パンナム
先週の金曜日、BS Hivisionで「2001年宇宙の旅」を放送していた。
いままで通常テレビ版は何度か見たことがあるが、ハイビジョン版は初めて、月基地や宇宙船細部の鮮明な絵にビックリ!この映画は1968年公開だから、すでに約40年を経ているが、その映像の作りは現在の目でみても全く古さを感じさせない。
この映画を見ていると、つい当時の未来社会であった2001年と現在を比較してしまう。実現していないものもあるが、なかには映画を超えてしまったものもある。宇宙基地や宇宙船は、まだまだ実用化レベルには遠い。しかしテレビ電話は、映画では電話ボックスだったが、今は携帯電話で相手の画像を見ながら電話できる。部屋に入るときに声紋認証が出てきたが、今や生体認証はATMにも付き、日常生活は映画を超えてしまったようだ。
ところで映画の中で宇宙ステーションに向かう宇宙船、その機体にパンアメリカン(パンナム)のマークが描かれていた。パンアメリカンは、当時アメリカ最大の航空会社で世界中に航空路線を持っていたので、宇宙旅行時代になったら真っ先に乗り出すはずと考えたのだろう。しかし、いま国際路線でパンアメリカンの名前もマークも見ることは無くなってしまった。
1980年代中頃、サンフランシスコ郊外のパロアルトに初めて行ったとき乗ったのがパンアメリカンだった。ちょうどパンアメリカンが、太平洋路線をユナイテッド航空に売却したのに重なり、行きはパンアメリカン、一週間後の帰りの便はユナイテッドになっていた。その帰りの機体、内部はまだパンアメリカンンのままで、機体表面のロゴだけがユナイテッド航空の大きなロゴシートに覆われていたが、そのシートがあきらかにやっつけ仕事という感じで少し悲しかった。その後、パンアメリカンは、2001年に先だつこと10年、1991年に航空業界から消えた。
写真は、1980年代中頃、サンフランシスコのビスタポイントから、ゴールデンゲートブリッジの全景を撮影したもの。
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コメント
昭和30年代、日本人の目を海外に向けさせた「兼高かおる世界の旅」は三井物産とパンナムのネットワークがあってこそ成立していた番組でしたね。タイトルバックのニューヨークのパンナムビルやパンナムのロゴが憧れだった時代、1ドルが360円、海外旅行は庶民にとって夢のまた夢でしたね。
続編の「2010年」では米ソの冷戦構造が残ってましたが、そのソヴィエト連邦も消えたけれど自由主義経済のアイコンだったパンナムも消え、アメリカ車が憧れでなくなり、時代はSFを追い越し、地球の環境危機も現実になって、いやー凄い時代になったものですね。
投稿: iGa | 2007/11/08 01:28
iGaさん、こんばんは、
日曜日の「兼高かおる、世界の旅」は、我が家では親子一緒に見ていました(もちろん私が子供で、寄席中継も親子一緒でした)。たしか司会解説が芥川隆之で、兼高かおるとのおしゃべりのテンポが実に良かったような・・・。随分後になって、兼高かおるの「ですのよ」と少し語尾を上げる喋り方が、古い東京の山の手言葉だと知りましたが、今では懐かしい響きの言葉になりました。
ところでパンナム機ですが、古い日本映画に登場しているのを見つけました、その話しは次回に。
投稿: じんた堂 | 2007/11/08 20:44