手描きGoogleEarth!
もう先々週の号だが、サライ7/17号で「古地図で辿る鉄道旅」を特集していた。
その巻頭で鉄道地図旅行の楽しみを語るのは、之潮から発刊された「帝都地形図」の編者である井口悦男さん(日本古地図学会会長)。井口さんは、”私が旅に持っていくのは現在の「時刻表」と国土地理院発行の「地形図」”、さらに”手元に昔の鉄道路線図や地形図があれば、それらも旅に持っていくことをお勧めします”と語っている。
古い地図や旅行案内があると、実際の鉄道旅行だけでなく、随筆や旅行記を読むときその楽しみを一層増してくれる。その町へ向かう途中の景色や名所、さらにそれぞれの位置関係がはっきりすると、何気ない描写だと思っていたものに深い意味があったことに気付いたりする。そんな難しいことを考えなくても、旅行案内にある絵図は見るだけでも楽しいが・・・。
ためしにサライに載っている、昭和30年代まであった草津へ向かう意外なルートについて古い旅行案内をみてみよう。
「旅程と費用」は、日本交通公社(JTB)が旅行業務用に発行していた本だが、その昭和27年版に、草津と吾妻渓谷をまわる二泊三日の旅行プランが掲載されている。第一日目、上野駅を朝9時時20分に出発、軽井沢に14時23分に到着、草軽電車に乗換て草津温泉駅に18時32分に到着する。なるほど軽井沢で乗り換えて草軽電車て草津へ向かうルートは、交通公社の旅行プランに掲載されるほどよく利用されていたコースらしい。
さらにサライ記事に「草津鉄道は大正15年全通」とあるが、大正15年版の「鉄道旅行案内」の信越線沿線の鳥瞰図をみれば、軽井沢から嬬恋までの路線が点線で描かれている。本文を読むと、”軽井沢駅「草津鉄道の分岐駅」、「草津温泉、草津鉄道にて行く、嬬恋駅まで賃金三等1円39銭、嬬恋から草津まで三里、自動車ニ円」”とある。どうやら全線開通前の草津鉄道は、軽井沢~嬬恋までであったようだ。
この「鉄道旅行案内」は、鉄道省による旅行案内。北海道から九州まで日本全国の鉄道を網羅するとともに、主な観光地や名物を紹介している。絵図は、吉田初三郎により描かれており、主な沿線を鳥瞰図で見ることができる。大正15年発行なのに草津鉄道の全線開通が反映されていないのは、大正13年に作成を開始したためのようだ。
上の写真で開いているページは、軽井沢をふくむ信越線沿線の図。中央の高い山が浅間山、その真下に信濃追分、沓掛、軽井沢の駅が並び、その奥に赤い四角で囲まれた草津の文字が、さらに右側は碓氷峠から横川。左側のページは上田、長野、直江津、富山、新潟さらに海に浮かぶのは佐渡ヶ島が描かれている。
ところで、この信越線の鳥瞰図を最初に見たとき、いくらなんでも海の彼方にある佐渡ヶ島まで描いたのはやり過ぎだろうとの印象をもってしまった。
ところが、試しにGoogle Earthで軽井沢付近を表示し傾斜角を調整すると、なんと浅間山の後方に日本海が広がり佐渡ヶ島が見えてくるのだ。吉田初三郎の鳥瞰図は、地形を相当大きく変形させて実際には見えるはずのないものまで描いていると思っていたが、意外にもその絵は現代のGoogle Earthと大差なく、まるで手描きGoogle Earth 3D図。このような鳥瞰図が80年も前に描かれていたことに驚く!
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