手軽になったけれども
果物店でブドウを大量に購入するオジサンを見かけた。品種にこだわりがあるらしく、翠峰(スイホウ)はどうかとか、やはりシャインマスカットにしようとか、大きな紙袋二つほどを購入していった。
いまのブドウの流行りは、”種無し・皮ごと食べられる”もの。ブドウの女王といわれるマスカット(マスカット・オブ・アレキサンドリア)は、ほどよい甘みと上品な味わいを持ちながらも種ありで皮がしっかりしているので、店頭での人気はいまひとつらしい。
”皮ごと食べられる”と言いながらも実際には”食べられなくもない”程度のブドウとちがって、最近見かけるようになったナガノパープルは、すんなり皮ごと食べられる。その食感はちょっと感動してしまうほどでパティシェも注目しているとか。ケーキにのせるブドウは、種ありだと一粒ずつようじで中の種を取りす手間が大変だからだそうだ。
それにしても”種無し・皮ごと”があたりまえになりつつあるブドウだが、その美味しさはどうなんだろうか?先日、長野の知り合いから地元でとれた巨峰(種あり)を頂いた。その濃厚な甘みと旨味は、巨峰はこんなに美味しかったのかとなった。これはブドウにかぎらないが、我々は手軽さを求めるあまり大切なものを失いつつあるかもしれない。しかも、そのことに薄々気づいても、一度手に入れた手軽さはなかなか手放せないから厄介なのだ。
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