キントンのはなし
今年はおせち料理の予約が好調、しかも価格が高いものが売れデパートは活況だそうだ。
獅子文六の食べ物エッセイ「食味歳時記」に、キントンの話がある。こどものころ大好きだったキントンの話からはじまり、その終わりに近い部分で正月料理がウマクない理由と有名料亭のおせち料理についてふれている。
「正月料理がウマクないのは、年末に調理したものを、数日後に食うからだろう。料理は出来立てを食うのが原則なのに、あえてその逆を行くのである」につづいて「私の家では、ある有名な懐石料亭の正月料理の重箱を、年末に贈られるが、見た眼はいかにもウマそうで、材料も吟味されてるが、いざ食ってみると、これが、あの店の料理かと、疑ってしまう」とある。
まるでこのままでは、そう遠くない将来、おせち料理は絶滅してもおかしくないような言いぷっりだ。ところが現状は、おせち料理はいまなお健在である。もっともその中身となると、フレンチやイタリアンの有名シェフが手がけたものなど、昔ながらの日本のおせち料理から姿も味も大きく変化し続けている。これは、外来のものを受け入れそれを自らのものにしてしまう日本の食文化の柔軟性を示すよい例かもしれない。
それにしてもキントンの話は現代でも十分通用するが、じつはこれは昭和43年(1968年)に女性誌に連載されていた。いまから45年も前に書かれていたのだ。そこに獅子文六の凄さがあるように思う。
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