穴のないマカロニ
前回、”交通公社から発行された「外国旅行案内」(昭和30年)に、今では想像もできない話がぎっしり詰まっている”と書いたが、そのひとつを紹介しよう。
イタリア旅行のコラムの中に「穴のないマカロニ」という話がある。
その一部を引用すると、”マカロニとは穴のあいているウドンとお心得になっているのが一般だろう”・・・”大体穴あきマカロニはイタリアが輸出用に造ったものといわれ、ご本尊のローマでは原則として食べないで、スパゲッティという穴のあかないものばかし食べている。たしかに中身がからのものよりつまったものの方が上等だろう。だからマカロニを注文してウドンのまがいものを出されたなどといわないこと。”とある。
今では小学生でも知っているスパゲッティを、まるで未知の食べ物であるかのように語っているのだ。昭和30年は、これほどスパゲッティは知られていなかったのだろうか?
まずは”マカロニとは穴のあいているウドン”が一般だろうとしているが、これを確認してみよう。
日本のマカロニの歴史は意外に古くて、明治初期からあったようで、昭和5年村井多嘉子(村井玄斉夫人)によって書かれた「台所歳時記」にマカロニトマトという料理が紹介されている。その中に”マカロニは、イタリアでできる物が一番よいとされています。近時、わが国でもよい物ができるようになりました”とある。
さらに昭和12年主婦の友社から発行された「家庭向け西洋料理の作り方」には、マカロニ料理の作り方二十種という章があり、グラタンやスープなどのマカロニ料理を紹介している。その中で”マカロニの代わりに干しうどんを用ひます”とある。
これで分かるように、マカロニは昭和10年代には家庭料理のメニューに登場するようになり、もしマカロニが入手できないときは、うどんが代用できることも知られていた。前記の”マカロニを穴のあいているウドン”というたとえは、このような背景によるものだろう。
それではスパゲッティ料理は、いつごろから食卓にあがったのだろうか?
さきに紹介した昭和12年「家庭向け西洋料理の作り方」には、マカロニ料理はあるがスパゲッティ料理はない。昭和20年代は戦後の食糧難ということで資料が見つからない。ようやく見つけたのが、昭和33年鶴書房から発行された「惣菜料理全書」。この本では洋風麺料理でマカロニ料理4品につづいてスパゲッティ料理”ナポリ風スパゲッティ”と”ニース風スパゲッティ”の2品を紹介している。”ナポリ風スパゲッティ”の材料は、スパゲッティ、鶏肉、生シイタケ、玉ねぎ、トマトピューレ(またはケチャップ)。これは、あのスパゲッティナポリタンだ。たぶん生シイタケはマッシュルームの代用だろう。
また日本パスタ協会では”一般化したのは、イタリアから全自動パスタ製造機が輸入されるようになった昭和30年代以降のこと”と述べている。日本マカロニ(現マ・マーマカロニ)と日粉食糧(現オーマイ)が設立されたのは、ともに昭和30年となっている。
どうやらスパゲッティは昭和30年になってから家庭に普及したようだ。
「外国旅行案内」に戻ると、このガイドブックは昭和30年1月5日印刷、1月10日発行となっている。編集されたのは前年の昭和29年かそれ以前、ちょうどスパゲッティが登場する直前となる。となれば「穴のないマカロニ」のコラムは、当時はとてもタイムリーだったかもしれない。スパゲッティをさして”中身がつまった方が上等だろう・・・”というのはちょっと強引すぎるが、いまとなってはこれも昭和30年の面白話だ。
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