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2005/12/27

古書との出会い:東京の旅(松本清張・樋口清之)

 ちょっと古くなった実用書は、古書店でも新古本屋さんでも安く売られていることが多いようです。この”ちょっと古い”という期間は、その本の分野によって相当大きな幅がありそうですが。たとえば、園芸関係の実用書は10年前のものでも役に立ちます。しかし旅行ガイドとなると、10年もたつと名所・旧跡案内は使えるが、宿泊、交通、お店などの情報は、ほとんど役立ちません。まして東京のガイドブックになると、1年もたてば掲載されていたお店が無くなったりするのはザラですから、たちまちゴミとして捨てられてしまいます。

 まえおきが長くなりましたが、光文社から昭和41年発行された「東京の旅」は、一見よくある新書版のガイドブックのように見えますが、なかなか読み応えのある東京紀行本です。なにしろ著者は、松本清張と樋口清之さんの二人ですから歴史紀行の記述は超一流です。巻頭にある「著者のことば」に、松本清張さんが、この本にこめたおもいの言葉がありますので少し紹介しましよう。

 「旅行ガイドブック類を見て感じるのは、それがたんにコースの手引きに終わっていることである。」「たとえば、、、、そこに別の旅行者がきて、かんたんにざっと眺めただけで立ち去ったしようか。ああ、もったいない、もう少しご覧になったらいかがですか、と思わずひきとめて話してあげたくなる。これは案内するというのではなく、、、自分の感動を人に伝え、いっしょに見ていた旅人の仲間意識からである」。

 このように作られた「東京の旅」は、読み物としても十分な内容をもっています。

 たとえば深川の章では「俳聖が表看板の忍者か-芭蕉」のタイトルのもと、芭蕉の行動力と生い立ちをからめて芭蕉忍者説を紹介しています。芭蕉忍者説は、雑誌の芭蕉特集などのすみにこぼれ話のように書かれているのをよく見かけますので、ご存知の人も多いでしょう。東京の旅では、芭蕉が費やした莫大な旅費、健脚としても少し早足すぎる旅の行程(一日で十数里歩くことになる)の疑問、出身地が忍者で知られる伊賀であることから、芭蕉が忍者の技を持っていたとの仮説を組み立ていきます。その文章は、まるで歴史推理小説のようで読む人をひきつけます。

 感動を伝えるのはなかなか難しいことです、押し付けになるとうるさいし、足りなければ伝わりません。名文家と呼ばれる方の文章は、そのあたりのサジ加減がうまいのでしょう。

TokyoNoTabi

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