東京十二契(野坂昭如と小林信彦の関係)
野坂昭如の本「東京十二契」を知ったのは、小林信彦の「私設東京繁昌記」の第三章六本木界隈の中にある、次の記述からだった。
”1955年ごろの六本木界隈の変遷は、野坂昭如氏の「東京十二契」のなかの一章「六本木、消えた坂道」が詳しく記している。記憶だけで書いたとおぼしいが、かなりのものだ・・・・”。さらに続けて、”「私をNET(現テレビ朝日)に案内してくれたのは、放送作家・阿木由起夫氏である。・・・本名を野坂という阿木氏は、なぜか夜でも黒眼鏡をかけており・・・”と野坂昭如との出会いとその後の交流をなんども書いている。
これを読んでから、東京十二契(野坂昭如)がずーっと気になっていたが、なかなか出会うことがなかった。ところが、先日、ある古書市の入り口近くに置かれた本棚の一番隅に、この本がひっそりっと置かれていた。これがあの本かと、さっそく購入した次第だ。
学生時代、野坂昭如の本は何冊か読んだことがあったが、その後は長い間はなれていた。久しぶりに読むと、懐かしさがこみあげてくると同時に、どこか古典を読んでいるような気持ちになっている自分に驚く。たぶん学生時代は、その一部しか分からなかっただろう。「六本木、消えた坂道」の章に進むと、”すぐそばに小林信彦が住んでいた。彼が編集長だったヒッチコックマガジンに、ぼくは三十四年12月号から翌年三月号まで、表紙のモデルをつとめたことがある。すでに小林は「虚栄の市」を発表し、「日々の漂白」が直木賞候補にあげられていたと思うが、・・・」”と、小林信彦との交流が描かれている。
小林信彦と野坂昭如の二人の六本木の話しは、まるでお互いに対になるような内容なのだ。いま「東京十二契」は入手が難しいが、これは是非、文庫で再刊してほしい本だ。
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コメント
野坂昭如といえば、学生のころほんとに「おじさん」でしたね。元気過ぎるおじさんで、喧しいくらいあちこちに顔出していたような。大島渚との喧嘩は漫才みたいでした。そのおじさんが爺さんになり出すと、坂道を転げ落ちるような速さで、あっという間にヨボヨボになってしまったのには、ちょっとビックリでした。程よく老いたいものですね。
投稿: △イチおじさん | 2006/11/08 14:31
野坂昭如と大島渚監督は、強烈な個性を全面に押し出してTVやメディアに頻繁に出るなど共通点も多くありました、まあ似たもの同士でしょう。二人とも、若いときのインパクトが大きかっただけに、ちょっと勢いが衰えると、その落差がとても大きく見えるのも似ていますね。
投稿: じんた堂 | 2006/11/08 22:19