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2011/05/22

面白東京本3「アルバム東京文学散歩」

 文学散歩は、野田宇太郎の「新東京文学散歩」(日本読書新聞、1951年6月25日)がはじまりとされている。文学作品の舞台となる東京の各地を訪れ、作家およびその作品について語るのだが、その地が取材時にどのようになっているか現状を文章および写真・挿絵で記録している。それは文学をはなれて、東京の町を記録する資料でもある。


3dsc08403 東京ハイカラ散歩(角川ランティエ叢書、1998年5月18日)に長岡光郎が寄せた文によれば、新東京文学散歩は野田と織田一磨画伯が連れ立って都内各地を歩きまわり読書新聞に連載されたのち、加筆し単行本として織田画伯の挿絵60葉と大竹新助のカット写真、恩地孝四郎の装丁で刊行されたとある。


 「新東京文学散歩」を開くと、織田画伯の挿絵は当時の雰囲気をとらえているが、これが写真であればもっと資料性が高いと思うことがある。野田自身もそのように思ったようで、昭和29年(1954年2月5日)に写真を数多く収録した「アルバム東京文学散歩」を創元社から刊行している。そこには野田が撮影した昭和27~28年頃の東京の姿が記録されている。(こlこに掲載した写真は、「アルバム東京文学散歩」の無縁坂のページ)。


 それならばなぜ新東京文学散歩に写真を入れなかったのだろうか。たぶん新聞連載だったので挿絵にしたと思っていたが、最近、その答えらしき文をみつけた。


 文一総合出版より刊行された野田宇太郎「文学散歩」全集別巻1(1974年6月10日)は、昭和27年角川文庫となった新東京文学散歩を底本として再収録している。その巻頭のおぼえがきに”当時は焼け跡の写真は進駐軍の検閲がきびしかったので、織田一磨画伯にいつも一緒に歩いてもらってわたくしの書いた場所をスケッチしてもらった”とあるのだ。このとおりであれば写真検閲を逃れるために挿絵としたことになる。情報統制は戦時中だけと思っていたが、どうもそうではなかったようだ。

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