あの頃の神田の都電
前回の「あの頃の神田の映画館」につづいて、今回は都電の話。
上記は左から昭和42年、44年、46年の千代田区小川町付近
昭和42年の地図をみると、神田小川町交差点で路面電車は三角形の外周に沿う形で3方向に分岐している。この交差点は市電の時代からあり、そのようすは夏目漱石の「彼岸過迄」に登場。ところが昭和44年の地図では美土代町方向の路線が消え、小川町交差点の分岐はなくなり靖国通りをまっすぐ進む路線だけ。さらに昭和46年になると、靖国通りを走っていた路線もなくなっている。
このように昭和40年代は、神田から都電が次々と消えた時代でもあった。
ところで都電はいまも荒川線のみ運行しているが、かつてのことを思えば都心のちょっとはずれを細々と走っているような印象をもってしまう。ところが広島に出張したとき乗った路面電車は、町の中心部を行くまさしく主要交通という感じがした。なにしろ広島駅前から乗車でき本数も多く利用しやすい、しかも車両は新旧様々なタイプがあって見ていて飽きない。これは広島出張の秘かな楽しみだった。
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コメント
子供の頃、親父の会社が神保町に在ったので何度か遊びに行ったことがありますが、都電の記憶がまるで無いです。
当時、神楽坂から大久保通りを飯田橋方面にトロリーバスが走っていた記憶がかろうじて。
そういえば、荒川線を池袋駅東口まで延伸するという動きもいつの間にか消えてしまいました。
投稿: 脳天松家 | 2015/09/18 10:15
脳天松屋さん、コメントありがとうございます。
トロリーバスは乗り物図鑑で見たことがありますが、実物は乗ったことも見たこともありません。そのトロリーバスが身近にあったとは羨ましい。ときどき都心で路面電車復活が話題に上がります。たしか銀座と臨海地域をむすぶ新路線の話もあったようですが、残念ながら実現までは至らないようです。
投稿: じんた堂 | 2015/09/19 09:57