本のこぼれ話し

2019/05/11

やはり図鑑が好き

 分かってみれば”なんだあれか”となるが、花の名前が出てこない、困ったものだ。

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 今はスマホで撮影すると花の名前を教えてくれるアプリがあるが、やはり植物図鑑で調べたい。最近は「ハンディ図鑑散歩道の木と花」(講談社、2012年)と「学生版原色牧野日本植物図鑑」(北龍館、昭和60年初版)を利用している。「散歩道の木と花」は、開花した花を季節順に並べ、しかも写真が豊富なので街中で見かける花が何かを絞り込める。おおよそ分かったところで、「牧野日本植物図鑑」で再確認。こちらは古くからある昭和の図鑑だが、いまなお現役である。

 さて上の写真は、春の七草の一つであるハコベ、春から夏にかけて小さな(5ミリぐらい)花をつける。「牧野日本植物図鑑」では”各地の道端や畑、どこにでもはえる”と書かれているが、最近はどうだろうか。ここ10年以上見たことがないように思うが、それさえもハッキリしないのが本音だ。

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2019/04/14

ドナルド・キーンの音盤風刺花伝

 2月に96歳で亡くなられたドナルド・キーンは、日本文学および日本文化に関して多くの著作を生み出したが、彼はクラッシク音楽愛好家でもあり著作もある。「ドナルド・キーンの音盤風刺花伝」(1977年、音楽之友社)は、彼の最初の音楽エッセイ集、今も音楽之友社から発行されているレコード芸術の連載をまとめたもの。

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 16歳のとき叔父から贈られた蓄音機で家にあったレコードを聴き、カルーソー(イタリアのテノール歌手)の歌声に魅せられオペラ好きとなり、その後メトロポリタン歌劇場でオペラの舞台上演を見るようになる。大学を卒業し海軍に入隊しハワイに配属され、その後ニューヨークに戻りさらにイギリスに渡りそこでコベント・ガーデン歌劇場へ足を運ぶようになる。そこでいまや伝説の歌手となったマリア・カラスの「ノルマ」や「トスカ」を観てその力強い歌声と存在感に強い印象を受ける。その後も様々なオペラ公演を観つづけ、多くのレコードを集め、それぞれの公演と歌手の印象を語っている。その歯に衣着せぬを語り口は、ちょっと辛辣だが素直でもある。

  音盤風刺花伝は、ドナルド・キーンの長い音楽鑑賞遍歴の中から音楽会や出演していた歌手、集めたレコード、さらに音楽を取り巻く話を語っている。なにしろ10代のころからクラッシク音楽に親しんでいるだけあって、いまでは神格化されたり、その逆に名を見ることが少なくなった音楽家の全盛期の話は、じつに興味深く面白く、これをきっかけにしてYoutubeでマリア・カラスのノルマを探してしまったほどだ。

 

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2018/08/05

日記を盛る

 日本の日記文学の代表作として永井荷風の「断腸亭日常」をあげる人が多い。なにしろ40年を超える長きにわたり書かれた日記は、文学だけでなく歴史資料としても質と量ともに優れたものとされているそうだ。”そうだ”としたのは、断片的に読んだことはあるが、いまだに全てを読み通したことがないからだ。

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 ところで最近はどんな日記本があるかと近所の本屋に立ち寄ってみたら、雑誌コーナーでサブタイトルに”日記を読む、日記を書く”とある雑誌が平積みされているのをみつけた。「Kotoba」は集英社が発行している季刊誌、その2018年夏号は日記の特集。日本の古典である土佐日記からはじまり夏目漱石、南方熊楠、永井荷風、植草甚一などの日記の話が並んでいるが、一番面白かったのは「わたしが日記を盛る理由」(みうらじゅん)。

 個人の日記は、ノンフィクションのようにみえて大なり小なりフィクションが入り込みがちだ。たとえば子供の頃あった夏休みの絵日記、田舎で食べたスイカを実物より大きく描いたり、オジサンからもらったカブトムシを自分が採ったように描いてしまったような経験をもつ人がいるだろう。これらは、いまの言葉なら”盛る”となる。みうらじゅんは、中学生のころ親が日記を見ていることに気付き、それからは親に読まれることを前提に盛って書いた。それも親が”うちの息子も一人前になったかと”と思うように、いろいろ出来事をでっち上げたと語っている。みうらじゅんのこの話は、なぜ人は盛るかを解き明かすヒントになるかもしれない。どうやら、みうらじゅんはただの仏像好きオジサンではないようだ。

 それにしても、集英社がこのような季刊誌を発行しているとは全く知らなかった。集英社といえばコミックや週刊誌のイメージが強いが、Kotobaはどちらでもなく集英社によれば多様性を考える言論誌としている。文芸雑誌でもないし専門雑誌でもない、ちょっと間口が広いが中身の濃い雑誌だ。


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2018/02/06

活字本が手放せないのは

 レコード時代から活字媒体の内容を音声媒体に録音したものはある。有名俳優やアナウンサーに小説などを朗読してもらい、それをカセットにしたものをカセットブック、CDにしたものをCDブック。いまはこれらにダウンロードが加わり全てまとめてオーディオブックと呼ぶらしい。私もいくつかオーディオブックを持っており、パソコンやウォークマンで聴いている。

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 先日、向田邦子「思い出トランプ」のオーディオブックを聴いていてふと思ったことがある。

 活字本とオーディオブックは同じ内容ながらも、その印象が異なることがある。それは朗読をする人の声質や微妙な間のとりかたが関係しているかもしれないが、それよりも文字を追いながら読む行為の特性が影響しているように思う。

 オーディオブックは一定のテンポでどんどん進み、聴く者はそれに合わすことを強いられるのに対して、活字本は前行や二行さらに三行前の内容を確認しながら行きつ戻りつしながら読むことができる。読書するテンポと進行は完全に読者にまかせられている。オーディオブックを持っていながらも、いまだにその活字本が手放せないのはこういうことかもしれないと思ったのだ。

 それにしても向田邦子は、話の展開がうまい。たとえば「花の名前」(オーディオブックでは加藤治子が朗読)では、電話機の下におく小さな座布団の話からはじまり、平穏な生活のなかに降りてくる微かな闇というか陰影を描いていく。やさしい文体でありながら、どこか毒のある文章はさすがだ。

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2018/01/07

和もの本

 このごろ”和もの本”が気になっている。先日あるイベントで本をプレゼントをすることになり、そこで私が選んだのが「京料理」の文庫本。

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 これは角川ソフィア文庫・ジャパノロジー・コレクションの中の一冊、このシリーズは妖怪、和菓子、根付、千代紙、盆栽などが既に発行されており、いまも増えている。いずれも文庫判でありながら美しいカラー図版を数多く収録、そのどれもが大きくて見やすく、さらに文章のレイアウトもゆったりとして読みやすい。

 「京料理」は、京都の旬の素材とその料理を写真と短い文章で紹介している。はしがきに、”京都で暮らす人々が普段の生活の中で、親しんできた味”であり、”料理屋さんで出るような立派な料理ではありません”とあるように、京都の家庭で作り食べられている料理を季節ごとに紹介している。

 ところでこのごろは全国の食材が手に入るようになり便利になったが、旬を感じる機会が少なくなった。たとえば冬至に食べるカボチャは夏に収穫されるが、冷暗所で保存することで甘みが増し冬至のころまで食べられる。ところが年が明けて春になってもカボチャがスーパーの野菜売り場に並んでいる。それらの産地をみると、メキシコだったりニュージーランドだったりして、流通の進歩が旬の狭間をどんどん埋めている。

 こうなると京都に限らず地元でとれた野菜を旬に味わうことは、とても難しいかもしれない。しかしそれゆえ、試したくなるのもうなづけるのだ。

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2017/04/02

花を追う

 青木玉の本「こぼれ種」のなかにある「花を追う」は、母親と一緒に都内各地のサクラを見て回った話からはじまり、桜もちの葉で知られる大島桜(オオシマザクラ)について語っている。

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 いまは染井吉野(ソメイヨシノ)が全盛だ。花が枝を隠すほどたくさんつき、一つの花が大きく、色は桜色、葉はあとからで花を邪魔をしないなどの特長があるからだろう。大島桜は染井吉野の親だが、その並木は見かけないし、植木屋の扱いもそっけない。

 しかし大島桜は、実つきがよく、さまざまな新品種サクラの親木になるなど良い点がある。その開花時期は、染井吉野と同時か少し遅れた頃だが、都心ではなかなか見かけない。そこで満開の大島桜を確実に見るため、飛行機で大島へ飛ぶのだ。「こぼれ種」は、木や花の話題を数多く取り上げているが、「花を追う」は、この時季にピッタリの話だ。

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2017/01/22

ガラスのプロペラ(安西水丸)

 「ガラスのプロペラ」(安西水丸、誠文堂新光社)は、あとがきに”デザインの自叙伝風エッセイのようなもの。子供の頃からおもっていたことや、感じていたことを素直に書いてみた”とあるように、子供の頃すごした千倉の話から、ニューヨークでデザインの仕事をしていたころ、さらに日本に戻ってきてからの活動を語っている。読みやすい文章に加えて、イラストが随所にあり見るだけでも楽しめる。

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 ところで安西水丸は人物のイラスト(似顔絵)も数多く描いているが、その似顔絵についてこんなことを書いていた。高校時代に似顔絵が苦手なことを友人に話したら、ブロマイドを買って練習するように勧められたとの話につづいて、”今だに似顔絵は上手くないが、この頃はむしろそっくりに描けない自分に誇りをもつようにしている。どうやらぼくに似顔絵を描かれた人たちは、気の毒がってむしろ向こうからぼくの絵に近づいてきてくれているようだ”と語り。村上春樹から「ぼくの顔、最近、水丸さんの描く絵に似てきちゃたみたいで」と言われたことを紹介している。これは作家とイラストレーターの関係を表したいい話だと思う。

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2016/10/02

もう一つの「あまカラ」本

 以前、冨山房の思い出の中で富山房百科文庫の「あまカラ抄」を紹介したことがあるが、先日、もう一つの「あまカラ」本にであった。

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 「あまカラ」をもう一度復習すると、「あまカラ」は大阪の甘辛社が、昭和26年から43年にかけて200号まで発行した食に関する小冊子。版型は、B6版横開き(銀座百点と同じというか、こちらが先だが)。じつは、甘辛社は和菓子の老舗である鶴屋八幡のなかに置かれており、その社長がオーナーとなり発行していた。執筆陣は当時の有名作家や文化人が名を連ねた。

 今回の本は、随筆「あまカラ」として大阪の六月社より昭和31年に発行されたもの。編集は「あまカラ」に連載をもっていた小島政二郎が担当しており、趣味の良いデザインの函付きとなっている。巻頭は、志賀直哉と辻嘉一の対談、つづいて徳川無声、獅子文六、安藤鶴夫など「あまカラ」に掲載されていた文章が並んでいる。

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2016/06/26

珈琲記

 前回の「コーヒーと恋愛」につづいて「珈琲記」を読みはじめる。珈琲記(黒井千次、紀伊國屋書店)は、食の文学館に掲載された珈琲に関する連載にあらたな書き下ろしを加えたエッセイ集。

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 ”朝の珈琲は一杯というわけにいかず、食事中にゆっくり飲み、そして新聞を持って居間に移り、楽な椅子にかけて食後のもう一杯を飲む”と、二杯の珈琲は、著者の朝のルーティンに組み込まれている。こうなると珈琲の味や入れ方に強いこだわりも持っていて、どの街にもある手軽なカフェなどには絶対入らないように思ってしまうが、これがそうでない。

 たとえば、”時間がないのにとりあえず珈琲を飲みたくてたまらない時など、ハンバーガーショップに飛びこんで珈琲だけ注文”。それは隙間だらけの珈琲色の液体だと言いながらも、それにふさわしい作法と味覚があり、これまた捨て難いと語り。また、チェーン展開しているカフェの珈琲についても、”街角の珈琲に別種の味覚をつけ加えたものといえそうな気がする”と語る。このように著者の珈琲への姿勢は、それぞれの長所短所を認めながらとても寛容なのだ。本書は、大人の珈琲への向かい方を語る一冊だ。

 ところで、この本は1997年発行、ということはシアトル生まれのカフェが日本に上陸してまだ間もないころであり、最近話題のサードウェーブコーヒー(黒船コーヒー)などは上陸どころか船影も見えないころだ。著者はこれら新しい珈琲をどのように思っているのだろうか、続編を読みたくなる。

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2016/06/18

コーヒーと恋愛

 ”いつの間にか獅子文六がブームのようだ”という古本TさんのMの日記に触発されて、ちくま文庫で復刊された獅子文六の小説を読みはじめた。

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 「コーヒーと恋愛」(獅子文六、ちくま文庫)は、昭和37年~38年(1962~63)に読売新聞に連載された長編小説「可否道」を改題したもの。新劇出身でTVドラマの人気女優ながら美味しいコーヒーをいれることに誰もがみとめる才能をもつモエ子と、今の言葉でいえば格下夫となる年下の舞台装置家の夫の勉、その間に入り込む若い新人女優のアンナ、さらにコーヒー愛好家の集まりである日本可否会の面々がからむ恋愛模様をえがいた作品だ。

 今から約50年前、作家が70歳のときに書いた作品だが、話の展開も言い回しも古さを感じさせず現代に通用する。唯一、話がタクシーやバスなどの料金に及んだとき、これが昭和30年代の作品であることを知るが。全体を通してみると舞台をパリやニューヨークに移しても成立しそうな軽妙なラブコメディになっている。これは映画化したら面白いだろうと思ったら、すでに1963年に制作されていてモエ子役は森光子だったそうだ。

 ところでサードウェーブコーヒーというのがよく分からない。サードウェーブの特長として語られる、厳選したコーヒー豆を注文を受けてから粉にしハンドドリップでコーヒーを入れるのは、以前からちょっとした町の喫茶店でもやっていたし。産地にこだわりを豆を焙煎するところも以前からあった。サードウェーブとはなんだろうとモヤモヤしているうちに、マニアの間ではフォースウェーブの話がでているらしい。どうやらすっかり波に乗り遅れてしまったようだ。

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