« 昭和銀座ジオラマ | トップページ | 鉄道ジオラマ(風) »

2009/05/14

タモリ倶楽部川を歩く第3弾は三田用水

 先日、川好きotokoさんにお会いしたとき、タモリ倶楽部川を歩く第3弾が近々放映されるとの話しがあった。

7dsc02930 タモリ倶楽部の番組表を調べたら、15日(金曜日)24:15-24:45に以下の記述。

 ”「好評!都内歩いているだけ企画、三田用水のこん跡を巡る!」、今は廃止されてしまった用水路の跡を散策する”とあった。

 なるほど第3弾は三田用水、これは見なければ。

 ところで写真は目黒区青葉台付近、三田用水は、この坂の頂上にある尾根状の道を左から右へ流れていた。この急な坂をみれば、近くに水車があったという話しも納得してしまう。

 それにしても、この”都内歩いているだけ企画”というタイトル名は、たしかにその通りだが・・・。

 フィールドワーク三田用水(西郷山公園)は、こちらに

 三田用水と海軍火薬製造所は、こちらに

|

« 昭和銀座ジオラマ | トップページ | 鉄道ジオラマ(風) »

コメント

そうですか、之潮のサイトには未だ放送日は告知されてませんでしたが、いよいよ今週ですか。楽しみです。
もう昨日のことですが杉並区立図書館で『帝都地形図』を閲覧してきましたが、その旧山手通り近辺の地図を見たら現在の西郷山公園から246寄りに水道局の施設がありました。何か関連があるのか、ないのかちょっと気になりました。
それと『帝都地形図』も完全版ではないですね。所々に欠番となっている地形図があります。神田川支流の小沢川を調べようとしたら、ちょうど堀之内妙法寺から女子美の辺りが欠番になっていて、ちょっとがっかり...。

投稿: iGa | 2009/05/14 01:36

iGaさん、こんにちは、
 たぶんタモリ倶楽部は予定通り放映されると思うのですが・・・。
 ところで地図の話しではありませんが、最近読んだ本に女子美付近の話がありました。
 野坂昭如が自身の少年院体験を書いた文章によれば、野坂が収容された多摩少年院東京出張所は、杉並区和田にあったそうです。昭和24年に消失した建物は、”谷あいをはさんで女子美術学校と向き合い、後ろに救世軍”とあります。

投稿: じんた堂 | 2009/05/14 15:07

>”谷あいをはさんで

その谷に小沢川が流れていました。(暗渠となった川跡を歩くと、ちょっとドブ臭いです。)
救世軍はその周辺に付属の病院や老人保健施設やら寮やら何やら沢山ありますから、その少年院跡地は法務省から救世軍に払い下げられたのかもしれませんね。

投稿: iGa | 2009/05/14 15:57

この頃、野坂昭如は話題になりませんが、東京文学散歩(昭和戦後編)が書かれれば、登場する作家でしょう。そうなれば小沢川・女子美付近も文学散歩コースになるかも・・・。ところで三田用水、いよいよ今晩放映ですね。

投稿: じんた堂 | 2009/05/15 09:24

拙ブログに気になる白金周辺の三田用水跡のチェックポイントをGoogleMapのStreetviewに落としてみました。
三田用水は1975年までは使われていたということですから、1970年頃、青葉台、西郷山、代官山辺りを昼休みにウロウロ散歩していたけれど....そのころは三田用水の存在に気付かなかったですね。

投稿: iGa | 2009/05/16 11:16

青葉台・西郷山付近の細い尾根道まで、ストリートビューされているとはGoogle恐るべしですね。
ところでWikipediaによれば、三田用水は昭和4年から大日本麦酒の負担で暗渠化が進められたようですから、この頃から地上から用水の存在を知るのは難しくなったのではと思います。

投稿: じんた堂 | 2009/05/16 14:11

人工の水路をたどるモチーフは産業考古学の類、鉄道廃線追跡に似てきます。
地形を手掛かりに「人間以前」に遡ろうという当方の意図とはズレることも。
「タモリ倶楽部」に振り回されるのはそろそろ辞める潮時かとも思っています。今回は当方が用意していった場面はほとんどカットされて、「スカ」でした。

投稿: Collegio | 2009/05/17 00:56

Collegioさん、お疲れさまでした。
若干一名に振り回された感がありますね。彼には我々視聴者も引いてました。
>産業考古学の類、鉄道廃線追跡に似てきます。
確かに鉄道廃線追跡と似てますね。番組見ながら阿蘇の通潤橋とか琵琶湖疏水の水路閣くらいのモノが残されていれば分かりやすいけど...とか思ってました。
それと、どこかにサイフォン原理の伏越が用いられていたか期待していたのですが...

北耕地川の川跡を辿って判ったのは、人工的なものは通常の水利権以上に争いの種を蒔いていると云うことでした。石神井川の『河川争奪戦』が人工的なものなら、建設の経緯以上に歴史に水利権を巡る争いごとが記されていなければいけないでしょうね。

投稿: iGa | 2009/05/17 03:03

Collegioさん、こんにちは。
エンターテイメント番組、しかも30分となれば、使われなかったロケカットがたくさんあるのも無理からぬことでしょう。川歩きも第3弾となり、江川さんがテンション高く新説(珍説?)を持ち出せば、Collegioさんが古地図を持ち出しさらりとかわし、その二人のやりとりをタモリが楽しむという構図が出来てきたような。

こうなれば第4、第5弾と、どのような新説や古地図が飛び出してくるか期待しています。

もちろん本格的な地形の話しも、引き続きお願いします。川筋や道筋がなぜそのようになったか思いをめぐらすと、やはり古い時代の地形に行き着くような・・・ですから。

投稿: じんた堂 | 2009/05/17 13:56

iGaさん、こんにちは。
産業考古学の観点から三田用水をみれば、かつてのビール工場と火薬工場が外せないでしょう。エビスビール工場は跡形もありませんが、旧火薬工場であった現防衛庁技術研究所は、何か遺構が残っていないのか取材して欲しかったですね。

投稿: じんた堂 | 2009/05/17 14:22

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 昭和銀座ジオラマ | トップページ | 鉄道ジオラマ(風) »