手)の歌声に魅せられオペラ好きとなり、その後メトロポリタン歌劇場でオペラの舞台上演を見るようになる。大学を卒業し海軍に入隊しハワイに配属され、その後ニューヨークに戻りさらにイギリスに渡りそこでコベント・ガーデン歌劇場へ足を運ぶようになる。そこでいまや伝説の歌手となったマリア・カラスの「ノルマ」や「トスカ」を観てその力強い歌声と存在感に強い印象を受ける。その後も様々なオペラ公演を観つづけ、多くのレコードを集め、それぞれの公演と歌手の印象を語っている。その歯に衣着せぬを語り口は、ちょっと辛辣だが素直でもある。

  音盤風刺花伝は、ドナルド・キーンの長い音楽鑑賞遍歴の中から音楽会や出演していた歌手、集めたレコード、さらに音楽を取り巻く話を語っている。なにしろ10代のころからクラッシク音楽に親しんでいるだけあって、いまでは神格化されたり、その逆に名を見ることが少なくなった音楽家の全盛期の話は、じつに興味深く面白く、これをきっかけにしてYoutubeでマリア・カラスのノルマを探してしまったほどだ。

 

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2018/08/05

日記を盛る

 日本の日記文学の代表作として永井荷風の「断腸亭日常」をあげる人が多い。なにしろ40年を超える長きにわたり書かれた日記は、文学だけでなく歴史資料としても質と量ともに優れたものとされているそうだ。”そうだ”としたのは、断片的に読んだことはあるが、いまだに全てを読み通したことがないからだ。

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 ところで最近はどんな日記本があるかと近所の本屋に立ち寄ってみたら、雑誌コーナーでサブタイトルに”日記を読む、日記を書く”とある雑誌が平積みされているのをみつけた。「Kotoba」は集英社が発行している季刊誌、その2018年夏号は日記の特集。日本の古典である土佐日記からはじまり夏目漱石、南方熊楠、永井荷風、植草甚一などの日記の話が並んでいるが、一番面白かったのは「わたしが日記を盛る理由」(みうらじゅん)。

 個人の日記は、ノンフィクションのようにみえて大なり小なりフィクションが入り込みがちだ。たとえば子供の頃あった夏休みの絵日記、田舎で食べたスイカを実物より大きく描いたり、オジサンからもらったカブトムシを自分が採ったように描いてしまったような経験をもつ人がいるだろう。これらは、いまの言葉なら”盛る”となる。みうらじゅんは、中学生のころ親が日記を見ていることに気付き、それからは親に読まれることを前提に盛って書いた。それも親が”うちの息子も一人前になったかと”と思うように、いろいろ出来事をでっち上げたと語っている。みうらじゅんのこの話は、なぜ人は盛るかを解き明かすヒントになるかもしれない。どうやら、みうらじゅんはただの仏像好きオジサンではないようだ。

 それにしても、集英社がこのような季刊誌を発行しているとは全く知らなかった。集英社といえばコミックや週刊誌のイメージが強いが、Kotobaはどちらでもなく集英社によれば多様性を考える言論誌としている。文芸雑誌でもないし専門雑誌でもない、ちょっと間口が広いが中身の濃い雑誌だ。


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