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2005/11/27

深川二笑亭(意匠日記:谷口吉郎)

 かつて深川門前仲町に「二笑亭」と呼ばれる家があった。二笑亭という名前から寄席や演芸場を想像しそうだが、これは個人住宅であり、その家の主人自ら設計して、各地から銘木や材料を集め、大工を監督しながら建てた家である。ここまでであれば、凝った家造りの話で終わるのだが、この家は様々な人から大きな注目を集めついに本にまで取り上げられた。

 二笑亭については、精神科医であった式場隆三郎によって書かれた本「二笑亭奇譚」が有名である。もともと、この家の主人は、長唄や清元など芸事から茶の湯生け花などをこなす趣味人であったが、関東大震災後の区画整理のため転居しなければならなくなると、世界旅行に行ってしまった。そして帰国後に、深川門前仲町に移り二笑亭の建築を始めた。しかし、奇行があまりに重なり、最後は医者の手を煩わすようになったのである

 谷口吉郎の「意匠日記」(読売新書、昭和29年)には、建築家の目で見た二笑亭の話が載っている。谷口吉郎は、竹橋にある国立近代美術館や日比谷の帝国劇場を設計した建築家であり、式場隆三郎に案内されて訪れた二笑亭の外観と内部の様子を意匠日記の中に書いている。その家は、人の顔のように見える正面外観(現代の造形で言えば、スターウォーズに登場するダースベーダの顔を四角くしたものが思い浮かぶが)、羽目板の節にはガラスがはまり、壁は防虫のため黒砂糖と除虫菊の粉末を練りこみ、畳のへりは鉄板などと、モダンでダイナミックだがバランスが崩れた奇妙な家である。

 谷口が二笑亭を見る目は、どこまでも冷静で、奇妙な意匠の中に機能性や独創性を見出している。しかし、全体を見れば、この家は病的な造形物であると断じている。意匠日記のはしがきにあるように、谷口が目指したものは「清らかな意匠」である。二笑亭が早々に主を失い消えていったことと、ちょうど同じ時期、震災後の深川に建てられた食料ビルが、モダニズムデザインの代表として長く親しまれたことを対比すると、谷口が提唱した「清らかな意匠」という言葉に共感を覚える。

今は無き食料ビル(現在は新しいマンションが建っています)

syokuryo

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