古書との出会い:銀座ばやし(永井保)
前々回紹介した「たべあるき東京横浜鎌倉地図(山本嘉次郎)」の表紙にイラスト永井保さんの名前がありましたが、今回は、この永井保さんの「銀座ばやし:オリオン出版、昭和44年」を紹介しましょう。
永井保さんは、清水昆(かっぱ天国)や岡部冬彦(アッちゃん)さんと同時代の漫画家・画家ですが、絵本や随筆の著者としても活躍されました。「銀座ばやし」は、今も発行されている小冊子銀座百点に、昭和42年から2年間にわたり連載された記事と挿絵をまとめたものです。
「銀座ばやし」は、永井さん自身の戦前からの銀座の思い出話に加えて、昭和42年当時の銀座の様子とそこで仕事をされていた人々の話が数多く登場します。いずれの人も驚くような経歴をもっており、興味ふかい話が満載されています。
たとえば「白魚橋」の章は、大正終わりごろの屋台の思い出話からはじまり、昭和42年当時の銀座の屋台事情が述べられています。
大正の終わりごろは、毎日のように車を引いた屋台がやってきたそうです。
ドンドンドンと太鼓を鳴らし子供たちを集めて焼ソバ・エビ天やアンコ巻きを食べさせたドンドン焼き、「きんちゃーん、あまいよ」との呼び声で煮あずきを売っていたキンチャン豆、しん粉細工、電気アメと呼ばれていたワタアメやカノコ餅などがありました。
それが昭和42年になると、銀座の屋台は、営業時間後の銀行の軒先近くにとまり大人相手の商売にかわり、タコ焼き、焼ソバ、きぬかつぎ、焼大福、石焼きいもなどを商うようになっていました。そして今でも(昭和42年当時)車を引いて売り歩くのは、石焼いもぐらいだろうと、銀座で十数年商いをしている石焼いも屋台の一日を、紹介しています。
その当時、銀座で焼き芋やをしていたのは6人、8丁目あたりの女性の購入額はだいたい一人200円ぐらいだったそうです。
「クツがなる」の章は、銀座で20年以上靴みがきをされていた人の話です。
息子さん達は、すでに自動車会社に勤めたり航空会社パイロットになっているが、それでもなおクツみがきを続けていた人が登場します。銀座という場所がらお客には経済人もいて、重役さんの息子を含めて数組の縁談をとりまとめるなど、多くのの人から頼られたこの方の人生は、世界史を見るようです。
家出して上海からシンガポールに渡り動物園で働き、その後南アフリカの羊毛会社へ移りスペインへ羊毛買い付けにいきスペイン動乱に巻き込まれ、第二次大戦が始まると日本へ向かうイタリア船に乗りながら途中のハノイで下船し、戦後ようやく日本へ帰国した経歴の持ち主です。
「銀座ばやし」には、興味深い読み物がたくさん並んでいますが、画家としての永井さんならではのページが巻末にある八丁咄です。これは、昭和43年12月末の銀座通り1丁目から8丁目までの、大通りから見た建物のスケッチ集です。それぞれの場所には大正10年、昭和5年、昭和17年、昭和43年当時にあったお店の名前が書いてあり、銀座大通の移り変わりが一目でわかります。
私自身もこのスケッチで、学校に入る前に見かけた銀座2丁目にあった変わった建物がクインビーであったことを知りました。また戦前に銀座を歩いたことがある母は、かつて本を買った三昧堂書店の場所をこのスケッチで確かめることができました。
このように「銀座ばやし」は、昭和40年代の銀座の人々や街の様子を詳しく描いており、昭和東京の資料として役立つとともに、読んでも見るだけでも楽しめる本です。もし見つけましたら是非ご覧になることをおすすめします。これは昭和東京本として復刊を熱望する本です。
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