本のこぼれ話し

2020/10/04

「カレーライスの唄」(阿川弘之)を読む

 地元の駅中にある書店は、神保町の大型書店に比べればささやかなものだが、その本棚は各出版社の上澄みを並べていると思えばそれなりに楽しめる。先日、そこで「カレーライスの唄」(阿川弘之、ちくま文庫)を購入、同じ駅中にあるカフェで読みはじめた。

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 作者の阿川弘之は、いまや阿川佐和子の父親と言ったほうが分かりやすいかもしれないが、元海軍軍人であり戦争関連の作品がある。しかし乗り物好きでありユーモアのある作品も書いている。

 カレーライスの唄は、1961年の新聞連載小説。出版社に勤めていた六郎と千鶴子は、若い行動力を発揮して本の出張販売などをするがついに会社は倒産し失業してしまう。青山に実家のある千鶴子は経済的な苦労はないが、六郎は母親が一人暮らす広島の実家へ帰る。手紙でやりとりする二人は、やがてカレー屋を開くことを決心し株投資で資金をつくり実行に移す。千鶴子の父親、友人知人の助けを借りて無事開店へこぎつける。そのカレー屋を開いたのは、いまやカレーの街と知られる神田神保町。

 戦争の傷をひきづる母と子、病気療養する編集長、日の当たらない老作家など、苦しみを抱えた人物も登場する。しかし、ちょっと出来過ぎという印象もあるが、それぞれ明るい未来を迎える。人への優しさがあふれたストーリーは映画になりそうと思ったら、あとがきに1962年東映で映画化されたとあった。

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2020/06/07

ウィンナ・コーヒーが飲みたくなったなあ

 「古本とジャズ」(植草甚一、ランティエ叢書)は、植草の数多くあるエッセイから古本やジャズに関する文章を選びそれらをコンパクトに収録している。植草を読みたくなったとき、ちょっと開くのに便利な一冊だ。

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 その中にある「ウィナーコーヒーが飲みたくなったなあ」の話は、雑誌エスクアィアに掲載されていたジョセフ・ウェクスベルグの「食い物談義」の紹介からはじまる。

 ジョセフの”いまではもうウィーンでもウィンナ・コーヒーを飲めなくなった”との話に応じて、植草は”むかしは東京でも、この「ウィンナ・コーヒー」が流行ったもんだがね、いまでは知らない人がおおいだろう”と自身の思い出にふれる。再びジョセフの記事に戻りウィーンのコーヒー店の歴史と現状を紹介となり、最後に”なんとなくウィンナ・コーヒーがまたのみたくなっちゃたなあ”と、いつもながらのJJ節の展開となる。

 ウィンナ・コーヒーについて古い旅行ガイドブック(ブルーガイド)の中にこんな話があった。それは「有名なウィーンのコーヒーだが、ひと昔前に”ウィンナ・コーヒーを下さい”と注文したら、”ここのはすべてウィンナ・コーヒーです”といわれ思案にくれた」につづいて、ウィーンのコーヒーの種類を紹介している。そのなかで「アインシュペンナー(Einspanner)、コーヒーに多量のホイップクリームを入れたもので、このコーヒーだけはグラスで飲む。これあたりが日本でいうウィンナ・コーヒー」とある。

 また「アメリカにアメリカン・コーヒーがないようにウィーンにウィンナ・コーヒーはない」との話を聞いたことがあるが、ガイドブックの話を参考にすれば、これは「アメリカでアメリカン・コーヒーという言葉が通じないのと同様にウィーンではウィンナ・コーヒーという言葉は通じない」ではないだろうか。似たようなものだが、ちょっと違うような。それにしても、ジョセフが語るウィンナ・コーヒーはどのようなものだろうか、また昔し東京で流行ったウィンナ・コーヒーはどのようなものだろうか、植草の話をもっと聞きたかった。

 ところで日本で初めてウィンナ・コーヒーを出したのは、神保町にある喫茶店ラドリオと言われている。その創業は1949年、渋い色合いのレンガと彫刻のある柱がある店は、とても落ち着いた空間。私も神保町で用事があったとき利用したが、いつかもう一度訪れたい喫茶店だ。もちろんそのときはウィンナ・コーヒーを注文したい。

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2020/05/02

開高健「冒険者と書斎」を読む

 我が家の読書週間、六冊目は「冒険者と書斎」(開高健、ランティア叢書)。

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 開高健といえばサントリーウィスキーのTVCMや釣り紀行番組の中での姿から、書斎にどっしり座って執筆する小説家より、自ら現地へ飛び込む好奇心旺盛なオジサンという印象がある。「冒険者と書斎」は、1969年代末から1980年代に書かれたエッセイを集めたもので、開高らしい酒・釣り・旅などの楽しい話が並んでいる。

 ところで、あのサントリーウィスキーのTV CMがYoutubeにあるかなと検索したら、CMに加えて、モンゴル、スコットランド紀行の映像が見つかった。スコットランドのものは追悼番組として編集されており、初めに略歴や活動が紹介され本編のスコットランド紀行につながる。

 その映像の中にロンドンでフィッシュアンドチップスを10年ぶりに食べながら、”私の記憶にあるものに比べて美味くない・・・記憶が美しくしてしまったですね、色んなものをその後食べ過ぎて、知らなくてもいいことを知ったため、世の中が寂しくなる面白くなくなる、これを知恵の悲しみと言うんです”と語るシーンがある。

 じつは私も、以前の勤め先近くにあった食堂の冷やし中華が美味くて、数年前にそれを思い出して食べに行ったら、あれこんなものだったかとなった。店の人も具材も変わっていないように見えたが、私の記憶にあった美味しさには及ばなかった。これが知恵の悲しみだったら開高健と同じだと自慢できるが、医者からは加齢による味覚低下でしょうとあっさり言われた。ちょっと残念である。

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2020/04/19

田村隆一「スコッチと銭湯」を読む

 我が家の読書週間、五冊目は「スコッチと銭湯」(田村隆一、ランティア叢書)。

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 詩人の田村隆一は、翻訳やエッセイで活躍したが、酒飲みとして知られお酒に関する文章を数多く書いている。この本に収録されている「スコッチ賛歌」は、まさしくスコッチウィスキーの故郷を旅する話。

 はじめにウィスキーの英語には二つのスペル(Wisky, Wiskey)があるという、クイズに出るようなプロローグから始まり。ロンドンからスコットランドのエジンバラへ、そこから西方に飛びアイレイ島(アイラ島)、さらに北東に飛んで大手蒸留所グレンダランがあるスぺイ川河口の町エルジンへ向かうなど、スコットランドに点在するウィスキー醸造所を巡る旅行記である。

  さらに旅行記録に加えて、ウィスキーの製造工程も解説している。たとえば乾燥した大麦を水につけ発芽させたものをグリーンモルトと呼ぶ。それを糖化させ濾過して糖化麦汁であるウォートをつくる。さらに発酵させアルコールと炭酸ガスをつくり、これがアルコール5%(7%-9%)のウォッシュと呼ばれるビール液となる。

 さらにビール液にホップを加えればビールになり、ビール液を二回蒸留するとローワインと呼ばれる20%のアルコールになり、これを蒸留・精製するとアルコール50%以上のスピリッツになるなど、まるでウィスキー製造の解説書のようだ。もちろんイギリス観光旅行の定番であるパブ巡りやオールドパーの逸話など気楽な話もあるが、それらも全てお酒につながるものだ。

 ところでこの本の後半は、がらっと変わって東京の谷中の話から始まり、さらに葛飾柴又へとなる。どちらも銭湯の話がでてくるのだが、それはまた別の機会としたい。なにしろ前半の話だけですっかり酔ってしまいそうだから。

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2020/04/11

澁澤龍彦「イタリアの夢魔」を読む

 外出自粛のために突然始まった我が家の読書週間は、最初はとりあえず目についた本を選んでいたが、三冊目あたりからある方向性が見えはじめた。名前は知っていても、じっくり読んだことがない作家の本である。四冊目に選んだ「イタリアの夢魔」(澁澤龍彦、ランティア叢書)もそのような一冊だ。Dsdf0332-1b

 イタリアの夢魔「ペトラとフローラ」は、副題に「南イタリア紀行」とあるように旅行記。その旅は、イタリア地図でいえば長靴のかかとの部分にあるプーリア地方にあるカステル・デル・モンテへ向かうところから始まる。

 澁澤が別名「風の塔」と書いているカステル・デル・モンテは、丘の上にある13世紀に建てられた城。尖塔をもつヨーロッパの城のイメージと違い八角形の大きな塊のような建築物だ。イスラム文化の影響を受けているそうだが、建てたのは神聖ローマ帝国皇帝(シチリア王、ローマ王でもあった)フリードリヒ2世。この皇帝はノルマン人(北方系ゲルマン人)の血を引くといわれ、教皇から破門されながらも国を繁栄に導き、美術・科学を奨励し、占星術師を抱え、錬金術に熱中し、世界最初の大学をナポリに創設したり、珍獣を集めた動物園を造ったり、フランス語、イタリア語、ギリシャ語に加えてアラビア語を話した。

 このフリードリヒ2世に興味をもち調べてみたら、十字軍としてエルサレムへ向かい、10年間の期限付きだったが戦わずして交渉によりエルサレム返還を実現した人物だった。ただし破門中の身であったため、その功績は教皇側の人々からはあまり評価されなかったようだ。

 それにしても旅行記なら読みやすいだろうと選んだ本だが、やはり澁澤龍彦の本は一筋縄ではいかない。まだ前半しか読んでいないが、これはイタリアの旅行ガイドとしてさらりと読むこともできるが、個々の小さな話題をじっくり拾いはじめるといつのまにかヨーロッパ中世史の世界へ迷い込んでしまう、まさしく魔力のようなものが潜んでいる本だ。

 なおカステル・デル・モンテは今は世界遺産になっておりイタリア政府観光局公式サイトでその姿を見ることができる。

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2020/03/29

寺田寅彦「俳句と地球物理」を読む

 我が家の読書週間三冊目は、寺田寅彦「俳句と地球物理」(ランティエ叢書)。

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 寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という警句の作者として知られるが、科学者であり随筆家でもあった。熊本の第五高等学校で夏目漱石の授業を受け、その後も漱石と長く交流した人物でもある。

 この本の中にある「二千年前に電波通信法があった話」は、じつに面白く読めた。それは”欧州大戦(第一次世界大戦)があった頃、アメリカの大学の先生たちが戦争遂行の参考にするため古代ギリシャの戦術を翻訳研究した成果をまとめた本にあった、二千数百年前のギリシャ人が電波による遠距離通信を実行していた”という話だ。

 電波と言っても光だが、それを同期信号としてとらえれば二地点間でデータ通信が出来る。さらにその原理は、電信電送・写真電送で使われている原理と同様だと語っているのだ。その連想力というか洞察力に圧倒される。たぶんどのような時代にあっても、科学者として活躍する人だろう。

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2020/03/22

串田孫一「山歩きの愉しみ」を読む

 我が家の読書週間二冊目は、串田孫一の「山歩きの楽しみ」(ランティエ叢書)を選んだ。

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 串田孫一の文章は雑誌で読んだことがあるが、一冊の本で読むのはこれが初めて。私が知るのは山に関するエッセイ作家としてだが、活動分野は、哲学、詩、随筆、翻訳、絵画、音楽、登山など多岐にわたり、いわゆる博学多才な人である。

 「山歩きの愉しみ」は、若いころから山や自然に親しんだ串田ならではの作品。たとえば山の博物手帖という話の中に”植物や昆虫を、それについて詳しく書いてある本や図鑑によって、つき合わせ、確かめることは簡単なことではない。世間のいろいろのものが便利になった時に、人間が横着になってきていることは事実で、調べる根気も薄れている。この便利さに反抗するような気持ちを抱いていないと、自然の勉強は進められない”とある。

 これはいつごろ書かれた話だろうと思いながら、巻末の初出一覧をみたら1966年とある。まだインターネットなど影も形もないころに書かれたものだが、この話は、すべてネット検索で済ましがちな現代にも通用するように思う。

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2020/03/08

須賀敦子「ヴェネツィアの宿」を読み直す

 突然はじまった我が家の読書週間に須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」を読み直している。そうそうこういう話だったとか、えーこんな話あったのかあり、自分の記憶のあいまいさを思い知らされる。

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 「寄宿学校」の章は、東京のカトリック系学校の寄宿舎で過ごした学生時代の想い出を綴ったものだが、その文章の終わりに近いところで時代と話題が一気に飛んで、東京で暮らすイタリア人の友人との話になる。それは”私たちはよく深川を歩いたり、小石川の坂をのぼったりして、ふたりの好きな「日和下駄」や「墨東奇譚」の話をした”からはじまり、”その日、私たちは、荷風のお墓をたずねることにした”とつづく。

 イタリア在住時代の須賀敦子は、谷崎潤一郎、川端康成の文学作品をイタリア語に翻訳しており、日本文学に広く深く親しんでいたことは想像できる。となれば永井荷風の名が出ても不思議ではないが、やはり深川や小石川を歩いたり墓に足を運んだことを自ら語る文章に出会うと、須賀敦子の意外な面を見たように思う。

 ところで読んでいて戸惑ったことがある。この本は再読のはずなのに、ところどころ初めて読んだような気がする部分があった。毎回新たな発見があると思えば気が楽だが、うーん、これはどうなんだろうか。

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2020/02/22

坪内祐三の「日記本」を読む

 坪内祐三の日記本を読む。そこには雑誌の連載には書けなかったことや文壇話など作家活動に関連する話に加え、日々の買い物や食事などの日常が記録されている。なかでも買い物記録がじつに面白い。

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 買い物の大きな割合を占めるのが本、新刊本に加えて古本も多い。作家活動のための資料と言っているが、その幅広い分野と量が桁違い。たとえば「本日記」2004年8月4日に”今日送られてきた「城北古書展」の目録を見る。石神井書林に「銀座百点」の創刊から平成14年までの大揃い577冊が載っている。たぶん国会図書館にも揃っていないだろうし、この雑誌の初出でしか読めない面白い座談会やエッセイがあるから”と買う気満々の様子を語っている。

 つづいて”今年は既に「週刊朝日」二千冊を買ってしまったわけだから、あと五百冊ぐらい増えても・・・ヤバイぞ感覚が麻痺してきたらしい”とある。週刊朝日の件は、”黄金時代の「週刊朝日」の二十五年分のバックナンバーを買ってしまった”で紹介されていたが、そのとき二千冊を購入しさらに五百冊を購入しようとしているのだ。その買い物パワーに驚くとともに羨ましさを感じる。

 ところで銀座百点については、その後の書中日記2006年3月に”「銀座百点」ってけっこう無礼な雑誌だね”という題で、原稿依頼をしてきた編集者へ苦言を呈している。その編集者は銀座百点500冊のことを知っていたのだろうか、いずれにしても不思議な巡り合わせだ。

 なお手元にある坪内祐三の日記本は、本の雑誌社から発行された「三茶日記」(2001年)、「本日記」(2006年)、「書中日記」(2011年)、三冊合わせて1997年10月から2010年12月の日記となる。

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2020/02/15

坪内祐三の「東京」を読む

 文芸評論家として多くの著作がある坪内祐三は、国内海外の文学だけでなく古書・音楽・歴史など多岐に及ぶ分野で活躍した。「東京」(坪内祐三、太田出版、2008年)は、坪内が暮らし歩き遊んだ東京の街を語る。

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 じつはこの本は、「クイック・ジャパン」2003年11月から2007年6月までの連載に新たに書下ろしを加えたもの、学生時代、雑誌編集者、作家になってから、坪内の1970年代から2000年代、いわゆるちょっと昔の東京の姿が収録されている。このちょっと昔は、歴史として研究するには新しすぎて対象にならず、まだ現役で知っている人がいるのに意外とあいまいなものが多い。特に街の小さな変化などは記録されることが少なく忘れ去れてしまう。

 例えば神保町の章で、坪内は”私が通いはじめた頃の「キッチン南海」は街の普通の洋食屋だった。行列なんて出来ていなかった。それはとんかつの「いもや」もそうだった。(今では「さぼうる」にまで行列が出来ているから驚きだ)”と語っている。まさしくこの通り、かつては空席がないときはすぐに別の店へ向かい、店前に並ぶことはしなかったのだ。もし待つとしたら、店内に空席待ち用のイスが用意されている場合だけだった。これは、興味のない人にはどうでもよいことだが、その時代を知る人なら共感する話だろう。

 それにしても、坪内祐三の新たな文章を読めなくなるのはじつに残念だ。

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