珈琲記
前回の「コーヒーと恋愛」につづいて「珈琲記」を読みはじめる。珈琲記(黒井千次、紀伊國屋書店)は、食の文学館に掲載された珈琲に関する連載にあらたな書き下ろしを加えたエッセイ集。
”朝の珈琲は一杯というわけにいかず、食事中にゆっくり飲み、そして新聞を持って居間に移り、楽な椅子にかけて食後のもう一杯を飲む”と、二杯の珈琲は、著者の朝のルーティンに組み込まれている。こうなると珈琲の味や入れ方に強いこだわりも持っていて、どの街にもある手軽なカフェなどには絶対入らないように思ってしまうが、これがそうでない。
たとえば、”時間がないのにとりあえず珈琲を飲みたくてたまらない時など、ハンバーガーショップに飛びこんで珈琲だけ注文”。それは隙間だらけの珈琲色の液体だと言いながらも、それにふさわしい作法と味覚があり、これまた捨て難いと語り。また、チェーン展開しているカフェの珈琲についても、”街角の珈琲に別種の味覚をつけ加えたものといえそうな気がする”と語る。このように著者の珈琲への姿勢は、それぞれの長所短所を認めながらとても寛容なのだ。本書は、大人の珈琲への向かい方を語る一冊だ。
ところで、この本は1997年発行、ということはシアトル生まれのカフェが日本に上陸してまだ間もないころであり、最近話題のサードウェーブコーヒー(黒船コーヒー)などは上陸どころか船影も見えないころだ。著者はこれら新しい珈琲をどのように思っているのだろうか、続編を読みたくなる。
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