先日通った雑司が谷霊園の小道で、古い石柱をみかけた。
上部に四角い穴が開けられ、その下に「浅草公園 新・・・」と彫られている。
浅草公園は、明治のはじめに、東京で初めて作られた公園の一つで、現在の浅草寺付近にあった。いわゆる六区と呼ばれる浅草の興行街も、この浅草公園の中にあり、全体は一区から七区まであった広い地域をさしている。
さて、この石柱は、浅草公園にあったものを移築したのか、それとも浅草公園にゆかりのある人のために作られたか・・・。そもそも浅草をはるか離れた雑司が谷の地に、なぜ浅草と記した柱があるのか、たった一本の柱だが、さまざまな思いをよびおこす。
コメント