吉原今昔図
ようやく休みとなった昨日の土曜日、買い物がてら人形町の本屋によったら東京人3月号「特集江戸吉原」が積まれているのが目についた。そういえばアースダイビングでお世話になったiGaさんが、先月のブログMADCONNECTIONでこの特集のことを書いていたし。元吉原があった人形町で、吉原特集の雑誌に出会うのも何かの縁かなとおもい、早速購入してきた。
ページ66-67に明治(27年)・大正(12年)・昭和(20年)の吉原のお店を地図とした「吉原今昔図」が載っている。中央にある角海老楼は変わらないが、時代とともに名前の変わった店があり、吉原の浮き沈みが激しかったことがしのばれる。路地の形も変わっているが、これは大火(明治44年)と震災(大正12年)のためだろうか?この地図は浅草に住んでいる荒井一鬼氏の労作だが、じつは復刻版だが大正10年発行の震災以前の浅草・吉原の姿をとらえた地図がある。
深川区入船町にあった楢崎旭堂が作成した「浅草公園及び付近観世音由来吉原遊郭一覧」という長い名前をもつ、浅草寺を取り囲むお店や住宅の名前が全て書き込まれている地図だ。吉原を見れば、何々楼という遊郭のあいだに、タバコ屋、そば屋、すし屋、しるこ屋、洋食屋、魚屋、八百屋、銭湯、郵便局もあり、吉原が一つの町としても機能していたことがわかる。
ところで東京人3月号にもどると、「最後の吉原芸者」の話が興味深い。やはり、その地でその時代を直接みてきたきたの人の話は貴重だ。同じように東京の町の聞き取りを、シリーズ化したらどうだろうか。
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