« LIVING IN TOKYO 東京に暮らす 1928-1936 | トップページ | テリエ・ゲヴェルトのOSLOを聴く »

2009/02/07

絵の出るカラオケあります

 台東区の真ん中付近を歩いていたら、路地奥に静かにたたずむスナックがあった。

7dsc04431_2 その壁に「絵の出るカラオケ LaserDisc」の看板。

 今回は、このレーザーディスクの話しをしよう。

 しばらく前の新聞経済欄に「レーザーディスクプレーヤー生産完了」のニュースがあったが、それに目を止めた人はどのぐらいいただろうか?

 レーザーディスクは、その普及が一部に限られていた印象があるが、まぎれもなく一時期ビデオディスクメディアの主流であった。「絵の出るカラオケあります」の看板は、スナックの定番風景であったし、アニメや映画を全集形式のBOXとして販売したのもレーザーディスクであった。

 しかし、カラオケは通信に換わり、ビデオディスクはDVDが主流となり、それもBlu-Rayに置き換わろうとしている。レーザーディスクはその役割を終えたといえる。

 ところで古くはベータ対VHSのビデオテープ、そして一番新しいところではBlu-ray対HD DVDで知られるように、ビデオメディアは二大規格の競争が繰り返されてきた。とくにベータ対VHSは、技術的に優れていても数多くの支持者を得ないと製品は成功しないという、数の論理を製品開発の人々に強く残した。

 じつは、いまはあまり語られないが、レーザーディスクにもVHDという対立する製品規格があり、そこには見事なドラマがあったのだ。

 レーザーディスクはフィリップスが開発したが、VHDはビクターが開発したビデオディスクの規格で、VHSでの成功が追い風となり、日本のほとんどメーカーが採用を表明した。

 レーザーディスクは信号を取り出すピックアップが非接触で、ディスクの寿命には有利とされたが、小型レーザーの実現は技術的に困難とされていた。VHDのピックアップは接触形でディスクの寿命には不利だったが、より実現性があるように言われた。

 ところが肝心のVHDプレーヤーの開発が思い通り進まなかった。そうこうしているうちに音楽用CDが普及し、ユーザーはCDも再生できるレーザーディスクプレーヤーを支持するようになり、VHDを支持していたメーカーもレーザーディスクへ乗り換えはじめた。その結果、初めの形勢はすっかり逆転し、レーザーディスクが主流となったのだ。
 
 ビデオといえば、とかくVHS対ベータを引き合いにしていかに数が大事かばかり論じられるが、レーザーディスクは、少数派という逆境にあっても、ユーザーの声を受け止めて成功したのだ。

|

« LIVING IN TOKYO 東京に暮らす 1928-1936 | トップページ | テリエ・ゲヴェルトのOSLOを聴く »

コメント

こんばんは、先日はお世話になりました。
VHD、懐かしいです。所有はしていませんでしたが、あるところで何度も擦ったディスクを視聴し、エッジの色にじみなどが気になったことがあります。
レーザーディスクは所有していましたが、いまはもうありません。何枚かのソフトだけが手元に残りました(汗)

投稿: M.Niijimaa | 2009/02/08 01:56

Niijimaさん、
VHDを実際に見たとは貴重な経験をされましたね、ウラヤマシイ!私はずっとレーザーディスクで、Hi-Visionのデモも見ましたが、それも今は昔話になってしまいました。我が家にも、LDソフトが数枚残っているはずですが、どうも見つかりません。

ところでクリスタルピックアップを発掘しました。いずれまとめて報告します

投稿: じんた堂 | 2009/02/09 15:09

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« LIVING IN TOKYO 東京に暮らす 1928-1936 | トップページ | テリエ・ゲヴェルトのOSLOを聴く »