本のこぼれ話し

2009/10/25

「新参者」を読む

 水天宮交差点前にある書店PISMOは、新刊本の本屋。村上春樹の1Q84が発売されたときもそうだったが、店内入り口正面に置かれた書棚の上から下まで平積みを含めて、すべてをイチオシの本で埋め尽くすことがある。

Shinzanmono いまその棚を埋めているのが、新参者(東野圭吾、講談社、2009/9月)。

 新参者は、日本橋警察署に転任してきた刑事を主人公にした小説.。

 この刑事、役人ような堅苦しさはなく、むしろ若いが人情家。それでいて、小さなことから事件解決の糸口を見つけ出す、デキル刑事でもある。その彼が、事件の聞き込みで歩き地元の人の生活や人情に触れるのが、甘酒横丁・水天宮を中心とした日本橋人形町なのだ。

 煎餅屋、玩具屋、刃物屋など、それぞれ店名は架空のものになっているが、これはあの店をモデルにしたのではと思わせるものが次々登場する。

 この本を読み甘酒横丁を歩けば、ここはあの店ではと楽しめること間違いなしである。

 各章は、短編のようにまとめ、それを積み上げて長編としているので、まるで連続TV小説をみるようなテンポのよさがある。舞台は東京下町人形町、登場人物もそれぞれ個性があり、すぐに2時間TVドラマになりそうな楽しい小説である。

 ところで主人公が所属する日本橋警察署はいかにもありそうだが、じつはこれも架空の名前。ところが人形町にある久松警察署は、かつて日本橋警察署とされていたことがあり、古いことを知る人には懐かしい名前だそうだ。

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2009/10/19

「中華料理の文化史」を読む

 今日読了したのは、「中華料理の文化史」(ちくま新書124、張競)。

Chuuka 著者の張競さんは、日中文化比較を専門とする中国出身の学者、現在は明治大学の教授。

 4000年の歴史を持つと言われる中国だが、その食文化はどのように変化したのだろうか?
 
 この本は、タイトルにあるように中華料理の変化を文化史的に解説している。

 中国の支配層が、北方や南方の民族に変わるたびに中国の食生活は大きく変わり、さらに西域から新たな食材や調理方法が入り込み、そのたびに中華料理は新しい料理を作り出してきた。なかには古くからある中華料理だと思っていたら、それが意外と新しいものだったりする。
 
 たとえば高級中華料理の代表と言われる、”フカヒレは300年、北京ダックでも100年ほどの歴史しかない”と著者は語る。これでも十分古いように思うが、4000年の歴史の前ではやはりつい最近となってしまうだろう!

 じつは中華料理の変化は今も起きており、著者が上海に帰りレストランに入ったら、メニューに記載されている漢字料理名がまるで知らないものになっていたエピソードが、この本に紹介されている。

 この本、箸の置き方(中華は縦置き、日本は横置き)など食習慣の話しもあり、文化としての中華料理が味わえる一冊。

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2009/09/22

両さんと歩く下町

 漫画家秋本治は、東京の下町を舞台にした「こち亀」シリーズを書いている。「両さんと歩く下町」(集英社新書、2004年)は、その秋本治が、東京の下町を語った本である。

Photo この本で初めて知ったのだが、漫画作品の表紙を扉絵というそうだ。

 本を手にした読者は、扉絵のできしだいによって、これを読もうと気持ちになるし、また逆もある。そのために、各作家は扉絵に力を入れている。

 こち亀の扉絵は、実際にある町のなかに両さんが登場する光景を細かく描いている。この絵を描くために、秋本さんは、東京の下町をこまかく歩き取材しており、「両さんと歩く下町」はその取材で得られた話しをまとめている。

 もちろん、この本は、亀有をはじめに柴又、千住、浅草、上野、神田などの下町散歩のガイドブックとしても利用できるが、なんといっても、ところどころで明かされる「こち亀」の舞台設定と登場人物の話しが面白い。

 たとえば超神田寿司というのがあるが、漫画とはいえこのネーミングはないだろうと思ったが、じつは絶対実在しない店名とするためあえてこのような名前にしたそうだ。いくら漫画の中の架空のお店だとしても、同じ名前のお店が実在すれば、思わぬ反応がおきるかもしれないので、細心の注意を払っているのだろう。漫画家の苦労の一端が垣間見える話しだ。

 ところで、この本の巻末に山田洋次監督との対談が収録されているが、ここで山田監督が語る「男はつらいよ」渥美清の話はじつに興味深い。思わず、そうだったのかと・・・なる。この本、タイトルだけみると漫画風の内容かと思ってしまうが、読み物としても十分楽しめる。

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2009/07/22

僕の東京地図(安岡章太郎)

 以前、「麻布霞町の田舟」で少しふれた「僕の東京地図」(安岡章太郎)を紹介しよう。

Bokuno_tokyo_chizu_2 じつは最初は、「僕の東京地図」を、古書として紹介するつもりだったが、三省堂のオンライン検索で調べたら、まったく同じタイトル・著者名が二冊ヒット。しかも文化出版局版は絶版となっていたが、世界文化社版は、現在も入手可能となっている。そこで今回は、これら2冊の本の違いを含めて、「僕の東京地図」を、本のこぼれ話しとして取り上げてみたい。(写真は、左が文化出版局:1985年、右が世界文化社:2006年)

 まずは、現在も新刊が入手可能な世界文化社版「僕の東京地図案内」(2006年6月発行)を中心にして、文化出版局版との違いをみてみよう。

 トビラに”本書は「僕の東京地図」(文化出版局、1985年)のミセス連載分を軸に、配列を掲載順から年代順に変え、加筆し、大幅に写真を加えて構成したものです”とある。文章に大きな変更はないが、新たに追加された写真は、明治・大正・昭和の東京の各地のすがたを写したもの、すでに文化出版局版を持っている人も楽しめる興味深いものが多い。

 それでは文化出版局版の「僕の東京地図」は、もういらないかとなると、そうはいかないようだ!

 じつは、文化出版局版「僕の東京地図」(安岡章太郎)は、雑誌ミセスに昭和59年1月~12月まで連載された「僕の東京地図」と、婦人画報に昭和58年1月~12月までに連載された「曲がり角の散歩」を一冊にまとめたもの。たとえば、以前紹介した”志賀家の麻布霞町の田舟”などの話しは、「曲がり角の散歩」に含まれており、文化出版局版でのみ読むことができるのだ。

 さて、この本は、東京のどこを語っているのだろうか?

 取り上げている東京の町を、各章の表題からひろってみると以下のようになる。

 小岩・市川・江戸川、青山、浅草・吉原、道玄坂から松見坂へ、下北沢、九段・靖国神社、赤羽・荒川、隅田川周辺、上野界隈、神田、大森、多摩川河畔。

 面白かったのは、小岩・市川・江戸川と道玄坂から松見坂。軍人であった父親の転勤で小岩・市川に住むことになった安岡章太郎は、まだ幼稚園に入った年頃だが、その頃の思い出と共に語られる町の様子は、年代はまったく離れているが、どこか私の遠い記憶と重なり懐かしい気持ちにさせてくれる。

 戦前にできた東京郊外の町を歩くと、こんな所に立派な料亭や屋敷があることに驚くことがある。地元の古い人に聞いてみると、じつは軍隊があったころの名残で、ここに将校や退役軍人が住んでいたとの話しがある。市川での安岡家は、まさしくそのような中にいたのだろう。

 道玄坂・松見坂の名も、懐かしい。数年前までこの近くのオフィスに通うため、毎朝、渋谷駅から松見坂へ向かうバスに乗り、帰りは道玄坂を下り渋谷駅まで歩いていた。神泉から松見坂へいたるこの付近の様子は興味深く読めた。また現代(といっても1984年ごろ)の渋谷の様子は、私の学生時代の記憶とも重なるものがあり、思わずそうだったとうなずいてしまう。

 この本を開き、記憶が重なる町の話しを見つけると、懐かしさをおぼえるとともに嬉しくなる。赤羽など、東京本にはめったに取り上げられない町の話もあり、東京本愛好者には要チエックの一冊。

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2009/06/21

弾丸日帰り古本旅行・仙台編

 土曜日は、普段は、なかなか行くことが出来ない東京以外の古本イベントに出かけた。

7dsc05841 6月20日、21日に仙台で行われている「古本縁日in仙台」に、わめぞの皆さんが参加している。

 イベントの日程・場所は、「古本縁日in仙台」と「わめぞblog」。

 東北新幹線で東京から1時間40分、仙台駅のホームに降り立つ。東京同様に曇り空だが、少し気温が低く体にまとわりつく湿気が少ない、これだけで北へ向かったことを実感する。地下鉄に乗り、「書本&cafe magellan(マゼラン)」のある春日町へ向かえば、下車駅(勾当台公園駅)でカバンを持ったわめぞメンバーのKさんに出会う、泊りがけだそうだ。

 マゼランにて、退屈男さんと旅猫さんに出会う。さすがに二人ともわめぞで活躍されている歴戦の勇士、存在感がある。

 ここで「食の自叙伝」(文春文庫)を購入。タイトルだけをみれば、よくあるグルメ本のように見えるが、じつはこれは昭和面白本。

 まず取り上げられている顔ぶれだが、「淡谷のり子」「北野武」「ルーテーズ」「塩見孝也」・・・と、歌手、芸人、鉄人、過激派と、いずれも一癖も二癖もある人ばかり。しかも主題は食となっているのだが、鉄人ルーテーズは繰り返し”力道山の思い出”を語り、塩見孝也は徹頭徹尾”塀の中の生活”を語っている。月刊マルコポーロに連載されていたものだが、よくぞ文庫化したと感心してしまう。

 マゼランから火星の庭に向かうため、広い大通りを歩く、通り沿いに並ぶ木々の大きさに感動。「青葉繁れる」を実感。

 火星の庭の棚は、サブカル系・アート系のいい本が目立つ。しかし、ここで東京へ戻る時間がせまってきたので時間切れとなり、あわてて駅へ向かう。ホームに上がったら、ちょうど東京行きが入線、ギリギリで間に合う。滞在4時間弱というあわただしい弾丸ツアーが無事完了。ほっとしたのもつかの間、もう次のツアープランの話しが上がってきた、できれば弾丸でなく大名ツアーで行きたいのだが、はたして次は・・・。

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2009/05/31

ガラモント

 雨の週末、「平野甲賀(装丁)術・好きな本のかたち」(晶文社、1986)をよむ。

Hirano_koga 平野甲賀は、長いあいだ晶文社の本の装丁をおこなってきたことで知られる。その平野が、自らの装丁について語ったのが「平野甲賀装丁術・好きな本のかたち」。この本で知ったのだが、平野は、新潮社から発行された小林信彦の本の装丁もおこなっており、晶文社専属ということではないらしい。

 その彼の装丁で目につくのが、タイトルの特長のある文字。

 既製のフォントでなく、みずから描いた「書き文字」は、大きさと文字間のバランスが絶妙だが、じつは・・・。

 「フリーハンドで書くのだと思ってましたが・・・」
 「いやいや、定規と雲形をかならず使います。そうしないと、手癖がでてきちゃってイヤなのね」

 なるほど、あの躍動的ながらキッチリしたタイトル文字の直線と曲線は、こういうことだったのか。

 さて、その平野だが、巻数の「1」だけは写植書体でやってみたいと「ガラモント」書体を選んだと語っている。

 ガラモント?

 はじめてみるこの書体名を調べたら、16世紀にクロードガラモン(Claude Garamond)が作った書体で、ヨーロッパの本に使われているとあった。しかもこのフォントは、いまもマイクロソフト・オフィスに入っているそうだ。早速Wordを開き、フォント選択のメニューのリストをみたら、「Garamond」の文字。

 オフィスソフトは長いこと仕事で使っているが、Garamondというフォントはまったく知らなかった。このフォントは、どういう文書に使用するのだろうか、いつか機会があったら使ってみよう・・・。

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2009/02/22

春樹とSWING!

 イスラエル最高の文学賞といわれるエルサレム賞を受賞し、その記念講演でパレスチナ自治区ガザへの攻撃に「私は卵の側に立つ」とのメッセージを述べた村上春樹は、ジャズについてもたくさん文章を書いている。

Portrait_1 「Portrait in Jazz ポートレイト・イン・ジャズ」(和田誠・村上春樹、新潮社、1997年)は、和田誠が描いた26人のジャズミュージシャンのイラストに、村上春樹が文章をつけた本である。

 ミュージシャン26人の人選は和田誠によるものだが、村上春樹が、あとがきに”とくに感心したのは、和田さんのこの26人のミュージシャンの選び方で、ほんとうにジャズが好きじゃないとこういう人選はできないだろうとつくづく思う・・・”と書いているように、その人選は絶妙。

 デュークエリントンやビリーホリディが収録されているのは順当だろうが、キャブキャロウェイが入っている。

  キャブキャロウェイの名は、この本で初めて知ったのだが、その歌声と身振りは映画ブルースブラザーズでおなじみのものだ。映画で”ミニー・ザ・ムーチャ”を歌い踊っていた、あの怪優というかカッコイイおじさんである。Wikipediaによれば、キャブキャロウェイは、デュークエリントと並ぶような存在でジャズ史に残る人物だったらしい。こういう人物を入れてあるのが、この本の楽しいところだ。

 ところで村上春樹は、ジャズミュージシャンの話に加えて、若き日のジャズとの触れあいを、この本の随所で語っている。

 たとえば、ビックス・バイダーベックではその文章を”大学生のとき、水道橋にあった<SWING>というジャズ喫茶でアルバイトをしていた”と始め、チャールス・ミンガスでは”大学二年のとき、新宿の歌舞伎町にある・・・その店の近くに<Pithecanthropus Erectus>(直立猿人)という名前の小さなジャズ・バーがあって”などと、学生時代の思い出を語っている。

 この本は、和田誠のジャズ絵本として楽しめるとともに、村上春樹のジャズエッセイ本としても楽しめる。これは一冊で二度美味しい本である。

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2009/02/01

LIVING IN TOKYO 東京に暮らす 1928-1936

 日本橋の路地にある小さなおもちゃ屋で、帳場(レジといわずにあえて帳場という言葉を使いたい)に座っているおばあさんの話をきいたことがある。

Livingintokyo 小さなおもちゃ屋といっても、その商売は絵草子屋までさかのぼる店だけあって、話に登場する人物が皆面白い。買ったおもちゃを屋敷へ配達させた歌舞伎役者、包装をするのを待てずにそのまま車で持ち帰った映画俳優など、いずれも実名を上げれば、えっーあの人がという話しがでてきた。

 おばあさん自身も、戦前に女学校へ通いモダンな生活をされていたようだが、こちらが、その時代の東京を知らないので、残念ながら、それがどれほどのものかよく分からなかった。

 そこで購入したのが、「LIVING IN TOKYO 東京に暮らす 1928-1936」(キャサリン・サンソム、岩波文庫)。

 この本は、題名で分かるように1928-1936(昭和3年から11年)の東京を描いている。キャサリン・サンソムは、イギリス外交官夫人、デパートや電車・バス・タクシーなどの日常生活を通じて知った、東京、いや日本の文化と日本人をイギリス人へ紹介している。戦争が忍び寄っていたにもかかわらず、そこにあるのは自然を愛する日本人の姿だが、同時に閉鎖的な家族制度にしばられている日本人の様子もふれており、ときにユーモアを交えたその語り口は鋭いが優しい。

 たとえば、”日本人はL(エル)の発音ができないので、英語の単語を変な風に発音して使っていますが、その中で一番よく耳にするのはトーマス・リプトン(Lipton卿)のブランドの紅茶で「リプトン(Ripton)」と発音されています”と、いまもよく話題にあがる日本人のRとLの発音の話しから始まり。

 その人間観察は、ちょっと耳の痛い話しから、これはすこし買いかぶりではという話しもある。

 ともすれば一方的な価値観の押し付けになりがちな外国人による日本人論(日本人による外国人論も同じよう)だが、たとえ心地よくない事でもそれを欠点でなく個性としてとらえて冷静に語ることで、日本と日本人を描き出している。この本は、マージョリー西脇による流れるような筆使いの日本の風俗を描いた絵も加わって、昭和初期の東京人の暮らしを描くとともに、現代人が何を失ったかを気付かせてくれる一冊である。

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2008/12/03

ニッポンの縁起食・なぜ「赤飯」を炊くのか

 いよいよ師走に突入、先月までは気が早いなと横目で見ていた「おせち料理」の広告も、その中身が急に気になりはじめます。

Photo それにしても、なぜ新年にお屠蘇を飲み、おせち料理やお雑煮を食べるのでしょうか。黒豆・きんとんなどには、どのような意味があるのでしょうか。また、お祝いのときにどうして赤飯を炊くのでしょうか。このごろは季節感が薄れたとはいえ、季節の行事と料理はいまだに密接に関係しています。

 こんな疑問に答えてくれるのが、「ニッポンの縁起食・なぜ「赤飯」を炊くのか」(柳原一成・柳原紀子:2007年、NHK出版)。

 おせち料理・赤飯については本を読んでいただくとして、今回は、寒くなるこの時季に特においしくなる「鴨なんばん」の話しをしましょう。

 上記の本では、”なんばんは「難波」。かつての大阪・難波がねぎの産地だったことからきています。つまり「鴨の難波」なのです。”という難波ねぎ説を紹介しています。ただし、この本でも南蛮ととらえる向きがあると書いていますが、鴨なんばんは、長崎の南蛮料理を参考にしてうまれた南蛮説もあり、こちらも根強く支持されています。

 ところで南蛮という字がついても、カレー南蛮やアジの南蛮漬けとなると、ネギはネギでも玉ねぎが多いようです。玉ねぎとなると、どこか洋食の感じがして外国の料理のように思われ、がぜん南蛮説が有力となります。しかしこれも、長ネギカレーがあったように、長ネギでも玉ネギでもネギには違いないから「カレー難波・カレーなんばん・カレー南蛮」だという解釈もできます。

 どうも「鴨なんばん」ひとつをとっても、その語源はなかなかはっきりしませんが、この時季になると鴨なんばんが美味しくなることは皆さん一致しているようです。

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2008/10/01

SINKITIに会いにいく

 戦前の子供向け雑誌や本を見ると、どこかモダンな服装をした子供と野山や木々が、生きいきと描かれた絵に驚くことがある。

7dsc01869_2 風景画家としてよく知られる東山魁夷は、戦前、子供向けの絵を少年倶楽部やキンダーブックのために描いたことがあった。

 東山魁夷は、1933-1935年ドイツベルリンへ留学したが、その前後およびドイツ滞在中も童画を描きつづけ、そのなかにはロンドン動物園やドイツチロルの牧場を題材としたものもある。これらの童画には、東山魁夷の本名である、HIGASHIYAMA SINKITIのサインが入っているのでそれと知れる。

 いま「童画家・東山魁夷の世界」が、市川市東山魁夷記念館で開催されている。

 東山魁夷の童画が掲載された戦前の雑誌や本はもちろん、童画を描くようになった経緯を記す手紙や葉書、さらに貴重な原画も展示されている。特に僅かしか残っていない原画は、いまも美しい色合いを保っており、子供向けといいながらも精緻な描写とあいまって、みる者を感動させる。

 「童画家・東山魁夷の世界」の開催期間は、9/20-10/26。アクセスやその他情報は、市川市東山魁夷記念館のホームページを参照。

 上の写真は、市川市東山魁夷記念館の外観。

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2008/08/10

どくとるマンボウ昆虫展をみる

 埼玉県川口市のSKIPシティで開催されている「どくとるマンボウ昆虫展」へ。

7dsc00781 どくとるマンボウこと北杜夫につては、その久しぶりのTV出演の様子を”北杜夫をみるで書いたが、先日、そのコメントで「どくとるマンボウ昆虫展」の開催案内をもらったので行ってきた。

 展示されている標本箱は28箱、それぞれの箱には、「どくとるマンボウ昆虫記」の文章とその中に登場する昆虫が入れらている。北杜夫は、戦前、すでに100箱を越える標本箱をもってたが、その全てを東京大空襲で失ってしまったと語っていた。

 しかし、旧制松本高校時代や父である斉藤茂吉が疎開していた頃に採集した標本の一部は今も現存しており、今回のどくとるマンボウ昆虫展に展示されている。さらに「どくとるマンボウ航海記」の中でシンガポールで採集した蝶も、その標本が特定され展示されている。現存してなかった標本も、多くの昆虫愛好家の協力により集められ、「どくとるマンボウ昆虫記」の中に登場する虫のほぼ全てを網羅しているそうだ。

 この昆虫展、北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズのファンにとっては、その文章のなかにときおり登場した虫達の実際の姿を見られる。さらに、なんと言っても、北杜夫自身が採集した虫達に出会える貴重な機会。

 展示会は、8月10日から15日まで、川口市上青木にあるSKIPシティ内埼玉県産業技術総合センター多目的ホールで開催されている「川口市平和展」と一緒に行われている。SKIPシティにはNHKアーカイブスもあり、その交通アクセスは、こちらビジュアルプラザのページにあります。

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2008/06/24

Low City, High City

 ちくま文庫から「東京 下町山の手」(エドワード・サイデンステッカー)が復刊されたので東京堂書店で購入。

Photo 先日、「谷中、花と墓地」(みすず書房、サイデンステッカー)を読んでいたら、同じ著者の「東京 下町山の手」が気になりだした。以前、図書館で読んだが、その内容もほとんど忘れてしまったので、もう一度と思い検索したら文庫本で4月に復刊されていることが分かった。

 まだ本文は読みかけだが、その英語のタイトルが興味深い。

 Down Town(ダウンタウン)という言葉がある。古いところではペトラクラークや、俺たちひょうきん族のエンディングテーマに使われたEPOも”ダウンタウンへくりだそう”と歌っていた。下町を英語で説明するとき、ついダウンタウンと言ってしまう。しかし、英語圏からの人を、銀座へ案内してダウンタウンというと通じるが、隅田川やその近辺の地域をダウンタウンというと首をかしげる人がいる。

 どうも英語のダウンタウンは、日本の下町とは違うようだ。

 手元にある英和辞書でDowntownを調べると、町の中心(繁華街)、商業地区、都市部のこと、下町にはlower townなどをあてる。ニューヨークでdowntownといえば、Manhattanの南の部分をさすとある。こうしてみると、やはり隅田川あたりをdowntownと言うのは、すこし無理があるようだ。

 それでは隅田川付近、その東に拡がる地域を英語でなんと言えばよいのだろうか?

 その答えが、「東京 下町山の手」の英語のタイトル:「Low City, High City Tokyo from Edo to the Earthquake」にあるLow Cityのようだ。辞書には載っていないが、Low/High Cityという英語は、東京の実体をよく示しているように思う。ただし、Low Cityでは歌詞にはちょっと向かないかも・・・やはりDownTownのほうが響きがいい。

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2008/06/03

谷中、花と墓地(サイデンステッカー)

 六月の衣更えの時季になると、梅雨寒というのか、急に冷たい雨風にあうことがある。今日は、まさしくそんな一日。

Photo 先月発売された「谷中、花と墓地」(みすず書房、サイデンステッカー、2008年5月発売)を、今日読み終えた。サイデンステッカーを知る人は多いと思うが、念のため復習すると以下のようになる。

 大学時代にアメリカ海軍日本語学校に進み、進駐軍の一員として初来日。その後、アメリカ及び日本の大学で日本語を学び、大学で日本文学を講義をするとともに川端康夫や谷崎潤一郎、源氏物語の英訳を行い、日本の文学・文化を世界に紹介。東京湯島に居をかまえ、年の半分はそこで過ごし下町をこよなく愛した。

 「谷中、花と墓地」は、サイデンステッカーが、日本語で書いた文章を集めた最新刊のエッセイ集。最初、手に取ったときは題名から谷中について書かれた本のように思ったが、読み進むうちに、上野、湯島、谷中、浅草をはじめに、下町の風物の移り変わりを描いていることが分かる。永井荷風や小津安二郎の作品を愛し、自ら「東京 下町山の手」という本も書いているだけあって、その視線は、外人というより古き東京を愛するものになっている。

 ”アメリカの町では、一日歩き回って途中で骨休みしたくなっても、適当に休める場所なくて困ることがある・・・日本の場合、アメリカより寛容だと思う”と、日本の素晴らしさを述べるとともに、”先日も御茶ノ水で喫茶店を探したのになかなか見つからなくて困った”と、変わる東京のすがたを、喫茶店礼賛の章で書いている。よくある日米比較論のような日本とアメリカの文化の違いを細かく論ずるのでなく、東京を温かく描いた文章が良い。まさしく東京を長く見続け、愛したものの目がそこにある。

 ”谷崎先生の手紙”の章では、川端、谷崎との交流を描くとともに、それぞれの作家の翻訳に対する考えの違いが述べられる。谷崎の「細雪」の英訳題名が、”マキヲカシスタース”であること、さらに谷崎が、英訳内容を気に入ってことなど。日本文学の英訳にまつわる話しも面白い。最終の三章は、”花”のタイトルになっているが、猫好き、いや動物好きの人なら思わず共感するだろう。

 これは、いつまでも手元に置いておきたい東京本だ。

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2008/05/23

時差ボケ東京

 今年の春ごろから、何やら不思議な写真集が近々出版されるとの噂が流れていたが、ついにそのベールをぬいだ。

Jisaboketokyo kai-wai散策で素晴らしい写真を発表しているmasaさんこと村田賢比古さんが、写真集「時差ボケ東京」を完成された。その不思議さは、発表された表紙からもうかがえるが、歩いている人々にキッチリピントがきているのに、その周囲や背景はボケている。しかも、これを画像処理なしで実現されたらしい。

 masaさんは、そのブログのなかで脳科学の話しを引用されているが、たしかに我々の脳内画像処理は不思議だ。カメラでは、10メートル先にピントを合わせれば、その位置にあるものはすべて同じ鮮明さで写り記録される。しかし街を歩いていて、前方からキレイな人がくるとつい目がいってしまい鮮明に記憶されるが、その人と同じ位置にある周囲のものはあいまいな記憶しかない。masaさんの写真集は、この記憶のメカニズムを写真で表現されたのかもしれない、はやく写真集を見てみたい。

 さて、待望のmasaさんの写真集は、写真42枚を収録した全62頁のハードカバー大型上製本、ISBN4-9904156-0-0 価格は3600円(税別)。

販売店情報:
 墨田区京島にありますLOVE GARDENが、取り扱いを開始しました。詳しくは、こちら”LOVE GARDENの「時差ボケ東京」当店にて発売中”をご覧下さい。
 

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2008/05/13

北杜夫をみる

 徹子の部屋は、平日の昼過ぎに放送しているのであまり見る機会はないが、昨日は、ゲストが北杜夫父娘となっていたので見てしまった。

Photo_2 私と同じ世代であれば、北杜夫の「どくとるマンボウシリーズ」を読んだ人は多いだろう。1970年代、狐狸庵の遠藤周作、どくとるマンボウの北杜夫の二人は、雑誌やTVにそろって登場していた印象がある。最近放映されたネスカフェコーヒーのCMでは、その昔の遠藤周作のCM映像が唐沢寿明と共演するように合成されていたが、北杜夫もネスカフェコーヒーのCMに出ていたはずだ。

 ところで、学生時代は、北杜夫の作品は新しい本が出るたびに読んできたが、社会人になってからいつのまにか離れてしまった。それでも「楡家の人々」は、いまも時々読み直すことがあり、そのたびに文章のうまさに感心する。マンボウシリーズの軽いユーモアのある作品もよいが、「楡家の人々」のように家族と時代の風俗を描いた長い作品を、飽きさせないで読ませるのがすごい。

 今回の番組では、北杜夫の娘であり、あの「窓際OL・・・」の著者である斉藤由香さんも一緒に出演していたが、その娘の作品に対してコメントするときの北杜夫は、少しはにかんだようで、やはり作家というより父親の表情のような・・・。でも、あの飄々とした口調は、やはりどくとるマンボウだ!

 さて、これを機会に、もういちど北杜夫を読み直してみようか。

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2007/07/20

俵屋の不思議(村松友視)

 今週の通勤本は、「俵屋の不思議」(村松友視:世界文化社)。

Photo_27 俵屋については説明は不要だろう、。私自身、その表を通っただけで、いまだに入ったことはないが、俵屋は、京都、いや日本で一番の旅館と言われている。この本は、その俵屋について書かれたものだが、私が、この本を手に取ったのは、その帯にあるサブタイトル「職人がいなくなったら、俵屋はなくなります」に興味を引かれたからだ。

 様々な製造現場を見てくると、長い間に積み重なれた経験、およびその経験に裏打ちされた発想力がいかに貴重であるかを感じる。何か問題があったとき、マニュアルがなかった、マニュアル通りに作業していなかったなどが話題になる。しかし、マニュアルは、過去の失敗例が反映されたもので、まだ誰も経験したことがないような新しい問題への解決策にはならない。従って、「今後、二度と同じような問題が起きないように致します」いう言葉で終わってしまうことが多い。

 しかし、職人の中には、自らの記憶の引き出しをさがし、そのものズバリのものがなくても、いくつか組み合わせることで、新たな要求や問題をごく当たり前のように対応・解決してしまう人がいる。このような職人さんは、今や見かけることは出来ないと思っていたが、俵屋の周辺ではいまも活躍されているらしい。

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2007/06/27

H=P-G

 H=P-Gという公式があるそうだ。”「幸福(Happy)な生涯」とうのは、一生を通して「愉快(Plesant)と思えた時間」の総和から「憂鬱(Gloomy)と感じた時間」の総和を引いたものだそうだ。・・・一般に「横ならび意識」の強い人は、どうしてもGが大きくなりやすい。いいかえると、何でも他人と比較する癖のある人は、こころの平穏は得にくいようだ。”

Photo_26 これはいま読んでいる「ビフテキの茶碗蒸し」(松山幸雄:暮らしの手帖)に載っている話しだ。著者の松山氏は、新聞社特派員として長くアメリカに駐在し、日米文化論について著作がある。

 Gloomyという言葉は、「薄暗い、憂鬱な、陰気な」なような意味で使われるらしいが、ストレスと言い換えてもよいだろう。ストレスの時間と愉快な時間の関係は相互に作用しているようで、一方が増えればもう一方は減っていく。ストレスが増えても、比例して愉快な時間が増えればよいのだが、そうはならず愉快な時間も減ってしまう。

 となれば、幸福な時間を増やすためには、やはりストレス・憂鬱な時間を少なくするという、あたりまえの話しに落ち着いてしまう。

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2007/06/18

乱歩と東京

 「乱歩と東京」(松山巌)は、サブタイトルに「1920都市の貌」とあるように、大正末から昭和初めに発表された乱歩作品と、その背景にある東京の町を取り上げている。

Photo_22 この本には、大正から昭和初めの建物の写真が収められている。その建築形式をなんと呼ぶか分からないが、あきらかに従来の和風建築と異なる。

 たとえば二階に作られたベランダとその上のアーチや外壁に浮き出た太い円柱などは、あきらに西洋風だ。しかし、完全に洋風化されているかといえば、そうでもない。ベランダは西洋風だが、その手すりの透かし模様は松になっており、まるで和室の欄間のようなである。たぶん大まかなデザインは、欧米の家の絵や写真などを参考に行ったのだろが、その細部は、よく分からずに従来の和風の意匠をそのまま採用している。

 都内にわずかに残る昭和初期の建物を見ると、一見、未消化のようだが、現在のものよりどこか力強さを感じることがある。このところ都内に新しいビルが数多く登場している、どれも洗練されたデザインのようだが、どうも力強さが足りない気がするのは私だけだろうか。

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2007/06/07

ニシ・アズマ

 ニシ・アズマ、この名前を見てピピ!と反応したあなたは、どんな人だろうか?まずは読書家、いや愛書家、それもメジャーなものはあえて外してマイナーな作家を好む人にちがいない。

Photo_23 いまやミステリだけでなく幅広い分野の作品を発表しているあの宮部みゆきに、”この小沼丹という作者は男性ですか”と言わせた小沼丹は、一部の読者にはよく知られた作家だが、その小説・エッセイ本は、なかなか見ることができない。「黒いハンカチ」(創元推理文庫)は、小沼丹が昭和30年代に女性雑誌に発表した一連の作品をまとめたミステリ短編集だ。

 その作品の主人公が、女学校の英語の先生にして、どこか愛嬌のある探偵のニシ・アズマなのだ。ミステリ小説なので内容の紹介は省くが、この短編集を開いたら、最後まで一気に読み終わってしまった。オシャレな感じがただようこの作品は、TVドラマ化したら結構面白いシリーズになりそうだ。

 なお小沼丹は男性で1996年没、本職は早稲田大学教授、小説・エッセイに加えて井伏鱒二との交流が知られている。

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2007/05/07

新編ノラや・福武文庫版

 昨年もそうだったが、一箱古本市が終わると、その売れ残りを通勤本として読んでいる。きょうは、「新編ノラや」(内田百閒:福武文庫)だった。

Photo_20 いまさら内田百閒と思われるかもしれないが、福武文庫版は、ちょっと他の文庫版と違っているのだ。

 福武文庫版で、彼ハ猫デアルの最初の数行をみると、

”何匹いたか知らないが、その中の一匹がいつも親猫にくっ付いて歩き、お勝手の前の物置の屋根で親子向き合った儘居眠りをしていたり、欠伸をしたり、何となく私共の目に馴染みが出来た。”

 同じ部分を、中公文庫版でみると、

”何匹ゐたか知らないが、その中の一匹がいつも親猫にくっ附いて歩き、お勝手の物置の屋根で親子向き合った儘居眠りをしてゐたり、欠伸をしたり、何となく私共の目に馴染みが出来た。”

 この違いが分かるだろうか、そう、福武文庫版はその帯に”初めての現代かなづかい”とあるように、内田百閒がこだわった旧かなを、全て現代かなに変えてあるのだ。さらになぜか、”お勝手の物置”を”お勝手の前の物置”など、字句も変えている。

 内田百閒の文章を、全て現代かなにしたのは、大きな挑戦だと思うが、なにか余計なお世話という気もする。まあー今となっては固いことは言わずに、面白本として楽しめる。もちろん福武文庫版はすでに絶版になっている、さあ、どうです、買い逃した方おしいと思いませんか。

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2007/03/28

植木等逝く

 植木等さんが亡くなれた。TVでは、昭和を代表する喜劇映画役者のように紹介されているが、子供の頃、シャボン玉ホリデーを見ていた私には、ギャグと音楽の面白さを教えてくれたオジサンという存在だった。

Photo_13

 植木さんの訃報を聞き、早速、部屋のすみに積んであった「植木等と藤山寛美、喜劇人とその時代」(小林信彦)を取り出してきた。この本は、実際に一緒に仕事をした小林さんだから知る植木等とクレージーキャッツの活動の歴史が、その当時の関係者の実名とともに詳しく語られている。TV番組だけでなく映画についても多くのページを割いているので、クレージーキャッツ映画史とも言える。

 今回の植木さんのニュースで一番驚いたのは、その80歳という年齢。植木さんは、TVで最初に見たときからオジサンさんだったが、自分のなかではずっとオジサンのままなのだ。自分が歳をとったことを棚に上げた思い込みだが、植木さんは、いつも僕らを笑わしてくれる歌の上手いオジサン、そして谷啓さんは、トロンボーンが上手いジョークの好きなオジサンさんだ。その後活躍したドリフターズは音頭しか思い出さないが、クレージーキャッツや植木等さんはジャズやポップスなどの外国音楽が似合っていたステキなオジサン達だった。

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2007/03/21

荻窪風土記(井伏鱒二)

 どうも私の頭の中の東京地図は、東西で差がある。新宿より西側の町は馴染みがうすくて、中央線も中野までは駅名がすぐ出てくるが、高円寺から西になると駅名も順番も怪しくなってくる。まして井の頭線や西武線のような私鉄となると、これはまったくお手上げ状態だ。

Photo_10 三月末に善福寺川を阿佐ヶ谷付近まで歩くイベントがあるが、このあたりの土地勘がまったくない。そこで、開いたのが荻窪風土記(井伏鱒二)。「善福寺川」と名づけられた短い章は、”善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった”と、昭和はじめの善福寺の風景を描いている。釣りを愛する井伏鱒二は、善福寺川で釣りをしているが、この川で最後に釣りをしたとき同行していたのは太宰治であった。そのときのことを、”この日、私は太宰治を連れて善福寺川の釣り場へ行ったが、・・・丹念に振込んでみても手応えがなかった。川の水が魚を生かして置く力を無くしたのだろう。この川はもうお仕舞だと思った”と書いている。

 井伏鱒二に”この土地の人はこの綺麗な川に、なぜ鮎を放流しないのだろう”と言わさせたほど清流であった善福寺川から、魚が消えていったことが分かる。井伏鱒二が荻窪に引越してきたのは昭和2年の初夏、当時まだ学生だった太宰治と会ったのは昭和5年となっているから、わずか3年間の出来事だ。

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2007/03/13

月島物語(四方田犬彦)

 もう10年前だが、門前仲町から豊海水産埠頭行きバスに乗り終点までいったことがある。周辺には、大きな倉庫と資材置き場になっている空き地が続き、月島方向へ戻る途中の勝鬨付近に長屋が残っていた。先日、その勝鬨付近の長屋が取り壊されはじめたことをmasaさんのブログで知ったので、月島物語を読み返してみた。

Photo_8 月島物語は、比較文化学者にして大学教授の四方田犬彦氏が、月島の長屋に住みながら書いた本である。月島に関する膨大な資料を参考に、月島の成り立ちとその過去と現在の姿を様々な角度から描いている。月島を主題にした都市論とも言える本だが、小津安二郎の映画「風の中の牝鶏」に登場する月島にあったロケ地や、もんじゃ焼きと肉フライなどの面白い話題も載っている。なんと言っても1990年の月島の姿を克明に記録しているのが貴重だ。この本は、ここしばらく絶版扱い(入荷未定品)が続いていたが、最近になって工作社より「月島物語ふたたび」の名で増補版が新たに発売された。月島という限られた地域はもちろん、東京に興味のある方におススメの一冊だろう。(写真は1992年発行の集英社版)

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2007/03/06

東京物語(源氏鶏太)

 タイトルの一部に「東京物語」を含む本は何冊ぐらいあるのだろうか。ほとんどの本は、「新東京物語」や「私の東京物語」など、XXXX東京物語としているものが多いようだが、「東京物語」の四文字だけという本は、シーリーズものを除けばあまり見かけない。

Tokyo_monogatari_genji サラリーマン小説で有名な源氏鶏太の小説に、そのままずばり「東京物語」がある。先日、古本屋の棚でその名前だけを見て買って読み始めた。同じ会社に勤める男女の会話のやりとりと、その奥にあるそれぞれの心の動きを対比しながら、さて二人はどうなるのだろうかと読者を引っ張っていく。その話の展開は、一歩間違えれば単調と言われるかもしれないギリギリのところにある。結論から言えば、これはサラリーマン小説でなく、オフィスを舞台にした恋愛小説、別の見方をすれば22歳のOLを主人公にしたOL小説ともいえる。

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2007/02/06

地図物語「あの日の浅草」

 東京人3月号のインフォメーションに、新刊の地図本「あの日の浅草」(武揚堂)が紹介されている。”本書は、昭和二十年代後半の浅草を再現した大判地図と、戦災から復興を遂げようとする浅草の姿を写真や文章で振り返る冊子”とあったので、早速、神保町の三省堂で購入。
 
Tdsc04678 この本は、昭和26年に作成された火保図に佐藤洋一氏が文をつけたもので、浅草の古い写真に加えて、いとうせいこう氏、なぎら健壱氏がエッセイを寄せている。火保図とは初めて知った名前だが、「火災保険特殊地図」の略で、火災保険業務用に作成された店舗名や家主の名前などが詳細に記された住宅図で、日本橋、京橋、下谷、浅草、芝、新宿などが作成されていたそうだ。

 なお東京人の紹介記事によれば、武揚堂は「地図物語」としてこの本のシリーズ化を予定しているとある。

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2007/02/04

吉原今昔図

 ようやく休みとなった昨日の土曜日、買い物がてら人形町の本屋によったら東京人3月号「特集江戸吉原」が積まれているのが目についた。そういえばアースダイビングでお世話になったiGaさんが、先月のブログMADCONNECTIONでこの特集のことを書いていたし。元吉原があった人形町で、吉原特集の雑誌に出会うのも何かの縁かなとおもい、早速購入してきた。

 ページ66-67に明治(27年)・大正(12年)・昭和(20年)の吉原のお店を地図とした「吉原今昔図」が載っている。中央にある角海老楼は変わらないが、時代とともに名前の変わった店があり、吉原の浮き沈みが激しかったことがしのばれる。路地の形も変わっているが、これは大火(明治44年)と震災(大正12年)のためだろうか?この地図は浅草に住んでいる荒井一鬼氏の労作だが、じつは復刻版だが大正10年発行の震災以前の浅草・吉原の姿をとらえた地図がある。
 
300 深川区入船町にあった楢崎旭堂が作成した「浅草公園及び付近観世音由来吉原遊郭一覧」という長い名前をもつ、浅草寺を取り囲むお店や住宅の名前が全て書き込まれている地図だ。吉原を見れば、何々楼という遊郭のあいだに、タバコ屋、そば屋、すし屋、しるこ屋、洋食屋、魚屋、八百屋、銭湯、郵便局もあり、吉原が一つの町としても機能していたことがわかる。

 ところで東京人3月号にもどると、「最後の吉原芸者」の話が興味深い。やはり、その地でその時代を直接みてきたきたの人の話は貴重だ。同じように東京の町の聞き取りを、シリーズ化したらどうだろうか。

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2007/01/27

時代の空気

 今月新刊となった「名作写真と歩く、昭和の東京」(川本三郎、平凡社)を購入した。この本は「読売ウィークリー」に連載された「東京時空散歩」を編集したもの、有名写真家による昭和東京写真に川本三郎が文章をつけている。東京を地域ごとに分け、1930年代から1980年代の昭和の風景を紹介しているが、新しく編集されただけあって、年号は全て西暦に統一されている。

Futabaya 本郷・湯島・御茶ノ水界隈のなかに、小川町1959のタイトルで交差点の写真がのっている。タイトルで分かるように1959年に撮影されたものだが、この景色は1970年代も同じようだった気がする。フタバヤ、尾張屋とならびその隣りに、店内に鉱物標本や宝石の原石をおいてあった金石舎があったはずだ。谷中1977に写っている羅漢さんも、実際にこの格好(上半身は裸で半ズボン姿)で歩いていたのを見たことがある。このような光景は、実際に昭和を生きたひとに共感を呼ぶだろう。

 ところで申込書などに日付を書き込むとき、ふと手が止まることがある。今年は平成何年と書こうとして、すぐに出てこないのだ。平成も19年たっているのに、いまだに私は戸惑ってしまう、なぜだろうか?

 いまや日常見かけける年月日はほとんど西暦表示、07などという表記は説明がなくても2007年の下二桁だろうと解釈してしまう。それではすべて西暦で良いかとなると、そうでもない。たとえば昭和30年代は、1955年から1964年となるが、これはやはり昭和で呼ばないと時代の空気が伝わらない気がする。

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2007/01/14

村田キセル

 先週は出張つづきでブログを更新できず。出張カバンは仕事の資料で一杯、それでもコートのポケットに江戸の老舗に関する本を一冊放り込み、電車の待ち時間などに読んでいた。話しが江戸商人の服飾に進んだとき、「煙管屋の店員」という中で”煙管屋、上野池之端仲町にあった住吉屋は、浅草御蔵前黒船町の村田屋と一、二を競い。「住吉と村田張り合い磨き合い」と川柳にまで詠まれた”の記載をみつけた。

 そこで思い出したのが昨年みつけた羅宇屋「村田キセル」の写真だ。

 子供の頃、上野公園で何度か見かけた記憶があるが、羅宇屋(ラウ屋)というものがあった。キセルの販売修理をする自転車屋台だが真鍮製の小さな蒸気発生器を積んでいて、昔の蒸気機関車に似たピーという甲高い音を時々鳴らすのが子供にはとても面白かった。

 昨年、その羅宇屋の写真を古い本で見つけたとき、「村田きせる」という名が羅尾屋のガラスケースに書かれているのに気づいた。そのときは、「村田きせる」というのはこの屋台の屋号かと思っていたが、どうやらそう簡単なものでないらしい。私自身、タバコを吸わないのでタバコの名前はもちろんタバコ道具などは全く知らなかったのだが、村田キセルというのは江戸時代からある有名なお店だったのだ。

 さらに手元にあった東京本を調べたら、”キセルの村田文六は享保三年創業、村田の名前は余りに名高くキセルの代名詞となった”と記載されていた。村田のキセル製造は戦後まで続いていたが、”戦後あふれた「村田」のキセルは軍需工場が余材を利用して勝手に作ったもので、市販の村田の大半はニセ物”とも書いてある。「村田キセル」とはキセルの代表であり、ニセ物がでるほどのブランドだったのだ。

 さて今週も出張がつづく予定、こんどは何の本を持っていこうか?

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2006/12/20

紫の・・・

 今朝、通勤カバンに放り込んだのは、「銀座24の物語」(銀座百点編、文春文庫)。先日、購入したままになっていたが、昨日からの銀座つながりでこれを選んだ。
 
 表紙裏にある編者紹介によれば、”「銀座百点」は昭和30年に創刊された日本第一号のタウン誌。銀座の情報だけでなく、文化を表現する事にポイントを置いて編集され、創刊号から久保田万太郎、吉屋信子、源氏鶏太ら著名人が執筆に加わり・・・また向田邦子「父の詫び状」、池波正太郎「銀座日記」など、連載からベストセラーが多数生まれている”とある。「銀座24の物語」は、題名どおり銀座百点に1999~2001年に掲載された24の短編を集めたものだ。

 「銀座の貧乏の物語」(椎名誠)、「迷路」(皆川博子)と読み進み、「草の子供」(久世光彦)のページを開いたら銀巴里の話が書かれていた。”戦争は九年前の1945年に終わった”とあるから、時代は1954年(昭和29年)らしい。主人公の彼女は銀巴里のレジに勤めており、銀巴里の様子も書かれている。”銀巴里は、シャンソンと珈琲の店だった・・・ぼくはたいがい白い柱の蔭になった席で、丸山臣吾という少年が舞台に現れるのを待っていた。・・・その少年は、黒いトレアドルパンツにハムレットみたい薄紫のブラウスを緩く纏い・・・”とある。

 薄紫のブラウスを着た少年、これはもしかして?

 さらに読む進むと、”ふと気紛れに銀座へ出て銀巴里へ寄ったら、きょうの出演という店の前の貼紙に、丸山明宏という名前があった。丸山臣吾も、丸山明宏に変わったのだ”とある。小説なので、どこまでが実際の話しか分からないが、まさしくこれは三輪明宏の前身である丸山明宏が誕生した時代の話だ。

 この本は銀座つながりで偶然選んだが、またしても”紫の・・・三輪明宏”につながってしまった。この不思議な巡りあわせは、なんだろうか。

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2006/12/19

ロールスロイスと靴磨き

 このところ、ちょっと昔がマイブームになっている。100年前となれば、これは歴史の本の世界になるが、ちょっと昔たとえば30年前というと歴史の本にはまだ載っていない。今とそれほど変わりがないようにみえて、えーっと思うこともあるし、まだまだ実際にその時代を経験した人の話が聞ける微妙な古さがある。それも世界的なニュースや全国版ニュースでなく、地域限定の話題が面白い。

 先日、古本で購入した「新銀座八丁」(朝日新聞、1978)は、1978年1月から6月まで朝日新聞東京版に掲載された銀座ルポをまとめている。すなわち約30年前の銀座を記録した本だ。

Tdsc01225 たとえば、最近は各デパートの初売り風景は1月2日のTVニュースで流れるが、30年前、初売りは1月4日の風景であった。「新銀座八丁」によれば、四つのデパートが四日、一斉に初売り。その売り上げは・・・とある。ここで四つのデパートとして上げられているのは、松屋、松坂屋、三越、阪急で、まだ銀座プランタンはなかったし、有楽町西武もなかった。(銀座プランタン、有楽町西武は1984年開業)。初売りは、池袋のデパートは以前から早かったようだが、いまや東京中のデパートがそれと同じになってきた。このままいけば、いずれ初売りは1月1日の行事になるかもしれない。

 銀座らしい話題といえば、「ロールスロイスにのる靴磨き」というのがあるが、これは昔からある話で私が聞いたのは”その昔は靴磨きをしていたが、やがて事業に成功して大金持ちとなった。しかし、今でも靴磨きしていた頃を思い出して、ときどきロールスロイスで銀座にきて靴磨きをしている”という話だ。どうやらこれは、成功を夢見る人へのおとぎ話だったようだが、実際に毎月2回ロールスロイスで銀座に来ていた人の話しが「新銀座八丁」に載っている。いまは人生相談のオバサンというかオジサンである三輪明宏は、月2回銀巴里でシャンソン定例公演をしていた。そのとき乗っていた車が紫色のロールスロイスだったそうだ。三輪明宏は、やはり昔から凄かったのだ!

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2006/11/11

ずばり東京(開高健)

 「ずばり東京」の前白は、”・・・小説が書けなくなったらムリすることはないよ。ムリはいけないな。ルポを書きなさい。ノンフィクション。これだね。いろんな友人に会えるから小説の素材やヒントがつかめるし、文章の勉強になる”」ではじまる。既に芥川賞をもらっていたがスランプに陥り小説が進まなかった開高健に向かって、武田泰淳氏が贈った助言である。

 ウイスキーと釣竿をもって世界中駆け回っていた印象がいまも残る開高健は、それ以前、小説に加えて数多くのルポルタージュ作品を残している。「ずばり東京」は、開高健がルポルタージュの世界へ向かった初期の作品で、1963年から週刊朝日に連載された。このルポのあと開高健はベトナム、ナイジェリアやアラブの戦乱の地をめぐり、やがて釣りと自然の世界へ向かった。

 「空も水も詩もない日本橋」ではじまるずばり東京は、回がすすむにつれて「深夜の密室は流れる」「ぼくの”黄金”社会科」「総選挙は”銭の花道”」などその取材対象は深くなっていく。さらに開高自身も書いているが、独白体、会話体、子供の作文、擬古文、講談などさまざまな文体を試みている。

 古書好きな人におススメするのは「古書商・頑冥堂主人」の回だ。当時の「古書会館」(まだ木造バラック2階建て)で行われた古書市の話しだ。現在は、入札値のメモを封筒に入れると聞いているが、昔は市によってそれぞれ方法が違っていたようで、その方法が詳しく書かれている。

 ”板の間ザブトンを敷いて古本屋がすわっていて、口ぐちに値を叫ぶ。・・・ランニングにパンツ一枚という格好でひっきりなしに値を叫ぶのが振り手である。値のついた本をかったぱしからポーイ、ポーイとブン投げるから振りというのである・・・一般書会の市はこれだった”。

 ”洋書会は、さらに近代化されている。板の間へ連結式のレールを敷き、そこへ四角の盆をのせ、そこへ本をのせてゴロゴロころがしていくのである。値はいちいち叫ばないで、封筒へメモを入れる。それを集めて・・・最高値をつけた人に本をおとす”とある。

 さらに古典会の話しがつづくが、その内容は、この本を読んでの楽しみに残しておこう。これが実に優雅な方法なのだ。

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2006/11/07

東京十二契(野坂昭如と小林信彦の関係)

 野坂昭如の本「東京十二契」を知ったのは、小林信彦の「私設東京繁昌記」の第三章六本木界隈の中にある、次の記述からだった。

 ”1955年ごろの六本木界隈の変遷は、野坂昭如氏の「東京十二契」のなかの一章「六本木、消えた坂道」が詳しく記している。記憶だけで書いたとおぼしいが、かなりのものだ・・・・”。さらに続けて、”「私をNET(現テレビ朝日)に案内してくれたのは、放送作家・阿木由起夫氏である。・・・本名を野坂という阿木氏は、なぜか夜でも黒眼鏡をかけており・・・”と野坂昭如との出会いとその後の交流をなんども書いている。

 これを読んでから、東京十二契(野坂昭如)がずーっと気になっていたが、なかなか出会うことがなかった。ところが、先日、ある古書市の入り口近くに置かれた本棚の一番隅に、この本がひっそりっと置かれていた。これがあの本かと、さっそく購入した次第だ。

 学生時代、野坂昭如の本は何冊か読んだことがあったが、その後は長い間はなれていた。久しぶりに読むと、懐かしさがこみあげてくると同時に、どこか古典を読んでいるような気持ちになっている自分に驚く。たぶん学生時代は、その一部しか分からなかっただろう。「六本木、消えた坂道」の章に進むと、”すぐそばに小林信彦が住んでいた。彼が編集長だったヒッチコックマガジンに、ぼくは三十四年12月号から翌年三月号まで、表紙のモデルをつとめたことがある。すでに小林は「虚栄の市」を発表し、「日々の漂白」が直木賞候補にあげられていたと思うが、・・・」”と、小林信彦との交流が描かれている。

 小林信彦と野坂昭如の二人の六本木の話しは、まるでお互いに対になるような内容なのだ。いま「東京十二契」は入手が難しいが、これは是非、文庫で再刊してほしい本だ。

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2006/11/05

古本背表紙オーラ

 友人達と昼食後、私鉄で二駅先にある古書店へ向かった。先日の明大アカデミーで一緒になった人から、あの店は主人が変わり、店内の様子もだいぶ変わったとの情報があったからだ。

 このお店は、表からみるとビルの横に張り付いた細い路地のようになっており、店先にコミック誌や古い雑誌などを置いた町の小さな古本屋さんだ。しかし店の奥まで入ると、古い文学や美術関係の本が置かれた静かな部屋があり、ここで本を見ていると時の経つのを忘れてしまいそうになる。

 それがどうも様子が違う!

 店のレイアウトは以前と同じだが、店全体がざわついている。店奥の部屋も、テレビの音声が流れていて、以前のような静かさがまるで無い。並ぶ本の背表紙が発する雰囲気というかオーラのようなものが全く違うのだ。同じ店でも店主が変わると、こうも雰囲気が違ってくるのかと驚く、店は人なりか!

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2006/11/04

駿河台を行く(喫茶店)

 ここ一月ほど続いた明大アカデミーの講座も終わり、昼食後、顔見知りとなった皆さんと古くからある喫茶店へ向かった。

Tdsc00655 いつのまにか仕事の打ち合わせなどは、どこにもあるチエーンのカフェばかりとなり、喫茶店という言葉は遠くなってしまった。前回、喫茶店に入ったのはいつだろうか、まったく思い出せない。学生時代は、ほぼ毎日喫茶店に通っていた、日によっては1日2回3回と通ったこともあったのに・・・。ひさしぶりの喫茶店に、すっかり和んでしまった。

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2006/11/03

東京人(中央線特集)

 昨日は夜遅くなったが仕事の帰り道、自宅近くの本屋に寄ってみた。雑誌コーナーで東京人(中央線特集)があったのでちょっと中身をチエックすると、「中央線からなくなったもの生まれたもの」の中に、さきごろ改築のため一時休業にはいった吉祥寺の「いせや」や、取り壊される「国立駅舎」「阿佐ヶ谷住宅」の話しが載っている。小特集は「山口瞳の東京地図」、さらに古本師匠の「沿線古書店の新勢力」の記事と、いずれも見逃せないものばかりだ。これは絶対買わねばとレジへむかった。

 「いせや」や「阿佐ヶ谷住宅」は、Mさんのブログで見ていたのでざっと読み。国立の住んでいた頃、ほぼ毎日利用していた国立駅の記事へ読み始めた。うーん、ちょっと物足りない!でもそれはかつて住人だったものの思いかも、1ページと限られたスペースにはよくまとめられている。でも、できればホーム横にあった桜について書いて欲しかった。あの桜はどうなったのだろうか。

Kunitachi_hitotsubashi_1 国立での日々でいまも強烈に憶えているのは、大雪で中央線が止まった日だ。その日は、なんとか会社に行こうと国立駅に向かったのだが、上下線とも運転中止で復旧のメドがまるで立たずアパートへ戻るしかなかった。その途中、ときどき夕食に利用していたイタリアレストランに立ち寄ったら、今日は臨時休業しようかと思ったが誰かお客が来るかと思い営業していると言われたので、そこで昼食をとった。しかし私以外のお客さんは来ず、結局、オーナーのSさんと二人で、暗くなるまで雪景色をみながらお店で過ごしたのだ。

 そのお店では、素晴らしい人たちに出会った。いつもダンディに帽子をかぶっていたKさんと粋な江戸っ子の奥さん、バイク乗りのSさん、芸術家のKさん、デザイン会社のNさん、花屋さんのTさん、そしてレストランオーナーのSさん。皆、どうしているだろうか。

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2006/10/30

¥500DVDは第二の文庫か?

 ときどき立ち寄る人形町の本屋に行ったら、店内レイアウトがガラリと変更されていた。入り口近くにあった東京や日本橋関係の書棚がなくなり、すべて¥500DVDコーナーになっている!

 すこし前から本屋で格安DVDが1000円前後で売られていたが、いままでは手を伸ばすことがなかなかった。私の好きな喜劇関係がなくて買うものが見つからなかったからだ。しかし500円となると、敷居が大分低くなる。たとえば、すでにTVの名画劇場やビデオテープで見たものでもDVDで買っておこうかとか、買うのをためらっていた古典名作なども¥500なら買ってみようかとなる。この感じは、単行本で読んだがもう一度読み直そうとか、古典を手軽に読もうなどとか、文庫本を買うのに似ている。

 今回買ったのは、「二人でお茶を」と「セカンドコーラス」だ。「二人でお茶を」(1950)は、ドリスデイ主演のミージュカルというよりは明るい音楽ドラマだ。なんといってもドリスデイの歌声が楽しめるのがうれしい。「セカンドコーラス」(1940)は、フレッドアステア主演の歌あり踊りありのいつもどうりのアステア映画だ。共演のポーレットゴダードは知らない名前だったが、調べたらチャップリンの奥さんになった女優さんだ。

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2006/10/06

学生街の喫茶店(駿河台とちの木通り)

 東京坂道散歩(富田均)を読んでいたら、「学生街の喫茶店」男坂(猿楽町)という文章に出会った。この中で駿河台にある「とちの木通り」から猿楽町へ下る「男坂」、その近くにあった喫茶店「マロニエ」を紹介している。富田さんは、”この通りでは唯一のお店だった喫茶店マロニエ”、”私が同店によく通っていたのは昭和40年頃”とあるが、私が昭和40年代中頃通ったLEMONやFINEについては何も語っていない。どうやらほんの数年間で、この辺りは大きく変わったようだ。

Tdsc00596 変わったといえば、この本でも紹介されているアーチ状の入り口が美しかった文化学院は、今は建て替え中でこんな状況になっている。残っているのは、ちょうどその入り口があった部分だ。明治大学がすっかり新しい建物となり、駿河台では山の上ホテルとともに数少ない古い建物だっただけに、うまい保存と利用方法があると良いのだが、どうだろうか。(参考、文化学院の入り口)。

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2006/10/04

東京坂道散歩(富田均)

 このごろ仕事帰りに本屋に立ち寄ることが多い。だいたい渋谷の紀伊国屋か神保町の書泉か東京堂だが、今日は神保町の三省堂で「東京坂道散歩」(富田均)を購入。早速、帰りの電車内で読みはじめたら、予想にたがわずいいい内容だ。この本は、東京新聞に連載されたものを単行本にまとめたものだが、富田さん得意の東京路地と映画の話題が満載、どのページを開いても楽しい。

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2006/10/01

私説東京繁昌記(小林信彦・荒木経惟)

 ここ一週間、私説東京繁昌記(小林信彦、写真:荒木経惟、ちくま文庫)を読んでいた。この本の作者二人については説明不要だろう。小林信彦は、小説・コラム・エッセイなど数多くの作品を書いており、荒木経惟はアラーキーとして写真界で大活躍している。この二人が、1983年5月から1984年3月まで東京の町を歩き、作り上げたのが私説東京繁昌記だ。この町歩きは1984年5月まで雑誌「海」に連載され、その後、単行本が中央公論(1984年)、筑摩書房(1992年)から発行され、現在はちくま文庫版が入手可能だ。

 小林信彦は、変わりゆく東京を評して「町殺し」という言葉をたびたび使うが、この本にそのルーツがありそうだ。「町殺し」という言葉が、ある建築家による造語であることを、この本で明らかにしている。日本橋両国という東京の下町で生まれ育ち、その後、山の手各地に移り住んだ小林信彦は、戦災、東京オリンピック、そしてこの本が書かれたバブルによる東京の変化をまのあたりに見てきた。

 今、バブル期の開発と破壊の混乱を語るのは簡単だろうが、20年前のバブル真っ只中であった1984年当時に、それをズバリ「町殺し」と言っているところが小林信彦の凄さだろう。あれから20年、いま再び町なみが大きく変わりつつあるが、そこにはどのような言葉があるのだろうか。

 私説東京繁昌記の最初の版(1984年)は、10章+終章の全11章となっているが、1992年版は、「八年ののち」の章をあらたに加えて全12章となり、さらに新しい写真が追加されている。文庫本は、この1992年版をもとにしており、解説は吉本隆明によるものだ。

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2006/09/25

古書との出会い:江戸古地図散歩(池波正太郎)

 久しぶりの”古書との出会い”となったので、このシリーズを少し説明しよう。東京に関する本は数多く出されているが、昔から定評のある本は古書価格も高くなり、なかなか手が出ないことが多い。その一方で、いまや大作家と呼ばれるような人が若い頃書いた実用書や、内容は素晴らしいが作家としてあまり評価されなかった人の本は、驚くほど格安で売られていることがある。

 このシリーズは、そのような東京本を紹介するつもりでスタートしたが、やってみるとこれが意外に大変で。さらに、このブログを見て本を買いましたなどと聞くと、とても嬉しいが、これは安易なことは書けないというプレッシャーにもなり、なかなか書き込みが進まなかった。そこで、タイトルは”古書との出会い”のままだが、これからは少し肩の力を抜いて新旧有名無名を問わず不定期で東京本を紹介していくつもりだ。

 さて、今回とりあげるのは「江戸古地図散歩」(池波正太郎:平凡社カラー新書、1975年)。池波正太郎については説明がいらないだろうし、この本の新装版は、平凡社コロナブックスシリーズの一つとして現在も販売されているので、古書との出会いで紹介するのはずっとためらっていた。もともとこの本は、著者の子供時代の思い出を含めて、江戸古地図をたどりながら「鬼平犯科帖」「剣客商売」などの作品の舞台や江戸東京を語る本として企画されたものだろう。その第一級の文章と江戸地図は、現行版で十分楽しめる。

 しかし1975年新書版には、江戸時代の図版とともに1975年当時の東京の写真が多数入っており、いまや1970年代の東京を知るための貴重な資料となってきたので、あらためて取り上げたみたい。

Edokochizusanpo1 たとえば縁日風景の写真、お面売りの棚にヒーローの顔が並んでいるのは今も同じだが、その中にパンダが並んでいるのがいかにも1975年の風景だろう。パンダが日本に初めて来たのは1972年だ。さらに虫かごを売る店が写っている、最近ではカブトムシだけになってしまったが、昔は鈴虫にくわえてガチャガチャと鳴くクツワムシなどが虫かごに入れられ売られていた。さらにモノサシ売り、羅宇屋、どちらもいまは見かけなくなった商売だが、1975年当時は十分現役だったようだ。きわめつけは30年前の佃島の風景だが、川辺を写した写真の背景に高層マンションはなく、その空は広く、水路はコンクリートで固められず土のままだったのだ。これらが全てカラー写真で入っている!これだけで十分価値がある!もし古書店の新書コーナーで見つけたら、一度手にとってみることをすすめる。

 なお現行のコロナブックス版は、上記のような写真はないが、江戸絵図は大きくカラーで印刷され、対応する現代の地図が加えられてより分かりやすいし。さらに巻末には、「鬼平犯科帖」を歩くの地図も追加されており、池波正太郎小説ファンは要チエックだ。

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2006/09/15

OneDay(武田花)

 武田花さんの名前を知ったのは、川本三郎さんの「私の東京町歩き」の表紙にあった「写真・武田花」という文字からだ。静かな路地にたたずむ猫をとらえた写真は、猫はそれほど大きくないというか、どちらかというと小さめだが、風景のなかで絶妙な大きさで写っている。古い木造家屋が建つ路地、川面を行く船、どれも静かな風景がとても心に残り、いつか武田花さんの写真集を見たいと思った。

 OneDayは、写真家:武田花さんのフォトエッセイ、手元にある本は、新刊発売時(1997年)に国立の増田書店で購入したはずだ。塗装の剥げた看板にドアが破れた家、錆びて判読不能な交通標識、壊れたハート型の看板、影を強く残した白黒の写真はどれも素晴らしい。

 武田花さんの両親は、作家の武田泰淳と武田百合子だが、このフォトエッセイに、武田花さんは古本屋でアルバイトをしていた当時のことを書いている。”古い木造平屋建てのお店には、古本古雑誌が山と積まれ・・・あるとき、うっかり雑誌の山を崩してしまったら、下の方から見たこともない面白そうなものが出てきた・・・”という話しが、アルバイト願望の章に載っている。

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2006/09/09

ブラジャケ:ブックカバー

 今日は午後から神保町、買い忘れていた雑誌のバックナンバーを求めて書泉グランデへ直行した。雑誌を購入し店を出るとき、無料ブックカバーが出入り口に置いてあるのに気付いた。ブラジャケという名前で、すこし厚手の紙で丈夫そうにみえたので、試しに2枚だけ持ち帰り文庫本にかけてみた。なかなかよく出来ている。

 ところで何故無料で配布しているかといえば、ブックカバー全体に広告が入っているのだ。これはイベントなどの宣伝用に作られたものらしい。ためしにブラジャケを検索したら、販売会社から、すでにコレクターなどもいることが分かった。本ばなれと言いながらも、本カバーをビジネスにするとはなかなかものだ。

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2006/09/08

三省堂ブックカバー地図

 仕事帰りに神田三省堂に向かった。神保町で地下鉄を降りて、まずは書泉グランデをみて、ミロンガとラドリオのある細い道を通って三省堂の裏口へたどりついた。閉店間際だったのであわてて本をレジに持っていくと、いつものようにカバーをかけますかと聞かれたのでお願いした。

 地下鉄の車内でさきほど買った本を取り出したら、ブックカバーが神保町界隈の地図になっている。左右は九段下の俎橋から小川町のカワセ楽器あたりまで、上下はJR御茶ノ水駅から毎日新聞本社の裏側あたりまでが一枚の地図になっている。これはなかなか便利そうだ。なにが便利かと言えば、新刊本屋からはじまり古書店や学校さらに飲食店が網羅されている。

 以前は裏通りの喫茶店なども知っていたつもりだったが、すっかり様変わりしてしまい、このごろは行ってみたら目指すお店が無くなっていることが多くなった。それそろ旧い記憶をリフレッシュしなければと思っていたので、このブックカバーはピッタリだ。

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2006/09/07

雑踏の社会学(川本三郎)

 このごろ仕事の都合で渋谷駅をよく利用する。渋谷といっても地下鉄半蔵門線なので地上を歩くのはほんの数分なのだが、街の勢いに圧倒されることがある。かつてパルコや東急ハンズが出来たての頃、よく歩いたことがあったが、今はどうもかってがちがう。そこで、その当時の渋谷はどうだったかを再確認するために、「雑踏の社会学」(川本三郎)を開いてみた。

 メイ・クイーンは憶えていないが、「赤いカンパリソーダ」、うーん懐かしい光景だ!なぜか女の子は、皆、これを飲んでいたのを思い出す。川本さんの東京に関する文章は、その内容と質の高さに感心することが多いが、「赤いカンパリソーダ」など、こんな細かいこともまでも、ちゃんと東京の姿として記録し文章にしていることに驚く。

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2006/09/06

眠れぬ夜に読む本(遠藤周作)

  長年の友人が入院したが、どうも夜眠れないとの話を聞いた。なにか気を紛らすものはないかと探して見つけたのが、この本「眠れぬ夜に読む本」(遠藤周作)だ。さいわいこの本を渡す前に、友人は退院したので本は手元に残っている。

 巻末の版数をみると、初版は1996年9月で、私が購入したのは2005年4月第24刷となっている。じつに10年間で24版も出ていることになる。世の中には、よほど眠れぬ人が多いのか、はたまた狐狸庵先生のファンが多いのか、それを考えると眠れなくなってしまうというのは冗談だが、ずいぶん売れている本だ。

 私と友人は、ドクトルマンボウの本か狐狸庵の本かに悩んだ世代だが、その決着はつかずじまいだった。久しぶりに読んだ狐狸庵先生の本、前半の「生と死について考える」の内容にちょっとドキッとすると同時に考えされた。

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2006/09/05

トーキョー放浪記(山田スイッチ)

 ときどき中身も読まずに、タイトル名だけで本を買ってしまうことがある。たいてい、こういう本はハズレなのだが、ときどきハマッテしまうのでやめられない。

 たとえば「トーキョー放浪記」(山田スイッチ)。この本は、別の本を探しているときに偶然みつけて、そのタイトルにある「トーキョー」だけで買ってしまった。この本を読むまで山田スイッチさんを全く知らなかったが、なかなか面白いキャラクタだ。表紙カバーにある経歴によれば青森在住のコラムニストとあるが、本文を読むと、最初はお笑いを目指していたが、様々なアルバイトを経験し、雑誌ぴあのコラムニスト大賞を受賞しコラムニストなったらしい。

 はっきり言って親子ほど年は離れているが、こんな子が我が家にいたら、楽しいというか、頭がイタイというか、とにかく毎日退屈しないだろう。なんといっても、そのハチャメチャな行動が面白い。取り上げられている東京も、恋ヶ窪、立川、五反田、笹塚、亀戸、門前仲町など東京のマイナーなところがいい。五反田にブラジル人が集まっているなど、この本で初めて知ったこともある。

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2006/09/04

秋も一箱古本市

 春の一箱古本市の直後から話が出ていたが、秋の一箱古本市の案内がやってきた。イベントの名は「秋も一箱古本市」、10月22日(日曜日)開催予定だ。すでに正式ブログ「秋も一箱古本市」青秋部が立ち上げられている、興味のある人は是非アクセスし、カレンダーにマークを付けておこう。

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2006/09/03

リンボウ先生「東京珍景録」(林望)

 初めての町を歩いたとき、古い建物や商店につい目がいってしまう。建築の専門家でもないし商店経営の専門家でもないし骨董趣味があるわけでもない、しかし、ちょっと古いものや珍しい光景をみつけると、なんとなく嬉しくなる。このようなモノに対するこだわりは、すでに路上観察学(赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊)としてまとめらているが、「学」というのは、どうも大げさすぎる気がする。たとえば、初対面の人に「自分は路上観察学会員の・・・」と名乗るのは、いかにも怪しげな団体のようでとても出来そうもないし、私だって相手からそう名乗られたら構えてしまう。路上観察学会員ほどではないが、町の風景やファッションなどにこだわる人をなんと呼べばよいのだろうか。ここでは単純に「町歩き愛好家」とでもしておこうか。

Tdsc00398 さてリンボウ先生「東京珍景録」(林望)は、ここまで述べてきたような東京の古い建物や街並みを写真とともに紹介している本だ。もともと雑誌「東京人」と「GQ]に掲載されていた連載をまとめたものだが、どこか古風な言葉つかいながら筆がとても軽妙で、作者自身による写真をを含めて、リンボウ先生の多芸ぶりが表れている。なお、この本は文庫版も出ているが、文庫版は写真のキャプションが単行本から書き換えられ、より解説が多い説明的な印象がする。

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2006/08/21

みんなの寅さん

 出張もおわり、ようやく通常の生活に戻り始めたとたん仕事のメールがどっと来た。例によって、細かい指示やコメントをたくさん頂いたが、出来る範囲でコツコツと処理することにしよう。

Tdsc00241 さて今週の通勤本は、「みんなの寅さん」(佐藤忠男、朝日文庫)だ。いまさら寅さんと思うかもしれないが、いまだから寅さんを読んでみようという気分なのだ。寅さんをマンネリとして軽くみる人がいるが、長く続くものには、それなりのパワーがあるように最近思い始めている。たとえ結末は分かっていても、その確立された様式のもつ安心感にひかれて、どうしても見てしまう水戸黄門のように、寅さんの映画はひとつの様式を確立したように思う。

 それは現実の世界からちょっと離れているが、昔はいたよねとか、こんな人がいたらいいな、という感情を呼ぶようだ。こういう気持ちは、たんなる数字や法則では推し量ることはできず、普通の仕事であれば切り捨ててしまうものだ。しかし、このような気持ちにうったえるものが、本当は大事なような気がする。

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2006/07/23

1/130(130分の1)

 久しぶりに出張することになったので、土曜日の午後、神保町へ旅行ガイドを買いにいった。なぜか新刊書店も古書店もみな混んでいる、夏休みに入ったからだと聞いたが、見かけるのはオジサン・オバサンばかりで、夏休みとはあまり関係ありそうもない。どうも町歩きの場所として、神保町にくる人が増えてきたように思える。

 さていつもの通勤本だが、「東京散歩 昭和幻想」(小林信彦、光文社)を選んだ。じつは、この本の表紙に「日本人は笑わない」改題とあり、すでに「日本人は笑わない」(新潮文庫)は持っているので買うのをためらったが、東京散歩本ということで購入した。読み始めてみると、章の順番も変えてあり、ただ単純に題名を変えた本でないことが分かる。

 ところで、前回の「日本人は笑わない」、今回の「東京散歩 昭和幻想」、この二つの題名は、あまりにかけ離れた印象を受けるが、どうしてこのような題名したのだろうか。前者であれば、小林さん得意の喜劇や映画などのエンターテイメントを扱った本のような印象だが、後者だと、やはり小林さん得意の東京を舞台にした本、たとえば「私説東京繁昌記」につながる本のような印象だ。

 じつは「東京散歩 昭和幻想」のなかに”小説の題名”という話があるが、小林さんの書き下ろし「世界でいちばん熱い島」の題名が森村桂さんの「天国にいちばん近い島」に似ていると、ある批評家に評された話だ。その題名にするまで130ほどの候補をあげて決めたそうだが、こんな評論をされるとは、小説家は大変だと思わず同情してしまう。

 そうは思っても、やはり題名は気になる、「東京散歩 昭和幻想」のときは、いったいいくつ題名の候補があったのだろうか。

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2006/07/20

なぎらさんの話を聞いてみたい

 今月初めからの仕事の混乱は、ようやくピークを超えたようだ。しかし、これからが大変なのだ。いままでの混乱は、登山でいえば、駅から登山口まで向かうバスの調子がちょっとよくない程度で、まだ登山口にはついていない。本当の山登りは、これからなのだ。

 さて今週の通勤本は、「下町小僧、東京下町昭和30年」(なぎら健壱、ちくま文庫)だ。TVに登場するなぎらさんは、本職はフォークシンガーだと言いながらも、ちょっといいかげんなオヤジ風なキャラクターをよそおっている。しかし、ひとたびペンをとると、その記述の詳しさに驚かされる。

 「下町小僧」は、その副題にあるように、銀座木挽町生まれのなぎらさんが育った、昭和30年当時の東京の下町風景をこまかく描いている。たとえば「だっこちゃん」、最初の正式名は「木のぼりウインキー」、それが「ウインキー」になり、ついに「だっこちゃん」になったこと、さらにウインクしないニセモノがあり、そのためにあとから貼り付けるウインクする眼のシールがあったなどの話は、さすがなぎらさんだ。しかも、本物の「だっこちゃん」の値段に加えて、ニセモノ用シールの値段まで書いている。

 そんなこと書いてなんの役に立つと言われれば、それまでだが、その時代を知る人にとって、思わず”あった、あった”と叫んでしまう話題だ。

 いったい、なぎらさんは、こういう話をどのように書いているのだろうか。できれば、なぎらさんの話をじっくり聞いてみたい。

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2006/07/15

暑く長い一週間

 ここ一週間ほど、蒸し暑い日がつづきバテぎみなところに加えて、ココログの応答が遅くなりアップロードもできない状態が続いていた。どうやらプロバイダ側のメインテナンス作業も終わりようやく回復したようなので、この一週間に買った本、読んだ本をまとめて紹介しよう。

 新刊の一冊目は、「プリンシプルのない日本」(白洲次郎:新潮文庫)だ。白洲次郎の人物像を描いた本は、読んだことがあったが、この本は、白洲自身が文芸春秋に書いてきたものを一冊にまとめたものだ。戦争責任、占領政策、日本国憲法、敗戦後の日本をどのような社会にするか、外国とどのように付き合うかなど、考えさせることが多い内容だ。

 自分の経験でも、混乱期ほど、その人の人間性が行動に表れるように思う。混乱に乗じて、昔のことは無かったことのように、うまく立ち回ろうとするもの、私はこういう人を好きになれない。ところが、こういう変わり身の早い人を、もてはやす人がいるのだ。

 新刊の二冊目は、「伊丹十三の本」(新潮社)だ。これは、まだ読んでいる途中だが、写真が多くて見るだけでも楽しめる。

 三冊目は古書で「秘密指令オヨヨ」(小林信彦:ちくま文庫)、先日、病院で健康診断を受けたとき近くのブックオフでみつけたものだ。オヨヨシリーズはその昔、角川文庫で読んで面白いと思ったが、今回は健康診断の合間のためか、どこかのれない気分だった。子供向きのように見えて、本質が大人のエンターテイメントである部分に少しズレを感じてしまう、どうしたんだろうか?もちろん、私の好みが変わってきたせいだが。

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2006/07/08

インド人もホントウにビックリ!

 通勤カバンの中に本を入れているが、新しい仕事の準備と重なったため、なかなか進まない。朝の電車は、混み合っていて本を開くことはできないので、帰りの電車で読むことにしている。しかし帰り道は、昼間の仕事モードが尾を引いてしまい、どうも読むスピードが上がらないのだ。こういうときは、肩のこらないグルメ本にかぎると思い、今週は「われらカレー党宣言」をカバンの中にいれていた。

 さて一週間の感想は、「よくぞこれだけ多くの作家がカレーについて書いているものだ!」につきる。母親手作りのカレーにはじまり、学校で食べたカレー、そしてレストランで食べたカレーなど、その想いでは似たようなものだが、なぜか皆さん自分の経験こそ一番だと意気込んでいる。

 ということで私もひとつカレー体験を紹介しよう。

 ある出張で、インド人と仕事をする機会があった。たまたま宿泊しているホテルも同じだったので一緒に夕食をたべるようになり、ある日、町一番の本格的インドレストランへ行った。さすが本格的インド料理、口のなかに広がる深い香りに感心した。しかし、数秒後、口のなかに強烈な辛さが渦巻きはじめた。私は、これが本当のインド料理かと思い、がまんしながら食べていたが、インド人もあまり料理が減っていなかった。結局、全部食べきれずに、勘定を支払うことになったのだが、そのときインド人が調理室に入りコックと話していた。

 そしてクルマに戻ったとき、インド人がいきなりはまくしたてた”あれはインド料理ではない!本当のインド料理は、あんなに辛くないぞ!”と。じつは、あそこにいたコックはインド人ではなくバングラデッシュ人で、料理はインド風だがインド料理とは違うそうだ。その後、彼の手作りの料理を食べる機会があったが、たしかに強烈な辛さがくるまでの時間は多少長いようだが、私には、インド料理とバングラデシュ料理との差はついに分からなかった。

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2006/07/05

女王陛下のカレーライス(荻昌弘)

 荻昌弘の本職は、何だっただろうか。TVでは映画評論をしていたし、「男のだいどころ」という食べものに関する本もあった。これ以外にも、音楽やオーディオに関する本もあったように思うが具体的には思い出せない。まあー、さまざまな分野で活躍したマルチ人間としておこう。

 さて「女王陛下のカレーライス」(荻昌弘)は、その文体にちょっと驚いた。話し言葉風の文体がとても読みやすいし新しい、かといって軽薄さは全くなく内容も面白い。いままで荻昌弘の本は読んだことがなかったが、これを機会にじっくり読んでみようと思って調べてみたら、ほとんどが絶版になっている。ちょっと残念だ。

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2006/07/04

真の味は骨に(子母澤寛)

 仕事の資料をファイルでもらうことになったが、それを見るためのパソコンがまだ準備できていない。パソコンは届いたが、必要なソフトウエアがまったく入っていないそうだ。なんだ、私も準備できていないが、相手も同じらしい。

 ところで、なかなか進まない「われらカレー党宣言」だが、今日は帰りの電車の中で「真の味は骨に」(子母澤寛)を読んだ。これは伊丹十三も愛読した子母澤寛の「味覚極楽」からの転載だ。とこどころ古い字体があるが、文章はとても読みやすいし、カレーの作り方も詳しく書いている。

 ”肉にしても魚にしても、骨ごと使わなくては本当のうま味はでません。あの骨から出る味というものは、どんな調味料を使っても真似の出来ないいいものです”、うーんなるほど。

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2006/07/03

ライスカレーの巻(山本嘉次郎)

 う~ん、今日はメチャクチャ疲れた。朝からプレゼンテーションを次々見せられたが、あれはちょっと多すぎるだろう。こっちにはこんな資料がある、あそこにはこんなレポートがあるなど、苦労して作成したものを全部見せたい気持ちは分かるが、レポートなどは少ないのが一番なのだ。

 そんなわけで、きょうの通勤本「われらカレー党宣言」は、ほんの10ページしか読めなかった。「ライスカレーの巻」(山本嘉次郎)は、日本三大洋食考からの転載だが、ウナギライスからインド人が作る本格的ライスカレーの作り方に移っていく話の流れは見事だ。このごろよく見かけるウンチク話、蕎麦はダシ、天ぷらはツユ、鰻はタレ、穴子はツメなども、既に語られている。やはり食べものに関する話になると、山本嘉次郎は群を抜いている。

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2006/06/27

南海.vs.VAN

 今日も、読みかけの山本容朗の「文人には食あり」を持って外出。「食の憂楽帖、北杜夫」の章で、マンボウシリーズの「マンボウ周遊券」のカレーライスの話を読む。マンボウシリーズは、学生時代にずいぶん読んだので懐かしい。

 山本さんは、”北さんは神田・神保町の田村書店の裏通りにあるカレー専門店をいいとほめる。・・・これを読んで”あっ”と、私は声をあげた。この店は「キッチン南海」ではないだろうか”と書いている。

 私の思い出の裏通りカレー専門店は、これも田村書店の裏通りだが、小宮山書店と文省堂の間の路地にあったVANカレーだ。VANカレーはいつのまにか消えてしまったが、私のなかではカレーといえばVANカレーで、カツカレーのときだけキッチン南海だった。

 こんなことを書いていたらカレーが食べたくなった。まずは表通りのカレー専門店の共栄堂かな、ここのサラッとしたカレー、学生時代はどこか物足りなく感じていたが、最近はこのスッキリした味が好きになってきた。

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2006/06/21

牛肉百匁ください

 昭和34年版家庭料理大全には、材料の値段表がついているが、その材料の単位が100匁(もんめ)・375グラムとなっている。たとえば牛ロース375グラム(100匁)300円、塩鮭375グラム(100匁)71円、などと記載されている。また料理例でも、すき焼きでは牛肉563グラムという中途半端の表示のあとに、(150匁)と括弧をつけて表示している。

 匁(もんめ)という単位は1匁=3.75グラムで、一部の商品をのぞいて現代では使われていないが、昭和30年代は、まだ普通に使われていたようだ。たとえば、肉屋の店先では、”牛肉百匁ください”などという会話が交わされていただろう。

 この匁について、茂出木心護は、「たいめいけんよもやま噺」に”今日は百匁あったから二万五千円売れたよ”という話を書いている。その日の売り上げを計算するとき、受け取った札の重さを計って、売上額を勘定した。昭和23年、飲食店の営業が規制されていたので、たいめいけんが惣菜屋をしていたときの話だ。

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2006/05/14

あの日の花森安治

 以前、短い期間でしたが、銀座松屋裏にあったオフィスに通っていました。新人だったので勤務時間中は、ずっと仕事に追われて休憩時間など、とてもとれませんでしたが、昼休みだけはきっちり1時間とれました。私の定番は、銀座1丁目にあった小料理屋おりんで昼定食を食べ、3丁目の十字屋でレコードを見て、4丁目の教文館で本を立ち読みするというコースでした。

 そんなある日の昼、銀座三越の前で、頭に西部劇に出てくるビーバーの毛皮で作ったような帽子をかぶり、厚手のシルクのような光沢のある茶色のスーツを着た人物を見かけました。帽子からはみ出た髪は銀色、早足で歩く調子に合わせて揺れていました。だいぶ歳をとっているように見えましたが、何歳ぐらいかと聞かれても答えが浮かばない年恰好。顔つきは男性のようですが、スラックスでなく上着と同じ生地のスカートを着ていました。それは数秒間の出会いでしたが、その不思議な人物は、私に強烈な印象を残しました。

 夕食時に、親に今日見かけた人について話したら、母親は即座に”それは花森安治にちがいない”と答えました。暮らしの手帖の読者であった母親は、花森安治の姿をよく知っていたのでしょう。

 あれから年月が過ぎ、今、私の手元に花森安治の本「一銭五厘の旗」があります。

Issengorin

 この本を開き、「どぶねずみ色の若者たち」を読んだとき、私に、花森安治を見かけたあの日の光景がよみがえってきました。「たとえば、東京でいうなら、丸の内とか虎ノ門あたり、あのへんを、昼休みにぞろぞろ歩いている、若いサラリーマンたちを、ながめてみたまえ。・・・どぶねずみ色なのである。」とあります。

 その当時、私はスーツを一着しか持っていなくて、銀座松屋で買ったそのVANジャケットのビジネススーツはチャコールグレー、いわゆるドブネズミ色でした。花森安治に出会ったときの私は、まさしくどぶねずみ色の若者の一人だったのです。

 花森安治は、「このつぎ服を買うときは、ひとのことは気にしないで、じぶんで着たい服を買いたまえ。すると、たかがそれくらいのことをするにも、いささかの勇気がいることに気がつく筈だ」と語っています。さらにこれに続けて、「しかし、君がねがうところの、マイホーム的幸せを手に入れるためには、たぶんその何倍かの、<いささかの勇気>がなければ、だめなのだ。らくなことだけしたい、いやなことはしたくない、といった臆病者では、それは到底手に入れることはできない筈なのだ」と結んでいます。

 その後、大学卒業を前にして私が買った二着目のスーツは、グレーの濃淡に茶色が少し入ったチェックのものでした。それが花森安治の影響だったと言えば格好良いかもしれませんが、たぶん、当時の週刊誌かファッション誌に出ていた写真をそのまま真似たのでしょう。じっさいに私が花森安治の「どぶねずみ色の若者たち」を知ったのは、最近のことですから。

 この頃、電車の中で新入社員風の若者をよく見かけますが、そのほとんどが男も女も皆同じような黒っぽいスーツを着ています。彼らは、二着目にどのようなスーツを買うのだろうか。願わくば「いささかの勇気」を発揮してほしいものだ。

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2006/03/11

久世光彦作品の思い出

 久世光彦さんが3月2日亡くなりました。

 今回は、いつもの古書との出会い・東京本紹介を休んで、久世作品の思い出を少し書きましょう。

 テレビニュースは、告別式に集まった人々の姿とともに、久世さんがTBSで演出した「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」などのドラマの映像を繰り返し流しました。

 銭湯を舞台としたドラマは「時間ですよ」以前にもあったと思いますが、それまでの銭湯ドラマは、脱衣場にカメラを据えて番台での銭湯主人と客とのやりとりの映像がほとんどで、銭湯を舞台と言いながら、実際には番台ドラマでした。ところが「時間ですよ」では、番台に座っている主人が、あたかも脱衣場や浴室を見渡すような映像を演出したのです。視聴者が番台に座ったら、そこからどのように見えるかを映像にしたのです。これには、本当に驚かされました。

 その後の「寺内貫太郎一家」も見ましたが、こちらはちょっと作りすぎのような気がした記憶があります。いくら下町が舞台でも、こんな家族はいないんじゃないかという印象を持ちましたが、その後、久世さんが東京阿佐ヶ谷生まれ育ちであることを、どこかで読み、なんとなく納得しました。今は商店街もあって下町の雰囲気があるように言われる阿佐ヶ谷ですが、もともとは都心を少し離れた新しい住宅地で、退職した先生や勤め人が静かに暮らす町というのが、昭和生まれの東京人が阿佐ヶ谷や荻窪にもつイメージでした。

 身内や近所に下町で暮らした経験のある大人がいると、子供たちは、その大人たちの使う下町言葉や生活知識を自然に親しむようになります。しかし、大人たちが大げさに言うのか、それとも子供たちが自分なりに膨らましてしまうのか、子供たちが描くイメージは実際よりも大きくなることがあります。やはり、どっぷり下町に住んで身についた下町のイメージと、少し距離をおいて得た下町のイメージは、すこし違うかもと思った次第です。

 久世さんが制作したドラマで最も印象に残っているのは、昭和初期の東京を舞台にした一連の向田邦子スペシャルドラマでした。そこで描かれた昭和東京の家の様子、薄暗い電燈に照らされた家具がつくる陰影など、大道具から小道具まで全てが昭和の雰囲気を作り出し、まさしく久世さんならではの映像でした。

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2005/12/05

古書の世界

 神田駿河台にある明治大学は、本の街神保町に接しており、本について学ぶには絶好の場所にある。なにしろ数分も歩けば、三省堂、書泉、東京堂などの大型新刊書店があり、さらに数え切れないほど古書店(神田古書店名簿に載っているだけでも161軒)に囲まれている。その明治大学の公開講座リストに「古書の世界」があり、今回で通算第6回目となる秋の講座に参加したのでその話をしよう。

 講座は大学内の見晴らしのよい明るい教室で行われ、講師は、古本関係の本や新刊書の書評を数多く書いている方が担当している。ゲスト陣も、古書店ガイドのライター、ベテランの古書店主でかつ古書雑誌編集人、女性古書店主などと、実際の古書業界に深く携わっている方々である。さすがに講師は、古本道場師範と呼ばれるだけあって、古書に対する知識は幅広く深く、購入する古書の数も半端でなく年間2000冊を超える、そのパワーに圧倒される。集まった受講生は、学生風の方からリタイヤ後の人生を楽しんでいるような方まで年齢が幅広く、女性も多く和やかな雰囲気である。実は、講座が進み分かったのだが、古書界への女性進出はめざましい。

 さて講義内容だが、古書店主をゲストに迎えての実戦的な話もあるが、全体を通じて印象に残ったのは、古書との出会いをいかに楽しむかである。1冊100円の均一価格で店頭に並ぶ古本も、見方を変えると思わぬ魅力が浮かび上がってくる。著者の名前は知らなくても、装丁者名に好きな画家やデザイナーの若き日の名を見つけたりすると、それだけでその本を手元に置きたくなるし。お祖父さんやお祖母さんが読んでいた頃の雑誌も、現代ではとても信じられないような記事や付録があって楽しませてくれる。例えば、巻末に付いていた芸能人の住所録などは、現代では、まずありえないものになったが、昔よくあった「弟子になるために地方から上京して師匠の家の前で座り込んだ」などの芸能人苦労話などは、この住所録なしでは成立しない話だったろう。

 講義最終日は、受講生が買ってきた古書の発表会であったが、事前の説明不足のため本を持ってこられなかった人がいたので、急遽、通りの反対側にある古書会館で開かれている古書市に行き、購入することになった。こんな予定外のことがすぐ出来るのも、神田駿河台ならではある。予算は1000円、時間は30分に制限された買い物は、子供の頃テレビで見た「夢路いとし・喜味こいしのがっちり買いましょう」を思い出し、楽しい実習となった。教室に戻り参加者全員がそれぞれの本を発表したのだが、これが十人十色である。有名人のサイン入り本にはじまり、古い写真帖、純文学本、随筆、歴史、絵本、グラフ雑誌、実用書、美術書、なぜか若い女性が仏像ガイドの本を買ってきたりして、楽しいエンディングとなった。

 教室からニコライ堂方向を見る

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2005/11/27

深川二笑亭(意匠日記:谷口吉郎)

 かつて深川門前仲町に「二笑亭」と呼ばれる家があった。二笑亭という名前から寄席や演芸場を想像しそうだが、これは個人住宅であり、その家の主人自ら設計して、各地から銘木や材料を集め、大工を監督しながら建てた家である。ここまでであれば、凝った家造りの話で終わるのだが、この家は様々な人から大きな注目を集めついに本にまで取り上げられた。

 二笑亭については、精神科医であった式場隆三郎によって書かれた本「二笑亭奇譚」が有名である。もともと、この家の主人は、長唄や清元など芸事から茶の湯生け花などをこなす趣味人であったが、関東大震災後の区画整理のため転居しなければならなくなると、世界旅行に行ってしまった。そして帰国後に、深川門前仲町に移り二笑亭の建築を始めた。しかし、奇行があまりに重なり、最後は医者の手を煩わすようになったのである

 谷口吉郎の「意匠日記」(読売新書、昭和29年)には、建築家の目で見た二笑亭の話が載っている。谷口吉郎は、竹橋にある国立近代美術館や日比谷の帝国劇場を設計した建築家であり、式場隆三郎に案内されて訪れた二笑亭の外観と内部の様子を意匠日記の中に書いている。その家は、人の顔のように見える正面外観(現代の造形で言えば、スターウォーズに登場するダースベーダの顔を四角くしたものが思い浮かぶが)、羽目板の節にはガラスがはまり、壁は防虫のため黒砂糖と除虫菊の粉末を練りこみ、畳のへりは鉄板などと、モダンでダイナミックだがバランスが崩れた奇妙な家である。

 谷口が二笑亭を見る目は、どこまでも冷静で、奇妙な意匠の中に機能性や独創性を見出している。しかし、全体を見れば、この家は病的な造形物であると断じている。意匠日記のはしがきにあるように、谷口が目指したものは「清らかな意匠」である。二笑亭が早々に主を失い消えていったことと、ちょうど同じ時期、震災後の深川に建てられた食料ビルが、モダニズムデザインの代表として長く親しまれたことを対比すると、谷口が提唱した「清らかな意匠」という言葉に共感を覚える。

今は無き食料ビル(現在は新しいマンションが建っています)

syokuryo

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2005/11/06

水辺の男、10年ぶりの出会い(柴田恭兵、三木のり平、西村晃、石田えり)

 水辺の男は、村松友視の小説「芝居せんべい」を原作とした1995年にNHKから放映されたテレビドラマである。主演は柴田恭兵、脇役陣は三木のり平、西村晃、水の江滝子、長塚京三、阿木耀子、石田えり、片桐はいり、小木茂光など個性的な俳優の大集合である。ドラマ全編に流れるテーマ音楽は、ファンホセ・モサリーニによるアルゼンチンタンゴ、原作と同じ深川門前仲町裏の大横川に架かる石島橋でのロケなど。今振り返ると、俳優、音楽、シナリオ、ロケの全てが凝りに凝った作品である。

 なかでも柴田恭兵扮する主人公(元さん)にからむ三木のり平(清さん)・西村晃(六さん)のコンビは、粋な日本の年寄りを見事に演じている。面と向かって言葉で言わないが互いへの優しさは、長い年月を経た二人の関係と人柄をうまく表していた。なんと言っても、三木のり平がときどき見せる歌舞伎のしぐさをする顔が、役にぴったりはまりとても良かった。主人公を含めてこれら登場人物は、皆よそから深川に来たらしいのだが、それらを温かく迎えるのが、石島橋際にある小料理屋茜屋の主人夫婦を演じる長塚京三と阿木耀子である。そして、元さんの奥さん役石田えりの温かい表情も良い。

 ところで何故10年も前のドラマのことを書いたかと言えば、先日の神田古本市で村松友視の芝居せんべいを見つけたからである。ドラマ放映時に気になり近所の本屋で探したが見つからず、そのうち文庫になったら買おうと思っていたが、たまたま通りかかった道路沿いの古書販売スペースに置かれた格安本箱の中に、立てかけられていた。まさしく10年ぶりの出会いである。

 早速購入し読んでみると、テレビドラマは原作にほぼ沿っており、石島橋付近の描写は完璧に一致している。しかし主人公の住むアパートは異なり、原作は石島橋近くのマンションだが、テレビドラマでは古石場の古いアパートである。ドラマの中で何度も登場する古石場親水公園の景色も原作にはない。読み通してみると、ドラマ水辺の男は原作をもとにしているが、それを超えて深川の風景をうまく取り込み構成した素晴らしい作品であることを再確認した。実は、当時深川のオフィスに勤務していた私は、このドラマロケに偶然遭遇し柴田恭兵さんを間近に見たことがあった。そのことが影響しているのかもしれないが、私にとって、このテレビドラマは原作本よりはるかに思い入れが深い作品である。

 最後に今は取り壊され高層マンションになってしまった、主人公が住んでいた古石場アパートの写真を紹介しよう。写真右側及び正面に見える3階建てアパートは、敷地内に銭湯があった不思議な建物であった。またドラマ撮影時に工事現場として写っていた場所に建ったのが、正面奥に見えるマンションである。

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