東京物語の謎(2)
前回は、シーン番号が分かれば、厚田撮影記録をたどり撮影場所が特定できそうな話までした。今回は、そのために必要なシーン番号の話をしよう。
東京物語のシーン番号を調べるために開いたのが「小津安二郎「東京物語」ほか」(みすず書房)。この本の巻末には、遺族から川喜多記念映画文化財団に寄託されている小津安二郎が撮影時に使用した監督台本が収録されている。台本の訂正・加筆・メモなど監督自身による文字の書き込みもゴジック体で載せているので、東京物語の撮影を知るのにもってこいの本だ。
早速、煙突と土手沿いの駅、平山医院の看板のシーンを探すと、シーン7と8で以下の記述がみつかる。
七=東京、長兄江東区
町工場などの見える江東区の風景
四本煙突(15フィート)
堀切駅改札口(9フィート)
八=空き地
そこの片隅に立っているいる「内科小児科平山医院」の看板
立札-平山医院(10フィート)
洗濯物乾してある(9フィート)
ずばり駅の風景である、しかもはっきりと監督書き込みを示すゴジック体で「堀切駅」と書いてある。やはりあの駅は、よく言われているように堀切駅だったのだ。
しかしせっかくシーン番号が分かったから、厚田撮影記録を確認してみよう。じつは、ここで面白いことが分かるだが・・・。
目指すシーンは7と8であることが監督台本から分かったので、このシーンを厚田撮影記録で探してみた。しかし、これらシーンの記録は載っていない。これは一体どういうことだろうか。
はたして厚田撮影記録は、監督台本に記載されているシーンを本当に記録しているのだろうか?ためしに、東山千恵子扮するお祖母さんが孫と土手で遊び「あんたがのう、お医者さんになるころあ、お祖母ちゃんおるかのう・・・」というシーンを監督台本でみるとシーン50-51となっている。これを厚田撮影記録で探してみると、9月27日、京成電鉄荒川駅、南千住鉄橋情景、シーン50・51となっている。あの土手のシーンは、京成荒川駅(現、八広駅)付近で撮影したものになる。
それではシーン7と50でどこが違うのだろうか、ひとつ気がついたのはシーン7は風景のみだがシーン50には出演者がいることだ。もしかしたら出演者が登場しない駅の風景などは、以前のロケハンなどで撮った風景を使っているのかもしれない。たとえば監督台本にはシーン36に煙突があるが、これも厚田撮影記録にはないので、この推測はあっているかもしれない。
次回は、DVD映像を見ての話をしよう。
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