アースダイビング

2012/05/27

多摩を行く

 週末、武蔵野を流れる玉川上水沿いを上流に向けて歩いた。

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 久しぶりのJEDIのイベントは、モノレールあり電車あり、徒歩あり、さらに酒造会社の見学まであるバラエティあふれるコース。資料作成と当日のナビは、いつものiGaさん。

 玉川上水沿いを歩き羽村堰につけば、多摩川は水かさが低く流れも細くみえた。しかし、取水口から上水の流れをみれば、ご覧のような勢い。白く渦巻く水とそれを取り囲む緑のおりなす様子はまさに渓谷である。この水が、武蔵野台地を流れ江戸城まで達していたのだ。

 じつは先週歩いた小名木川流域と上水の水は、わずかであるが関係がある。玉川上水も神田上水の水も届かなかった江戸時代の深川は、良質の水が少ない地域であった。そこに登場したのが、水売り。四谷大木戸から江戸市中に入った上水の一部を汲み、それを深川地域で売る商売である。その水を運ぶ専用の船が水船。水船は、取水を行徳方面にかえて明治になっても深川で商売をしていたそうだ。

 玉川上水の話にもどると、その規模と技術に感動する。自然の高低差だけをたよりに多摩川から武蔵野台地をとおり四谷大木戸まで流れるルートを調べ、そこに水路を開削した先人達の知恵はどのようにして生まれたのだろうかと・・・。

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2010/07/18

キャンパスの裏山を歩く

 電車の中吊り広告といえば、大げさな見出しの週刊誌が定番だが、網棚上のスペースは少し落ち着いて企業広告(なぜかこの頃は司法書士事務所が目立つ)やイベント案内などが並ぶのがつねである。ここ数週間、その網棚上スペースに変化がおきている。

6dsc07216b 夏休みを前にして、大学オープンキャンパスの案内が増えているのだ。

 昨日は、八王子にある東京造形大学のオープンキャンパス。ここで講師をしているJEDIメンバーに先導されて、オープンキャンパス+アースダイビングに参加。

 横浜線八王子みなみ野駅(造形大の最寄り駅相原の隣り)に集合したメンバー一同は、まずは宇津貫毘沙門天・熊野神社にたちより東京造形大学を目指すことに。

 横浜線車内から見かける八王子みなみ野駅付近は、真新しい建物がたちならぶ新興住宅地のようで大きな起伏あるようにみえないが、いざ歩いてみると小さな川に面して谷戸がいくつも並び複雑な地形であることに気づく。造形大キャンパスもそのような地形に囲まれて建てられており、山のなかに校舎が点在している。オープンキャンパスでにぎわうなか、建築家「白井晟一(しらいせいいち)の造形」展を見学、学生に混じって学食で昼食。

 大学を出発しキャンパスの裏山に入れば、いきなり急な上り坂。遠くにヤブウグイスとセミの声を聴きながら坂道を歩く。ヤブこぎをし、尾根を歩き、坂を上がり、谷を下り、崖に立ち下界眺め、峠で休み、気分はすっかり山歩き。

 しかし、ここはたんなる裏山のハイキングコースではない。じつは、この地域は分水嶺となっており、縄文時代は集落がおかれ、平安時代は登り窯が点在し、さらにいまも鎌倉古道(その道幅は馬一頭が通れるような)が残る地である。関七州を見わたせたという七国山という名もあり、湯殿山・羽黒山の名が刻まれた石碑もありと、歴史に富んだ地のようだ。

 都心の賑わいの中にいると、銀座や日本橋が古い東京の中心のように思ってしまうが、どちらも江戸時代の埋立地。現代でたとえれば、お台場のようなもので、歴史の古さでは府中や国分寺など多摩地区にとても及ばないことを実感する。

 いつもの街中主体のアースダイビングと違って、今回は一味も二味もちがうイベントとなった。さて、つぎは・・・。

関連エントリー:

MADCONNECTION:梅雨明けの...
aki`s STOCKING: JEDI@多摩の横山

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2010/04/06

『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

 4月4日(日)、コレジオによる『川の地図辞典』多摩東部編の出版記念ウォークが開催された。

6dsc05800 じつは、じんた堂は国立に住んでいたことがあり、今回のコースである国分寺付近もよく歩いていたので、日曜日もまず国立にある知り合いの店に立ち寄り、それから多摩蘭坂を上がり国分寺方面に向い、皆さんに途中合流しようと思ったのだが・・・。

 まずは忌野清志郎ゆかりの多摩蘭坂は、新しいマンションの建ち並び、ファンの訪問記念サインが書かれていた石垣は跡形も無く消えていた。坂上の根岸病院、その先の府中病院もすっかり新しくなり、道路も広く整備され景色が変わっていた。きわめつけは泉町交差点の先にあった鉄道学園用地が、すっかり公園になっていることだ。かつて廃屋の職員住宅が点在していた西元町側もすっかり公園になっており、これまた新しい風景となっていた。

 先行する人達を追いかけようと、お鷹の道の入り口を探すのだが、その昔の記憶がまったく役立たず。近くまで行きながら曲がる方向を間違え、結局、皆さんに追いついたのは最終ゴール地点の殿ヶ谷になってしまった。

 ということで、出版記念ウォークについては何も書けず。それならば二次会、三次会についてと思うが、こちらは、そのあまりに深い内容に公開できそうもない。当日の詳しいことは、皆さんがブログで紹介するだろうからそちらを読んでいただくとして、ここでは国立駅前のサクラ並木の写真を載せておく。(少しボケているのは、駅ホームのガラス越しに撮影したため)

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2009/11/08

日本橋に坂道はあったのか?

 先日、コレジオ芳賀氏の神保町講演のなかで、日本橋台地(江戸前島)の名前がでてきた。

7dsc09027 ”この付近(神保町)にある神田一橋中学校で発掘された水道用木樋のカスガイに牡蠣が付着しており、この地は低湿地というよりも潮干満の「入江」であった”との話しとともに、江戸時代、日比谷入江が、武蔵野台地と日本橋台地に挟まれている地図を示された。

 「東京の地理がわかる事典」(鈴木理生、日本実業出版社)では、江戸前島の項で”この場所を現代の地形学では「日本橋台地」と呼ぶ。山の手台地の一つである本郷台地の先端が、海進期の荒波に削られて低く平らになった場所で、「日本橋波食台地」とも呼ばれる”とある。

 ところで台地の端には坂がある。無縁坂、湯島天神男坂、神田明神男坂、九段坂などは、みな台地の端に位置する坂である。となれば、いくら荒波に削られ低く平らになったとはいえ、日本橋台地の周辺にも坂があってもおかしくない。たとえ坂が残っていなくても、その痕跡の名前ぐらいはあるのではないだろうか。

 まず開いたのが、東京の坂道を解説した「江戸東京坂道事典」(石川悌二、新人物往来社)。この本は、台地別に坂道を列記しているが、残念ながら、日本橋台地・江戸前島の項はなく、ざっと見たところでは日本橋台地・江戸前島を述べたところも見つからない。

 やはり、日本橋台地に坂道はないかと思ったが、先週、たまたま人形町から日本橋室町へ向かう道で、写真の光景を目にした。

 場所は日本橋三越本店の向かい側にある、鰹節大和屋さんの横の路地、ハンペンで有名な神茂と佃煮の鮒佐のある通りである。それが昭和通りに接する部分が、わずかだが坂のようになっているのだ。

 しかし、この場所はどうみても台地の端には見えない。

 自宅に戻り、復刻版江戸古地図の日本橋付近をみると、現在の昭和通り江戸橋付近に堀があり、さきほどの路地は、この堀にぶつかっていたようだ。

 堀・川となれば、いつもの「川の地図事典」の出番である。

 P39の地図によれば、ここにあったのは「西堀留川」、上から見れば、ちょうどL字型の堀であることが分かる。P46の「西堀留川」解説では、”日本橋川左岸からの入堀。本船町と小網町一丁目の間から北西に向かい、堀留町一丁目の手前で西に折れて室町三丁目で留まっていた”、さらに”堀は旧石神井川の下流部にあたる谷田川の河口部にあたり、慶長年間の工事で入堀として整備された”とある。

  2008年3月、コレジオ主催で行なわれた「川の地図事典」出版記念ウォークは、駒込付近からの谷田川の上流をさぐるものであったが、今回、日本橋で、再び谷田川の名をみることになった。坂道は見つからなかったが、なにか不思議な縁を感じるとともに、同時にはるか昔の台地の姿に思いをめぐらしてみたくなった。

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2009/10/17

シュロのある風景@谷中

 根津駅から谷中方面へ向かう。

7dsc08379 不忍通りから旧藍染川の道まではどの家も隙間なく建っているが、坂道を上がるあたりからは大きな屋敷がちらほらと。

 あかぢ坂を上がり突き当たりを右に曲がると、大名時計博物館として公開されている屋敷がある。

 その門前にそびえるのが写真のシュロの木。

 まるでお約束事のように、大中小のシュロが植えられている。

 ところで庭木の解説書によれば、シュロは芝や家の玄関に植え、西洋風庭園に効果的とある。たしかにシュロのある景色は、和風というよりもどこか異国のような雰囲気がある。しかし、それは西洋趣味というよりも南洋趣味の影響が大きいように思う。遠き島より流れ着くヤシの実を思う心である。芭蕉も大きな屋敷で見かけるが、同じように南洋趣味ではないだろうか。

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2009/10/16

シュロのある風景#2@北千住

 再び北千住へ向かう。

7dsc07523 先日、紹介したシュロ並木@北千住の近くで、またもシュロを見物。

 こちらは大きな医院の庭にあるシュロの木。

 二階屋の屋根を越える高さも見事だが、なによりも、4本並んだ右肩上がりの高さが絶妙。

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2009/09/25

ドーム屋根の想い出@駿河台

 駿河台で用事をすませた帰り道・・・、

7dsc08147 マロニエ通りの一本線路よりの(かえで通りと言うらしい)道を、御茶ノ水駅前交差点に向かって進んだ。

 今日はさらりとした天気、すべての景色がとてもクリアに見える。たしかこの辺りからニコライ堂が見えたはずと交差点の先をみつめたが、明るい日差しに白く輝くビルが見えるだけで、ニコライの緑色ドーム屋根は見えない。

 どうもこれは思い違いをしていたようだ。

 この通りから見えるのはドーム屋根でも、今は居酒屋の入る複合ビルのドーム屋根だった。たしか、ここはその昔喫茶店だったはずだ。この付近にあった喫茶店の名前を上げれば、ジロー、舟、ミロ、サンロイヤル、ウィーン、穂高、滝沢、ロビン、田園、丘、レモン、マロニエ、FINEとなる。このうち、いまも喫茶店として営業しているのはミロと穂高だけのようだ。
 
 ところで、喫茶店からスタートしたジローとキッチンジローは同じ会社だと思っていたが、じつはこの二つは全く違う会社だそうだ。

 御茶ノ水駅近くにあった喫茶・ケーキのジローはGIRAUDで、これは現在ジローレストランシステムとなり、数多くのブランド名で店舗を展開するレストランチエーンになっている。

 キッチンジローは、創業者小林次郎さんの名前にちなむKitchenJiroで、千代田区を中心に都内にレストランを展開している。

 この二つ、GIRAUDはシャンソン喫茶として1955年神保町でスタートし、KitchenJiroは一号店を1964年神保町に開店と、なぜかどちらも神田神保町生まれである。神田神保町は、本だけの町ではないのだ。

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2009/09/21

クラッシクなガラスケース@北千住

 スーパーやコンビニなどのオープン陳列棚に慣れてしまったのか、ガラスケースをクラッシクに思う。古臭いということでなく、落ち着いて好ましいということだが。

7dsc07319b ガラスケースでも、ステンレスやアルミなど鈍く光る金属でおおわれた最新のものは、清潔だが冷たい印象がする。それに対して木枠のガラスケースは、どこか柔らかで温かい。とくに古いお店で見かけるコーナー部をカーブさせたショーケースは、オシャレに感じる。

 写真のガラスショーケースは、北千住の商店街でみかけたもの。

 枠はすべて木製、床からの立ち上げ部分はタイル張り。しかもその部分は、下にいくほど小さくなるように絞ってある。ショーケースの中は二段に仕切られ、そこに置かれているアルミ製のトレーもガラスに合わせてカーブしているなど、細部までしっかり作られている。

 まさしく、いい仕事をしている。

 いまはPockyが高く積まれ、ふ菓子、ソースせんべいが入っているガラスケースだが、往時はどのような商品を並べていたのだろうか・・・気になるガラスケースだ。

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2009/09/13

サイドカー自転車@北千住

 オートバイのサイドカーのように、荷物運搬用側車をつけた自転車を、北千住でみかけた。

7dsc07900 前回のリヤカーカブは畳屋さんだったが、こちらはブリキ屋さん。お店のガラス戸に、大きく「ブリキヤ」とあるので間違いない。

 こういう形式の自転車は、いまは珍しくなったが、かつて我が町のガラス屋さんにもあった。

 窓ガラスの補修をたのむと、板ガラスを積み込みんだサイドカー自転車で来てくれ、家へつくなり窓の寸法を測り、その場でガラスを切り、ピタッと入れてくれた。ガラス屋のおじさんは、”ダイヤモンドで切ったんだ”と自慢していたが、あれは本当だったのだろうか。

 ところでブリキ屋さんの作業を見ることは、少なくなった。いまは屋根まわりの材料がカラー鉄板と塩化ビニールパイプとなり、まるでプラモデルのように接着剤で組み立てている。かつて見かけたハンダ付け作業などは、まだあるのだろうか。

 もしかしたら、ここ北千住ならと期待してしまうのだが・・・。

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2009/09/12

リヤカーカブ@北千住

 スーパーカブは、戦後の日本が生み出した世界商品の代表である。

7dsc07844 東南アジアの朝、それこそ無数のカブが道路一杯に広がり疾走している光景をみたことがある。二人乗りはあたりまえ、なかには三人乗りもあり、その使い方の逞しさに圧倒される。じつはスーパーカブは、ホンダの商品名だが、いまは完全に普通名詞のように使われている。それほどに普及しているのだ。

 リヤカーも日本が生み出した商品だそうで、戦前から広く利用されていた。秋葉原付近では、以前からダンボールをたくさん積み込んだリヤカーを見かけたし、最近は、宅配便が商店街の店をまわるのに小型リヤカーを使っている。何事も組み合わせて新しい使い方を生み出すのが得意な日本人、スーパーカブでリヤカーを牽引したのも当然のなりゆきだろう。

 子供の頃、商店街に行けば、スーパーカブ+リヤカーを必ず見かけた。もちろん自転車でリヤカーを曳くのが多いが、自転車で運ぶにはちょっと大きく重い荷物、たとえば石炭俵、ドラム缶、材木(垣根用の丸太)や廃材などを運んでいた。

 それもいつのまにか見かけなくなり、懐かしの昭和風景になったと思ったら・・・先日、北千住で写真の光景にであった。

 ここは畳屋さん、店先の路上に畳が一枚置かれ、そのそばにリヤカーとスーパーカブが停まっていた。この姿をみて、思わず、長生きしろよとつぶやいてしまう、もちろん心の中でだが・・・。

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