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2015/09/06

あの頃の神田の映画館

 机の上に3枚の地図がある。昭和42年、44年、46年版、同じ出版社の同じシリーズの千代田区地図(日地出版東京区分詳細図)だ。これら3枚をじっと見ていたら、町の変化がふわっと浮かび上がってきた。

Photo_2

 神保町周辺の街並みをみていたら映画館の変化にきづいた。昭和42年版では東洋キネマ・神田日活・南明座の3館ともに映画館名が記載されているが、昭和44年版で神田日活はタキイ種苗となる。昭和46年版では東洋キネマ、南明座ともに建物はそのままだが名前は消えている、たぶん閉館したのだろう。じつは昭和40年代後半これら2館の近くを何度か訪れており、東洋キネマの建物はその後も長いあいだ残っていたが、南明座の地はオフィスビルが建っていた。このように昭和40年代は、町の映画館が消えた時代であった。

 それにしても昭和42~46年(1967~1971)わずか4年間にすぎないが、地図に残されたものを見ただけでも大きな変化があった。いまから5年後の2020年、そのとき目にする地図はどのようなものだろうか。

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