三十間堀川が埋め立てられた頃
3月末に閉館された映画館(シネパトス)があった銀座三原橋地下街は、戦後すぐに三十間堀川を埋め立て造られたものである。その頃の姿が、映画「銀座化粧」(1951年公開)の中に映像として残っていることも、以前このブログで書いたことがある。先日、この地域の古い都市計画図を見ることができた。
「東京特別都市計画図」中央区(京橋)は、昭和26年(1951年)発行。この地図で三十間堀をみるとすべて斜線となっている。三吉橋がかかる築地川にはこのような処理がされていないことから、たぶんこの斜線が埋立の印なのだろう。この地図、詳しい建物名はあまり記載されていないが、三原橋近くにある「巡査派出所」は、いまもこの位置にある。また歌舞伎座のある東銀座が、まだ木挽町となっていることも見逃せない。
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