あの日の花森安治
以前、短い期間でしたが、銀座松屋裏にあったオフィスに通っていました。新人だったので勤務時間中は、ずっと仕事に追われて休憩時間など、とてもとれませんでしたが、昼休みだけはきっちり1時間とれました。私の定番は、銀座1丁目にあった和食屋で昼定食を食べ、3丁目の十字屋でレコードを見て、4丁目の教文館で本を立ち読みするというコースでした。
そんなある日の昼、銀座三越の前で、頭に西部劇に出てくるビーバーの毛皮で作ったような帽子をかぶり、厚手のシルクのような光沢のある茶色のスーツを着た人物を見かけました。帽子からはみ出た髪は銀色、早足で歩く調子に合わせて揺れていました。だいぶ歳をとっているように見えましたが、何歳ぐらいかと聞かれても答えが浮かばない年恰好。顔つきは男性のようですが、スラックスでなく上着と同じ生地のスカートを着ていました。それは数秒間の出会いでしたが、その不思議な人物は、私に強烈な印象を残しました。
夕食時に、親に今日見かけた人について話したら、母親は即座に”それは花森安治にちがいない”と答えました。暮らしの手帖の読者であった母親は、花森安治の姿をよく知っていたのでしょう。
あれから年月が過ぎ、今、私の手元に花森安治の本「一銭五厘の旗」があります。
この本を開き、「どぶねずみ色の若者たち」を読んだとき、私に、花森安治を見かけたあの日の光景がよみがえってきました。「たとえば、東京でいうなら、丸の内とか虎ノ門あたり、あのへんを、昼休みにぞろぞろ歩いている、若いサラリーマンたちを、ながめてみたまえ。・・・どぶねずみ色なのである。」とあります。
その当時、私はスーツを一着しか持っていなくて、銀座松屋で買ったそのVANジャケットのビジネススーツはチャコールグレー、いわゆるドブネズミ色でした。花森安治に出会ったときの私は、まさしくどぶねずみ色の若者の一人だったのです。
花森安治は、「このつぎ服を買うときは、ひとのことは気にしないで、じぶんで着たい服を買いたまえ。すると、たかがそれくらいのことをするにも、いささかの勇気がいることに気がつく筈だ」と語っています。さらにこれに続けて、「しかし、君がねがうところの、マイホーム的幸せを手に入れるためには、たぶんその何倍かの、<いささかの勇気>がなければ、だめなのだ。らくなことだけしたい、いやなことはしたくない、といった臆病者では、それは到底手に入れることはできない筈なのだ」と結んでいます。
その後、大学卒業を前にして私が買った二着目のスーツは、グレーの濃淡に茶色が少し入ったチェックのものでした。それが花森安治の影響だったと言えば格好良いかもしれませんが、たぶん、当時の週刊誌かファッション誌に出ていた写真をそのまま真似たのでしょう。じっさいに私が花森安治の「どぶねずみ色の若者たち」を知ったのは、最近のことですから。
この頃、電車の中で新入社員風の若者をよく見かけますが、そのほとんどが男も女も皆同じような黒っぽいスーツを着ています。彼らは、二着目にどのようなスーツを買うのだろうか。願わくば「いささかの勇気」を発揮してほしいものです。
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