深川区東大工町
同潤会アパートといえば、いまは表参道ヒルズになった旧同潤会青山アパートを思い出す人が多いだろうが、じつは都内に16か所もあり東京の東にあたる深川にもあった。
清洲橋通りと三つ目通りの交差点に面して同潤会清砂通りアパートがあった。ここは600戸を超える大所帯で建物も10数棟から構成されていた。(上に載せた写真はその1号館、古いネガフィルムをデジカメでコピーし処理をしたもの。撮影は1990年頃)
ところで、いま江東区清澄白河と呼ばれるこの地は、かつて深川区東大工町と呼ばれていた。美術エッセイストであった洲之内徹は、エッセイ「気まぐれ美術館」の「深川東大工町」の項で、アパートの暮らし、自身が経験した戦前の思想弾圧の話を残している。
洲之内徹は、昭和6年から7年にかけて同潤会清砂通りアパートに住み、ここから美術学校建築科に通っていた。部屋は独身者用棟の4階角部屋、鶯谷駅近くから洲崎行のバスに乗り通学しており、そのバスの車掌の名前まで書いている。その後、久しぶりにこの地を訪れたときの話では、あの「実用洋食」のメニューと値段を紹介している。いまは清澄白河は、カフェや個性的な店が集まるオシャレな街として雑誌などに紹介されるが、「気まぐれ美術館」は、陰影が濃い戦前を含めた昭和の清澄白河を記録している。
この同潤会清砂通りアパートは2002年に取り壊され、跡地に高層マンションが建てられている。
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