村上RADIO
TOKYO FMで村上RADIOが8月5日放送された。残念ながら私は当日の放送を聴けなかったが、どのような曲が選ばれたか気になる。
TOKYO FMのオンエアレポートに当日のおしゃべり内容と選ばれた曲のリストが掲載されているのでチエックしてみた。やはりあのグループの曲がある、ビーチボーイズのサーフィンUSA。この曲が発売されたのは1963年、村上春樹は14歳のころだが、しびれました、しびれっぱなしと語っている。
ビーチボーイズ、そのリーダーであるブライアンウィルソンについて、カウアイ島ノースショアをドライブしていたときラジオからブライアンウィルソンのキャロラインノーが流れてきた話が「村上ラヂオ」(2001年、マガジンハウス)に収録されている。この曲を初めて聴いたのは16歳、そのときは曲の良さが分からなかったが、今ではわかると語っている。10代の頃聴いた曲を、いまなお語れるとはちょっとうらやましい気がする。
私は、10代の頃のどのような曲を聴いていたかと問われても、すぐにこれですと答えられそうもない。それほど熱心な洋楽ファンでなかったし、これと決めた歌手やグループのレコードを買い集めることもなかった。それでもその時代の音楽が流れてくると、これはサイモンとガーファンクルでしょうとか、フィフスディメンションとか、ブラッドスウェットアンドティアーズなどの名前が出てくる。ラジオでよく流れていたので記憶に刷り込まれたのだろう。
そういえばビーチボーイズではスループジョンBの記憶がある。たしか邦題は「ジョンB号の遭難」だったはずだが、そのときは船の遭難にしてはのんびりした曲だなと思った。じつは、この曲は、嵐で船が遭難したのでなく、陸に上がった船長は戻って来ないし、乗組員は酔っぱらって警官に引っぱられるし、これじゃジョンB号はいつまでたっても出航できない、故郷に帰りたいのに帰れないという内容のカリブのフォークソングが原曲なのだ。このことを知ったのはずっと後で、ようやくそうかと納得した。
それにしても、すっかり錆びついたと思っていた記憶の引き出しだが、音楽を聴くと意外にあっさり開くことに驚く。さらに、あらためて10代のころの曲を聴き直してみると、いまなお新たな発見があるのも面白い。
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