古書との出会い:オリンピック(東龍太郎)
東京へ二度目のオリンピックを誘致する話が上がっています。たんなる噂話でなく、東京都の公式ページにも掲載されいる話で、まだ基本構想懇談会のレベルですが2016年開催を目指しています。
昭和東京本を読んでいると、東京の町並みがオリンピックをさかいに大きく変わったとの記述ををよく見かけます。私自身は、1964年(昭和39年)東京オリンピックの頃は、まだ子供だったので町がどのように変わったかあまり憶えていませんが、東京の空にジェット機で描かれた五輪マークを学校の校庭から見上げたことだけは、強烈な印象として残っています。
「オリンピック:東龍太郎、発行わせだ書房、昭和37」は、著者と発行年から分かるように、東京オリンピックの2年前に、当時の東京都知事にしてIOC委員であった東龍太郎により書かれた本です。
東京オリンピックの競技の様子は、映画(東京オリンピック:市川昆監督)にも記録されていますしグラフ雑誌も数多く出されましたので、御存知の方が多いとおもいます。それでは東京オリンピックは、いつ頃からどのように誘致されたのか、さらにオリンピックのために東京をどのように整備したのでしょうか。「オリンピック:東龍太郎」は、これらの経緯と東京の整備計画を述べています。
戦争のため中止された第12回オリンピック東京大会、そして戦後、1952年(昭和27年)から誘致活動をはじめ1964年(昭和39年)に第18回オリンピック東京大会開催にこぎつけるために、誰がどのような交渉をしてきたかが明らかにされています。また当初の計画では、選手村を米軍が使用していた朝霞キャンプに作ることを前提に道路整備を計画し建設したこと。掲載されている道路計画図をみると、環七道路が朝霞キャンプや駒沢スポーツセンターへのアクセスのために作られたことが分かります。それがワシントンハイツ返還により、最終的には選手村が代々木になり、高速3号線を繰上げ工事することになったなどの話が、当事者の視点で述べられています。
もちろん「オリンピック」にはオリンピックの話も数多く載っており、オリンピックの歴史からはじまり、IOC議事録、オリンピック憲章、競技記録、さらにオリンピック余話では、かつてのオリンピック選手の思い出話やちょっとしたウンチクを楽しむことができます。その中には、第一回ギリシャオリンピック総裁であったギリシャ皇帝、その子であるジョルジュ親王は、大津事件で襲われたロシア皇太子(ニコライ二世)を現場で救い、いまも保存されている血染めのハンカチの持ち主であるなどの話もあります。
「オリンピック」は、昭和東京の一大転機である東京オリンピックの経緯を記録する本として、昭和東京本の仲間に加えたい本です。表紙の金色の五輪マークに赤い日の丸(ほんとうは太陽らしい)は、亀倉雄策がデザインした東京オリンピックの公式シンボルマークで、これを見るだけでも手元におきたい本です。
「オリンピック」の表紙
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