オムレツの話をもうひとつ
オムレツの話をといえば、以前、紹介した伊丹十三「日本世間話大系」の「プレーン・オムレツ」がある。レストランのオヤジから聞きだすオムレツ作りの話は、そんなことまで聞いちゃうのとまるで現場からの実況中継のような文章で面白い。
先日、もうひとつのオムレツ作りの文章に出会った。高橋義孝「蝶ネクタイとオムレツ」(文化出版局、昭和53年)は、以前ある人から教えてもらったが、そのときは見つからずそのままになっていた本だ。
”もう何十年もの間オムレツと卵焼は自分で作っている”とはじまる「オムレツ作り」の話は、長年の経験に裏打ちされたオムレツ論のおもむきがある。”オムレツは味で食べるものでない。卵の味はきまっている。オムレツは焼き上がりの姿で勝負するものであろう”と語り。その形のたとえとして柳の葉と柿の葉の中間位の形が理想、表面に細かい縮緬皺が寄っているなど、さすがドイツ文学者だが日本文化にも詳しい高橋らしい表現だ。
さらにフライパンのサイズや火加減やタイミングなど調理のコツも詳しくのべている。で、これらのコツを誰から教わったかとなるが、”これは新橋の小川軒の先代、小川順さんから教わったことである”と文中で明かしている。
高橋義孝、伊丹十三ともに”オムレツの話”だが、その文章はひと味もふた味もちがう。はたして彼らがつくるオムレツはどのようなものだろうか、いまはもうかなわぬ話だが二人が互いに食べ比べたらどのような感想を述べるだろうか。
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