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2006/03/11

久世光彦作品の思い出

 久世光彦さんが3月2日亡くなりました。

 今回は、いつもの古書との出会い・東京本紹介を休んで、久世作品の思い出を少し書きましょう。

 テレビニュースは、告別式に集まった人々の姿とともに、久世さんがTBSで演出した「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」などのドラマの映像を繰り返し流しました。

 銭湯を舞台としたドラマは「時間ですよ」以前にもあったと思いますが、それまでの銭湯ドラマは、脱衣場にカメラを据えて番台での銭湯主人と客とのやりとりの映像がほとんどで、銭湯を舞台と言いながら、実際には番台ドラマでした。ところが「時間ですよ」では、番台に座っている主人が、あたかも脱衣場や浴室を見渡すような映像を演出したのです。視聴者が番台に座ったら、そこからどのように見えるかを映像にしたのです。これには、本当に驚かされました。

 その後の「寺内貫太郎一家」も見ましたが、こちらはちょっと作りすぎのような気がした記憶があります。いくら下町が舞台でも、こんな家族はいないんじゃないかという印象を持ちましたが、その後、久世さんが東京阿佐ヶ谷生まれ育ちであることを、どこかで読み、なんとなく納得しました。今は商店街もあって下町の雰囲気があるように言われる阿佐ヶ谷ですが、もともとは都心を少し離れた新しい住宅地で、退職した先生や勤め人が静かに暮らす町というのが、昭和生まれの東京人が阿佐ヶ谷や荻窪にもつイメージでした。

 身内や近所に下町で暮らした経験のある大人がいると、子供たちは、その大人たちの使う下町言葉や生活知識を自然に親しむようになります。しかし、大人たちが大げさに言うのか、それとも子供たちが自分なりに膨らましてしまうのか、子供たちが描くイメージは実際よりも大きくなることがあります。やはり、どっぷり下町に住んで身についた下町のイメージと、少し距離をおいて得た下町のイメージは、すこし違うかもと思った次第です。

 久世さんが制作したドラマで最も印象に残っているのは、昭和初期の東京を舞台にした一連の向田邦子スペシャルドラマでした。そこで描かれた昭和東京の家の様子、薄暗い電燈に照らされた家具がつくる陰影など、大道具から小道具まで全てが昭和の雰囲気を作り出し、まさしく久世さんならではの映像でした。

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『〈畳の上では死ねない〉という言葉はいまでは死語である。ろくな死に方はしないという比喩としての意味はいきていても、実際畳の上で死ぬ人なんて、いまどきめったにいやしない。(略)申し合わせたように〈心不全のため……都内の病院で〉』と久世光彦著のエッセー「家の匂い 町の音ーむかし卓袱台があったころ」に書かれています。  人気ドラマ「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」で知られた演出家の久世光彦さんが2日、虚血性心不全で急死と報じられ... [続きを読む]

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