古書との出会い

2008/11/03

何羨録(かせんろく)を見る

 地下鉄都営新宿線の東大島駅と船堀駅は、荒川を挟んで地上駅となっています。電車が大島から東大島駅にさしかかる直前、「中川船番所資料館」の看板をかかげた茶色の建物が川下(旧中川)方向に見えます。

7dsc02422 その資料館で「何羨録:かせんろく」の展示が行われているので訪れてみました。

  「何羨録」と言ってもなんのことか分からない人がいるかもしれませんが、じつは私自身も、資料館のホームページにあった”江戸の武士(サムライ)と釣り文化~釣り指南書”という展示案内だけに惹かれて、内容もよく知らず資料館を訪れました。

  展示資料によれば、「何羨録」は、江戸時代の旗本であった津軽采女が書いた、日本最古の釣り指南書と言われている本です。展示資料の受け売りですが、遊びとしての釣は江戸時代になって武士から始まったそうです。釣竿も、弓矢製作の竹の加工技術を応用したもので、武士にとって釣は武道に近い遊びだったようです。実際、津軽采女は、4000石の旗本で、本所三つ目通り(あの吉良邸の近く)に屋敷をもっていました。江戸時代後期になると、釣は庶民に広まり釣入門書が出されますが、その内容もこの「何羨録」が元になっているそうですから、釣本の古典と言えます。

 ところで「中川船番所資料館」で、なぜ釣指南書の展示なのでしょうか。

 これも今回はじめて知ったのですが、じつは以前釣具博物館にあった資料が「中川船番所資料館」へ引き継がれ、和竿のコレクションや釣関係の資料が常時展示されています。和竿作りのための道具なども工程順に展示され、本テグスの原料である天蚕虫の標本など、じつに興味深いものがあります。そうなんです、その昔のテグスは天蚕虫(蛾の幼虫)から作っていたなど、またっく釣をしない私でも楽しめてしまいます。

 それにしても「何羨録」とは、”何も羨ましいことなどない”との意味らしいのですが、武士でありながらその後の庶民の釣文化に影響を与えた書を残したとは、これはとても羨ましい生き方かも・・・。

 なお江戸の武士(サムライ)と釣り文化~釣り指南書『何羨録(かせんろく)』の世界は、10月29日から 11月24日まで。アクセスと詳細は、「中川船番所資料館」のホームページをご参照。

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2008/09/01

トラバント:自動車ポスターにみる1960年代

 最後に番外編として、1960年代はもう一つのドイツであった東ドイツの車のポスターを紹介しよう。

8trabant1968a このポスターは1968年のトラバント。トラバントは、2ストローク2気筒600cc空冷エンジンをもつ東ドイツで製造されていた小型車。1960年のはじめから、ベルリンの壁が壊された1989年頃まで製造されていた。

 このクルマには有名な噂があった。

 ”ボディがボール紙で出来ている”と言われていたが、実際はFRPボディ。ただしFRPの品質がよくなく、芯材などがボール紙と言われてしまったようだ。性能的にはみるべきものがないクルマだが、そのポスターは真面目で、これはこれでよいように思う。

 じつはこのトラバントは、今一番注目されているドイツ車と言える。ドイツの玩具メーカーが、この車の復刻版を生産しようという企画があるそうだ。

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2008/08/29

メルセデスベンツ:自動車ポスターにみる1960年代

 フランスのシトロエンのつぎはドイツを代表する大自動車メーカー・メルセデスベンツの広告ポスターをみてみよう。

8benz1960a この1960年のポスターは、乗用車だけでなくトラック・バスを製造する総合自動車メーカーであるメルセデスベンツを主張しているように見える。同じ頃のBMWのポスターは、どこかドイツの田舎にある小メーカーという雰囲気があるが、それとは全く対照的なのが気興味深い。

 ところで、このポスターで注目したいのが色使い!

 ブルーの背景にクルマのシルエットを並べているが、フランス・シトロエンの柔らかい色合いとも、イタリア・フィアットの強烈な色とも違う、どこかくすんだ色が使われているのがいかにもドイツ風。かつてコンピュータでグラフを作成するソフトウエア開発に参加したことがあるが、そのときドイツチームが作成したカラーマップが、まさしくこのポスターのように一つとして純色がない深く沈んだ色だったことを思い出す。

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2008/08/28

シトロエン:自動車ポスターにみる1960年代

 イタリアのフィアットにつづいて、フランス・シトロエンのポスターをみてみよう。

8citroen19650_2cv これは1965年のシトロエン2CVのポスター。この車はもともと農民のための車として1948年に発表されたが、その簡素にして必要十分な装備と経済性のため、やがてフランスを代表する車となった。

 1960年代には、シンプルなオシャレなクルマというイメージもできあがり、いまやただの農民車ではないと訴えたかったのか、このように郊外にある大きな屋敷前にたたずむポスターも作られていた。

 大きくドアを開き、薄くて平らなドアと、それと正反対にいかにもユッタリしたシートを強調したような構図は、前回のイタリアフィアットのギュッと詰まった感じと違う、ユルサと伸びやかさがある。これがフランスの造形なのだろう。

 ところで、このシトロエン2CVは一時期日本でもよく見かけたが、もちろん乗っているのは農民ではなく、オシャレなカタカナ職業の人が多かった。そしてこのクルマを日本で有名にした最大のものは、映画ルパン三世に登場したことだろう。

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2008/08/27

フィアット:自動車ポスターにみる1960年代

 昨日のアルファにつづいて、フィアット(FIAT)のポスターをみてみよう。

8fiat1969a FIAT 500Lは、日本の軽自動車にほぼ等しいサイズの小型車。このような小型車の塗装色で思いつくのは、赤や黄や白という明るい色や青などだろう。

 ところが、このフィアット1969年のポスターでは、黒を採用している。クロームに輝くモールに縁取りされた黒い車体、屋根のキャンバストップを開け放ち見える室内は真っ赤という組み合わせ。よくみるとシートの縁のパイピングも黒になっている。

 黒塗りというと、これは大型車によく見かける色だが、その場合は、ちょっとイヤミな印象を受けるときがある。ところが同じ黒でも、このように小さな車だと、どこか粋という感じがする。

 イタリア車というとすべて赤というイメージがあるが、このように外側は渋い黒にして、内側に赤というのもイタリア人の感性にあるのだろう。

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2008/08/26

アルファロメオ:自動車ポスターにみる1960年代

 Automobile Revueは、1947年から現在までスイスで発行されている自動車年鑑、世界中の自動車の写真と簡単なスペックを紹介している。当然、世界中の自動車メーカーが広告を出しているが、メーカーによる広告デザインの違い、また同じメーカーであっても年代ともに変化する様子が興味深い。

Alfa1960 1950年代のアルファロメオの広告は、モノクロのイラストに自動車スペックを列記したものだったが、1960年にはいると、それまでと全く異なり、カラーイラストになった。その最初にして最高のポスターだと思うのが、ここにある1960年のもの。企業名だけで、あえて車種名もスペックも記載していない、シンプルな構成と色使いがじつに美しい。特にバックをグリーンにしたのは、なかなかの配色と思うがどうだろうか。

 ところが、この後のアルファロメオのポスターは写真を多用するようになり、ごく普通のものになってしまった。それはちょうど自動車産業が国際化がすすみ、国による個性がうすれ始めた時期とかさなるようだ。

 なおAutomobile Revueの1969年版を、京島のLOVE GARDENのミニ古本市で展示している、1960年代のデザインに興味にある方はご覧下さい。

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2008/07/28

ミニ古本市@ラブガーデン

 東京、京島にガーデニング+雑貨を扱うお店、ラブガーデンがあります。隅田川に近い下町の通りにありながら、カリフォルニアの風が吹いているようなお店は、外から見たかぎりでは鉢植えが並ぶガーデニング専門店のようですが、一歩中に入ると素敵な手作り小物や衣服、雑貨が壁や棚に置かれています。

 このたび、その一角に「じんた堂」の本を置かせてもらいました。

 今回は趣味の古本、それも洋書を中心に展示販売します。名前だけは知っていても、なかなか実物を見る機会が少ない本を選んでいますので、ラブガーデン立ち寄りの際にご覧下さい。

4dsc07554 1.The great book of sports cars, 1988, Dean Batchelor, Chris Poole, Graham Robson

1988年発行、世界のスポーツカー事典。1950年以降に生産された世界のスポーツカー200台を全車カラー写真で紹介しています。

 アメリカで製作されたこの本は、写真は全てカラー、重量3kgを超える大きなものです。生産台数のデータもついており、スポーツカーの世界を知るには最適な一冊です。なお現品にはカバーが付いていません、また綴じ状態が良くありません(あまりに重過ぎて綴じがゆるくなってしまいます)。

4dsc07561 2. Autombile Revue 1969

 1947年スイスで発行され、いまも発行され続けている世界の自動車を網羅した年鑑Automobile Revue、その1969年版です。記述はドイツ語とフランス語の二ヶ国語で書かれていますが、主なスペックについては英語翻訳表がついており、全ての車を写真で紹介しています。

 車はメーカー名をアルファベット順で並べ、ABARTH(イタリア)のページからはじまりZIL(旧ソ連)まで、もちろん日本の車も入っています。1960年代末の乗用車・スポーツカーを知るには最適な本です。

 なお、この本は図書室用に製本されており一部広告ページが入っていません。今回は展示してませんが、オリジナル状態のものも何冊かあります。

4dsc07566 3. Die Auto Modelle 1966/1967

 ドイツで発行された世界の自動車を紹介する年鑑です。記述はドイツ語のみですが、写真が豊富なので楽しめます、またスペックは表になっているので数値の比較が簡単にできます。

 ドイツだけあってワーゲンのページからはじまりヨーロッパ、アメリカ、トラック、バスまでも網羅しています。

 なお現品には、スペック表に書き込みが多数ありますが、これは日本の某自動車メーカーの資料室で使われいたためのようです。この本も図書室用に製本されていますので広告ページが入っていません。

4dsc07546 4-5. Classic Natural History Prints PLANTS/BIRDS 1990

 18-19世紀に描かれた植物画・鳥類画(細密画)を集めてそれぞれ一冊にまとめた画集です。絵画は1990年に印刷されたリプリントですが、18-19世紀にどのような植物があり、どのような鳥がいたのか図鑑のように見ることも出来ます。

 植物画・ボタニカルアートや鳥は、彩色が美しく開いて飾っておくのも良いでしょう。なお記述は英語です。

4dsc07556 6. BEERS OF THE WORLD, Gilbert Delos

 タイトル通り世界のビールを紹介しています。記述は英語ですが、ビールビンやラベルの写真が豊富なので見るだけでも楽しめます。
 





 このほかに下記の日本語の本を展示しています、

4dsc00064

 7. Taste of Jazz マーサ三宅(サイン本) 音楽CD付き 1988

 Jazz歌手マーサ三宅さんが、ジャズの歴史をやさしく書いています、付録の音楽CDに本文で紹介する曲が入っていますので、読むだけでなく耳からもジャズの歴史を知ることができます。

 8. カリフォルニアワイン 田辺由美 1988

 田辺由美さんが書いたカリフォルニアワインの本です。
 
 なお全て古本ですので一品限りとなり、代替品はございません。御購入の際は、この点をご承知おきください。

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2008/07/24

手描きGoogleEarth!

 もう先々週の号だが、サライ7/17号で「古地図で辿る鉄道旅」を特集していた。

8dsc07712 その巻頭で鉄道地図旅行の楽しみを語るのは、之潮から発刊された「帝都地形図」の編者である井口悦男さん(日本古地図学会会長)。井口さんは、”私が旅に持っていくのは現在の「時刻表」と国土地理院発行の「地形図」”、さらに”手元に昔の鉄道路線図や地形図があれば、それらも旅に持っていくことをお勧めします”と語っている。

 古い地図や旅行案内があると、実際の鉄道旅行だけでなく、随筆や旅行記を読むときその楽しみを一層増してくれる。その町へ向かう途中の景色や名所、さらにそれぞれの位置関係がはっきりすると、何気ない描写だと思っていたものに深い意味があったことに気付いたりする。そんな難しいことを考えなくても、旅行案内にある絵図は見るだけでも楽しいが・・・。

 ためしにサライに載っている、昭和30年代まであった草津へ向かう意外なルートについて古い旅行案内をみてみよう。

 「旅程と費用」は、日本交通公社(JTB)が旅行業務用に発行していた本だが、その昭和27年版に、草津と吾妻渓谷をまわる二泊三日の旅行プランが掲載されている。第一日目、上野駅を朝9時時20分に出発、軽井沢に14時23分に到着、草軽電車に乗換て草津温泉駅に18時32分に到着する。なるほど軽井沢で乗り換えて草軽電車て草津へ向かうルートは、交通公社の旅行プランに掲載されるほどよく利用されていたコースらしい。

 さらにサライ記事に「草津鉄道は大正15年全通」とあるが、大正15年版の「鉄道旅行案内」の信越線沿線の鳥瞰図をみれば、軽井沢から嬬恋までの路線が点線で描かれている。本文を読むと、”軽井沢駅「草津鉄道の分岐駅」、「草津温泉、草津鉄道にて行く、嬬恋駅まで賃金三等1円39銭、嬬恋から草津まで三里、自動車ニ円」”とある。どうやら全線開通前の草津鉄道は、軽井沢~嬬恋までであったようだ。

 この「鉄道旅行案内」は、鉄道省による旅行案内。北海道から九州まで日本全国の鉄道を網羅するとともに、主な観光地や名物を紹介している。絵図は、吉田初三郎により描かれており、主な沿線を鳥瞰図で見ることができる。大正15年発行なのに草津鉄道の全線開通が反映されていないのは、大正13年に作成を開始したためのようだ。

 上の写真で開いているページは、軽井沢をふくむ信越線沿線の図。中央の高い山が浅間山、その真下に信濃追分、沓掛、軽井沢の駅が並び、その奥に赤い四角で囲まれた草津の文字が、さらに右側は碓氷峠から横川。左側のページは上田、長野、直江津、富山、新潟さらに海に浮かぶのは佐渡ヶ島が描かれている。

 ところで、この信越線の鳥瞰図を最初に見たとき、いくらなんでも海の彼方にある佐渡ヶ島まで描いたのはやり過ぎだろうとの印象をもってしまった。

 ところが、試しにGoogle Earthで軽井沢付近を表示し傾斜角を調整すると、なんと浅間山の後方に日本海が広がり佐渡ヶ島が見えてくるのだ。吉田初三郎の鳥瞰図は、地形を相当大きく変形させて実際には見えるはずのないものまで描いていると思っていたが、意外にもその絵は現代のGoogle Earthと大差なく、まるで手描きGoogle Earth 3D図。このような鳥瞰図が80年も前に描かれていたことに驚く!

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2007/12/01

古書との出会い:東京気侭地図(神吉拓郎)

 山口瞳に短編の名手と言わせると共に、「たべもの芳名録」など味わい深いエッセイを書いた神吉拓郎の本は、今はほとんど絶版となり、入手が困難になっている。

Photo その神吉拓郎の文を引用している本がある、小林信彦の「私説東京繁昌記」である。

 例えば私説東京繁昌記第六章銀座・佃島で、”赤坂や、新宿や渋谷は問題外という時代であった。戦前から、戦後へまたがって、そういう時代があったのである。(神吉拓郎「東京気侭地図」)”とある。これ以外にも、長い文章がそのまま引用されている箇所がある。

 この「東京気侭地図」(神吉拓郎)がずっと気になっていたが、出会えずにいた。

 以前、図書館で検索したら、”開架にはなく分館の書庫にあるので取り寄せになります”との回答だった。そのときはそこまではという気がして、そのままになってしまったのだ。

 先日、その「東京気侭地図」に出会った、それも一度に二冊も。この二冊という数字がどの程度かは、日本の古本屋で検索すると、今日(12月1日)の時点で二冊しかヒットしないことから推測できるだろう。

 さて「東京気侭地図」は、昭和55年、1年間にわたってアサヒグラフに連載された東京に関する話を、単行本としてまとめたもの。上野、御茶ノ水、柳橋、渋谷、有楽町、築地、芝、池袋、室町、青山墓地、神田・・・銀座などの町にまつわる話しを、あるときは想い出を中心に、またあるときはその当時の様子をエッセイのようにつづっている。さすが短編の名手だけあって、その文章はなかなか面白い。

 作者の、この本、いや東京にたいする思いは、あとがきに以下のように述べられている。

 「致し方のないこととはいえ、永年親しんできた町なみが、日に日に変わってゆくのを見るのは辛いことである。馴染み深い建物や道が、何時の間にか様変わりしているのは、私ごときものの心を痛ましめる。
・・・・
 その町の風情は、その町に住む人の共有財産である。軽々と改変したり損なってはならないものだった筈である。私たちは、今日、その感覚をどこかへ置き忘れてしまったように思える」。

 小林信彦が、「東京気侭地図」の文章を引用したのは、神吉拓郎の、このような考えに共鳴する部分があったのだろう。

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2007/11/12

古書との出会い:たべあるき京都観光地図(山本嘉次郎)

 久しぶりに古書との出会い、それも山本嘉次郎の地図本。

Photo_3 先日、「たべあるき京都観光地図」(昭文社)を入手。この本(地図)は、名前から分かるように、以前紹介した「たべあるき東京横浜鎌倉地図」の姉妹本、手元にあるのは昭和50年第6刷となっている。執筆、題字、イラストは、山本嘉次郎、伊丹十三、永井保といういつものコンビに、イラスト:石原薫、文:井上甚之助加わっている。

 本の構成は、「たべあるき東京横浜鎌倉地図」と同じように、地図とその地域にあるお店の簡単な紹介を組み合わせた、折りたたみ地図になっている。山本嘉次郎は、あとがきに”「私は以前、十年あまり京都に住んでいたことがある・・・私が住んでいたのは昭和一ケタの時代であった”と書いている。これが東京だったら、戦前と戦後では大きく変化しているので、戦前に住んでいたからといってこのような本を書くのは無理があるかもしれないが、戦災を受けていない京都となると、戦前を知っていることは、むしろ有利かもしれない。文章は、いつもの山本嘉次郎調、難しい言葉は一切なく旨いものは「旨い」と素直に書き、お店にランクを付けないのも東京横浜鎌倉版と同じ。

 ランク付けとなると、レストランにつけられた星マークが一つ減っただけで、大変な騒ぎになるほどのガイドブックがある。ミシュランガイドは、各都市の見どころとホテルやレストランの案内を掲載した、タイヤ会社ミシュランが発行しているガイドブック。ヨーロッパをクルマで旅行しているとき、昼食はどの町のどこで食べようか、どんなホテルに泊まろうかというとき便利にできている。国別に加えて主要都市版も出されており、その東京版である「ミシュランガイド東京2008」がもうすぐ発行される(11月22日予定)。たぶん一喜一憂するお店やホテルがあるだろう。
 
 ところで、入手した「たべあるき京都観光地図」に戻ると、この本、前の持ち主が相当使用したらしく店名にマークや線が多数引かれている。たとえば「四条通・河原町北」をみると、「にぎりずし:吉野鮓」「割烹:浜喜久」「ふぐ料理:なかよし」などに印がついている。これらのお店はいまもあるのだろうか?なにしろ昭和50年発行、いまから30年前のガイドブックだ、このガイドブックを片手に京都の町を歩くと、どのような変化が見えてくるのだろうか。

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2007/10/29

神保町「本と街の案内所」

 昨日は台風一過の晴天、ブックフェスティバル・古本祭りが開催されている神保町に向かった。

8dsc04658 すずらん通り、さくら通りには、出版社の出店が立ち並び、新刊本を格安販売するブックフェスティバル目当ての人であふれ。靖国通りには古書店が出店を並べており、こちらも賑わっている。その靖国通りに「本と街の案内所」がオープンしていた。場所は、メガネの三鈴堂の隣り。

 神保町には、三省堂、東京堂、書泉と、大型書店が集まっており、ほとんどの新刊本を手にすることができる。さらに、古書店地図によれば、事務所だけのものを含めて合計169の古書店がある。これら古書店、文学、古典籍、歴史、科学・・・芸術、サブカルチャーなどそれぞれ専門分野をもっており、全て合わせればまるで超巨大な図書館のような存在。問題は、多すぎて迷うほどある古書店の、どのお店に行けばよいかが分かりにくいことだった。

 神保町をよく知っている人に聞いてみても、古いお店は知っていても最近出来たお店は、よく分からないと答えることが多い。とくにビルの2階や3階などに新しく出来たお店になると、全くお手上げらしい。やはり図書館の司書のような存在が必要と思っていたところに、本と街の案内所が出現した、これは今後の活動を期待したい。

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2006/06/26

古書との出会い:石版東京図絵(永井龍男)

 「石版東京図絵」(永井龍男)は、坂崎さんの「東京本遊覧記」に取り上げられており、まえまえから読みたいと思っていた。先日、その本をぐうぜん入手した。永井龍男の本を読むのは、前回の「東京の横丁」につづいて二冊目で、時代背景や取り上げられた出来事はかさなる部分が多いが、「石版東京図絵」は、さまざまな職人の世界を描いた小説になっている。

Sekihantky_1 変わりゆく東京の町とともに、職人の世界がどのように変わってきたかを丁寧にえがいていく。このあたりの描写は、東京神田駿河台下の路地でうまれた永井龍男ならではだろう。明治、大正、昭和、震災、戦災や火事のたびに古い東京が消えていくとともに、職人の世界も変わっていく。おなじ職人から出発しながらも、震災や戦災の混乱を、金儲けの好機ととらえて他人を出しぬき商売をし大金持ちになるものがいれば、手間はかかってもしっかりしたモノ造りを目指す一職人に徹するものもいる。時代はちがうのだが、そこで描かれた世界は、現代に通じるものがある。

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2006/06/24

洋食や

 土曜の午後、茂出木心護の「洋食や」を古書市でみつけた。箱つき著者サイン本だが、シミが少しあるためか、格安だったので購入。

Motegi2_1 装丁は鳥居敬一だが、フライパンとノートの絵と、それぞれに色を変えておどっているように配置された「洋食や」の文字が、なかなかお洒落な雰囲気だ。鳥居敬一とは、どのような人だろうか?

 その後ネットで検索したら、市ヶ谷にある、あられ・かきもちの「さかぐち」のデザインをしたとの記載がみつかった。さかぐちの商品紹介をみたら、たしかに「洋食や」の字体に似ている。そういえば、ここの紙袋をどこかで見たと思ったら、お店の場所は、以前通っていたオフィスから3分という所で、何度か表を歩いたことがある。なんという不思議だろう、やはり本が呼んだのだろうか。

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2006/06/05

地下室の古書展

 日曜日の午後、わずか30分だったが、神田の古書会館で行われている「地下室の古書展Vol7」をのぞいてみた。ゆったりしたスペースで展示が行われ、新刊本や布で作られたきれいなブックカバーもある。いつもの古書展よりぐ~んとオシャレ度が高く、やはりアンダーグラウンド・ブックカフェとカタカナと呼びたくなる。来場者の中には、一箱古本市で見かけた方が何人かいたが、あいにく時間がなく挨拶もできず早々に会場をあとにした。夜7:00から岡崎武志さんと黒岩比佐子さんのトークショーがあったのだが、別の予定が入っていたので参加できず、とても残念!

 なお、このイベントは6月6日(火)まで行われ、5日(月)のトークショーは小沢信男・坂崎重盛・石田千、6日(火)は紀田順一郎・東雅夫・新保博久・本多正一が予定されている。詳しくは、地下室の古書展を参照。

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2006/05/16

早稲田、青空古本掘り出し市

 月曜日の午後、予定が空いたので、早稲田、青空古本掘り出し市に行ってきました。早稲田大学へ向かうのは数十年ぶり、すっかり田舎から出てきたおのぼりさん気分で、地下鉄早稲田駅から歩いていきました。あの頃は、大きな看板が何枚も立ち並び、学生も緊張した面持ちで歩いていましたが、今は本当に静かなキャンパスです。

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 さて目指す青空古本掘り出し市をみれば、大学構内だからでしょうか、歴史に加えて経済や法律関係の本が目立ちます。訪れる人も学生がほとんどで、神保町の古本市で見かける、本をたくさん抱えているオジサンは、ほんの数人いる程度でした。

 ここで、「下町:朝日新聞」の文庫版を購入しました。この本は、すでにハードカバーを持っていますが、外出時は文庫版が便利なので追加購入です。線引きがたくさんあるので高い気もしましたが、表紙裏に「下町と山の手どこをさす」の新聞切り抜きがていねいに貼られ、さらに「深川祭り」の切り抜きが挟んであるなど、前の持ち主が愛用した様子があったので購入しました。

 ここは19日まで開催、しっかりしたテントがあるので雨天もOKです。

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2006/05/07

古書との出会い:懐かしの銀座・浅草(文:平野威馬雄、画:小松崎茂)

 懐かしの銀座・浅草は、文:平野威馬雄、画:小松崎茂、1997年、毎日新聞社による本です。

 平野威馬雄さんは、詩人で仏文学者ですが幅広い活動をしUFOや幽霊の研究に加えて、東京本、特に銀座に関する本を数多く残しており、料理愛好家の平野レミさんのお父さんです。小松崎茂さんは、かつて少年雑誌の挿絵を数多く描いた画家で、その精密ながら独特な力強さのある絵は今も人気が高く、最近も新たな本が出版されています。

 懐かしの銀座・浅草の文と画は、よくある文のところどころに挿絵が入る組み合わせでなく、前半は小松崎さんが20歳代に描いた戦前(大正4年生まれの年齢から計算すると昭和10年前後)の東京風景を集めた画集、後半は平野さんの銀座に関する文集となっており、それぞれ等しいページ数の二つの本を合体して一冊にまとめた本です。

 昭和初期の銀座には斬新なデザインと色調の建物が並び、裏通りには粋な日本家屋があり、水辺に小船があふれ、懐かしく美しい風景があふれています。この本にある小松崎さんの画を見ると、なぜ多くの作家が戦前の東京の姿を懐かしむ文章を書いたか分かるような気がします。

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2006/04/08

古書との出会い:ぎんざ1982(リクルート)

 「ぎんざ1982」は、タイトル通り1982年の銀座を記録した本で、リクルート本社が新橋から銀座8丁目に移転したのを記念して関係者へ配布されました。

 本の前半は、銀座の歴史と開発に関する対談と寄稿文から構成されていますが、やはり銀座の老舗への遠慮があるのか、あたりさわりが無い内容で、いかにも企業が発行した記念本という印象を与えます。その一方で、「夜の銀座絵図」という銀座のクラブやバーなどの興亡を実名入りで描いた、まるで週刊誌の水商売ルポのような記事も混ざっていたりして、企業発行の本らしくない部分もあります。

 ここまでであれば「ぎんざ1982」は、ちょっと変わった企業本の話て終わるのですが、この本には面白い仕掛けがあります。

 この本の後半は写真集(撮影:藤森秀郎)になっており、銀座路地裏の風景や人物写真が数多く入っています。表通りには見られない生活感あふれた情景は、銀座がかつて下町と言われたことを見る人に思い出させるでしょう。

 じつは仕掛けというのは、この写真集と付録地図にあります。

 写真集の各写真には番号が付いていますが、この番号は付録の銀座路地マップ上にもあり、同じ番号の場所をたどることで、写真の撮影場所を地図上で確認することができるのです。この写真の景色は銀座の何処だったのかとか、地図にあるこの路地はどんな景色だったのかと、1982年の銀座路地めぐりができます。また、もし付録の地図を参考にして実際に路地に立てば、1982年当時と現在の様子を比較することも出来るでしょう。

 「ぎんざ1982」は非売品の本でしたが、大量に配布されたらしく古書店で安価に売られています。読み物としては物足りないものがありますが、箱のデザインも付録の地図(表:鳥瞰図、裏:路地マップ)も凝っていますし、なんと言っても工夫次第で色々楽しむことができる東京本です。

Ginza

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2006/03/25

古書との出会い:新東京百景(山口瞳)

 戦後東京の大きな変化点として、多くの人が東京オリンピックをあげていますが、バブル景気による東京の街並みの変化は、オリンピックと同じ、いやそれ以上だったようです。

 今回はバブル景気真っ只中の昭和60年代の東京を描いた「新東京百景:山口瞳、新潮社、昭和63年」を紹介しましょう。

 新東京百景は、山口瞳さんと臥煙さんのニックネームをもつ担当編集者がコンビを組み、”変わりゆく東京を自分の目で見て、絵でもってそれを残したい”をきっかけに、東京各地を描く連載としてスタートしました。新宿超高層ビルから始まる話は、最初の頃は、小説家の写生旅行記のように、その絵を描くためにどれだけ苦労したかなど絵筆の話が中心でした。

 ところが都内巡りが進むにつれて、話は、消えた古い東京への嘆きから、目まぐるしく変わる東京の町への驚きを通り越し、新しい東京への憤りとなっていきます。「麻布十番・六本木」では、ディスコの服装チエックに怒り、「竹芝桟橋と帝国ホテル」では”いま東京が面白い・・・なんだか、幼児が砂場で遊んでいるような趣きがある”と急激に変わる東京の姿に驚き、さらに”東京なんて、・・・メチャクチャなんである”と憤っている。ホテルのバカ高い料理やボーイの接客態度に怒り、ラウンジでキスする客に怒り、銀座の高級ホテルの豪華さにあきれるのである。そのスルドイ指摘がイヤミにならないのは、山口さんならではでしょう。
 
 新東京百景は、「小説家のお絵かき道中記」をよそおっていますが、その実体は「バブルに踊る東京紀行記」です。バブル期を知る人は、思わず”そうだ、そうだった!”とうなづき、”わずか20年前の東京が既に懐かしい町になっている”ことに思いをはせることでしょう。

ShinTokyo100Kei

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2006/03/18

古書との出会い:東京の横丁(永井龍男)

 「東京の横丁:永井龍男、講談社、1991年」は、日本経済新聞に連載された「私の履歴書」に著者自らが手を入れたものです。その原稿は亡くなれた後に見つかり講談社から刊行されました。

 「東京の横丁」は、永井龍男が生まれ子供時代をすごしたた神田猿楽町の描写から始まります。明治末から昭和初め、駿河台下にあった借家が立ち並ぶ横丁には、八百屋、魚屋をはじめ様々なもの売りがやってきました。
 
 そこはニコライ堂が近いせいか、ロシア人女性や英国人宣教師などの外人も住んでいました。やがて永井家は、横丁の別の家に引越して二階に下宿人をおきますが、そのとき下宿人のところに遊びに来ていたのが芥川龍之介だったりするなど、横丁に登場する人はじつに多彩でした。

 「東京の横丁」は、さらに関東大震災、戦争、鎌倉の話などが続きます。それぞれは短い文章ですが、さすが短編の名手といわれる永井龍男の作品だけあって、どれも読み終わると落ち着いた気持ちになります。

Tokyo_No_Yokocho


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2006/03/04

古書との出会い:東京文学散歩(野田宇太郎)

 文学散歩を名のった本は、「新東京文学散歩:野田宇太郎、日本読書新聞、昭和26年」が初めてとされています。その成り立ちは、日本読書新聞の元編集長であった長岡光郎氏が、「野田宇太郎、東京ハイカラ散歩:角川ランティエ文庫」巻末に、「文学散歩」誕生の記として述べています。文学散歩は、もともと新聞連載として企画された”近代文学の名作の舞台、文学者の事跡などをた尋ね歩いてのルポルタージュである”とあります。

 野田宇太郎の「新東京文学散歩」は、日本読書新聞の昭和26年新年号から7月まで月1回づつ掲載され、連載完了後に単行本として刊行されました。東京ハイカラ散歩巻末の略年譜によれば、昭和27年、角川文庫版がベストセラーとなるとありますから、文学散歩の企画は大成功だったのでしょう。その後、野田は、「九州文学散歩」、「関西文学散歩」、「東京文学散歩」など一連の「文学散歩」ものを次々刊行し、文学散歩という分野を確立しました。

 今回は文学散歩の代表として、「東京文学散歩第二巻、下町(上)築地・銀座・日本橋界隈:野田宇太郎、小山書店新社、昭和33年」を紹介しましょう。

 「東京文学散歩 下町(上)、日本橋川のほとり」の書き出しには、”京橋通りと「東京三十年」”のサブタイトルが付けられています。東京三十年は、以前紹介した田山花袋の東京三十年ですが、その第一章の書き出しを引用してまだ幼い(11歳)田山花袋が丁稚奉公していた京橋の有倫堂書店の話から日本橋界隈の話がはじまります。

 やがて白木屋(現在の日本橋コレドの場所にあった白木屋デパート)を通りすぎ、丸善を舞台とした田山花袋、尾崎紅葉、芥川龍之介の話「丸善の思い出」にうつります。この中で、野田は、内田魯庵が書いた「思い出す人々」に収録されている丸善を訪れた尾崎紅葉の話をとりあげています。

 これは、明治の流行作家であった尾崎紅葉の意外な面を示す話なので、少し紹介しましょう。

 明治2年、早矢仕有的により設立された商社丸屋商店は、明治13年に丸善となり書籍、文具、雑貨などを扱うようになりました。その洋書部門の顧問をしていた内田魯庵は、明治36年の夏、丸善へブリタニカを求めにきた尾崎紅葉に出会いました。そのとき紅葉は、すでに胃がんに冒されて重態であると言われてましたので、魯庵は、紅葉が来たことに非常に驚きました。

 しかし紅葉は、”まだ1ヶ月や2ヶ月は大丈夫生きているから、ゆっくり見て行かれる”と言い、そのとき在庫があったセンチュリーを購入したのです。その後、紅葉は、約3ヶ月後の明治36年10月30日に36歳で亡くなりました。

 野田は、自らの死が近いことを知りながら、なお本を求めた紅葉について、”まだ春秋に富んだ尾崎紅葉が、知識の殿堂とも言えた丸善に瀕死の肉体を運んだ姿には、自若として大悟徹底した古武士の面影さえあったようだ”と感想を述べています。

 野田宇太郎の文学散歩本は、全集としても発行されましたので多くの図書館が蔵書しています。東京文学散歩で取り上げられた文学作品や作家は、明治や大正が多いのですが、昭和30年代当時の東京の様子もよく記述されており、掲載されている当時の写真とともに昭和東京を知る資料として貴重な本です。

 なお東京文学散歩は、過去に数社から出版されましたが、最初に出版された小山書店新社版は表紙に江戸絵図(本所深川絵図)の写しを使用した美しいものです。その後の雪華社と文一総合出版は、両方とも単色の表紙となっています。

「東京文学散歩第二巻、下町(上)」 小山書店新社
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2006/02/25

古書との出会い:東京文学地図(槌田満文)

 前回の高木健夫さんの「東京の顔」ですでに述べましたが、槌田満文の名は、高木健夫さんや安藤鶴夫さんと一緒に、木村荘八さんの銀座界隈に書誌担当者として登場しました。今回は、この槌田満文さんの本「東京文学地図:槌田満文、都市出版社、昭和46年発行」を紹介しましょう。

 表紙折り返しに記されている著者略歴によれば、槌田さんは東京新聞に勤務し「名作365日」や「明治東京歳時記」などの本を刊行しました。その後、武蔵野女子大学教授となり、東京都近代文学博物館の運営にもかかわりました。日本の古本屋で槌田さんの著書を検索すると、東京文学地名辞典、明治大正風俗辞典、ことばの風物誌などがみつかります。

 東京文学地図は、そのまえがきにあるように”文学に描かれた東京によって、東京風景の変遷をたどる”ことを目指しています。

 たとえば銀座では、「新東京繁昌記:服部誠一、明治7年発行」の一部を引用することで明治7年の銀座の様子を描き、「桜の実の熟する時:島崎藤村、大正8年」の引用で明治23年の銀座を描き、同じように銀座を舞台とした明治・大正の文学作品を紹介しています。さらに昭和になると「銀座雑記帖:高田保」昭和8年、「銀座新涼:森田たま」昭和14年、「東京誕生記:ノエル・ヌエット」昭和30年、「感傷チンチン電車:安藤鶴夫」昭和42年などが原作の一部引用とともに紹介されています。

 全部で東京32ヶ所を選び、銀座と同じような手法で、その場所を描いた文学作品を年代に追って紹介しています。そのため外観は新書のようですが、400ページを超えるやや厚みのある本となっています。
  
 ところで、まえがきにも述べられていますが、”引用が原作のほんの一部にすぎない・・”とあるように、この本だけで選ばれたそれぞれの作品の内容を十分に知ることは、まず出来そうもありません。むしろ、この本は東京の各地を描いた文学作品を検索するための、”地名をインデックスとした文学作品の年代順ガイドブック”として使用するのが良いようです。

 たとえば深川・州崎のページを開くと、深川に関する部分では「深川の唄:永井荷風」、「秘密:谷崎潤一郎」、「三尺角:泉鏡花」、「忍川:三浦哲郎」、州崎では「浅瀬の波:広津柳浪」、「夢の女:永井荷風」、「州崎パラダイス:芝木好子」などの作品名がみつかります。

Tokyo_Bungaku_Chizu

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2006/02/18

古書との出会い:東京の顔、いろは大王 (高木健夫)

 前回の木村荘八「銀座界隈」のなかの銀座論の著者として高木健夫の名前が出てきましたが、今回は「東京の顔:高木健夫、光書房、昭和34年」を紹介しましょう。

 高木健夫さんは、読売新聞に勤めながら、安藤鶴夫さん、槌田満文さんなどと一緒に木村荘八さんの東京風俗研究活動に参加しました。「東京の顔」は、昭和33年に亡くなられた木村荘八さんへ捧げられた本で、東京の顔、風俗八十年、今昔散歩、盛り場八十年、東京巷史など、明治から昭和の東京にまつわる話を収録しています。その中には、前回取り上げた木村荘八「銀座界隈」で発表された文章も入っています。

 たとえば東京巷話に収録されている銀座物語は、銀座煉瓦街を作った東京府知事由利公正の話ですが、これは前回紹介した木村荘八「銀座界隈」に収められていた銀座論と同じ内容です。

 同じ東京巷話にある「いろは大王」は、木村荘八の父にして市議会議員、府会議員、牛なべ屋チエーン店「いろは」の主人、そして明治の大奇人と言われた木村荘平の伝記です。この「いろは大王」こと木村荘平は、小説にも登場しますので簡単に紹介しましょう。

 相撲取りのような大きな体であった木村荘平は、夕闇せまる東京の町を人力車で走り回るのを日課にしていました。多い場合でも二人引きまでであった当時、荘平が乗る人力車は三人引き、車夫はそろいのハッピに金色の徽章をつけた学生帽をかぶり、彼らが引く人力車は車体全体が真っ赤に塗られていました。

  ちょうど同じ時期の東京には、天狗タバコの岩谷松平が全身赤い服を着て、真っ赤に塗られた馬車に乗っていました。明治の奇人二人が、同じように赤をを好んだのは不思議な共通点ですが、岩谷松平の話は別の機会として、ここでは木村荘平の話を続けましょう。

 江戸から明治になり東京では肉の需要が高まってきましたが、まだ食肉処理の実態はあやしい状況でした。それに困ったのが、西郷隆盛の幕僚から東京警視庁長官になった川路利良です。川路は、彼が京都薩摩屋敷にいたころ出会った木村荘平に、東京の食肉処理を依頼することにしました。

 明治十一年、木村荘平は、京都から東京に移り食肉処理を引き受けるとともに、自らも牛なべ屋「いろは」を開きました。この「いろは」は、「第一いろは」、「第二いろは」など番号つきの屋号が付けられ、今のチエーン店のように店舗を、日本橋、京橋、本郷、麻布、青山南、牛込寺町、四谷伝馬町、浅草などに二十軒開きました。

 荘平は、各店に女主人をおき、自らは売上金回収のために真っ赤な人力車にのり各店をめぐるのを日課しました。彼と各女主人とのあいだに子供がうまれ、養子を含めた彼の子供は合計三十人に達しました。子だくさんの荘平は、長男は荘蔵、長女は栄子、次男は荘太としましたが、やがて荘五、荘六、荘七など、荘と数字を組み合わせた名前を付けました。のちに画家になり銀座界隈や東京繁昌記を書いた木村荘八は、荘平の六男で日本橋区吉川町にあった第八いろはの子供でした。

 新事業に熱心だった荘平は、牛なべ屋チェーン店に加えて明治21年に製糖会社、明治23年に肥料会社を設立しました。さらに明治26年に、日暮里、亀戸、萩新田にあった三つの火葬場を合併して東京博善会社を設立し、日暮里に新式火葬設備をおきました。当時は新式火葬場と名乗りましたが、これは現在に通じる煉瓦釜のものです。荘平の作った火葬場には、並等、特等などのランクがありましたが、特等はあまりに高価だったので利用者がなく、最初の特等客となったは明治39年に亡くなった荘平自身でした。

 このような経歴の持ち主であった木村荘平は、幾つかの本に小説のモデルとして登場しています。

 山田風太郎明治小説全集の「いろは大王の火葬場」は、木村荘平の新式火葬場の客集めの苦労話をモデルにしたものです。さらに小沢信男「悲願千人斬りの女」にある「いろは大王」も、子だくさんであった木村荘平をモデルにしています。

 「東京の顔」は、東京本としてあまり話題に上がりませんが、木村荘八を含めた東京に関わる話題を満載しています。さらに銀座煉瓦街を作った東京府知事:由利公正、いろは大王の木村荘平の話に加えて、明治の日本橋架橋など、明治東京小説の元ネタになりそうな話も入っています。挿絵は、新聞掲載からの転載なのであまり鮮明ではありませんが、伊藤深水、小糸源太郎、奥村土牛、東山魁夷、朝倉摂などによるものです。そして本の外箱は、木村荘八の筆によるスケッチ画が使用されています。

東京の顔(外箱)
Tokyo_no_Kao

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2006/02/11

古書との出会い番外編:銀座界隈(木村荘八)

 前回紹介した「銀座ばやし:永井保」のあとがきに、この本を書くために木村荘八「銀座界隈」を参考にしたとありましたが。今回は、この木村荘八さんの「銀座界隈:東峰書房、昭和29年」の話をしましょう。
 
 本題に入る前に、いままで「古書との出会いで」紹介してきた本を振り返ると、いづれもカバーが無かったり、シミや日焼けがヒドイなどの理由で、店の外にある均一本コーナーや古書市など見つけた格安の昭和東京本でした。

 今回紹介する「銀座界隈:木村荘八」は、外箱つき別冊アルバムつきの美品であれば店内のガラスケースなどに飾られる高価な豪華本で、多少の難があっても均一本コーナーなどにはまず並びそうもない本です。ここで白状しておくと、私も「銀座界隈」は持っていません。しかし、先日この「銀座界隈」を閲覧する機会がありましたので、今回は「古書との出会い番外編」として紹介します。

 著者の木村荘八さんは本職は画家ですが、永井荷風の墨東奇談の挿絵を描くとともに、自らも東京繁昌記、現代風俗帖、そしてここで取り上げる銀座界隈などの東京に関する紀行文を数多く書きました。

 「銀座界隈」は5章から構成されており、以下の方々がそれぞれの章を担当しています。

1.銀座論(高木健夫):東京府知事由利公正を主人公にした銀座煉瓦街計画

2.銀座煉瓦(木村荘八):江戸明治から昭和にかけての銀座の歴史

3.銀座今昔(安藤鶴夫):銀座にゆかりのある人々によるエッセイ集

4.銀座現勢図(小高志郎):昭和28年11月現在の裏通りを含む銀座の地図

5.銀座書誌(槌田満文):銀座関係の文献リスト

 別冊アルバムは、銀座の表通り1丁目から8丁目までのパノラマ写真集です

 現物をみると、永井保さんが銀座界隈を参考にした理由が分かる気がします。1)詳細な歴史と風俗の記述、2)多彩な地元関係者の話、3)豊富な挿絵や図版、4)精密な現勢図など、その後の東京本の定番構成要素が全て含まれています。しかも、それぞれの質が驚くほど高いのです。

 木村荘八は文章家としても有名でしたが、銀座界隈の装丁は画家としての木村荘八の力とこだわりが十分に発揮されています。たとえば巻頭錦絵は、四代広重作の本物の木版画が使用されており、発行後50年を過ぎた現在でも見事な色を保っています。また文章には数多くの図版が挿入されています。現勢図は、銀座の細い路地奥にある店の名前まで調べ上げて記載しています。別冊アルバムのパノラマ写真は、大通り両側が一目で分かるようにレイアウトされています。これほど丁寧な仕事は現代ではあまり見られません。

 「銀座界隈」は、なかなか現物に出会うことが難しい本ですが、もし機会がありましたら一度ご覧になることをおすすめします。なお「銀座界隈」の銀座煉瓦の章は、東京繁昌記と一緒に、ちくま文庫より出ている「東京風俗帖:木村荘八」に収録されています。木村荘八と昭和東京本に興味のある方には、この文庫本をおすすめします。

銀座界隈に入っている錦絵(四代広重作)
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銀座現勢図の一部(三越・松屋付近とその裏の路地の店々)
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別冊アルバム(銀座4丁目交差点付近、上側は三越、下側は和光)
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2006/02/04

古書との出会い:銀座ばやし(永井保)

 前々回紹介した「たべあるき東京横浜鎌倉地図(山本嘉次郎)」の表紙にイラスト永井保さんの名前がありましたが、今回は、この永井保さんの「銀座ばやし:オリオン出版、昭和44年」を紹介しましょう。

 永井保さんは、清水昆(かっぱ天国)や岡部冬彦(アッちゃん)さんと同時代の漫画家・画家ですが、絵本や随筆の著者としても活躍されました。「銀座ばやし」は、今も発行されている小冊子銀座百点に、昭和42年から2年間にわたり連載された記事と挿絵をまとめたものです。

 「銀座ばやし」は、永井さん自身の戦前からの銀座の思い出話に加えて、昭和42年当時の銀座の様子とそこで仕事をされていた人々の話が数多く登場します。いずれの人も驚くような経歴をもっており、興味ふかい話が満載されています。

 たとえば「白魚橋」の章は、大正終わりごろの屋台の思い出話からはじまり、昭和42年当時の銀座の屋台事情が述べられています。

 大正の終わりごろは、毎日のように車を引いた屋台がやってきたそうです。

 ドンドンドンと太鼓を鳴らし子供たちを集めて焼ソバ・エビ天やアンコ巻きを食べさせたドンドン焼き、「きんちゃーん、あまいよ」との呼び声で煮あずきを売っていたキンチャン豆、しん粉細工、電気アメと呼ばれていたワタアメやカノコ餅などがありました。

 それが昭和42年になると、銀座の屋台は、営業時間後の銀行の軒先近くにとまり大人相手の商売にかわり、タコ焼き、焼ソバ、きぬかつぎ、焼大福、石焼きいもなどを商うようになっていました。そして今でも(昭和42年当時)車を引いて売り歩くのは、石焼いもぐらいだろうと、銀座で十数年商いをしている石焼いも屋台の一日を、紹介しています。

 その当時、銀座で焼き芋やをしていたのは6人、8丁目あたりの女性の購入額はだいたい一人200円ぐらいだったそうです。

 「クツがなる」の章は、銀座で20年以上靴みがきをされていた人の話です。

 息子さん達は、すでに自動車会社に勤めたり航空会社パイロットになっているが、それでもなおクツみがきを続けていた人が登場します。銀座という場所がらお客には経済人もいて、重役さんの息子を含めて数組の縁談をとりまとめるなど、多くのの人から頼られたこの方の人生は、世界史を見るようです。

 家出して上海からシンガポールに渡り動物園で働き、その後南アフリカの羊毛会社へ移りスペインへ羊毛買い付けにいきスペイン動乱に巻き込まれ、第二次大戦が始まると日本へ向かうイタリア船に乗りながら途中のハノイで下船し、戦後ようやく日本へ帰国した経歴の持ち主です。

 「銀座ばやし」には、興味深い読み物がたくさん並んでいますが、画家としての永井さんならではのページが巻末にある八丁咄です。これは、昭和43年12月末の銀座通り1丁目から8丁目までの、大通りから見た建物のスケッチ集です。それぞれの場所には大正10年、昭和5年、昭和17年、昭和43年当時にあったお店の名前が書いてあり、銀座大通の移り変わりが一目でわかります。

 私自身もこのスケッチで、学校に入る前に見かけた銀座2丁目にあった変わった建物がクインビーであったことを知りました。また戦前に銀座を歩いたことがある母は、かつて本を買った三昧堂書店の場所をこのスケッチで確かめることができました。

 このように「銀座ばやし」は、昭和40年代の銀座の人々や街の様子を詳しく描いており、昭和東京の資料として役立つとともに、読んでも見るだけでも楽しめる本です。もし見つけましたら是非ご覧になることをおすすめします。これは昭和東京本として復刊を熱望する本です。

Ginza_bayashi

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2006/01/28

古書との出会い:東京味覚地図(奥野信太郎)

 「東京味覚地図:河出書房、昭和33年」は、奥野信太郎が編集した本です。浅草、銀座、新宿など東京の各町のうまいもの屋に加えて東京の喫茶店、東京の菓子などの話題それぞれに執筆者を選び、一冊にまとめた本です。タイトルに地図という文字が入っていますが、地図本というよりグルメ紀行本です。

 この本の特長は、合計18人の多彩にして豪華な執筆陣につきます。浅草(壇一雄)、新橋(戸板康二)、築地(池田弥三郎)、銀座(田村泰次郎)、神田(高橋義孝)、新宿(田辺茂一)、、、東京の喫茶店(戸川エマ)、東京の菓子(三宅艶子)などと、いづれも美味しいものや町について一流の書き手として知られた人が名前を連ねています。主題は食べ物となっていますが、文章の随所に東京の町の様子が描かれていますので、戦前から昭和30年代の東京を記録する紀行文としても楽しめます。

 グルメ本として珍しいのは、東京の菓子を取り上げている点です。三宅艶子さんの東京の菓子に書かれている「泉屋のクッキー」と「ユーハイムのバームクーヘン」を懐かしく思い出す人は多いでしょう。子供の頃でしたが、我が家では、白と青に浮き輪のマークが描かれた泉屋クッキーの空き缶は、捨てずに小物入れにしていました。また父親が、バームクーヘンをお土産に持ち帰ったとき、年輪を一層づつはがしながら食べるのか、それともまとめて食べるのか悩みました。たぶん同じ経験をされた人は結構いたのではないでしょうか。

 すでに書かれてから約50年を経たこの本を、いまグルメガイドとして利用するのは無理があります。すでに無くなったお店もありますし、住居表示も交通網もすっかり変わりました。たびたび登場する省線という言葉はいまや死語ですし、都電の走る電車通りという言葉が分かる人は少ないでしょう。また紀行文としてみると、街の雰囲気の描き方が少なくもの足りない部分があります。しかし品川・五反田などめったに取り上げられない地域の話も載っています。たとえば、私は、シャコを材料にした品川めしというものがあったことを、この本で知りました。

 もし戦前から昭和30年代の東京の食べ物屋に興味がありましたら、「東京味覚地図」を一度ご覧になることをおすすめします。なお繰り返しになりますが、この本には巻末に各店の住所一覧がありますが地図は記載されていません。

Tokyo_Mikaku_Chizu

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2006/01/21

古書との出会い:たべあるき東京横浜鎌倉地図(山本嘉次郎)

 前回の東京新地図につづいて、もうひとつ地図本を紹介しましょう。

 「たべあるき東京横浜鎌倉地図(山本嘉次郎:発行昭文社、昭和47年)」は、昭文社最初のグルメマップにして80万部のベストセラーとなりました。著者は、映画監督・脚本家にして美食家だった山本嘉次郎さん、イラストは永井保さん、題字レイアウトは伊丹十三さんです。

 外観は、昭文社得意の折りたたみエリアマップの格好をしており、どうみても本というより地図ですし、著者も表紙では”この本、いやこの地図”と書いています。ところが、あとがきになると”しかし、この本(あえて地図とは言わない)”となっており、地図か本か悩むところですが、ここでは地図本として話をすすめましょう。

 著者が、この本にこめた思いを語る文章が、”安くて、うまいものを食う法”という囲み記事にありますので簡単に紹介しましょう。

 安くてうまいものを食うコツは、”1.なるべく古い店であること、2.古い建築の店である、3.建築は古くても掃除がゆきとどいている、4.女の客が多い、5.旺盛な食欲を持つ”とあります。江戸時代からの老舗でなくても古い店であれば、店の土地も建物も自前のことが多いので、新しいビルなどにできた店より経費が少なく、その分料理も安く提供できるだろう。著者のお店えらびは、このような考えをもとにしています。

 そして”1000軒ほどの食い物屋を紹介したこの地図には、安くて、うまい店が、何十軒、何百軒か含まれている筈である。私は、わざと、その店を指摘しなかった”とあります。

 たしかにこのグルメマップには、地図・店名・主なメニューの金額・営業時間・住所電話番号などは載っていますが、ミシュランにはじまり、多くのグルメガイドブックが掲載している星三つなどのお店の評価をまったく記載していません。

 そのことについて、著者は以下のように述べています。

 ”ウッカリそんなことを書こうものなら、たちまち餓狼の巷とかしてしまうからである。小さな店に、客が満ち溢れ、ふだんのお得意客の迷惑になるばかりでなく、、、つぶれてしまった店も何軒か知っている”。

 さすがに昭和を代表する美食家です、安易なグルメガイドの危うさを十分知り尽くした大人の言葉です。

 山本嘉次郎さんが昭和東京のグルメ界に与えた影響は大きかったようで、十数年前ですが、日本橋にあったレストランで”山本嘉次郎先生推薦の店”と書かれた看板を見たことがありました。

 グルメマップのベストセラーを誇った「たべあるき東京横浜鎌倉地図」も、このごろはあまり見かけません。もし古い本箱の隅などに忘れられているものに出会ったら、昭和東京本の一つとしてもう一度読むことをおすすめします。

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2006/01/14

古書との出会い:東京新地図(読売新聞)

 インターネットで無料検索できる地図が登場してからは、地図帳を開く機会がめっきり少なくなりました。地名を入力してクリックすれば、おおよその地域が表示され、さらに番地を指定すればより細かい地図が表示されます。私にとって、地図と鉄道乗り換え検索は、もっとも頻繁に使うインターネットサービスです。

 しかし、このように便利なインターネット地図検索も役立たないことがあります。

 たとえば「黒門町の師匠」とよばれた桂文楽、また銭形平次に登場する「黒門町の親分」が住んでいた黒門町はどこでしょうか。ためしにインターネット地図に東京で黒門町を検索すると「見つかりませんでした。」と表示されます。

 東京の町名は、昭和37年からはじまった住居表示変更により変わりはじめ、数多くの古い町名が消えました。

 新住居表示がすっかり定着した現代では、日常生活で旧町名を使用することはありませんが、古い昭和東京本などに載っている場所を確かめようとすると、新旧両方の町名が書かれている対照地図が欲しくなります。このような要望を地図検索ソフトメーカに言っても、そのような人はよほどの物好きでしょうから、自分でなんとかしなさいと言われるのがオチですが。しかし住居変更当時は、新旧町名の対照地図を必要とする人が多くいたはずです。郵便配達、運送屋、営業関係者などの人は相当苦労したでしょう。

 実はそのような地図があったのです。「東京新地図:読売新聞社、昭和43年」は、住居表示変更にともなう新旧地図に歴史の話題を加えた500ページに及ぶ本です。

 まえがきにあるように、東京新地図は、住居表示変更がはじまり、新聞記者の方が記事を書くときに新旧町名の確認の問い合わせを何度もうけることをきっかけに、読売新聞の都民版に連載された記事を本にしたものです。各町は2ページで構成され、右側ページに町名と丁番に続いてその地域の歴史の話がはじまり、左ページ上側に新旧町名を書いた地図があります。上野1-7丁目のページをみると、上野1丁目は西黒門町と上野北大門町の一部からできたこと、上野2丁目は上野元黒門町、数寄屋町、上野北大門町、池之端仲町の一部から、そして上野3丁目は東黒門町や長者町、坂町、同朋町、上野広小路などからできたことが分かります。すなわち、上野黒門町は上野1,2,3丁目になりました。

 古い地図と現代の地図を組み合わせた地図帳は、最近の昭和ブームであらたに発売されています(たとえば昭和三十年代東京散歩:人文社など)。大まかに見るには新しい地図が便利ですが、町や丁単位で見たいときは東京新地図のほうが分かりやすいようです。とくに東京新地図の巻末にある新旧町名一覧は、旧町名と新町名の対照が一目でわかり便利です。

 東京新地図は実用書ですが、東京の住居表示変更を記録する本として、昭和東京本の仲間に加えたい本です。

TokyoShinChizu


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2006/01/08

古書との出会い:オリンピック(東龍太郎)

 東京へ二度目のオリンピックを誘致する話が上がっています。たんなる噂話でなく、東京都の公式ページにも掲載されいる話で、まだ基本構想懇談会のレベルですが2016年開催を目指しています。

 昭和東京本を読んでいると、東京の町並みがオリンピックをさかいに大きく変わったとの記述ををよく見かけます。私自身は、1964年(昭和39年)東京オリンピックの頃は、まだ子供だったので町がどのように変わったかあまり憶えていませんが、東京の空にジェット機で描かれた五輪マークを学校の校庭から見上げたことだけは、強烈な印象として残っています。

 「オリンピック:東龍太郎、発行わせだ書房、昭和37」は、著者と発行年から分かるように、東京オリンピックの2年前に、当時の東京都知事にしてIOC委員であった東龍太郎により書かれた本です。

 東京オリンピックの競技の様子は、映画(東京オリンピック:市川昆監督)にも記録されていますしグラフ雑誌も数多く出されましたので、御存知の方が多いとおもいます。それでは東京オリンピックは、いつ頃からどのように誘致されたのか、さらにオリンピックのために東京をどのように整備したのでしょうか。「オリンピック:東龍太郎」は、これらの経緯と東京の整備計画を述べています。

 戦争のため中止された第12回オリンピック東京大会、そして戦後、1952年(昭和27年)から誘致活動をはじめ1964年(昭和39年)に第18回オリンピック東京大会開催にこぎつけるために、誰がどのような交渉をしてきたかが明らかにされています。また当初の計画では、選手村を米軍が使用していた朝霞キャンプに作ることを前提に道路整備を計画し建設したこと。掲載されている道路計画図をみると、環七道路が朝霞キャンプや駒沢スポーツセンターへのアクセスのために作られたことが分かります。それがワシントンハイツ返還により、最終的には選手村が代々木になり、高速3号線を繰上げ工事することになったなどの話が、当事者の視点で述べられています。

 もちろん「オリンピック」にはオリンピックの話も数多く載っており、オリンピックの歴史からはじまり、IOC議事録、オリンピック憲章、競技記録、さらにオリンピック余話では、かつてのオリンピック選手の思い出話やちょっとしたウンチクを楽しむことができます。その中には、第一回ギリシャオリンピック総裁であったギリシャ皇帝、その子であるジョルジュ親王は、大津事件で襲われたロシア皇太子(ニコライ二世)を現場で救い、いまも保存されている血染めのハンカチの持ち主であるなどの話もあります。

 「オリンピック」は、昭和東京の一大転機である東京オリンピックの経緯を記録する本として、昭和東京本の仲間に加えたい本です。表紙の金色の五輪マークに赤い日の丸(ほんとうは太陽らしい)は、亀倉雄策がデザインした東京オリンピックの公式シンボルマークで、これを見るだけでも手元におきたい本です。

「オリンピック」の表紙
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2006/01/07

古書との出会い:東京おもかげ草紙(佐野都梨子)

 ちょっと気になる本を古書店でみつけたとき、既に書評を読んだり、以前からよく読んでいた作家の一連のシリーズの本であれば、その本がどのような内容なのか読まずに購入することがありますが、いままで一度も見たことも聞いたことのない作家となると、やはり中味を少しは読まないと買うところまでいきません。しかし、ときどき表紙やタイトルを見ただけで買ってしまうことがあります。

 [東京おもかげ草紙、佐野都梨子、発行:東京新聞出版局、昭和50年」は、そのタイトル「東京おもかげ草紙」と著者略歴の「深川に生まれる」だけで買ってしまいました。

 著者の佐野さんは、万葉集関係の記事を雑誌・新聞に発表されていたそうで、東京おもかげ草紙は、家庭画報に連載していた「維新から東京へ母娘の見た東京」に書き下ろしの2編「明治の大川端風物詩」、「想い出の大川端東と西」を加えたものです。

 明治から昭和にかけて、著者が暮らした東京の様子が、きめこまやかに描かれています。とくに大川端東西では、新大橋付近にあった自宅およびその付近の、当時の人々の生活と町の様子がていねいに描かれています。ぶどう棚のあった自宅、お隣の消防署、お向かいの五軒長屋に住む先頭さん、コロップやさん、歌舞伎の殺陣師さん、通り奥に住んでいた踊りの師匠さん、一銭蒸気船に乗っていた絵本売りなど、古いの東京の想い出話がたくさんつまっています。

 本つくりも女性ならではの細やかさがあふれており、ところどころに古い絵草紙がカラーページで入っています。どこか懐かしい絵は、この本のもう一つの楽しみです。一粒で二度おいしい本です。

東京おもかげ草紙に入っている絵草紙

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2005/12/27

古書との出会い:東京の旅(松本清張・樋口清之)

 ちょっと古くなった実用書は、古書店でも新古本屋さんでも安く売られていることが多いようです。この”ちょっと古い”という期間は、その本の分野によって相当大きな幅がありそうですが。たとえば、園芸関係の実用書は10年前のものでも役に立ちます。しかし旅行ガイドとなると、10年もたつと名所・旧跡案内は使えるが、宿泊、交通、お店などの情報は、ほとんど役立ちません。まして東京のガイドブックになると、1年もたてば掲載されていたお店が無くなったりするのはザラですから、たちまちゴミとして捨てられてしまいます。

 まえおきが長くなりましたが、光文社から昭和41年発行された「東京の旅」は、一見よくある新書版のガイドブックのように見えますが、なかなか読み応えのある東京紀行本です。なにしろ著者は、松本清張と樋口清之さんの二人ですから歴史紀行の記述は超一流です。巻頭にある「著者のことば」に、松本清張さんが、この本にこめたおもいの言葉がありますので少し紹介しましよう。

 「旅行ガイドブック類を見て感じるのは、それがたんにコースの手引きに終わっていることである。」「たとえば、、、、そこに別の旅行者がきて、かんたんにざっと眺めただけで立ち去ったしようか。ああ、もったいない、もう少しご覧になったらいかがですか、と思わずひきとめて話してあげたくなる。これは案内するというのではなく、、、自分の感動を人に伝え、いっしょに見ていた旅人の仲間意識からである」。

 このように作られた「東京の旅」は、読み物としても十分な内容をもっています。

 たとえば深川の章では「俳聖が表看板の忍者か-芭蕉」のタイトルのもと、芭蕉の行動力と生い立ちをからめて芭蕉忍者説を紹介しています。芭蕉忍者説は、雑誌の芭蕉特集などのすみにこぼれ話のように書かれているのをよく見かけますので、ご存知の人も多いでしょう。東京の旅では、芭蕉が費やした莫大な旅費、健脚としても少し早足すぎる旅の行程(一日で十数里歩くことになる)の疑問、出身地が忍者で知られる伊賀であることから、芭蕉が忍者の技を持っていたとの仮説を組み立ていきます。その文章は、まるで歴史推理小説のようで読む人をひきつけます。

 感動を伝えるのはなかなか難しいことです、押し付けになるとうるさいし、足りなければ伝わりません。名文家と呼ばれる方の文章は、そのあたりのサジ加減がうまいのでしょう。

TokyoNoTabi

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2005/12/20

古書との出会い:東京の三十年(田山花袋)

 本は本を呼ぶのでしょうか、先日、森本哲郎さんの”懐かしい「東京」を歩く”を読み返し、そのまえがきで紹介されていた田山花袋の「東京の三十年」に興味を持ったばかりですが、その本と古書市で出会いました。カバーが無くて大分変色しているためか、200円で格安本棚に並んでいたのは、創元社選書の一つとして昭和22年に再刊された本です。まさしく森本さんが、”気持ちをこの上なくかき立ててくれた書物”と言われたものと同じものです。

 巻末にある正宗白鳥のあとがきに(正宗白鳥が書いたのもすごいが)、「東京の三十年」は大正六年に発行されたとあるように、この本で描かれた東京は明治前半から大正半ばです。十歳で館林から上京して京橋にあった本屋の小僧になり、本を背負ってお高輪や駒場の得意さんを回った話からはじまり、深川高橋にいた伯母のこと、その後の文壇の様子などが綴られます。古い本なので旧字体の活字が多いのですが、文章は口語体で分かりやすく、今も全く違和感がないのは、さすが自然主義の確立者といわれた田山花袋です。

 田山花袋の「東京の三十年」は、震災以前の東京の様子を知るには格好の本です。念のため坂崎重盛さんの「東京本遊覧記」をみたら、”東京の景観史を考えるときにははずせない必読の一冊である”とありました。さすが坂崎さんです。

 「東京の三十年」田山花袋は岩波文庫で入手可能です、講談社文庫版もありましたが現在は在庫無しのようです。

Tokyo30nen

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