多摩蘭坂・・・
忌野清志郎さんが亡くなったニュースは、私に国立市のはずれにある坂道の近くで過ごした日々を思い出させた。
会社員時代、都心のオフィスから多摩の工場へ転勤となり、中央線沿線のアパートを借りることになった。会社総務からいくつか物件を紹介してもらい、静かな環境が決め手となって国立市のアパートを選んだ。国立市といっても数十メートル先は国分寺市となり、駅から遠いので家賃が安いことも、そこに決めた理由の一つだった。
アパート近くを歩くと、坂道の石垣に白ペンキで名前や日付が書かれているのに気づいた(2012年3月21日、石垣の写真が見つかったので追加)。
親しくなった地元の方に聞いたら、”あれは忌野清志郎さんのファンが訪れた記念に書いたもので、「多摩蘭坂」という曲は、この坂がモデルになっている”との話。
その当時、坂の途中にあった案内板には、”たまらん坂は、上るのがきつくて「たまらん」と言ったことにはじまる”ようなことが書いてあった。たしかに徒歩だと、なかなかきつい。
近くのレストランで食事するうちに知り合いとなったライダーのSさんは、いつも2ストロークエンジンを甲高く響かせたオフロードバイクで、この坂道を一気に駆け上がっていった。そして造形作家のKさんは、古い軽自動車のエンジンを目一杯吹かせて真っ暗な坂道を駆け上がっていった。その途中、小さくクラクションを一度鳴らすのが、私達へのいつものあいさつだった。皆さん、今はどうしているだろうか・・・。
写真は、たまらん坂の頂上付近から国立市方向を見下ろした景色、撮影は1997年頃。私のアパートは、この坂を下ったところにあった。
5月8日:追記
Wikipediaの「たまらん坂」によれば、石垣の地はマンションとなり石垣は消えているそうである。
Youtubeにあった石垣の前で「多摩蘭坂」を歌う忌野清志郎さん。
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コメント
坂道の石垣は記憶にありませんでした。
どうやら彼の住まいはその近くだったようですね。
わたしの友人も其処までは知らなかったのでしょう。
唯だらだらと長い坂、という印象しか残っておりませんでした。
投稿: M.Niijima | 2009/05/08 01:45
Niijimaさん、こんにちは。
国立に引越した当時は、坂道の両側は切り通しのようになり石垣でおおわれていました。私が住んでいた頃も、マンションや住宅開発が次々行われ、石垣も所々消えていきました。どうやら、今はほとんど残っていないようです。
投稿: じんた堂 | 2009/05/08 09:57
じんた堂さん、どうも。
アップされている写真は、その後10年以上たっている現在、国立に向って左側が変化しているようです。 私はしょっちゅう、大学から国分寺内藤まで、多摩蘭坂を上がって家庭教師に行くのです。ほら、右側の住所表示はもう「内藤」ですよね。逆に国分寺内藤から大学までは滅多に歩きません(大学にもどりません)。西国分寺駅まで歩いて電車に乗って国分寺駅近くのお家まで帰ります。
こんど多摩蘭坂を登ったら、振り返ってこの写真の情景と比べてみます。
先日金曜日は、ありがとうございました。来年古本市をお手伝いできると楽しくなりそうですね。
昨日も、川好きotokoの方へお出で下さり、ありがとうございました!
「忌野清志郎が亡くなった」と彼はわめいておりました、青山墓地界隈は川好きotokoとご一緒でしたが、すごい人波だったそうですね。では、今晩はTVの特集番組を見ましょう。
投稿: 川好き | 2009/05/10 21:33
川好きさん、こんにちは、
この付近は私が住んでいた頃も変化が激しく、写真左側のマンションは、元ガソリンスタンドだったような。坂の途中のマンションも、あっという間に建った印象があります。
ところで土曜日はお世話になりました。途中、上空にヘリが飛んでいましたが、家に帰りTVニュースを見ましたら、まさしく上空から取材した映像が流れていました。
今後もよろしくお願いします。
投稿: じんた堂 | 2009/05/11 14:29
はい、お約束した通り、おととい「多摩蘭坂」を通りましたので、坂の上で振り返ってまいました。左側の高い木は無くなっていましたし、「KOKUYO」の店も無くなっていました。
「多摩蘭坂」の説明が書いてあるプレートにの所には、花束が沢山、まだ新鮮でした。斜め向かいの石垣が低く少し残っている所にも、花束が…。いい年をしたおじ様が携帯で、忌野清志郎さんの名が白いペンキで書かれてるのを写していました。あの石垣を一部残しているのでしょうか?
清志郎さんの姿(写真での)を思い出しながら、歩きました。
でも、坂の印象は写真とあまり変化していないなぁ、という感じです。
投稿: 川好き | 2009/05/15 20:33
川好きさん、こんばんは、
多摩蘭坂のレポートありがとうございます。
家も木もなくなり、坂道だけが昔と変わらず残っているとは、思わず十年一昔という言葉がでてしまいます。それにしても、忌野清志郎のファンが多摩蘭坂にそんなにいたとは驚きです、そのうち記念碑が建つのでは・・・。
ところでタモリ倶楽部の三田用水、楽しみにしています。
投稿: じんた堂 | 2009/05/15 22:03
ご無沙汰しています。
相模原ムサシの井上です。
いかがお過ごしでしょうか?
いつもサイトを拝見させていただいております。
私も、たまらん坂を下ったあたりに20年前から
10年ほど住んでおりました。
まだ国立に高層建築が少なかったころです。
またお話できるとうれしいです。
投稿: inoue | 2009/05/17 13:18
井上さん、こんばんは。
コメントを見落とし、返事が遅れてしまいました。
私が初めて国立に住んだ頃は、北口にはゴルフ練習場しかなく、大学通りも高い建物がありませんでした。それがあっという間に、バーミヤンができ、サンジェルマンがなくなり、北口にはミウラヤが出来たりと次々が変わっていきました。いまふり返ると、景観論争も盛んでしたが・・・なかなか追いつかなかったような印象でした。
それにしても意外なところに国立つながりの人がいたことに驚いています。これからもよろしくお願いします。
投稿: じんた堂 | 2009/05/21 19:23