あの頃の東京

2018/11/11

あの頃の御茶ノ水ジロー

 かつて御茶ノ水にあった喫茶ジローについて検索すると、現在、多くの飲食店を運営しているジローレストランシステムに行きつく。その沿革ページに、”1955年神田神保町にシャンソン喫茶「ジロー」開業”、”1957年JR御茶ノ水駅前に移転”、”1963年御茶ノ水本館2階にカフェテリア方式導入、喫茶・洋菓子・料理三部門体制確立”とあるが、それはどのような店だったのだろうか?

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 最近、御茶ノ水ジローの誕生を語る本を見つけその開店経緯をわずかながら知ることができたのでまとめてみた。

 「シャンソンの為に」(青山梓、創学社)は、1957年(昭和32年)発行。日本のシャンソンの歴史と活動を支えた関係者の話を掲載。そのなかで、当時都内にあったシャンソン喫茶を紹介している。

 銀座の銀巴里、新宿のラセーヌ、渋谷の十字路につづいて、池袋のシャンソン喫茶ジローを紹介。

 ジローの話をまとめると、”本店は駿河台下のジロー、この池袋支店は昨年12月に開店。本店はレコードだけのシャンソン喫茶だが、池袋は実演をやりたくて始めた。日本のシャンソンの作曲、作詞、編曲家を中心においてサロン・ド・シャンソンという発表の場を提供している”。さらに”ことし10月から新築中の御茶ノ水駅前新店にサロン・ド・シャンソンを移す予定”とある。

 これはジローの沿革にある1957年御茶ノ水移転の話と一致しており、御茶ノ水ジロー誕生とそこがシャンソンの場を目指したことがうかがえる。ベテランの方々が、ジローというと”シャンソン喫茶でしょう”と語るのは、このような背景があったからのようだ。

 上の画像は、「シャンソンの為に」に収録されている「銀巴里、ジローの店内、銀座シャンのステージ」の写真。

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2018/10/28

1979年の東京

 最近、地元の古くからあった店が立て続けて閉まった。ケーキ屋が二軒、和菓子屋が二軒、いずれも地元ではよく知られた店で、はじめは改装工事のための一時的休業かと思ったがどうもそうではないらしい。やはり知っている店が消えてしまうのは、ちょっと寂しい。

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 ところで、あの通りにあったその店によくいったなど、オジサン達の会話は「あのその」が多い。しかも、それってそこでなくあっちでしょうという異論もでてきて、なかなか話の出口がみえない。当時の写真や地図があればと思うのは、そんなときだ。

 そんなことを思っている人にずばりおススメのムック本が発行された。「あのころangle 街と地図の大特集1979」は、1979年に発行された雑誌angleの復刻版。

 渋谷・六本木・銀座・青山・自由が丘・下北沢・・・新宿・池袋・吉祥寺・早稲田・高田馬場・神田・・・など都内各所を詳細な地図とともに紹介した内容をそのままに、新たに当時を知る人々のインタビュー記事や当時の情報などを追加したもの。70年代末から80年代はじめの東京の街を再確認するのにぴったりの内容だ。

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2018/05/20

コミュニティバスで御茶ノ水から表参道へ

 先日、テレビ東京の路線バスの旅の再放送を見ていたら、廃止されたバス路線の代替えとしてコミュニティバスに救われるシーンがあった。コミュニティバスは県境や市境をまたげないらしく、途切れた区間は徒歩で進むが、これが突破口となりバス旅が無事続くのだ。

 いま都内各区がコミュニティバスをそれぞれ運行している。これらをうまく組み合わせれば、すでに廃止されたバス路線をたどることができそうだ。そこで、かつて御茶ノ水と渋谷駅を結んでいた都バス茶81の跡をたどるバス旅に挑戦してみた。春は千鳥ヶ淵、靖国神社、大妻通りなどのサクラ、秋は神宮外苑、表参道などの黄葉を車内から楽しめた都バス路線の再現だ。

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 利用するコミュニティバスは千代田区「風ぐるま」と港区「ちぃばす」の二路線。出発点は駿河台の日大病院前(上の写真)、終点は港区の表参道交差点とした。

 問題は、どこで千代田区「風ぐるま」から港区「ちぃばす」に乗り換えるかだ。歩く距離を短くするためには、なるべく両区の停留所が近いところを選びたい。「風ぐるま」が青山通りに一番近づくのは国立劇場の裏にある平川天満宮前のようだ。これに対する「ちぃばす」は赤坂見附駅が一番近そう。そこで日大病院前から千代田区役所へ向かう「風ぐるま」秋葉原ルート便に乗車し、区役所で麹町方面行に乗り換え平川天満宮で下車することにした。下の写真は、平川天満宮前から戻っていく「風ぐるま」。

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 平川天満宮から赤坂見附までは徒歩となる。最高裁判所を左に見ながら隼町で青山通りにでて、ちょっときつい坂道をのぼり、高層ビル(平河町森タワー)を右にみながら一気に谷底にある赤坂見附までころげ落ちるように下る。港区「ちぃばす」の赤坂見附駅停留所は交差点を渡った右側にある。この停留所は小さいながらも屋根があり、きれいに整備されている。

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 赤坂見附駅で港区「ちぃばす」青山ルートに乗車すると、バスは東宮御所の塀に沿って進み赤坂警察署前の交差点から青山通りに入る。あとは目的地の表参道交差点まで真っすぐ進みそこで下車。さらにバスは左に曲がり六本木ヒルズ方面へ向かうが、今回はここまでとした。下の写真が表参道交差点を曲がる「ちぃばす」。

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 さいごに「ちぃばす」車内で聞いたお役立ち情報、港区「ちぃばす」と渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」は、ともに青山通りの一部区間が重なっており南青山三丁目交差点停留所で下車すれば、料金は新たに支払いが必要だが乗り換えができるそうだ。この「ハチ公バス」に乗れば、明治神宮前を経由して渋谷まで行けるとのこと。調べてみたら、この2路線は運行会社が同じだ。

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2018/04/28

消えたタワー(不忍池)

 1999年夏に不忍池の遊歩道に立ったとき、ツリーというか五重塔のようなタワーが空に向かってそびえているのが見えた。国内資本のホテルとして建てられ、その後外資系ホテル・ソフィテル東京となった高さ約100mの高層ビルだ。

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 そのデザインが様々な議論を呼んだ建物だが、いまはもう見ることはできない。じつはこの建物は1994年に完成したが、2007年に解体がはじまり、わずか13年しか存在しなかった。これほど大きな建物が短命で解体されることはめったにないが、皆無ではない。

 たとえば南千住にあった野球場東京スタジアム。こちらは1962年に完成し大毎オリオンズ(後のロッテオリオンズ)の本拠地となったが、1972年に運用が停止され1977年に解体、15年しか存在しなかった。完成時は夢の球場と呼ばれ最新設備を整えていたが、それを維持し更新するためのビジネスが追いつかず解体されてしまったそうだ。その結末にソフィテル東京に似たものを感じる。

 それにしても上に載せた写真を撮ったときは、いずれ新しい建物が増えてこの景色も失われるだろうと思ったが、まさかこのタワーが消えるとは想像すらできなかった。

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2015/09/13

あの頃の神田の都電

 前回の「あの頃の神田の映画館」につづいて、今回は都電の話。

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 上記は左から昭和42年、44年、46年の千代田区小川町付近

 昭和42年の地図をみると、神田小川町交差点で路面電車は三角形の外周に沿う形で3方向に分岐している。この交差点は市電の時代からあり、そのようすは夏目漱石の「彼岸過迄」に登場。ところが昭和44年の地図では美土代町方向の路線が消え、小川町交差点の分岐はなくなり靖国通りをまっすぐ進む路線だけ。さらに昭和46年になると、靖国通りを走っていた路線もなくなっている。

 このように昭和40年代は、神田から都電が次々と消えた時代でもあった。

 ところで都電はいまも荒川線のみ運行しているが、かつてのことを思えば都心のちょっとはずれを細々と走っているような印象をもってしまう。ところが広島に出張したとき乗った路面電車は、町の中心部を行くまさしく主要交通という感じがした。なにしろ広島駅前から乗車でき本数も多く利用しやすい、しかも車両は新旧様々なタイプがあって見ていて飽きない。これは広島出張の秘かな楽しみだった。

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2015/09/06

あの頃の神田の映画館

 机の上に3枚の地図がある。昭和42年、44年、46年版、同じ出版社の同じシリーズの千代田区地図(日地出版東京区分詳細図)だ。これら3枚をじっと見ていたら、町の変化がふわっと浮かび上がってきた。

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 神保町周辺の街並みをみていたら映画館の変化にきづいた。昭和42年版では東洋キネマ・神田日活・南明座の3館ともに映画館名が記載されているが、昭和44年版で神田日活はタキイ種苗となる。昭和46年版では東洋キネマ、南明座ともに建物はそのままだが名前は消えている、たぶん閉館したのだろう。じつは昭和40年代後半これら2館の近くを何度か訪れており、東洋キネマの建物はその後も長いあいだ残っていたが、南明座の地はオフィスビルが建っていた。このように昭和40年代は、町の映画館が消えた時代であった。

 それにしても昭和42~46年(1967~1971)わずか4年間にすぎないが、地図に残されたものを見ただけでも大きな変化があった。いまから5年後の2020年、そのとき目にする地図はどのようなものだろうか。

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2013/09/23

あの頃の喫茶店・御茶ノ水駅付近

 いまや外来種の勢いにおされて絶滅危惧種に指定されてもおかしくない町の喫茶店についてオジサン達の話が盛り上がった。とはいっても名前はうろ覚え、場所もはっきりしないのは私を含めてオジサン達に共通。そこで記憶をたよりに昭和40年~50年はじめ頃、御茶ノ水駅付近にあった喫茶店の地図をつくってみた。あの頃の学生街の喫茶店地図だ。

 2018/11/11 あの頃の御茶ノ水ジローについて記事を書きました。

 2013/11/1地図改訂、レモン、マロニエ、FINE、ゴロー、丘、田園、ジロー、ジローピザ、舟、プティヤック、ミロ、ウィーン、穂高、滝沢、山の上ホテル。

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 こうして地図にすると、あの頃の喫茶店は、ほとんど残っていない。山の上ホテル旧館はいまもあるが、別館は閉じられ地下にあったシェヌーは今はない。

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