古書との出会い:東京新地図(読売新聞)
インターネットで無料検索できる地図が登場してからは、地図帳を開く機会がめっきり少なくなりました。地名を入力してクリックすれば、おおよその地域が表示され、さらに番地を指定すればより細かい地図が表示されます。私にとって、地図と鉄道乗り換え検索は、もっとも頻繁に使うインターネットサービスです。
しかし、このように便利なインターネット地図検索も役立たないことがあります。
たとえば「黒門町の師匠」とよばれた桂文楽、また銭形平次に登場する「黒門町の親分」が住んでいた黒門町はどこでしょうか。ためしにインターネット地図に東京で黒門町を検索すると「見つかりませんでした。」と表示されます。
東京の町名は、昭和37年からはじまった住居表示変更により変わりはじめ、数多くの古い町名が消えました。
新住居表示がすっかり定着した現代では、日常生活で旧町名を使用することはありませんが、古い昭和東京本などに載っている場所を確かめようとすると、新旧両方の町名が書かれている対照地図が欲しくなります。このような要望を地図検索ソフトメーカに言っても、そのような人はよほどの物好きでしょうから、自分でなんとかしなさいと言われるのがオチですが。しかし住居変更当時は、新旧町名の対照地図を必要とする人が多くいたはずです。郵便配達、運送屋、営業関係者などの人は相当苦労したでしょう。
実はそのような地図があったのです。「東京新地図:読売新聞社、昭和43年」は、住居表示変更にともなう新旧地図に歴史の話題を加えた500ページに及ぶ本です。
まえがきにあるように、東京新地図は、住居表示変更がはじまり、新聞記者の方が記事を書くときに新旧町名の確認の問い合わせを何度もうけることをきっかけに、読売新聞の都民版に連載された記事を本にしたものです。各町は2ページで構成され、右側ページに町名と丁番に続いてその地域の歴史の話がはじまり、左ページ上側に新旧町名を書いた地図があります。上野1-7丁目のページをみると、上野1丁目は西黒門町と上野北大門町の一部からできたこと、上野2丁目は上野元黒門町、数寄屋町、上野北大門町、池之端仲町の一部から、そして上野3丁目は東黒門町や長者町、坂町、同朋町、上野広小路などからできたことが分かります。すなわち、上野黒門町は上野1,2,3丁目になりました。
古い地図と現代の地図を組み合わせた地図帳は、最近の昭和ブームであらたに発売されています(たとえば昭和三十年代東京散歩:人文社など)。大まかに見るには新しい地図が便利ですが、町や丁単位で見たいときは東京新地図のほうが分かりやすいようです。とくに東京新地図の巻末にある新旧町名一覧は、旧町名と新町名の対照が一目でわかり便利です。
東京新地図は実用書ですが、東京の住居表示変更を記録する本として、昭和東京本の仲間に加えたい本です。
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